2009年05月31日

ヒマラヤを写した写真家Kilian Blees

下記サイトの写真をクリックすると 連続写真がでます。
各写真の右側をクリックすると次つぎに写真16枚がでる。
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/29379
この写真家のサイトは:
www.flachware.de/kilian-blees

Kilian Bleesは ミュンヘンの写真アカデミーを卒業して写真家。
この6年 ネパール、チベット、中国を撮影してきた。

彼へのインタビュー:
最近 この地域は 途方も無く変った。
ネパールのDolpo地方は長年 旅行者を締め出していた
と聞いていたが 外国人写真家も 受け入れてくれた。
自然のままの 素朴な喜びのある土地だった。ドイツには 
足りない喜びがあった。
もっとも印象に残っているのは 首都カトマンズの近くで 
激しいにわか雨の時に 3人の女子生徒が雨の中で 
踊っていた ことだった。他の人は雨から逃げて行ったのに。
魂が 私に語りかけているように思えた。それが
撮影の始まりだった。

2007年の秋にオリンピックの前に チベットに行った時、
カイラス山の麓のDarchenに着いた時、一つの仏像が
壊されることになった。暴動が起きて、どこにも軍隊が
いた。苦情を言う人は 逮捕された。翌日 その地の
雰囲気は変っていた。中国政府の暴力に無力感を
感じた。 


  


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2009年05月30日

小学校で子どもにパソコンを自由に使わせるinインド

インドのShirgaon村の学校に小屋があり、その壁の穴に
パソコンが置かれている。
パソコン利用指導の授業は無く、子どもは好奇心のままに
グーグル検索などを学習していく。
朝10時の休憩時間になると10年生までの子どもは
校庭に飛び出てくる。向かうのは 二つの穴(窓)があり、
窓の前にベンチのある小屋だ。
この窓は衛星を経由し、インターネットにつながっていて 
果てのない世界への入り口になっている。
これは MIITというインドの技術研究所のSugata Mitra
博士が1991年に始めたプロジェクトだ。
子どもの好奇心によって 手助けなしに学習できる
ようになることを 目標としている。

◎教えるのでなく、共同で学ぶ。

子どもたちは 学習を義務とは思わない。学習は
楽しいものだと思っている。
パソコンの前での 子どもたちの行動は ビデオカメラを
通じて記録されて、衛星経由でニューデリーに送られる。

画面上の→は針に見えるので 子どもはインドの言葉の
針という単語をこれに あてている。
画面の砂時計のシンボルは シバの神の道具に見える
ので これは その道具にあたる単語を あてている。

Arthur C. Clark アーサー クラークの科学フィクション「2001-
世界空間の放浪」から Mitra博士は このプロジェクトを
思いついた。「人間は好奇心に導かれている」という
ミトラ博士の考えは この小説から得られた。

「壁の穴」のパソコンが生まれてから 学校を卒業してから 
大学へ進む子どもが増えている。そして卒業しても
この「壁の穴」のパソコンを通じて 学校とつながりを
持ち続けている。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4199679,00.html
  


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2009年05月30日

合成ヘロイン・健保で支払いinドイツ

ドイツ議会は 人造ヘロインを処方箋薬に追加する
ことを決議した。
重度の依存症者は 合成ヘロインを健康保険扱いで
入手できるようになる。
議会は 反対するCDU(キリスト教民主同盟)と
CSU(キリスト教社会同盟)の反対を押し切り 議決した。
動議は SPD(ドイツ社会民主党)によって なされた。
ヘロインの代替物 メタドン(Methadon)が効かない
中毒者を助けるためである。
CDUの保健専門家 Jens Spahnは
「国家が 麻薬売人になる」と言った。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/politik/2009/05/29/heroin/auf-rezept.html

★ヘロインは けしの実から作られたアヘンに含まれる
モルヒネから作る麻薬。  


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2009年05月29日

同性愛者の結婚を認めよと言うデモinカリフォルニア

写真13枚に 説明がついてます。
写真1. カリフォルニアの最高裁判所は 5月26日に同性同士
の結婚を禁止することを確証した。これに反対し、女優で
コメディアンのKathy Griffinとその母親もデモに参加した。
2. 去年11月の国民投票で カリフォルニアでは 同性同士の
結婚に反対という意見が多かった。
3. 犬の御尻にまで 「結婚の自由を支持します」という
シールを貼っている。
4. 50州のうち わずか5州が同性同士の結婚を認めている。
5. 2008年5月から2008年11月の国民投票までの期間に 
結婚した18000組の同性同士の結婚は有効だと 
法廷は認めた。
6. 女優 Drew Barrymoreも 反対のために立ち上がった。
7. この人も有名人なのでしょうか?
8. 女優で歌手の Emmy Rossum
9. 性同一性障害の組織は新しい全国的アンケートを求めている。
10. 数千人のデモ参加者
11. アマチュア レスリングの選手 Kerry McCoy(左)と彼女の
パートナーもレズ同士で 結婚するという夢を 実現できない。
12. 座り込みしていた人たちは 警察に手錠をかけられた。
13. カリフォルニアでは 投票者の52%は 同性同士の結婚に
反対だった。同性の結婚を認めているのは メイン、バーモント、
アイオワ、コネクティカット、マサチューセッツの5州だけ。
下記サイトから:
http://www.stern.de/lifestyle/leute/:Demonstrationen-Kalifornien-Promis-Homo-Ehe/701974.html

  


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2009年05月28日

薬物依存とその意義(昨日の続き)

3. 麻薬使用の代わりに生きる目的を持とう

不法麻薬は 他人の罪の身代わりの役をしている。
人は何か禁止するものを必要としているので、禁止している。
ヘロインを解禁すれば やり過ぎて死ぬ危険が増えるので
禁止はもっともだ。
大麻は死ぬ危険があるから禁止されているのでなく、
反抗的な若者というイメージと結びついているので 
禁止されている。
麻薬のお陰で 社会が機能的でなくなる という
ものではない。アヘンの消費者は ごく少ないので 
彼らが働こうと 働かなかろうと 社会的には どうでもいい。
大麻を吸う人は多いが、彼らは18~21歳の間に 
短い時期を 大麻を吸って過ごすだけで、彼らの及ぼす
経済的影響は 取るに足りない。

麻薬については 禁止によるだけでは 何も避けられない。
むしろ 当事者をよく理解することが大事だ。
若い人は 外界については 分かっていても、心の中に
ついては 分かっていない。不安は 若い人だけでなく、
すべての人が 抱えていて、内と外との間に極度の
緊張がある。自分は何ものか、何であるべきかと悩み、
心の葛藤は 麻薬の使用の下地になる。

個人の行動の変化が起きるのは 先のことである。環境
保護の困難が 無視できなくなったら、そして さらに
経済の効率化を追求することが できなくなったり、
社会的な対立が 耐えられない程になったり したら 
やっと 個人の行動の変化が起きるだろう。

生活の仕方を犠牲にしなくても 済むように 補助手段を
使える限りは 危機的状況にはならないから、今までの
状況は続く。

人は 個人的な事柄を 超える目的を追求することが 
できる。個人的な事柄を超えると言っても 個人にとって 
人間存在にかかわる意義を持つような目的を 持つ
ことができる。
たとえば 人は南北の格差について 改善するのに 
少しは 貢献できるだろう。
哲学者 ユルゲン・ハーバマスHabermasが「家庭と職業に
ついての病的個人主義」と呼んだ 脱政治問題化に 
取って代わるものが 大事だろう。
人は 社会に視線を向けることを 放棄しては ならない。
◎ Peter Raschkeは ハンブルク大学 政治学名誉教授。
大学付属病院 依存症学際的研究センター副理事長。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/wissen/736/469294/text/

  


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2009年05月27日

薬物依存とその意義inドイツ

1.日常生活のための薬物使用

酒・薬剤・禁止されている麻薬などを使わないで生きて
いくのは 難しいように思われる。
依存癖・中毒の研究者 Peter Raschke教授は 
なぜ そうなのかを語る。
麻薬、酒のない社会は神話にすぎない。人は麻薬を
使って 日常生活を克服してきた。今もドイツでは 多くの
人が 途方にくれないで やっていくために 補助手段を
必要としている。

酒、煙草の消費はあまり変わっていない。喫煙者の
人数は減っているが、煙草の販売数は変わっていない。

青少年の場合は 大人になりたくて 煙草を吸うという
動機がある。大人になれば 煙草を止める人は多い。

打ち解けた飲酒の場には ある程度の社会的コントロール
があったのに、消費社会になり、そういう場が無くなって
しまい ただ やみくもに 飲むという傾向は 憂慮すべきだ。
 
鎮静剤、興奮剤、抗うつ剤、落ち着かせるための
Ritalinリタリン、ずっと寝ないでいるためのModafinil、
精神的肉体的健康のための薬、内気な性格を変えると
いう薬など 簡単に手に入る。
大酒を飲まなくても 煙草を途切れることなく吸い続け
なくても こういう薬で幸せになれる。

合理化は進み、経済的効率が優先される潮流に足を
すくわれ、今までの日常生活の構造は 変わってしまった。
もう 会社で 少しでも ぼんやりすることは 許されない。

酒は ストレスから解放されるための夜の麻薬だ。
薬物は どん底を乗り越えるのに 役立ち 効率がいい。
煙草は 働きながら ストレスを少なくできると言う
高機能商品だ。

2. 余暇のための薬物使用

ラブパレードは 無理やり幸せな気分になろうと言う強制的
催しなので 多くの薬物が使われる。
「日常の薬物使用」というのは 強迫観念から来る。ある
決まった時点に 決められた状態に達しなければなら
ないのだ。問題は 自分で設定した強制を どう回避する
かだ。麻薬や薬剤で支えてもらう人もいるし、ヨガや瞑想
や 賢明なことを する人もいる。

ダライラマが なぜ あのような感激を人々に引き起こすか
というと、ダライラマは どうしたら 補助手段なしに 幸せに
なれるかを 示しているからだと思う。
ダライラマは 安らかであり、愛想がよく、霊的であり、酒も
飲まない。それに 私が勝手に思っているのだが 薬も
しない。多くの人が切望する 生きる姿勢を ダライラマは
身をもって示している。

チベット人にとって 瞑想は 日常のことだが、ドイツ人の
生活習慣は そういう構造になっていない。
ここハンブルクでは プロテスタントの倫理観をもつように 
教育されている。勤勉と義務の遂行を求める倫理観だ。
しかし この規範は消えつつある。19~20世紀の
労働規律は 今の生産様式に合わない。従って 社会の
合意は 新たに定義されなければならない。

幸福とは何かを定義するのは 個人的なことだが、一方 
幸福の追求を援助し、そして制限するのは 社会だ。
なので 人は幸福の追求を 麻薬で助けてもらうのかも
知れない。
アルコールによる死者は 自動車事故、暴力、病気に
よるもの 合わせて 年に4万人以上になるのに 酒と
いう麻薬は許されている。というのは 酒は この労働
環境を耐えれれるように してくれる 素晴らしい薬だから。

煙草も禁止されていない。ドイツだけで 年に14万人が
肺癌などで死ぬのに。
大麻で死者はでていないが 禁止されている。
麻薬法は まったく理不尽だ。たとえば トルコでは 
一時 コーヒーを飲むのが禁止され 飲めば死刑に
なった。(続く)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/wissen/736/469294/text/



  


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2009年05月26日

レッドブルコーラに含まれるコカインは無害という判定も

レッドブルコーラに微量のコカインが見つかった後に
ドイツ連邦危険査定所は これを検査し、危険でないと
判断した。コカインの濃度が低すぎ、作用を及ぼすには
至らないと言う見方である。
しかし その後の このコーラはドイツの多くの州で
販売を禁止されている。
ノルトライン-ヴェストファレン州の保健・労働研究所は この
コーラ1缶に0.13マイクログラムのコカインを検出した。しかし 
中枢神経と心臓・循環系に作用を及ぼすには この
7000倍の濃度が必要である。
下記サイトから:
http://www.stern.de/gesundheit/ernaehrung/aktuelles/:Kokainspuren-Red-Bull-Cola-Bundesinstitut-Gefahr/701779.html
  


Posted by jtw at 17:49Comments(0)

2009年05月26日

ロマ(ジプシー)居住区訪問byドイツ学生(昨日の続き)

◎ハンガリー・チーム
南ハンガリーの大学生寮に泊まった。ノルウエーの学生が
そこに4年住んでいる。街路一つ向こうにロマが住んでいるが 
彼はロマとかかわりは なかった。
彼に通訳してもらった。
居住区に約20の小さい部屋がある。通りでAttila(42歳)
と出合った。やせた体と灰色の髪のせいで 年齢よりも
老けて見える。昼下がりなのに 彼は酒の匂いがした。
地区のセンターへ案内してくれた。5年前までは電気も
水道もなかった。その頃に週末には ここでジプシー・ディスコ
があった。EUの金でセンターは改装され、今3家族が
住んでいる。
彼は30年前から この町に住んでいる。学校は中退した。
病気で働けないから 国から月に100ユーロもらっている。
これでは 生きていけないので 近所の人が助けてくれる。
妻は去った。青少年局が13歳の娘を引き取った。
ロマの言葉を話せるか彼に尋ねた。ロマはインドから欧州へ
移動してきたので その言葉は インドの言語と親戚に
違いない。ドイツの学生の一人が ヒンズー語で自己紹介
すると 彼は喜んだ。しかし彼の母語はハンガリー語なので 
ロマ語は 少ししか知らない。
彼は 廃線になった駅の信号小屋に住んでいる。
別れるときに彼は涙を浮かべた。写真を送る約束をした。

◎チェコ・チーム
Josepha(37歳)はピルゼンの中心部にあるロマの家に
住んでいる。チェコには30万人のロマがいる。チェコで最多の
少数民族だ。どの町にもロマはいる。どこでも 同じ偏見が
聞かれる:ロマは社会に寄生する者であって、年金生活者
よりも多くの金を国から受け取り、教育を受けていない。
盗みをする。
Josephaは こういう非難を承知していて、その幾つか
には同意さえする。
いくつもの部屋をノックして やっとドアの開けてくれたのが 
彼女だった。「この娼館については ここに住むジプシーに
責任がある」と彼女は罵った。彼女が娼館というのは 
混乱状態のことを意味している。彼女はドイツ語を話す。
娼館というドイツ語も 学校の頃に習ったのだ。
夫と息子と 兄の息子と一緒に住んでいる。兄は刑務所
にいる。彼女の住まいは きちんとしている。他の住人は
汚くするし、働かないし、と他人を罵る。夫は塗装工をして
いて、彼女は 今 無職。また美容師をして働きたい。
彼女は 子どもたちを学校へ行かせるんのが 大事だと
思っている。子どもは まともな職業に就けるように勉強してほしい。
「すべてのジプシーが私のように考えたら問題は無くなり、
ロマを居住区に入れようということなど 話題にならなく
なるだろう」と彼女は言う。チェコの右派政党はロマ居住区を
設定しようと要求しているのだ。
彼女は差別に腹が立つけれど、他のジプシーに満足して
いない。「一ヶ月したら 引っ越す。今度のアパートはジプシー
だけでなく、普通の人もいるアパート」と言うて 彼女は 
にっこり笑った。「子どもには いつも言うてきかせて
いる。アメリカでは 黒人が弁護士や医者にも なれるんだと」。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,625977,00.html

  


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2009年05月26日

鶴澤寛治さん・四世津大夫を語る

朝日新聞 2009年5月25日夕刊
「立ち見席・文楽劇場 四半世紀」(3)
見出し: 兄貴の愛で よみがえった。
文・西本ゆか、写真・伊ケ崎忍。

以下 抜粋です:

四世津大夫さんは 文楽劇場 こけら落としの千本桜で
「渡海屋・大物浦の段」を語った。当代寛治さんの父・
先代寛治さんが 長年 相三味線だった津大夫さんは 
寛治さんの実姉の夫でもあった。
「大夫としての 功績は言うまでもない。でも今、立派な
劇場で 芸に専念できる我々は、戦中戦後の激動の時代、
文楽を守るために彼が捧げた献身を、忘れちゃいかん
と思うのです」

寛治さんが16歳だった45年春、大阪が空襲で焼け野原
になった。四つ橋文楽座も焼けた。
一回り年長の津大夫さんは 即座に動いた。当時 
文楽を経営していた松竹系映画館での上演をめざして 
奔走した。映画館も焼け、幻に終わったが、努力は無駄に
ならず、悲願の公演は終戦 直前、朝日会館で実現した。
生活のために 氷屋をしながら 戦争で散り散りになった
仲間に もう一度 文楽をと 声をかけて回った。
復興後も「巡業の興行主になって もらえないか」と各地の
新聞社を回り、国立の文楽劇場実現を願い東京に
幾度も陳情の足を運んだ。
「汽車賃のため質屋通いも辞さなかった。そして
功績を誇らなかった」
「兄貴が捧げた無償の愛が礎となり、今も劇場を
見守ってくれている気がします」

★ブログ管理人の蛇足:
本当は 勝手に 抜粋するのは 著作権法違反だと
思うけれど、津大夫さん 全盛の頃に 合邦、山科閑居、
尼ケ崎などを 聞かせていただいて 感謝の念 尽きない
ですので 追善供養のため 見逃していただきたく 
カキコミいたしました。  


Posted by jtw at 07:26Comments(0)

2009年05月25日

ロマ(ジプシー)居住区を訪問byドイツの学生

ジプシーは諸国に散らばり どこにも正当には所属していない。
ライプツイッヒ大学の学生たちは東欧を歩いてまわり、
EUで最多の少数民族の人々と出会った。なぜヒンズー語
を話すと ロマに相手にされないのかも 分かった。
新しくEUに入った国々~バルト三国、ポーランド、チェコ、
スロヴァキア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、スロヴェニアを歩いた。
列車とバスは使えない。ホテルやホステルも禁止。毎日 
住民の家に泊まらせてもらえるように 頼み込むと
いう規則だった。
こうして普通はメディアに出てこない人々と出会い、
国々について新しい見方をもつ ことができるようになる。
EUに約800万~1000万のロマが居る。大半は東欧に住む。
学生のスロヴァキア・チームは 自称 世界で唯一の
プロのロマ劇団を訪問した。
チェコ・チームは 工業都市 ピルゼンのロマ住宅で、
ある家族と偏見について語った。
ハンガリー・チームは ロマ居住区で 一人 信号小屋(??)
に住む男性と出合った。

◎スロヴァキア・チームの旅:
カレル・アダムというロマ劇団の座長は EUは資金難の
ロマ劇団を支援すべきだという構想を持っている。
この学生のインタビューに 報酬として50ユーロほしいと
彼は言った。資金不足のため劇団は縮小し、建物の
改修もできない。取材報酬の50ユーロは この旅の
1日の予算の3倍だと彼に説明すると 例外的に まけて
くれた。ロマは金のない人には 思いやりがあるのだ
と彼は言った。
5人の女性が踊る 舞台稽古を見せてもらった。
踊り子たちは 結婚するために すぐ退座してしまう。
カレルはこの劇団の指揮者でもあり、バイオリンも弾く。
公式にはスロヴェニアに約10万人のロマがいると言われる
が座長によると、少なくとも80万人はいる。しかし政治
の場で ロマを代弁する人はいない。座長は この劇団を
維持するだけで しんどいので、とても政治活動はできない。
劇場は80席しかない。なので 欧州中を巡業する。
今までに ロンドン、ベルリン、モスクワ、パリで公演した。外国で
公演したら 劇団はもっと有名になり、ついには EUも
この劇団を支援することになるだろうと 彼は思っている。
(続く)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,625977,00.html  


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2009年05月25日

レッドブルコーラにコカインが入っている@ドイツ

Red Bull Colaは ドイツで販売停止になり、すべての缶が
流通から引き上げられる。
食品監視当局が 微量のコカインを このコーラに検出したため。
コカインが入っているということは 「感覚を麻痺させる薬剤」
であり、特別の認可が必要になる。
この飲料に コカインを抜いた コカの葉の抽出液が混ぜられ
ていて、それに コカインが残っていたものと思われる。
問題の成分は世界中で 食品の香料として添加されていて 
危険は無いと飲料メーカーは抗議している。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/news/2009/05/22/kokain-in-red-bull-cola/getraenk-vom-markt-genommen.html  


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2009年05月24日

薬物依存症専門病院・麻薬への別れの手紙(3)

バイエルン州の森の中にある Schlehreuth専門病院は
「麻薬・酒・薬依存症の女性とその子どものリハビリ施設」だ。
その経営者で心理士のVolker Barthさんが 麻薬を断つ
ことについて、薬物依存症者が書く麻薬への別れの手紙に
ついて インタビューに答える。

病気についての理解には2種類ある。
一つは 情緒面での病気の理解、もう一つは 認知に
関する理解だ。
認知に関する理解とは 例えば「麻薬をやり過ぎた、
中毒になる」という認識を持つことだ。
大半の患者は この病院へ来た時に このような理解は
している。しかし なぜ そうなったか、つまり中毒の後ろに 
何があるかは この病院で治療の過程で分かってくる。
患者が そういう理解を持てるようにするのが 
病院の仕事だ。
患者が 情緒面で 病気を理解できるようになると、
(「心の整理がつくと」という感じかなと 思いますが この
記事で もっとも分からない部分です)患者は麻薬への
別れの手紙を書けるようになる。そして ひょとしたら 
薬物と別れられる。
あの手紙を書いた患者は ずいぶん長い間 病院にいる。
入院して間もない人は 手紙を書くプロジェクトにあまり 
参加していない。

酒・麻薬から離れるには 様々な可能性がある。書く
のが苦手な患者もいる。絵や音で 自分の感情・情緒を
表現することも 試みている。演劇やロールプレイによって 
患者が自分を表現することもある。

手紙に「親愛な友で仇である麻薬様」あてのもあるが、
愛憎を認識できるということは 決定的な一歩を
踏み出したということだ。
薬物には プラスの面とマイナスの面がある。麻薬は
患者にとって残された 唯一の支えだった。問題を
持っているから 薬物によって混乱を紛らわす。気分が
良くなる。これはプラスの面だ。
一方 マイナスの面は 精神的・肉体的・対人関係的な
影響である。ここで 酒と麻薬は仇になる。
患者が プラスとマイナスの両面を認識したら 心は
決まるし 別れられる。麻薬に代わるものを 手に
入れられる。病院は治療していくうちに 患者の生活の
中に 大きい穴を作る。治療の過程で その穴を
塞がなければならない。そこで 生きる満足とか 
生きる喜びというテーマが問題になる。

患者の半分は 子連れで来る。子どもを里親に預けて
くる母親もいるだろう。
妊婦には 出産まで 流産しないように注意しながら 
代替薬物を投与することもある。

この病院に どういう風にたどり着くかと言うと、普通は 
依存症の女性が 相談所へ行って ここを紹介される。
ドイツ全土にある 保健所や 無料中毒相談所の窓口で 
女性が 入院したいと言う。
相談所を通じて 健康保険や ドイツ年金保険に 
入院経費を負担してくれるように申請する。申請が
承諾されたら、解毒のための入院になる。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/475531  


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2009年05月23日

「同性愛を治療する」とは何事か!

マールブルク大学での学会が学生、教授、ゲイを怒らせている。
何人かの発表者が同性愛者を「転換」させたいと言ったから。
「第6回 心理療法・魂への配慮のための国際大会」は
5月20日から5日間 開かれている。21日に千人が大会に
反対し、デモをした。
大会のテーマは「自己同一性、私の人生の赤い糸」。
主催者はプロテスタント系の「精神医学と魂への配慮の
ための学会」である。
抗議は 大会の120以上の報告のうちの二つに
向けられている。この二つの報告は 性同一性障害者を 
異性愛者に変えたり、同性愛の感情を減らしたりする 
可能性を論じていると 同性愛者は抗議する。
学会の会長は 抗議を気にしないと述べた。
非難されている報告は ゲイを敵視する見方とは 
別の立場をとっていて、抗議は 大会の内容でなく、
プロテスタント信者や その振る舞いに対してのもの
だと会長は述べた。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/jobkarriere/878/469435/text/
  


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2009年05月23日

依存症者から麻薬への最後の手紙(2)

4. 酒と覚醒剤(スピード)とコカイン様。

10年前に 初めて会った その日から 素晴らしく気が合って、
何日も夜は一緒に過ごしました。

一人ぼっちでは ないと 思えた。
あなたは私を××だと決め付けなかったし、からかったり 
笑いものにしなかった。
一緒に居て楽しかった。
あなたには 分かってくれていると思えた。
あなたは 私のために居てくれた。
最高の恋人だった。

しかし 時が過ぎ、すべてが変った。あなたは私を
変えてしまった。
あなたは私の生活、私の身体を支配した。
私は 自分を支配できると思っていたけれど、思い違い
だった。もう遅すぎた。
あなたの魔力に取り込まれ、一人では そこから
出られなかった。何もかも どうでも よくなった。人生も
家族も この世も どうでも よくなった。すべてが灰色に
なって、生活を投げ捨てたかった。
しかし ただ一つだけ あなたが私から 奪い取れ
なかったものが あった。私の「心の声」は 奪われ
なかった。心の声は 私を代弁し、私を支えてくれた。

今 私は自分じしんが 分かる場に居る。自分を理解して 
愛することが できるようになった場にいる。
心の落ち着きと 満足を ふたたび 手に入れた場にいる。
この手紙を最後に あなたと別れるつもりです。
あなたを今も 尊敬しているけれど、別々の道を行く時
だと思います。あなた無しで 一人で 私の道を行けるから。

世界は今、灰色でなくなり、色とりどりの世界になった。
生きるのは 今は 楽しい。自由になった。

タニァより。

5. クリスタル(覚醒剤)さま。あなたと別れます。

あなたは とても多くのことを私に 与えてくれた。
あなたを必要とした時には いつでも あなたは居て
くれた。あなたは 私にとって すべてだった。恋人で、
母親で、親友(女性の)だった。
そうでは あったけれど、もう別れたいです。あなたは
私を めちゃめちゃに してしまった。薬を使って いなければ 
していなかったような ことを してきた。最悪だったのは 
子どもを失ったことだ。
あなたは私を操り人形のように 操った。もう嫌です。
だから あなたを追い払い、あなたが 私の生活に二度と
現れないで ほしいと願っています。
あなた無しで 生きていくのは 辛いけれど、心の奥で 
そのほうが いいと いうことが 分かりました。
アンナより。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/475529/2/1#texttitel

  


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2009年05月22日

麻薬に別れを告げる手紙。依存症者から麻薬への手紙(1)

「あなたを 私の墓穴に埋めます」

ドイツ・バイエルン州北東部の専門病院に 若い母親たちは 
薬物、酒を断つために 4~6ヶ月 入院している。
その治療の一環として 女性たちは 麻薬に 最後の
手紙を書く。
それを読むと、依存が どういう風に起きるか や 依存症の
原因について 少し理解できるようになる。
手紙を書いた人と 病院の了解を得て、五つの手紙を
サイトに載せることにした。
(手紙の写真も でていて、それは 全部 手書きです。
別れの手紙は おそらく パソコンでは 書かない
のかも 知れない)

1. 親愛な友であり仇である麻薬様。

何も感じたくなかったり、どうしていいか 分からな
かったり、もう これで おしまいと思った時は いつでも 
あなたを 信頼してきました。
あなたが 傍に居てくれたら 他には 何も、誰も
要らなかった。あなたは 私の心を満たしてくれ、私に
付き添ってくれました。しかし あなたは 二つの顔を持って、
私を欺いていました。
あなたの虜になってしまった時に ついに あなたは 
暗い面を見せました。最後には あなたを信頼でき
なくなり、私は見捨てられたような気がしました。
私自身が 溶けてしまっていました。
私は消えてしまって、消耗し、顔は ひきつって、
騙され、ウソを信じてしまっていました。不明瞭で 
混乱した卑劣な世界へ 滑り込んでしまった。その
世界で 私は 現実を もう認知できませんでした。
私はどこに居るのか、どうやって 混乱を解きほぐせる
のか 分からなくなった。
あなたは私を解放するのでなく、私の魂を奴隷にした。
あなたは 私の問題を解決するのでなく、私を混沌と
迷路に導いた。
今は 自分の心で感じたい。何かに とりつかれたように 
考えるのでなく、静かに考えたい。心を乱されないで 
見聞したい。
だから もう ここで 愛憎は終わりにして、あなたを
私の墓穴に埋めます。私は墓に入りません。あなたは 
私を その墓に生きたまま 埋めたかったのです。
あなたの居ない生活は 感情が豊かで、魅力的です。
私はやっと 自分で知覚できるようになりました。
それでも あなたが居なくなると 寂しい。
あなたに 守られていたいと思います。あなたとの 
付き合い、あなたへの信頼、あなたの味、あなたの傍に
居られたことを 忘れられません。

では さようなら。
マルティナより。

2. 親愛なヘロイン様。

ヘロインさんに手紙を書くのは 難しいです。あなたと
別れたいです。だけど 別れるのは難しいので 
涙がでます。
あなたは 私と長い間、一緒に居てくれました。
あなたが居てくれて 私は匿われているような、いい
気分でいられました。あなたは 暖かさと いい気分を
贈ってくれました。あなたと一緒に 素晴らしい時間を
すごせました。しかし あなたには 辛い思いを
させられました。あなたのお陰で 私の心は 砕かれ
ました。あなたのせいで、大変な悲しみを知り、長い間 
自分じしんが 無くなりました。
もう そういうのは 嫌です。あなたから離れるのは
辛いです。しかし あなた無しの方がいいと 気が
付きました。
気持ちよかったことや 楽しかった瞬間があったことを
あなたに 感謝しています。そして あなたのお陰で
知った苦痛については あなたを恨んでいます。
もう二度と 支配されたくないし、指導されたくもないです。
愛してました。
アメリェより。

3.親愛な麻薬さま。

一緒に素晴らしい時間を過ごしたことを あなたに感謝
しています。あなたは私に辛い思いをさせたし、苦痛を
与えたけれど、私が何か 問題をかかえた時は いつも
傍にいてくれた。
現実の他に 別の人生があることを あなたは 私に
教えてくれた。しかし あなた無しでも 経験できるように
なった。悲しみも 心の痛みも無しにね。
何度も あなたを求める気持ちになったけれど、もう
生きていくのに あなたは 要らないということが 
今日やっと分かった。
あなたは私の問題を取り去ってくれた。しかし 自分で
問題を解決することを今 学んだ。
あなたが居ない方が 気分がいい。悲しみも無く 
目が覚め、心から笑え、幸せです。再び 現実の世界に
戻って、安心しています。もう あなたは要らない。
二人で 過ごした時間を決して忘れない。
素晴らしい時間を過ごせて 有難う。けれど、生きて
いきたいから もう あなたと一緒にいる未来は ないです。
元気でね。

ザビーネより。

下記サイトより:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/475529  


Posted by jtw at 16:31Comments(0)

2009年05月21日

秋津野ガルテン@紀伊田辺

日本経済新聞 2009年5月20日 関西版
「α関西」きょうどの風 6.
見出し:公民館、世代超え交流の場
     住民出資の体験施設生む。

以下抜粋です。記事は買って読んでください。

和歌山県田辺市から北東に約2キロ。上秋津には
2008年に開設した都市と農村の交流などを目的と
した施設、秋津野ガルテンがある。古い木造校舎
を活用、宿泊機能なども備え、連休一週間で延べ
二千人近い利用があった。
 こんな施設は各地にあるが、ガルテンの特色は純粋
に地域が運営している点である。経営するのは株式会
社「秋津野」。約四千万円の資本金の六割近くは地区
住民が、残りを元住民や支援者が出資している。

 1950年代後半からの町村合併で、多くの町村は
共有財産を処分した。しかし、この地域では山林など
共有財産の保全、有効活用のために上秋津愛郷会を設
立した。愛郷会は木材やマツタケを販売、学校の施設
・備品を整え、必要な用地買収などを支援してきた。
 
 上秋津には旧村十一集落の町内会をベースにした
公民館や老若男女の様々な会、校区会やPTA、農協
や商工会など様々な組織・団体が活発に活動している。
公民館は学習や趣味活動の拠点であると同時に、
各組織と連携、多くの催事、事業にかかわっている。
  会合も含めほぼ毎日の利用があり、「公民館に明か
りがともっていない日はない」とまで言われる。

上秋津は田辺市内では 珍しく人口が増えている。

15年前、上秋津では愛郷会や公民館も含め、地域
の全組織・団体が入った「秋津野塾」を設けた。
新たな地域マスタープランを策定、そこから都市
との交流を図り農業を活性化、新たな産業振興を目指す
ガルテンも生まれた。
ガルテンがあるのは旧上秋津小学校の跡地。「ここ
で校舎も残し、生かす計画だったから皆が出資してく
れた」と木村さんは言う。
学校というだけでなく、人々が子供時代に自分たちを
大切にしてくれた地域への愛着を込めた場である。
  
  


Posted by jtw at 21:55Comments(0)

2009年05月21日

ゼラニウム・丈夫で手間のかからない花

産経新聞 連載 曽野綾子、透明な歳月の光 333
2009年5月20日
見出し:花と人間との共通性・質実で強健な相手が一番

メキシコの国境の麻薬戦争激戦地 フアレスについて 
このブログに何度か カキコミしました。曽野綾子さんは 
メキシコの別の町まではるばる視察に行ってくれて 
有り難いことです。

記事の最後の方 1/3くらいを 次にカキコミます。
全体の記事は 買って読んでください。
>>
 自分がほとんど動けなくなったときでも、頑丈に
生き延びてくれる花を探して、その花と付き合いたい
と思うようになった。昨年、メキシコの国境の町
ティフアナに行ったのは、知り合いの神父に頼まれて、
その町にあふれている麻薬中毒患者が合宿して研修する
建物を、日本人からの寄付で建てたのを確認に行ったの
だが、その研修センターー・のカンカン照りの庭を唯一
彩っていたのは、真っ赤なゼラニウムだった。お金がなくて
も植えられる花である。
 この花は痩せ地を嫌がらない。乾燥にも強い。毎日水やり
をしなくてもわずかな水で生き延びる。肥料もほとんど
要らない。季節を選んで芽ざしをすれば、いくらでも増える。
虫もつかず病気もない。
 質実で強健という特徴は、人間だけでなく花にとっても美点
なのである。こういう花となら、忙しい人も年老いた人も、
いつまでも付き合える。友を選ぶなら、気難しくない人が
いいのである。
  


Posted by jtw at 07:57Comments(0)

2009年05月20日

金冠毛ペンギンは半年を泳ぎ続ける

南インド洋のこのペンギンは 冬の間6ヶ月ずっと海にいて
11000キロを泳ぐ。フランスの生物学者 
Charles-Andre Bost は これを突き止め ロイヤルソサエティの
Biology Lettersに発表した。
ペンギンに6グラムのデータ収集器を付けた。
Bostとその同僚は 南インド洋のKerguelen島で
研究した。これまでは このペンギンが冬の間、どこに居て、
何を食べているのか 分からなかった。
ペンギンの所在、その場の明るさ、温度が衛星を中継し、
送信された。さらに 食べ物を推測するために ペンギンの
血液も採取した。
21羽のペンギンに器具をつけ、12の器具が活用された。
ペンギンは 島を離れて 東に向かい 甲殻類を食べ
始める。餌場は 南極のオキアミのいる海域の北にあった。
このペンギンは すべてのペンギンの中で最大のグループである。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1156062.html  


Posted by jtw at 19:38Comments(0)

2009年05月20日

エイズとマラリアに苦しむ人々inミャンマー

写真19枚。
写真1.ビルマ最大の都市ヤンゴン(かつての首都)の
エイズ特別病院で 29歳の女性はひどい痛みに耐えている。
2. HIV感染者の妊婦と医師。抗レトロビールス薬は足りない。
HIV感染者は多いのに軍事政権は 予算のわずか
0.3%しか保健部門に回さない。
3. 母体を通して赤ちゃんにHIVはうつる.
1962年の軍事政権誕生以来 経済はまともに 
運営されず、国際社会から孤立してきた。
4. この男性はHIV感染者。ヤンゴンに住み、極貧で医療を
受けていない。国からの支援もない。医療を受けずに死ぬ
人も多い。少数民族(人口の約1/3)は軍事政権から
迫害され、医療はさらに悪いので 特に危険な状態である。
5. エイズの女性が特別病院に運ばれてきた。低栄養状態
で衰弱している。
ミャンマーはアジアにもっともHIV感染者の多い国の一つ。
感染者24万人、うち76000人は抗レトロビールス治療が
差し迫って 必要だ。しかし その約20%しか
非営利支援組織から 薬を受け取っていない。

6. 男性HIV陽性の人。その妻は 子どもを抱えて
医師からの助言をうける。
80年代からミャンマーでHIVが知られていたのに 
政府は適時の対策を採らなかった。
7.この女性の夫はエイズで死んだ。
8. 生後13ヶ月の幼児。重度の低栄養状態。
ヤンゴンのエイズ病院は このような子どもも 受け入れる。
5歳以下の子どもの3人に1人は 慢性的栄養不良。
9. ヤンゴンのスラムの少年。スラムの人々は もっとも苦しい。
1日に1回の食事さえ できないことがある。

10. ある州都のマラリア病院で治療を待つ人々。
イスラム教徒である Rohingyaという少数民族。
11. 前の写真と同じ マラリア病院で、検査結果を聞く
ために待つ人々。マラリアは死因ランキング表で最多。
薬が足りないので ミャンマーでマラリアで死ぬ人の数は 
東南アジアのその他の国々でマラリアで死ぬ人の数と同じ。
12.前の写真と同じ病院で 待つ子どもたち。支援団体
のマラリア病院で去年22万人のマラリア患者が治療を受けた。
13. Rosingyaという少数民族の状況は2008年12月から 
さらに悪くなっている。
14.Rohingyaの少女、マラリアにかかっている。
15.マラリア病院で。幼児の患者。
16.マラリア検査のための採血。
17. マラリアの検査。
18. マラリアの病原体が あるか どうか調べる。
19.1週間の検査結果を臨床検査室は 発表する。4月の
1週間に1407人が検査をうけ、628人に 病原体が見つかった。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wissenschaft/mensch/:Fotostrecke-Das-Leiden-Myanmar/700533.html?cp=1  


Posted by jtw at 13:37Comments(0)

2009年05月19日

人身売買inネパール・親に売られる娘

人身売買はネパールで禁止されているが、多くの親は
娘を料理、洗濯、掃除をする奴隷として売る。
貧困と伝統と父親のアルコール中毒のお陰で
人身売買は繁盛している。
娘1人売ると 親は1年に最高120ユーロを受け取る。
半数以上の人が 1日に75セント以下で生活している
ネパールで この金額は大きい。
ネパールの田舎には12000人の「重労働する女性」
(売られた女性、奴隷)がいる。

ウルミラ(19歳)はインド国境の村に 波型トタン屋根の
粘土の家に住む15人家族の一人。
彼女は今ごく小さい写真店を経営している。彼女の目標は 
この地方の「奴隷制」を根絶することだ。
7歳の時 彼女の子ども時代は終わった。1997年に
親は彼女をカトマンズに売ったのだ。
学校へ行かせてもらえると言うのは ウソだった。
夜に古新聞を読もうとしたが、雇用主は電気を消した。
10歳の時 古里に帰ったが また首都の政治家の
ところへ 1年に15~30ユーロで売られた。
今 彼女は 親の家の土間に座り、蝋燭の灯火の傍で 
7年の難儀を語る。
かつて農奴だった両親のことは話そうとしない。「それは 
思い出したくない、涙がでるから。」
政治家の家で 当時10歳の彼女は 朝4時に起き、
掃除、料理、洗濯をして、夜遅くやっと 狭い部屋で 
ベッドもマットレスも毛布もなく、床に敷いたシーツの
うえで身体を丸めた。
飼い犬の方が いい食事をしていた。
ウルミラは今も常に不安だ。覆面強盗が 政治家の家に
入ったことを思い出すと、今もパニックに襲われる。
雇い主は 彼女が強盗と共謀していたと責めた。
援助組織SWANの会長 クリシュナンによると、
ウルミラは 大難を逃れた言える。強姦され 子連れで
古里に帰る女性もいる。
多くの女性は マッサージをさせられ、団扇で扇ぐ役を
させられ(人力扇風機)、薪を集め、水を運び、レンガ
製造所で働かせられている。

少年が捕まえられて 売られることな あまり無い。

子ども援助組織 PLAN Internationalの支援を受け、
この地区で過去4年間に約1700人の奴隷女性を救出した。
この組織は 奴隷解放プログラムだけで625000ユーロを
かけている。主として 救出した女性を教育するために
使われる。PLANは親を支援して 娘を売らなくても 
済むようにも しなければ ならない。親に金を渡す
のではない。小額の貸出金制度を利用したり、
小さい会社を作ったり、狭い農地を賃借りしたり
するのを PLANが手助けする。この方法でPLANは 
2900家族を支援した。
現金収入ができると、子どもを 学校へやれる。

援助組織SWANの会長によると、首都では 政治家や
企業家のところで 多くの奴隷女性が働いている。
ウルミラは 奴隷だった頃に 自分は奴隷だとは 思って
いなかった。かつて農奴だった人の 独立の気概と
雄弁に影響され、やっと彼女は 自分は奴隷だった
と知った。今 彼女は1600人の奴隷女性を組織している。
600人の元 奴隷女性と共にカトマンズで抗議デモ行進をした。
すべての子どもが 親のところで生活できて、学校へ
行けたり 職業教育をうけたり できるように すると
いうのが彼女の目標だ。
元の雇い主(女性政治家)が彼女を奴隷として使った
年月の賃金を払うことを拒否したら 彼女は雇い主の
名前を公表し、最後には 法廷闘争に持ち込むつもりだ。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/schulspiegel/ausland/0,1518,623460,00.html
  


Posted by jtw at 13:48Comments(1)