2012年01月21日
南相馬市・無人の町の写真
下記サイトに白黒写真14枚:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/japan-minamisoma-die-verlassene-stadt-1.1083997
AP通信社の写真家 David Guttenfelderは 福島原発の周り
20キロの立入規制地域に入り 写真を写した。
南相馬は ひとけが 無く、ゴーストタウンになった。
飼い主を失くした犬が群れをつくっている。

写真 by SACHI
http://www.sueddeutsche.de/panorama/japan-minamisoma-die-verlassene-stadt-1.1083997
AP通信社の写真家 David Guttenfelderは 福島原発の周り
20キロの立入規制地域に入り 写真を写した。
南相馬は ひとけが 無く、ゴーストタウンになった。
飼い主を失くした犬が群れをつくっている。

写真 by SACHI
タグ :写真
2012年01月19日
福島の封鎖地域の写真
原発から20キロ圏内にある富岡・大熊・双葉の
無人地域の写真集、2012年1月15日に撮影。
街路を歩くダチョウ、荒れた農地を行く牛の群れ、
まだ機能している信号機など。
下記サイトをクリックすると出ます:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/bilder-aus-der-fukushima-sperrzone-strahlende-leere-1.1260859
写真 by SACHI
無人地域の写真集、2012年1月15日に撮影。
街路を歩くダチョウ、荒れた農地を行く牛の群れ、
まだ機能している信号機など。
下記サイトをクリックすると出ます:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/bilder-aus-der-fukushima-sperrzone-strahlende-leere-1.1260859
写真 by SACHI 2012年01月09日
街中の写真家ビビアン・メアの写真集
Vivian Maier(メア あるいは マイア)は1951年からニューヨークで
子守として働き、のちにシカゴで介護士として働いた。実は彼女は
密かに写真のために生きていた。1990年までに彼女は10万枚の
写真を撮った。その大半は 街中で写したものだ。死後はじめて
ネガが見つかった。
次の写真集として出版された:
"Vivian Mairer--street photografer"
出版社:Schirmer/Mosel Verlag
136p. 110枚の写真。
ローライフレックスをもつ女性が鏡に写っているのも撮影されている。
これが おそらくVivianさん?
下記サイトに写真 13枚:
http://www.zeit.de/kultur/kunst/2011-12/fs-vivian-maier
子守として働き、のちにシカゴで介護士として働いた。実は彼女は
密かに写真のために生きていた。1990年までに彼女は10万枚の
写真を撮った。その大半は 街中で写したものだ。死後はじめて
ネガが見つかった。
次の写真集として出版された:
"Vivian Mairer--street photografer"
出版社:Schirmer/Mosel Verlag
136p. 110枚の写真。
ローライフレックスをもつ女性が鏡に写っているのも撮影されている。
これが おそらくVivianさん?
下記サイトに写真 13枚:
http://www.zeit.de/kultur/kunst/2011-12/fs-vivian-maier
2012年01月07日
福島原発・封鎖地域の現状(写真15枚)
下記サイトに 写真家 David Guttenfelder が
National Geographic誌のために撮影した 写真:
http://www.faz.net/aktuell/gesellschaft/fukushima-leben-in-der-sperrzone-11590033.html
写真7. 浪江の中心街の街灯は 今も機能している。
9. 刺青の男性は 生涯を原発の職員として生きた。
10. 津波はこの高さまで来た。
11. 封鎖地域に入って 家畜に餌をやり、救おうとする人。
12. 動物保護家が 肉を焼いて ホームレスの犬を誘い出す。救出するために。
13. サカモト ケイゴさんの家は 封鎖地域の境にあるので 留まっていられる。
14. これがサカモトさんに家。家に入るには 警察の検問所を通らないといけない。

写真 by SACHI
National Geographic誌のために撮影した 写真:
http://www.faz.net/aktuell/gesellschaft/fukushima-leben-in-der-sperrzone-11590033.html
写真7. 浪江の中心街の街灯は 今も機能している。
9. 刺青の男性は 生涯を原発の職員として生きた。
10. 津波はこの高さまで来た。
11. 封鎖地域に入って 家畜に餌をやり、救おうとする人。
12. 動物保護家が 肉を焼いて ホームレスの犬を誘い出す。救出するために。
13. サカモト ケイゴさんの家は 封鎖地域の境にあるので 留まっていられる。
14. これがサカモトさんに家。家に入るには 警察の検問所を通らないといけない。

写真 by SACHI
2011年12月30日
歳末・御礼
この会が潰れて 満5年たち、昔の会員はたいてい都会に引越し
再開の見込みは無いのに、カキコミだけ 今年も月に3回くらい
続けてきました。訪問していただいて 有難うございました。
5年まえ 潰れそうな時期には ホームページ担当してくれた
山下さんの勧めもあって、ブログは毎日かいていました。
ただで 広報できるからと言う理由でした。
今年から 和歌山ダルク(薬物依存症者回復支援組織)の
広報のために その非公式ブログを毎日かいています。
覚醒剤という特殊な主題のブログなので 昔のドイツ語の会の
ブログほどに アクセスは 多くないです。
和歌山ダルクも潰れないように したいです。
良いお歳をお迎えください。

写真 by SACHI(Photost.jp)
再開の見込みは無いのに、カキコミだけ 今年も月に3回くらい
続けてきました。訪問していただいて 有難うございました。
5年まえ 潰れそうな時期には ホームページ担当してくれた
山下さんの勧めもあって、ブログは毎日かいていました。
ただで 広報できるからと言う理由でした。
今年から 和歌山ダルク(薬物依存症者回復支援組織)の
広報のために その非公式ブログを毎日かいています。
覚醒剤という特殊な主題のブログなので 昔のドイツ語の会の
ブログほどに アクセスは 多くないです。
和歌山ダルクも潰れないように したいです。
良いお歳をお迎えください。

写真 by SACHI(Photost.jp)
Posted by jtw at
18:29
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2011年12月21日
六ヵ国語落語・三遊亭竜楽
日本経済新聞2011年12月20日文化欄に五代目円楽さんの
弟子・竜楽さんが寄稿しています。
見出しは「6カ国語落語の話を一つ ~ヨーロッパで公演
通算58回、笑いは各国様々」
外国語レッスンは大学の先生や大使館関係者のお力を
借りている。今年6月のドイツ公演は ベルリン自由大学で
日本の漫才について講義するワインガートナーさんの世話による。
彼はこの12月1日に日独友好賞を受賞した。
海外における日本の伝統芸能公演は国やスポンサーの援助に
加え、主催者・演者の奉仕的精神に支えられて 実現に至る
場合が ほとんどで、大抵は 単発で終わる。
座布団が一枚あって たった一人で興行できる落語ならば
遠い欧州でも定期公演が可能になると考え、活動を始めた。
昨年 一昨年 国際交流基金や笹川日仏財団の助成を
受け、渡航がかなった。
弟子・竜楽さんが寄稿しています。
見出しは「6カ国語落語の話を一つ ~ヨーロッパで公演
通算58回、笑いは各国様々」
外国語レッスンは大学の先生や大使館関係者のお力を
借りている。今年6月のドイツ公演は ベルリン自由大学で
日本の漫才について講義するワインガートナーさんの世話による。
彼はこの12月1日に日独友好賞を受賞した。
海外における日本の伝統芸能公演は国やスポンサーの援助に
加え、主催者・演者の奉仕的精神に支えられて 実現に至る
場合が ほとんどで、大抵は 単発で終わる。
座布団が一枚あって たった一人で興行できる落語ならば
遠い欧州でも定期公演が可能になると考え、活動を始めた。
昨年 一昨年 国際交流基金や笹川日仏財団の助成を
受け、渡航がかなった。
2011年12月11日
目隠し有料ツアーinケルン
(ダブルポストです)
ドイツで初めての 触覚・聴覚・嗅覚を頼りに歩くツアー。
参加費35ユーロ。
見える人が わざわざ目隠ししてガイドにケルン市を案内して
もらうツアーが 2011年10月21日から 始まった。
実は 暗闇で開かれる行事は ケルンに今までも あった。
「見えないバー」という 真っ暗のレストランの隣に 1989年から
「暗闇での対話」というのがあり、そこは 盲人を晴眼者の
案内人にする場である。
しかし 自発的に視覚を絶つという可能性を 思いつく人は
長い間なかった。
ツアー参加者は6人までで、黒いアイマスクをして、リュックを
背負って 一列縦隊で 歩く。3人が一組になる。
案内人と参加者は イヤホンとマイクで つながっている。
まず Ludwig博物館に行き、駅から大聖堂に向かい、Hohen
通りに着く。ここらあたりで たいていは 通りがかりの人と
目隠しツアー参加者との間で 活発な話し合いが 起きると
ブラインド ウォークの発案者 Axel Rudolf博士は言う。
休憩の時にも 参加者は別の困難を経験する:リュックの中の
パンを探し、飲み物をコップに注ぐのも 一苦労である。
2時間半のツアーの終わりに 睡眠用アイマスクを取り、地図を
見て、どこを歩いたのかを確認する。35ユーロかけて、
暗闇のケルンを見て、頭の中に 生き生きした像が 残る。
下記サイトから:
http://www.marcopolo.de/reise-news/deutschland-blindwalk-mit-verbundenen-augen-durch-koeln

写真 by yo_see(Photost.jp)
ドイツで初めての 触覚・聴覚・嗅覚を頼りに歩くツアー。
参加費35ユーロ。
見える人が わざわざ目隠ししてガイドにケルン市を案内して
もらうツアーが 2011年10月21日から 始まった。
実は 暗闇で開かれる行事は ケルンに今までも あった。
「見えないバー」という 真っ暗のレストランの隣に 1989年から
「暗闇での対話」というのがあり、そこは 盲人を晴眼者の
案内人にする場である。
しかし 自発的に視覚を絶つという可能性を 思いつく人は
長い間なかった。
ツアー参加者は6人までで、黒いアイマスクをして、リュックを
背負って 一列縦隊で 歩く。3人が一組になる。
案内人と参加者は イヤホンとマイクで つながっている。
まず Ludwig博物館に行き、駅から大聖堂に向かい、Hohen
通りに着く。ここらあたりで たいていは 通りがかりの人と
目隠しツアー参加者との間で 活発な話し合いが 起きると
ブラインド ウォークの発案者 Axel Rudolf博士は言う。
休憩の時にも 参加者は別の困難を経験する:リュックの中の
パンを探し、飲み物をコップに注ぐのも 一苦労である。
2時間半のツアーの終わりに 睡眠用アイマスクを取り、地図を
見て、どこを歩いたのかを確認する。35ユーロかけて、
暗闇のケルンを見て、頭の中に 生き生きした像が 残る。
下記サイトから:
http://www.marcopolo.de/reise-news/deutschland-blindwalk-mit-verbundenen-augen-durch-koeln

写真 by yo_see(Photost.jp)
Posted by jtw at
08:00
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2011年12月08日
生駒公暉さん追悼
生駒さんは2010年12月21日に逝去されました。
間もなく1年になります。
時計・眼鏡商の店主で 昭和初めの置き時計を修理して
いただいたりして、永年 大変お世話になりました。
軽い難聴だったため 誤解されることが 多かったよう
ですけれど 腕は確かで 裏表のない方でした。
京都市芸術大学を卒業されたと伺いました。いい油絵を
描かれました。絵を1枚 譲ってほしいと お願いすることも
ないままに 亡くなってしまいました。
まったく 絵心のない私を 油絵のグループ「マーロ」に
入るよう 誘ってくださいました。怖気付いて とても行けません
でしたが。
マーロの発表会で 毎年 生駒さんの絵を拝見するのを
楽しみにしていました。
近所の散髪屋さんの弟さんと 高校で同窓だったと 亡く
なってから聞きました。と言うことは 60歳代半ばでした。
御冥福をお祈りいたします。

写真 by SACHI(Photost.jp)
間もなく1年になります。
時計・眼鏡商の店主で 昭和初めの置き時計を修理して
いただいたりして、永年 大変お世話になりました。
軽い難聴だったため 誤解されることが 多かったよう
ですけれど 腕は確かで 裏表のない方でした。
京都市芸術大学を卒業されたと伺いました。いい油絵を
描かれました。絵を1枚 譲ってほしいと お願いすることも
ないままに 亡くなってしまいました。
まったく 絵心のない私を 油絵のグループ「マーロ」に
入るよう 誘ってくださいました。怖気付いて とても行けません
でしたが。
マーロの発表会で 毎年 生駒さんの絵を拝見するのを
楽しみにしていました。
近所の散髪屋さんの弟さんと 高校で同窓だったと 亡く
なってから聞きました。と言うことは 60歳代半ばでした。
御冥福をお祈りいたします。

写真 by SACHI(Photost.jp)
Posted by jtw at
14:39
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2011年11月30日
サリドマイド発売停止から50年inドイツ
★11月28日にドイツのメディアを開けてみたら 幾つかのメディアに
表題の記事が でていました。下記は そのうちで もっとも短い
読みやすい(と言うことは あまり上品でない)メディアからです。
日本にも 被害者は いるのに、日本のメディアは 報じていない
ようでした。
別のブログにも同じのを貼付けました。ダブルポストです。
◎ 50年前の1961年11月27日にサリドマイドの入ったConterganと
いう睡眠剤は ドイツ市場から回収された。
サリドマイドは1957年10月10日に認可された。
遺伝学者 Widukind Leuz は 製薬会社Gruenennthalに
1961年11月15日に この薬に副作用があることを通告した。
同社は 他からも警告が寄せられていた にもかかわらず、
この睡眠剤を売り続けた。
1961年11月26日に”Welt am Sontag"が この副作用を
報道し、その日に製薬会社はConterganを市場から回収し始めた。
ドイツ・サリドマイド被害者協会によると、1962年までに
約5000人のサリドマイド被害者が生まれた。サリドマイドの
ために死産に終わった例は 何人あるか不明である。
この睡眠剤は動物実験では無害だとされた。
サリドマイドはハンセン病と癌には 今も使われている。
サリドマイド被害者への賠償は 月額100~500ユーロである。
1972年に製薬会社は 1億1400マルクを財団に支払った
。ドイツ連邦政府は1億1千万マルクを拠出した。
この薬害のために 1978年に薬の法律は 厳しくなったが、
同様の危険は今も起こりえる。
下記サイトから:
http://www.bild.de/ratgeber/gesund-fit/contergan-skandal/geschichte-pharma-skandal-21220330.bild.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
表題の記事が でていました。下記は そのうちで もっとも短い
読みやすい(と言うことは あまり上品でない)メディアからです。
日本にも 被害者は いるのに、日本のメディアは 報じていない
ようでした。
別のブログにも同じのを貼付けました。ダブルポストです。
◎ 50年前の1961年11月27日にサリドマイドの入ったConterganと
いう睡眠剤は ドイツ市場から回収された。
サリドマイドは1957年10月10日に認可された。
遺伝学者 Widukind Leuz は 製薬会社Gruenennthalに
1961年11月15日に この薬に副作用があることを通告した。
同社は 他からも警告が寄せられていた にもかかわらず、
この睡眠剤を売り続けた。
1961年11月26日に”Welt am Sontag"が この副作用を
報道し、その日に製薬会社はConterganを市場から回収し始めた。
ドイツ・サリドマイド被害者協会によると、1962年までに
約5000人のサリドマイド被害者が生まれた。サリドマイドの
ために死産に終わった例は 何人あるか不明である。
この睡眠剤は動物実験では無害だとされた。
サリドマイドはハンセン病と癌には 今も使われている。
サリドマイド被害者への賠償は 月額100~500ユーロである。
1972年に製薬会社は 1億1400マルクを財団に支払った
。ドイツ連邦政府は1億1千万マルクを拠出した。
この薬害のために 1978年に薬の法律は 厳しくなったが、
同様の危険は今も起こりえる。
下記サイトから:
http://www.bild.de/ratgeber/gesund-fit/contergan-skandal/geschichte-pharma-skandal-21220330.bild.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
タグ :薬害
Posted by jtw at
08:33
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2011年11月23日
日独交流150周年記念植樹@和歌山大学
産経新聞2011年11月23日和歌山版のトップ記事:
和歌山日独協会(樫畑直尚会長)は22日、150周年記念に
駐日ドイツ大使館から寄贈された西洋菩提樹を
和歌山大学に植樹した。
友好の証として同大使館が日本に菩提樹150本を寄贈し
そのうち2本が 同協会に贈られた。
★ブログ管理人の蛇足:
1981年に うちの会ができて 2007年に潰れるまで
初代幹事も 二代目の私も 日独協会が 当地に
あると 知りませんでした。
前の木村知事の時代に ドイツのどこかの州と和歌山県が
姉妹協定を結んで 協会も作ったそうですが 不祥事の後に
これらは なかったことに されたのかと思います。
上記の記事によると「ドイツとの学術交流が盛んで ドイツ語教育
などに力を入れている和歌山大学に 寄贈された菩提樹を植える
ことになった」そうです。
今 和歌山大学にアジア以外では アメリカとフランスの
交換留学生がいるようです。ドイツ語圏から 交換留学生が
きたことは ないようです。10年ほど前に ゲッティンゲン大学
から 交換研究者は こられました。
和歌山日独協会(樫畑直尚会長)は22日、150周年記念に
駐日ドイツ大使館から寄贈された西洋菩提樹を
和歌山大学に植樹した。
友好の証として同大使館が日本に菩提樹150本を寄贈し
そのうち2本が 同協会に贈られた。
★ブログ管理人の蛇足:
1981年に うちの会ができて 2007年に潰れるまで
初代幹事も 二代目の私も 日独協会が 当地に
あると 知りませんでした。
前の木村知事の時代に ドイツのどこかの州と和歌山県が
姉妹協定を結んで 協会も作ったそうですが 不祥事の後に
これらは なかったことに されたのかと思います。
上記の記事によると「ドイツとの学術交流が盛んで ドイツ語教育
などに力を入れている和歌山大学に 寄贈された菩提樹を植える
ことになった」そうです。
今 和歌山大学にアジア以外では アメリカとフランスの
交換留学生がいるようです。ドイツ語圏から 交換留学生が
きたことは ないようです。10年ほど前に ゲッティンゲン大学
から 交換研究者は こられました。
Posted by jtw at
14:12
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2011年11月13日
人が全てを失った時、社会の支えが最も大切だ@東日本大震災
東日本大震災の津波のために、あるいは 福島原発の近くに居て
立ち退きになったために 多くの人は すべてを失った。
そのような災害が こころに どのような影響を与えるか、どういう
ふうに被災者を支えるか、お金も また支援の選択肢の一つで
ある理由は何か、について 精神病精神トラウマ学Euregio研究所の
Guido Fatten博士が インタビューに答えた:
突然すべてを失った人のショック状態は 数週間から数ヶ月、続く。
喪失と悲嘆が 長期間、処理されない場合に こころの悲嘆は
肉体的痛みになることがある。
自然災害によるトラウマは 他人によって引き起こされたトラウマ
よりも 損傷を与える程度は 弱い。
大震災によるトラウマの経験との闘いにおいて、最重要なのが
社会的支援・人と人との関係による支えだ。つまり 何が起きた
かを認知し、被災者にとって震災が どれほど恐ろしかったかを
認識する他人が 存在しなければ ならない。
そばに居て 話を聞いてくれて、共感してくれる他人を 被災者は
必要とする。被災者のもつ感情を まじめに受け止めて それに
適切な反応をしなければ ならない。
被災者に情報を しばしば提供しなければ ならない。透明性が
大切だ。そういう支えが なければ、被災者は絶望的になり、嘘を
言われているのでは ないかと言う気持ちになる。恐れ・不安に
襲われる。
国からの賠償金のような お金の支払いも 二つの意味で 役に立つ。
一つには、貧しい人は 再起に際しても 多くの支障がある。
二つには 被災者の苦労を分かっているということを 示す形式と
して お金は 受け止められる。被災者のナンギを 社会は認識して
いるのだという気持ちを 他の人も分かち合っているのだと
いうことを お金の支払いは 示す。
金額も大切だ、わずかな金額を支払われたら、受け取る人は
真面目に思われていないと感じるだろう。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/Soziale-Unterstuetzung-ist-das-Wichtigste-article3334671.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
立ち退きになったために 多くの人は すべてを失った。
そのような災害が こころに どのような影響を与えるか、どういう
ふうに被災者を支えるか、お金も また支援の選択肢の一つで
ある理由は何か、について 精神病精神トラウマ学Euregio研究所の
Guido Fatten博士が インタビューに答えた:
突然すべてを失った人のショック状態は 数週間から数ヶ月、続く。
喪失と悲嘆が 長期間、処理されない場合に こころの悲嘆は
肉体的痛みになることがある。
自然災害によるトラウマは 他人によって引き起こされたトラウマ
よりも 損傷を与える程度は 弱い。
大震災によるトラウマの経験との闘いにおいて、最重要なのが
社会的支援・人と人との関係による支えだ。つまり 何が起きた
かを認知し、被災者にとって震災が どれほど恐ろしかったかを
認識する他人が 存在しなければ ならない。
そばに居て 話を聞いてくれて、共感してくれる他人を 被災者は
必要とする。被災者のもつ感情を まじめに受け止めて それに
適切な反応をしなければ ならない。
被災者に情報を しばしば提供しなければ ならない。透明性が
大切だ。そういう支えが なければ、被災者は絶望的になり、嘘を
言われているのでは ないかと言う気持ちになる。恐れ・不安に
襲われる。
国からの賠償金のような お金の支払いも 二つの意味で 役に立つ。
一つには、貧しい人は 再起に際しても 多くの支障がある。
二つには 被災者の苦労を分かっているということを 示す形式と
して お金は 受け止められる。被災者のナンギを 社会は認識して
いるのだという気持ちを 他の人も分かち合っているのだと
いうことを お金の支払いは 示す。
金額も大切だ、わずかな金額を支払われたら、受け取る人は
真面目に思われていないと感じるだろう。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/Soziale-Unterstuetzung-ist-das-Wichtigste-article3334671.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
Posted by jtw at
13:38
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2011年11月09日
猫がオーストラリアを歩いて横断3000キロ
猫のジェシーは 飼い主と一緒に南部豪州から豪州北端へ
引っ越したのに我慢ならなくて、古里へ歩いて戻った。今、
この子は弟と一緒に 故郷で暮らしている。弟は 引越しの
前に 逃げ出して、長い徒歩旅行をしなくて済んだ。
この猫は飼い主 Sheree Gale に連れられて 南部の
アデレードから 北部のダーウィンに近い農場へ引っ越した。
ところが ある日、姿を消し、15ヶ月後の今年5月に 古里に現れた。
元の家に住む住人が ジェシーの写真を飼い主に送ったところ
飼い主は ジェシーだと確認した。ゲイルさんの説明によれば
幸い雨季だったので 飲水と食べ物があって、旅を続けられた。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Katze-durchquert-Australien-article4717946.html
引っ越したのに我慢ならなくて、古里へ歩いて戻った。今、
この子は弟と一緒に 故郷で暮らしている。弟は 引越しの
前に 逃げ出して、長い徒歩旅行をしなくて済んだ。
この猫は飼い主 Sheree Gale に連れられて 南部の
アデレードから 北部のダーウィンに近い農場へ引っ越した。
ところが ある日、姿を消し、15ヶ月後の今年5月に 古里に現れた。
元の家に住む住人が ジェシーの写真を飼い主に送ったところ
飼い主は ジェシーだと確認した。ゲイルさんの説明によれば
幸い雨季だったので 飲水と食べ物があって、旅を続けられた。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Katze-durchquert-Australien-article4717946.html
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18:56
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2011年11月06日
反原発運動小史(上)
ヨアヒム・ラートカウ著 森田直子・海老根剛 訳。
月刊「みすず」みすず書房、2011年11月号 p.6~16.
ラートカウ Joachim Radkau(1943--)はドイツ内外で
環境史研究の第一人者とみなされている。
歴史的背景と40年に及ぶ反原発運動の展開を知る
ことは 日本の原発をめぐる議論に際しても、弾力的な
議論を導く一助をなると考え、訳出する。(上記 記事の解題から 抜粋)
買って読んでください。315円。

写真 by SACHI(Photost.jp)
月刊「みすず」みすず書房、2011年11月号 p.6~16.
ラートカウ Joachim Radkau(1943--)はドイツ内外で
環境史研究の第一人者とみなされている。
歴史的背景と40年に及ぶ反原発運動の展開を知る
ことは 日本の原発をめぐる議論に際しても、弾力的な
議論を導く一助をなると考え、訳出する。(上記 記事の解題から 抜粋)
買って読んでください。315円。

写真 by SACHI(Photost.jp)
タグ :原発事故
2011年10月27日
ヘルマンハープ紹介記事
2011年10月27日毎日新聞「ひと」欄から抜粋:
見出し・ドイツ生まれの「ヘルマンハープ」の普及に
務める梶原千沙都さん。
ヘルマン・フェーさんが ダウン症の息子のためにと
87年に完成させたのが このハープ。
梶原さんは「日本ヘルマンハープ協会」を2005年に設立した。
今、協会認定の教室は 全国に180以上できている。
2012年には 奏法の解説書も出版される。

写真 by SACHI(Photost.jp)
見出し・ドイツ生まれの「ヘルマンハープ」の普及に
務める梶原千沙都さん。
ヘルマン・フェーさんが ダウン症の息子のためにと
87年に完成させたのが このハープ。
梶原さんは「日本ヘルマンハープ協会」を2005年に設立した。
今、協会認定の教室は 全国に180以上できている。
2012年には 奏法の解説書も出版される。

写真 by SACHI(Photost.jp)
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17:04
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2011年10月26日
タイ洪水の写真47枚
下記サイトに 洪水の写真:
http://www.n-tv.de/mediathek/bilderserien/panorama/Thailand-im-Griff-der-Fluten-article4603566.html
40枚目は 運河で鯰を網で掬おうといている人々:
「これほどナマズが 捕れたことは 今までにない」

写真 by SACHI(Photost.jp)
http://www.n-tv.de/mediathek/bilderserien/panorama/Thailand-im-Griff-der-Fluten-article4603566.html
40枚目は 運河で鯰を網で掬おうといている人々:
「これほどナマズが 捕れたことは 今までにない」

写真 by SACHI(Photost.jp)
2011年10月07日
ドイツ「農家の女性カレンダー」2012年版発売
数百の応募者から選ばれた女性12人が
布を節約した衣服をつけて、モデルになっている。
下記サイトに写真12枚:
http://www.welt.de/vermischtes/article13645274/Diese-Baeuerinnen-sind-garantiert-keine-Landeier.html#
下記サイトから注文できる:
http://www.deutscherbauernkalender.de/

写真 by SACHI(Photost.jp)
布を節約した衣服をつけて、モデルになっている。
下記サイトに写真12枚:
http://www.welt.de/vermischtes/article13645274/Diese-Baeuerinnen-sind-garantiert-keine-Landeier.html#
下記サイトから注文できる:
http://www.deutscherbauernkalender.de/

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08:42
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2011年10月03日
医師・関場不二彦先生・評伝記事
日本経済新聞2011年10月3日文化欄に
秦 温信(はた よしのぶ)札幌社会保険総合病院院長による
記事がでています。
見出し:「開拓時代に最先端の医療・・・」。
関場先生は 東大でスクリバやベルツらドイツ人医師に
学び、その後、北海道に渡り、近代医学の礎を 築いた。
アイヌ民族の貧しい人々からは お金を取らずに診療した。
アイヌ語の病名や食用・薬用植物について調べ、論集を
書いて治療に役立てた。
漢籍に親しみ、ドイツ語でファウストなどを そらんじた。
その発音は ドイツ語圏出身者と変わらないほどだった
という。
秦先生は その評伝「北辰の如く」(北海道出版企画
センター)を今年、刊行した。

写真 by SACHI(Photost.jp)
秦 温信(はた よしのぶ)札幌社会保険総合病院院長による
記事がでています。
見出し:「開拓時代に最先端の医療・・・」。
関場先生は 東大でスクリバやベルツらドイツ人医師に
学び、その後、北海道に渡り、近代医学の礎を 築いた。
アイヌ民族の貧しい人々からは お金を取らずに診療した。
アイヌ語の病名や食用・薬用植物について調べ、論集を
書いて治療に役立てた。
漢籍に親しみ、ドイツ語でファウストなどを そらんじた。
その発音は ドイツ語圏出身者と変わらないほどだった
という。
秦先生は その評伝「北辰の如く」(北海道出版企画
センター)を今年、刊行した。

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14:41
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2011年09月30日
福島原発事故がドイツで演劇に
劇作家 Elfriede Jelinek イェリネクは 人々を無力にした
福島原発大惨事を 脚本の主題に選んだ。この不気味な
作品は今 ケルンで初演されている。日本人の女優も出演。
下記サイトに動画 2分40秒:
http://www.tagesschau.de/kultur/jelinek100.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
福島原発大惨事を 脚本の主題に選んだ。この不気味な
作品は今 ケルンで初演されている。日本人の女優も出演。
下記サイトに動画 2分40秒:
http://www.tagesschau.de/kultur/jelinek100.html

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タグ :原発事故
2011年09月26日
「ヨーロッパの自然林」写真集
下記サイトから14枚が 無料で見られます。
http://www.stern.de/fotografie/bildband-europas-wilde-waelder-natur-pur-1714808.html
出所は Markus Mauthe , Thomas Henningsen
"Europas wilde Waelder"
2011年、Kneseback Verlag刊、192p.220の写真を収める。
写真1は フィンランドの森と狼。
写真のそれぞれに 説明が数行、ついています。
無料翻訳ソフトを使って 読んでみてください。写真が
素晴らしいので、文は だいたい分かれば いいです。

写真 by SACHI(Photost.jp)
http://www.stern.de/fotografie/bildband-europas-wilde-waelder-natur-pur-1714808.html
出所は Markus Mauthe , Thomas Henningsen
"Europas wilde Waelder"
2011年、Kneseback Verlag刊、192p.220の写真を収める。
写真1は フィンランドの森と狼。
写真のそれぞれに 説明が数行、ついています。
無料翻訳ソフトを使って 読んでみてください。写真が
素晴らしいので、文は だいたい分かれば いいです。

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2011年09月20日
明治の「神童書家」発掘、和歌山出身の伊藤明瑞
日本経済新聞 2011年9月20日 文化欄から。抜粋:
「5歳で天皇の御前で書いた伊藤明瑞、自前で美術館」
竹林史博(たけばやし しはく 龍昌寺住職)
明瑞(1889~1948年)は 名声を求めず、子もいなかった
ため、ほとんど忘れ去られている。
竹林和尚さんは 住職を務める山口県の寺内に
美術館をつくるまでに至った。
明石市立図書館に尋ねると研究書が一冊だけあるという。
地元の郷土史家、河井省三さんが著したものだった。
その足で河井さん宅へ赴くと面会がかなった。
明瑞は 和歌山市の生まれ。父・重作は大阪で
旅館を営んでいた。
河井さんの手元には明瑞の作品のほか、手紙や記念品
など資料がたくさんあった。河井さんから 資料を後世に
伝えてほしいと頼まれ、ついに寺の中に展示場をつくり、
今年8月24日に開館した。
明瑞が幼少期を過ごした奈良・奥吉野の川上村へ赴き、
関係者を探して回った。
明瑞は朝鮮半島など各地を行脚して 揮毫していたので、
埋もれた作品はまだ あるはずだ。明石市の西林寺に
墓があるが、その生涯には 不明な点も多い。

写真 by SACHI(photost.jp)
「5歳で天皇の御前で書いた伊藤明瑞、自前で美術館」
竹林史博(たけばやし しはく 龍昌寺住職)
明瑞(1889~1948年)は 名声を求めず、子もいなかった
ため、ほとんど忘れ去られている。
竹林和尚さんは 住職を務める山口県の寺内に
美術館をつくるまでに至った。
明石市立図書館に尋ねると研究書が一冊だけあるという。
地元の郷土史家、河井省三さんが著したものだった。
その足で河井さん宅へ赴くと面会がかなった。
明瑞は 和歌山市の生まれ。父・重作は大阪で
旅館を営んでいた。
河井さんの手元には明瑞の作品のほか、手紙や記念品
など資料がたくさんあった。河井さんから 資料を後世に
伝えてほしいと頼まれ、ついに寺の中に展示場をつくり、
今年8月24日に開館した。
明瑞が幼少期を過ごした奈良・奥吉野の川上村へ赴き、
関係者を探して回った。
明瑞は朝鮮半島など各地を行脚して 揮毫していたので、
埋もれた作品はまだ あるはずだ。明石市の西林寺に
墓があるが、その生涯には 不明な点も多い。

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18:01
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