2013年01月07日

謹賀新年

去年も 月に2~3回しか 書きませんでしたが
多くの方にアクセスしていただいて 有り難いです。

昔の幹事さん方は 今 西宮・神戸・伊勢などに
引越しされ、和歌山に留まっている方も 職場は
大阪になって、お互い まず再会する機会も ないです。
(和歌山弁で「お互い」は「ごたがい」と言うていました)

覚醒剤・薬物依存症・性少数派について
ドイツのメディアにでた記事は 別のブログに
書いています。
写真はプロのSACHIさんに 無料で提供して
いただきまして 感謝しています。SACHIさんの
ブログ「フォトラプソディ」もイコラblogです。

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 22:24Comments(0)

2013年01月02日

東アジア交流ハウス雨森芳洲庵

日本経済新聞 2012年12月31日 時流地流という囲み物記事。
見出しは「カルタで学ぶ郷土の偉人」
以下 抜粋です:
滋賀県長浜市雨森に この庵がある。
同地出身の江戸中期の儒学者芳洲を顕彰するため、
1984年に開設され 長浜市が運営している。
雨森芳洲は木下順庵門下で新井白石らと並ぶ俊英と
いわれ、朝鮮貿易で栄えた九州の対馬藩に22歳から仕えた。
釜山に3年滞在して朝鮮語を学び、朝鮮王朝が日本に
派遣した朝鮮通信使での応接役として2回随行。
粘り強く調整に努め、互いに欺かず争わず真実をもって
交わる「誠信外交」で朝鮮側からも高く評価された。 

平井茂彦 館長は学習会などで住民と芳洲を結びつけてきた。
富永小学校で開く「芳洲先生こどもミュージカル」では毎年
シナリオ作りに協力。卒業までに6回演じるので、芳洲の
生き方が子どむたちの血肉となる。

隠居後も芳洲は対馬藩で通訳の重要性を説き、朝鮮語学校設立に
尽くした。80歳を過ぎてから 古今集を1000回読み和歌を2万首
近く作るなど88歳で没するまで学び続けた。

2013年1月5日、館長が作った「芳洲先生カルタ」が地区の新春
カルタ会で初披露される。

雨森は用水路に水車が回り花が絶えない美しい里だ。
「芳洲先生出身地として海外から来た人にも誇れる里に」
と住民が街づくりに力を入れてきた。
  
タグ :雨森芳洲


Posted by jtw at 18:52Comments(0)