2010年12月29日

昔、児童施設で過ごした人とのチャットinドイツ

2006年2月21日 ハンブルク発:
(4年前の記事です)
児童施設の元入所者の代表者とSpiegel誌の読者が
オンラインで対話する機会を Spiegel誌はつくった。
約3500人が60分間にアクセスして、元入所者に
過去の克服、虐待、報復する気持ちについて尋ねた。
オンライン対話の回答者は 元入所者 Michael-Peter
SchiltskyとRegina Eppert。
質問は:
どんな虐待に耐えねばならなかったか?
自分自身の子どもに何を伝えたいか?
今も悪夢に悩まされるか?
など。

多くのキリスト教会立・国立の児童施設で戦後、
どのような日常生活が送られていたのかを
質問者は知りたかった。
質問者の中には施設出身者もいた。
「率直に話してくれたことに敬意を表します」と
書いた人も多かった。
二人の回答者の答えは 施設での無慈悲な教育
システムを見せてくれた。Michaelは 子どもの
時に施設で受けた日常的虐待について述べた:
「げんこつや棒で殴られ、性的虐待や言葉に
よる侮辱もあった」。
職員(女性)が子ども達に 好意を示すことや、
子ども達と話しをしようとすることは 本当に
まれだった。そんな職員は 気をつけるようにと 
あからさまに注意されていた。

Reginaも「慈悲深い修道女」と共に施設で過ごした
子ども時代を チャットで語った。施設では
「神の妻」であるシスターからの最悪の罵りに 
日々、耐えねばならなかった。自分の過去と
長年の間、取り組むことができなかった。「過去を
抑圧していて、そして 自分の子ども時代について 
長い間 話さなかった」。彼女が母親になった時、
「愛と理解」が子どもの教育にとって最も大切な
ことだった。しかし「愛も理解も 自分では経験
していなかった。あの頃は いつも 良い修道女に
会えるようにと ひたすら望んでいた」。
当時の職員に対して 法的措置をとるか どうかと
いう質問にMichaelは 冷静に答えた:「彼らを
責めても 無意味だろう。昔のことだ。」
Reginaも同様の考えだ、「復讐するという気持ち
からは 遠い。けれど公的な謝罪をいつも望んでいる。」
Michaelは 当時の職員(子どもを虐待した人)と
再会したことについて チャットで語った:「彼は
私に無造作に ”おまえ”(君)という言い方で 
親しい間柄であるかのように話すことが できると
思い込んでいたのが 私には不愉快だった。そして
彼は言った:結局、君がひとかどの人物になれた
のも 施設に居たお陰だから、それほど悪く
なかっただろう。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,402293,00.html


  


Posted by jtw at 20:43Comments(0)

2010年12月27日

サンタクロースの置物

積み木でつくったサンタクロースの置物、
かわいいのが コーヒー専門喫茶店 かわさき
直火焙煎珈琲工房の カウンターに飾られて
いました。
お店は 県立工業高校 正門前、
和歌山市 西小二里。
珈琲は美味しいし 値段も安いです(味に
比例して高いというのでない)

非売品だそうです。積み木をつくる方が
毎年 クリスマスにつくって マスターに
贈ってくれる、というお話でした。


★ このブログは 2006年ころに書き始めたように
思います。会のホームページは若い方が担当して
くれて HPとブログとで 安く宣伝できると
いうことで ブログは毎日カキコミしました。
2007年末にドイツ語の会は つぶれ、満3年
たちました。
もう宣伝する必要は無いのに 老化防止に
カキコミを続けてきました。

この12月に ドイツで1950~70年代に児童
施設で虐待をうけた人のための基金をつくる
計画が 普通のメディアに 報道されました。
それに関連する記事が 沢山あって それを 
読んでいると ブログに書く余裕が少なく
なりました。

加齢は 進み、もう毎日カキコミするのは
むつかしいから 上記の基金関連の記事を
読み始めたのを 機会に ブログは週に
2~3回 書くことにします。
里親・里子の記事や 児童施設施設(ドイツ
には施設は それほど 多くない)などの
記事の抜粋をカキコミたいです。
他に 犬や猫についてのB級ニュースも
カキコミます。
読んでくださった方々、昔の会員の方々
長年 ありがとう。

  


Posted by jtw at 15:44Comments(0)

2010年12月25日

児童施設出身者を連邦議会で取り上げるinドイツ

2006年12月28日発:
(4年前の記事です)
「施設に居たときは 胸苦しい思いをもたないで
ベッドに入ったことは無かったし、朝 起きたことも
なかった。」

キリスト教立や国立の施設で1970年代初めまで 
多くの子どもが虐待され、精神的な重圧のもとで
暮らしていた。ドイツ連邦議会は初めて 当時の
施設入所者の不運に取り組んだ。

60歳代になった元入所者 Wolfgang Fockeは 
生きている間に 補償がなされるように願って
いると述べた。
1950年代と60年代という西ドイツの経済的奇跡の
時代に 多くの子どもが たいていの場合は 
些細な理由から 養護施設に入れられた。そして 
一生の間、魂において 意欲において 壊されて
しまった。
1945年から1975年までの間に キリスト教立と
国立の施設で 子ども達は 殴打され 自尊心を
傷つけられ、性的に虐待され、重労働を強いられた。
元入所者の生活の物語を 連邦議会の請願委員会は 
2006年12月の中頃に 約3時間に渡って聞いた。
このブログ カキコミの冒頭「・・・」の文は 
木靴をはいて泥炭を掘り取る作業を早朝からしていた
Wolfgangの報告である。
Wolfgang は15歳でなぜ施設にいれられたのか 
分からない。その後 1年間、言葉で言い表せない
肉体的苦痛や魂の苦痛、侮辱、殴打、拷問が続いた。
Dietmar(52歳)は施設入所中に暴行され 生涯続く
障碍を負った。食堂で2枚の皿を落としたという
理由で 左肩を壊されたのだ。
Dietmarは 性的虐待や恣意的精神鑑定についても
述べている。
労働により教育するというナチの精神で 行われ
ていた教育を Wolfgang はよく覚えている。
60年代初めに夏は1日8時間、農場で働いた。秋には 
10キロのハンマーを振り上げ 石を割り、
金梃子と鉄の楔で石を割る仕事をした。

施設にいた人の諸問題を再検討する計画が 
ドイツ連邦議会でも進められている。

Regina Eppert は 楽しかったはずの少女時代の
1962年を 施設で過ごさなければならなかった。
施設での 子どもの扱いについて倫理的罪を国が
認めることを 被害者は求めている。
施設は青少年局の指示を実行した。そして 施設の
監督が不十分であったために起きた虐待でもあった。
施設における児童労働は不正であったという
ことを解明することをも、被害者は求めている。

被害者の多くは今もトラウマに苦しんでいる。
トラウマを長期に渡って治療する費用が提供
されなければならない。
比較的小規模なプロジェクトとして 当時の
施設での子どもの生活状況を示す展示会が
提案されている。ドイツ歴史博物館での展示や 
移動展示が考えられている。施設の中には 
70年代の建物が今も残っているのもある。
それらは 記念建築物や展示場として適している。

施設出身者の協会が行った活動のうち、成功を
収めているものには被害者へのアンケートの
実施がある。西ドイツ全国の様々な施設で起きた
出来事についての情報は 約230ページの報告書
として出版されている。

教会立や国立の施設で行われた 子どもへの
人権侵害については 被害者自身による報告の
他に 公文書や文書のやりとりがある。
これらの文書は 職員が暴力を振るうこと、
監視が機能していないこと、抵抗する力のない
子どもが法的に保護を受けていないこと 
などを示している。
西ドイツが生まれて間もない時代の精神の中にも 
諸問題の原因が認められる。すなわち 
教育について権威主義的な理解があったこと、
ナチ独裁制への連続性が残っていたこと、そして
発展をひたすら目指した経済奇跡の国に生きた 
親・職員・施設経営者が 経済的に 人間的に 
道徳的に過重な負担を強いられていたことなとが 
原因として挙げられる。

西ドイツに3000の施設があった。その80%は
宗教団体による経営だった。50万人以上の子ども
が施設で暮らした。
犠牲者は今も「施設で育った元子どもの協会」に
異常な物語を知らせてきている。 
この協会の広報担当者 Michael-Peter Schiltsky 
は言う:当時 私たちは陳情団もなく、弁護士も
なかった。しかし今では 自分たちが経験を
積んだことにより 私たちは 子ども・青年・
老人の代弁者になれる。
下記サイトから:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101225-00000065-jij-soci

★ブログ管理人の蛇足:
施設出身者を追跡調査するのは 非常に難しいです。
日本でも 施設出身者の不運について 国会で
取り組まれて当然だと思います。
  


Posted by jtw at 21:29Comments(0)

2010年12月21日

「施設で育った元子どもの協会」会長へのインタビュー

(2010年1月にでた記事です)
1940年代~70年代までに教会立や国立の施設で
虐待された 多くの児童のために 2010年1月13日
から ドイツ カトリック教会は ドイツ全国に
ホットラインを提供する。
電話相談の他に オンライン相談も提供する。

Monika Tschapek-Guentner(54歳)は2009年春から 
標記の協会の会長である。この会の会員は450人。
この領域で ドイツ最大の利害関係代理組織である。
被害者の総数は 50万人から百万人と見積もられている。

以下は 彼女へのインタビュー:
どんな対策でも 無いよりは 良いが、教会のホット
ラインでなくて 中立的な相談所の方がいい。
犠牲者の大半は 教会とは 縁が遠い。
非難されている施設の80%は 教会の運営していた
施設である。もし このホットラインへの反響が
少なければ 犠牲者は少ないと教会は言う
かもしれない。
教会は このホットラインによって 犠牲者と
接触し、ケーススタディを始めることもありえる。
ホットラインで犠牲者が語ったことに基づいて 
教会にとって都合のいい犠牲者を選ぶこともできる。

虐待された施設児童の諸問題は 2004年に初めて
公に論じられた。なぜ これほど長い間、犠牲者は
黙っていたのか?
それには 多くの理由がある。
犠牲者は まず社会の中で 居場所をつくらなければ 
ならなかった。社会から隔離されていて その社会へ 
身の回り品だけを持って出されたのだ。
過ぎたことは 早く忘れたかったのも 当然だ。
施設から出た後は 忙しかった。そのうえ 犠牲者は 
施設のことを語っても 誰も信じてはくれないと 
いうことも分かった。そして また 施設の子どもは 
自己について否定的なイメージを持ちがちだ。施設
では「君は悪いから 施設に来た」ということを
教え込まれていた。

施設での しつけの方法としては 独房監禁から 
冷水を浴びせることまで 様々だった。集団で暴行
することも 日常のことだった。罰として 寝室の
木の床を しゃがんで ワックスがけ させられた。
私のいた施設では 罰として 乾癬(皮膚病)の
子のベッドを整えさせられた。その皮膚病の子を 
吐き気を催させる患者として 職員が みんなに
紹介するというのは 差別であり、罰でもあった。

施設で虐待を受け続けると 根源的信頼を持てなく
なる。人は 疑いだけを 持つようになり、他の人
とのつながりを 作れなくなる。愛を感じたことが
ないのだから そうなってしまう。
そのうえ 実存的不安(生きていく不安)に常に
苦しむ。常時、施設が そのように教え込むのだ
から 無理もない。すなわち 君は何も持って
いないし、まったく なってない と 繰り返し
言われるのだ。
こういうことを 思い出して語るのは 本当に辛い。
子どもらしく過ごす時を喪失したということ、
人生の ある時期全体を無くしたということは 
圧倒的に辛いことだ。

施設は罪・過ちを 無条件に認めるべきだ。今も
なお 元施設の子どもは 自分は悪い人だという
烙印を自分に押して苦しんでいる。私たちは悪い人
ではない。責任を濫用した国や教会の施設経営者と
いうシステムに 私たちは引き渡されただけだ。

犠牲者は書類を 即座に閲覧できるようになる
べきだ。それは 自分の自己意識(自分が誰で
あるか)についての説明を獲得するためである。
多くの人は 自分の書類に たどり着くのが今も
難しい。書類を渡したくない 様々な役所と 
交渉するのは 大変な力仕事である。
下記サイトから:
http://www.wdr.de/themen/panorama/26/heimkinder_entschaedigung/interview_100108.jhtml?stdComments=1  


Posted by jtw at 21:42Comments(0)

2010年12月18日

昔施設に居た人達へ提案された賠償は2度目の侮辱inドイツ

1950年代~70年代半ばまで施設で虐待されて人達に
賠償するという提案が「施設で養育された人達の
ための円卓会議」でなされた。この結果について 
犠牲者の代表者が「手の中の雀は屋根の上の鳩より 
ましだ」という諺を思い出すと 落胆して語った。

ファシズムのやり方を踏襲した養育方法を 西ドイツ
の施設がとったために犠牲になった人々のうち、
今も生きている犠牲者に 政府、州、キリスト教会が 
1億2000万ユーロを補償するという取り決めがなされた。
しばしば何年にも渡った苦痛と性的虐待と強制労働は 
法治国家 西ドイツの信用を失墜させるものであった。
「教育困難」とされた子どもや青年が70年代まで 
国や教会の施設で 自尊心を傷つけられ、暴行を受け、
もっと悪いことをされていても それに耐える
しかなかった。
★ これは法律を意識していなかったために 
不正行為が追及されなかったからである。★
当時、「養育放棄された戦後の子ども」と呼ばれた
人々は ひたすら発展を目指す経済社会にとって
厄介な重荷でしかなかった。
放って置かれたのは 子供たちだけでは なかった。
責任を負うべき 施設職員、施設の園長、国の官僚、
聖職者もまた 放って置かれた。西ドイツは 民主
主義の足りない、未成熟な法治国家だった。円卓
会議の議長である 政治家 Volmerがそう述べた
のも もっともだ。

犠牲者は 降りかかった不法を 社会に認めさせる
ことを要求し、苦難に満ちた子ども時代の補償として 
僅かな金額を要求したが その結果は 法律的に 
個々の事案を検証することも ないままに終わった。
これは 犠牲者に 再びトラウマを負わせないため
だと 表向きは言われている。しかし そうではない。
ドイツの司法と犯罪人達と犯罪機関の責任を問う
ことなしに 終わったのだ。

犠牲者の中には 円卓会議の時に 重圧を受けた
ため 自尊心を再び傷つけられ、脅されていると
感じた人もいた。
円卓会議に参加した犠牲者の代表者は 少数であって、
彼らは 犯罪機関(施設)から来ている専門家の
優位性を 会議の席で実感した。犠牲者は不平等な
話し合いの席から 何も持たないで 帰りたくは
なかった。だから 不満足な結果に同意した。
手の中の雀は 屋根の上の鳩よりもいい と諺に
言うではないか。
しかし たとえば 性的虐待を話し合う円卓会議では 
そうは言っていられない。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/kommentar/heimkinder106.html



  


Posted by jtw at 20:00Comments(0)

2010年12月16日

施設に昔いた元こども・賠償金の提案を批判

施設で養育された人々についての円卓会議」は
約2年間の話し合いの結果、取り決め報告を発表した。
児童施設で 肉体的、精神的、性的虐待をうけた
犠牲者のために 1億2000万ユーロの基金を
つくるという提案である。
そのうち1億ユーロは犠牲者の治療に使われ、
2000万ユーロは年金の基金にされる。この資金は 
ドイツ連邦政府、州、キリスト教会が 1/3ずつ
拠出する。
被害者が個々の補償を求めるための窓口は 
州がつくる。
補償を要求する権利をもつ人は 3万人いると
見積もられている。したがって 全賠償金を
3万で割ると 個々の被害者には一人あたり
数千ユーロにしかならない。
「施設に昔いた子どもの協会」は 一人あたり、
一時金5万ユーロと月額年金300ユーロを求めて
いたが 円卓会議は これを認めなかった。

ドイツ・プロテスタント教会 社会奉仕組織は 
この会議の結論を肯定している。社会奉仕組織の
評議会 議長 Julyは 1950~60年代に 社会奉仕
組織の経営する施設にいた 子どもたちが受けた
苦難を不公正を 心から遺憾に思うと 述べた。

1970年代の中頃まで「教育困難である」とみなされた
子どもは 施設に行くように指示された。施設で 
彼らは しばしば 僅かな報酬で重労働をさせられ、
暴行をうけ、自尊心を傷つけられ、性的に
虐待された。

「施設で養育された人々についての円卓会議」とは:
50年~60年代に 西ドイツの児童施設で過ごした
子ども・青少年の不運を解明するために この
会議は設立された。
1949年から1975年までの間に西ドイツで約70万~
80万人が施設で生活していた。これらの施設の多くで、
暴力と自尊心を傷つけることが 問題になった。
この会議に参加したのは 犠牲者、施設運営者、
学者、国・州・教会の代表者である。
会議は2009年2月に活動を始め、2010年12月に終わった。
議長 Antje Volmer は元ドイツ副大統領。

下記サイトから抜粋:
下記に 議長の Volmerとのインタビューの動画も
あります。
http://www.tagesschau.de/inland/heimerziehung102.html


  


Posted by jtw at 09:46Comments(0)

2010年12月14日

50~60年代に児童施設で虐待された入所者への賠償inドイツ

児童施設で虐待された数十万の人々に 1億2千万
ユーロが支援基金から 補償として支払われる。
補償金が完済されるのに 何年かかるか分からない。
そのうちに多くの人は死ぬだろう。
「施設で養育された人々についての円卓会議」での
話し合いの結果、上記の金額が決まった。
7年前に Spiegel誌は これについて報告書を出した。
2006年に「主の名のもとでの暴行」という本が 
Spiegelから出版され、それにより 虐待された
人々のことが 広く知られるようになった。
7年前に Spiegelに 子どもの頃のナンギに
ついて語った Gisela Nurthanは誰も信用して
くれないから 経験を語る気にならなかったと言った。
円卓会議の参加者である 修道会、教会、州の
青少年局の職員は 施設に居た元 子ども達の
言うことは 信用できると明言した。
施設に居た子ども達を強制的に働かせた会社は 
基金に拠出していないと 元子どもの代表者は
抗議している。
円卓会議の勧告はあいまいである。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/0,1518,734388,00.html
  


Posted by jtw at 21:01Comments(0)

2010年12月13日

ドイツの森・写真9枚

下記サイトに写真:
http://www.zeit.de/wissen/2010-12/fs-wald-2

写真1. バイエルンのアルプス前方にある
松とトウヒの森。
2. ドイツの国土の1/3は森に覆われている。
3. ドイツの木の3本に1本は損傷している。
1/4以上は酷い傷を負っている。病気と環境から
の毒に加え、嵐による被害がある。この
トウヒは2007年の嵐で倒れた。
4. 元々その土地の木でない木を植林した
地域では 嵐で倒れる木が多い。しかしこの森は 
混交林であるのに、嵐に耐えられなかった。
5. 林間の空き地の周りは 嵐が来た時、特に
大きい被害がでる。
7. 松は 油の多い針葉のお陰で 雪と氷に
耐えられる。
8. 旧東ドイツの国境から45キロの所。混交林。
9. シラカバとトウヒ。
2011~2012年にドイツ全国森林棚卸が予定
されている。

  


Posted by jtw at 19:14Comments(0)

2010年12月12日

山ゴリラは少し増えたが絶滅の危機は今もinアフリカ

下記サイトに写真15枚:
http://www.zeit.de/wissen/2010-12/fs-berggorillas-2
写真1. 山ゴリラはルアンダ、ウガンダ、コンゴの
国境地帯の火山地域 Virunga国立公園に住む。
2. 内戦の時にこの地域の熱帯雨林に兵士が隠れた。
今は国立公園を監視する兵士がパトロールする。
3. レインジャー。2003年にこの国立公園に380頭の
山ゴリラがいた。今、36家族 480頭がいる。
4. 独裁者モブツ・セセ・セコは この国立公園に
豪華なリゾート施設を建てたが 今は荒れ果てて
いる。内戦と密猟が山ゴリラを衰退させた。その
生息地の多くは破壊された。
5. コンゴの内戦の時に反乱軍は この宿泊所を
占拠した。数十年の内戦の間、ゴリラの調査は
進まなかった。
6. 人は耕地と木を必要とするので 森を切り
開いた。類人猿は人間が生きられない標高の高い
山に移った。
7. 野生種の他に 保護所にいる山ゴリラを
合わせて、全生息数は786頭と見積もられている。
8. 1月に東コンゴのNyamulagia火山が噴火した。
災害もゴリラを脅かす。
9.密猟のため 母のいない子ゴリラが増える
。保護所でレインジャーは子ゴリラを世話する。
10. レインジャーは魚の密漁も取り締まる。
11. レインジャーは 国立公園内に 家族と住んでいる。
12. この雄ゴリラは 約30頭からなる家族を率いる。
13. 人は山ゴリラと出会うことは まず無い。
山ゴリラは脅かされない限り、平和に暮らしている。
14. ゴリラの生息地での最大の問題の一つは 
雨林の木から木炭を不法に作る商売である。内戦の
結果、国立公園の周りに数十万の難民が住む
ことになった。木炭マフィアが この地方を
支配している。この写真は 不法炭焼場を壊して
いるところ。
15. 2002年からフランクフルト動物学会が 
再びコンゴに職員を派遣し、政府のゴリラ保護を
支援している。しかし この写真のように 
雨林の破壊は続く。
  


Posted by jtw at 18:33Comments(0)

2010年12月11日

木製ラジオ・ドイツMagno社製

イタリアカサマツとインド産のキリモドキで
作ったラジオ。
(昔はラジオも木の箱に入ってましたが 
今はプラスチックになった)
下記サイトで買える:
http://zeit.avocadostore.de/products/192-wooden-radio-magno
19X12X高さ13.5センチ。955グラム。179ユーロ。
日本への送料は不明。

ミニ版は119ユーロ。  


Posted by jtw at 14:40Comments(0)

2010年12月10日

巨大コウノトリの化石inフロレス島・インドネシア

8000年前まで 高さ180センチのコウノトリがいた。
当時フロレス島に住んでいた小柄な人間の
2倍の高さだった。
オランダの古生物学者 Hanneke Meijer と 
ジャカルタの考古学センターのRokus Due が 
この骨の化石について報告した。
化石は2万年~5万年前のもの。
化石の見つかった洞窟には 小柄な人間の骨もあった。
この島はアジア大陸とつながっていなかったので、
変わった種を生み出した:ミニ象、巨大鼠、
世界最大のトカゲなど。
島であるということが 小柄な種や巨大な種を生んだ。
孤立した島であるために 色々な種類の有袋類が
いて、肉食獣が少ない。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/Insulaner-jagten-Riesenstorch-article2098691.html
  


Posted by jtw at 20:43Comments(0)

2010年12月09日

若い女性の人身売買inボスニア

バルカン半島で若い女性が人身売買の犠牲に
なっている。
犠牲者を助けようとする人は危険に曝されている。
ボスニアのMara Radovanovich はLARAと言う
女性支援組織を主宰し、そのような女性に避難所
を提供している。LARAは国際的組織CAREの
支援を受ける。
ボスニアでは良家の12歳の女子生徒も売春させられる。
人身売買業者は 家族を殺すと脅し、少女に売春させる。
あるいは 麻薬漬けにされ、モテルでの乱痴気
騒ぎの中で 性的虐待を受ける少女もいる。
犯罪者は その様子をビデオに撮影し、ネットに
その動画を載せると脅す。

ボスニアでの このような犯罪に「社会の担い手」
と言われる人々が関わっている。例えば 治安大臣が 
人身売買に関わっているのでCARAは 治安省
からの助成金を受けられなくなった。

2005年までは ボスニアでの人身売買の犠牲者は 
東欧からの女性だった。いい仕事があると言って
女性を誘い、ドイツでベビーシッターやレスト
ランでの仕事を させないで、ボスニアのような
バルカン諸国へ拉致し、売春を強いた。
今では ボスニアの国境の入国管理局の職員や
警官が 拉致された女性を同定する訓練を受けて
いるので、ボスニアに入る外国人犠牲者は減って
いる。それに代って、ボスニア国内の未成年女性
を獲得するのが ボスニアの組織犯罪グループ
の傾向になった。

LARAは欧州警察や OSZEのような組織に
支援を受けている。しかしLARAは 黙って
いないと 殺されるという危険な状態で
活動している。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,6283772,00.html
  


Posted by jtw at 21:38Comments(0)

2010年12月08日

イスラエルの山火事・鎮火

12月2日に出火したKarmel山脈の森林火災は 
国際的支援と降雨のお陰で 12月6日に鎮火した。
41人が死に、イスラエル史上、最悪の山火事になった。
十数機の外国からの消火飛行機とヘリコプターが
投入された。
アメリカのジャンボ機ボーイング747も使われた。
これは世界最大の消火飛行機で、80トンの消火剤を
積み込める。
地上の消火には 約450人のイスラエルの消防士が
あたり、百人弱のブルガリア消防士、数人の
ヨルダン消防士、20人のパレスチナ消防士も
支援した。
死者の中には 受刑者を火災から避難させよう
とした看守も何人かいた。
17000人が避難した。
数千ヘクタールの森が消失した。カルメルの森の
約半分の面積にあたる。イスラエルの国土のうち 
僅か7%が森林であり、カルメルの森は 
その2/3を占めていた。
12月4日に警察は 2人の少年を 過失によって
山火事を起こした疑いで逮捕した。2人はアラブ系
イスラエル人の村に住む。彼らは森でキャンプ
ファイヤーをした後で 火を消さなかったらしい。

イスラエルの消防署には大火災のための装備は無く、
人手もない。
軍隊は消火飛行機を一台も持たない。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,6297538,00.html  


Posted by jtw at 18:18Comments(0)

2010年12月06日

カンガルー用歯みがきペースト・犬猫にも有効

イスラエルの研究者チームが開発した。
カンガルーは歯肉炎を起こすと 食欲をなくし、
弱ってくる。最悪の場合は死ぬ。
イスラエル北部のBeit Scheanにある動物園の
カンガルーの半数が4年前に 歯肉炎の
ために死んだ。
この歯みがきペーストは抗生剤を含み、そのうえ 
特別に長い歯ブラシで使える。
ヘブライ大学の学者と共同で これを開発した
エルサレムの歯科学研究所の Doron Steinberg 
は このお陰でカンガルーは直ぐに良くなった
と述べた。犬猫にも効く。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/Zahnpasta-rettet-Kaengurus-article2050516.html  


Posted by jtw at 19:44Comments(0)

2010年12月06日

超巨大重機カレンダー2011年版

整地用重機、鉱山露天掘り重機、コンクリート解体用
重機、可動クレーン、山で切った木を運ぶ重機、
車を掴んで運ぶ重機、デスバレーで舗装する重機、
海に浮いて海底20メーターを掘る重機、鉱山内の
重機など12ヶ月の写真。
Bauforum24 は
http://forum.bauforum24.biz/index.php
巨大重機のファンと運転者が意見交換する場。

このカレンダーは下記サイトから39.80ユーロ
で買える:
http://www.baumaschinen-kalender.de/

下記サイトから:
http://www.stern.de/wissen/technik/kalender-heavy-equipment-riesen-auf-raedern-kolosse-auf-ketten-1627774.html  


Posted by jtw at 14:16Comments(0)

2010年12月05日

マイクロクレジットの悲劇inインド

微少額貸付は 発展政策の万能薬とみなされて
いるが、その貸付のために絶望的状況におちいる
人もいる。

南インドのアンドラ・プラデッシュ州のある県の
首都Wanrangelの病院に 20歳のGajulaは入院して
いる。彼女は5日前に 自分の身体に灯油をかけ、
火をつけた。マイクロクレジットの返済金、週に
5.6ユーロを 払えなくなり、自殺しようとしたのだ。
借主が死んだら、借金は抹消されるというのが 
マイクロクレジットの規則だ。
彼女は 長男の脳腫瘍の手術の費用の一部 240
ユーロをマイクロクレジットから借りた。その後、
15週間は 定期的に返済できた。しかしモンスーン
の季節に 洪水のため 夫の三輪タクシーは
営業できなくなり、困窮した。
バングラデッシュのマイクロクレジットとの 
違いは インドでは 営利事業だと言うことである。

ムハマド・ユヌスがバングラデッシュで マイクロ
クレジットをつくり、2006年にノーベル平和賞を
受けた。
その年に eBayの創立者 Pierre Omidyar は
商業的マイクロクレジットを貧しい国々に
つくるために 1億ドルを寄付した。
インドの銀行も投資し、2~3年後に インドは 
世界最大のマイクロクレジット市場になった。

アンドラ・プラデッシュ州だけで、45日間に 
マイクロクレジットの借り主 30人が自殺を
企てている。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2010/47/Mikrokredite-Indien
  


Posted by jtw at 19:42Comments(0)

2010年12月04日

ハンガリー政府は路上生活者が人目につくのを禁止したい

2010年9月19日発:
(ずいぶん前の記事です。今、欧州は寒波に襲われ、
ホームレスがたくさん死んでいるという報道を
読んで、思い出してカキコミしました)
ハンガリーでホームレスは冬の厳しい寒さを闘わ
ねばならない。
路上で犬を抱いて傘をさし雪に耐えるホームレスの
写真などを 政府は もう見たくない。
首都で 地下道などに寝場所をつくる人は少なく
とも2500人いる。既に 7月に内務相 Pinter Sandor 
は すべての公共の場から 乞食さんなどを
「取り除き」たいと述べた。彼らは 国の格を
下げているという理屈である。
下記サイトから:
http://www.welt.de/politik/ausland/article9746593/Ungarn-will-keine-Obdachlosen-in-der-Oeffentlichkeit.html  


Posted by jtw at 20:53Comments(0)

2010年12月03日

韓国国会で又、大乱闘(動画)

ソウルでは 無料学校給食をめぐる争いの
ため、国会の演壇を占拠しようとして つかみ合い
が起きた。女性議員も奮闘した。
下記サイトで 乱闘の他に 韓国の学校給食が
どんなもんかも 見ることができる:
http://www.stern.de/politik/ausland/suedkorea-handfeste-rangelei-im-parlament-1630118.html  


Posted by jtw at 15:24Comments(0)

2010年12月03日

反社会的振舞は自然に正常になるわけない(続き)

アメリカで少年支援事業として人気のあったブート
キャンプは 高価であり、そのうえ反社会的振舞を
助長するということを アメリカの調査は示している。
ブートキャンプでは軍隊のように組織された環境で 
青少年は学習するが、出所した後は 何の効果も
残らない。そのうえキャンプ内で他の非行少年と
知り合い さらに非行をすることもある。

ドイツでも 本当に効果のある支援に税金を使う
ようにすべきだ。アメリカで 反社会的振舞をする
子どもや青年のためのプログラムが 役に立って
いるか どうかが 検証された。その結果、
約800のプログラムのうち 八つだけが役に立った
と科学的に証明された。英国、スカンジナビア、
アメリカで うまくいっているプログラムが 
ドイツでも機能しないはずがない。まず予備調査
が必要だ。

ドイツの青少年支援プログラムは 中央で組織
されているのでなく、各市が完全に独立して
行っている。そのうえ、青少年支援の予算を
節約し、同時に より良い支援を提供できると
いう意識を 関係者は持っていない。予備調査を
することさえ 難しい。

非行は社会的費用を増やす。酔っ払ったり 暴力
行為をして 救急外来に来るし、酔っ払い用の
緊急受付の世話になる。精神科に来る非行少年も
いるし、麻薬からの回復支援リハビリを受けなけ
ればならない人もいる。これらには 健保から
多額の金が でている。

アメリカで 効率的な青少年プログラムを実施
したことろ、施設での養育費と精神科の入院費を 
半減できた。
青少年が裁判所の世話にならないように すれば 
司法の費用も減らせる。1日に1人を拘留すると 
約100ユーロかかる。
教育困難な生徒のための支援学校へ送り込む
生徒が減って、普通校に行く生徒が増えれば、
教育費用も節約できる。
学校を中退しないで 卒業する生徒が増えれば 
就職率もよくなり 社会全体にとって 経費の
節約になる。
そして 社会は非行少年を見放していないという
ことを示すことにもなる。

イギリスでは 保健省と 子ども・学校・家庭省が 
共同で MSTの調査のために 数百万ユーロを
用意している。ドイツでも それは可能だろう。

大半の親は 子どもをうまく教育したいと 思って
いるが、どうしていいか 習っていない親もいる。
教育することを人は学習できる。一方、薬物の濫用、
職業教育の市場、労働市場をコントロールする
ことは 難しい。
親は 子どもが非行したことに ついて 罪は
ないけれども、親は諸問題を除去する際に 
つねに中心的な役割を果たす。
(おしまい)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/diskussion-um-jugendgewalt-antisoziales-verhalten-waechst-sich-nicht-aus-1.1016321-2  


Posted by jtw at 15:05Comments(0)

2010年12月01日

少年非行/反社会的振舞は自然に正常になるわけない

青少年精神科医 Christian Bachmann は在来の
対策を批判し、「スーパー乳母」が増えることを
求める。

大事件を起こす非行少年は氷山の一角であり、
社会的言動についての障碍をもつ子どもや青年は 
ドイツに70万~80万人いると見積もられている。
これは 未成年人口の約8%にあたる。
これらの非行少年は 親の言うことを聞かず、
学校をさぼり、殴り合いをして、万引きや薬物をする。
Bachmann先生は ロンドンにある 精神科研究所
と国立子育て研究所で 効果的な青少年支援
プログラムを研究した。

以下は 同先生へのインタビュー:
非行少年は 親を殴るので 親はどうしようもない。
しかし精神科は 非行少年にとって適切な場ではない。
非行少年は 他人の言うことを聞かないし、摂食
障害があるわけでないし、薬は効かない。非行の
振舞は 教育の問題であり、精神科の問題ではない。
非行少年は しばしば精神科を受診し、それから
少年施設に行き、しばらくして逃げ出す。どこへ 
行っても うまく いかない。
反社会的振舞は なかなか変わらない。効果的な
対応を受けなければ もっと悪くなる。
そのような少年が成人すると、多くは反社会的
人格障害をもつことになり、刑務所に入る人も
少なくない。
今ドイツでは 少年施設やブートキャンプや
「警官と非行少年がサッカーをするプログラム」
などに大金をつぎ込んでいるが、これらは 効果
があるかどうか 専門的に検証されていない。

世界的に研究されているプログラムに、Multisystemic
Therapy(MST)があり、12~16歳の少年を対象と
している。MSTを支える考えは「養育することを
親に教える」というこをである。「スーパー乳母 
Super-Nannyの原則」と呼ばれる考えだ。
今までのドイツでの やり方は 非行少年を家庭
から 引き離し、施設やブートキャンプへ入れると
言うものだ。
MSTでは 非行少年と親に 普通の環境の中で 
親子の必要とすることを教える。MST治療では 
同時に 4~5家族の面倒をみる。個々の少年に 
多くの時間をかけられる。解決法は まったく
平凡なことであって、親は 子どもが毎日、何を
しているかを 繰り返し尋ねることを 学習する。
親子は 支援者・助言者に 24時間アクセスできる。
青少年局に問合せた場合は 何週間も待たない
といけないのとは 大変な違いである。

このプログラムは金がかかる。 一人の治療士
には 1年に最高、7万ユーロかかる。しかし 
施設は1日約200ユーロかかるので 年間7万ユーロ
の出費になる。
一方、治療士は 1年に少なくとも8家族の治療を
する。8家族のうち1人を施設に入らないで済む
ようにできれば 治療士の年間給料が でる。
(日本の児童養護施設でも 子ども1人あたり 
このくらいの措置費が支払われている)
MSTのプログラムを受けた非行少年について
調査したところ、プログラムの14年後に 平均2年
を刑務所で過ごしていた。普通の心理療法を
うけた対照群においては 平均4年を 刑務所で
過ごしていた。

ノルウエーでは MSTが全国的に実施されている。
そこでは プログラムの初めに 20%の非行少年が
学校に行っていて、終わりには80%が学校に行く
ようになっている。学校を卒業して人は 職に就く
人が多く、社会的に外れてしまう可能性が低くなる。
(つづく)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/diskussion-um-jugendgewalt-antisoziales-verhalten-waechst-sich-nicht-aus-1.1016321

  


Posted by jtw at 20:53Comments(0)