2007年06月30日

ハイデルベルクは世界遺産に又なれなかった

ハイデルベルクの古い町と城は 世界中から 観光客を寄せているのに
世界遺産への 2度目の申請が却下された。
「風景と古い町と城の 集合体の持つ価値を もっと はっきりと示す
ように」ユネスコは 要望した。
(これは 日本の石見銀山への 要望と同じようです。石見は なぜか
登録されて めでたい)
世界遺産委員会は 「欧州の歴史的大学たちに ついて 一連の申請を
するなら 遺産に登録される 可能性がある」と述べた。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/16/0,3672,5560496,00.html

★ ハイデルベルクにある大学は 1368年創立。ドイツ最古。
三十年戦争(1618-1648年)で 町は 荒廃し、加えて 1689年と
1693年に フランスに侵略され 破壊された。
  


Posted by jtw at 12:46Comments(0)

2007年06月29日

性差を無くすように子育てしようとしてもアカンのだ

女性解放運動に従って 男の子と女の子を 性差無しに 中性として
育てようという試みは 失敗する。自然には 逆らえない。
80年代初めに 女性解放論者 Marianne Grabrucker は
自分の娘を 中性として 育てようとした。彼女の経験を 
書いた本は 失敗の記録である。
「積極的に 計画的に 性の役割を 破壊して 子どもを育てる」
というのは ムリがある。
生後3ヶ月の赤ちゃんでも 男女の声を 聞き分けられる子が いる。
1歳児は 男女の顔を 識別でき、声も区別できる。髪の毛の長さや
服に 注目して 区別する。
性差を ゆったりと 考えるべきだ。
硬直状態からの 離脱は すでに 始まっている。
優れた資質をもつ女性は 選挙権を失ったわけでなく、政治・経済に
おいて 指導的地位を失ったわけでもない。
無名の女性も 社会生活に りきまないで 自由に 入っている。
かわい子ちゃんと して 仕事を始めても なりたいなら 
消防士にも なれる。
下記サイトから:
長い記事です。試しに 自動翻訳ソフトに かけて みて ください。
嫌になります。
http://www.zeit.de/2007/27/PS-Jungen-M-dchen?page=1
  


Posted by jtw at 17:00Comments(0)

2007年06月28日

医者と救急車が救急現場で出会うシステム

救急医の乗った救急車が ケルンに登場したのは50年前。
この種の車は ドイツで今 18900台以上 動いている。

医師を救急現場へ 運ぶという考えについては 
ホーマーのイリアスが 鏃のささった兵士を 戦場で 手術すると
いう例を 2700年前に 報告している。
19世紀の終わり頃に 工場災害と 交通事故の増加によって
救急医療が始まった。その後 負傷者を病院へ運ぶようになった。
1930年代の終わりに ハイデルベルク大学教授 Martin Kirschner
は 患者を病院へ運ぶのでなく、医者を患者のところへ 運ぶことを
提唱した。
1957年に やっと ハイデルベルク大学病院の Karl-Heinz Bauer
が 救急医付き救急車を 試験的に運行した。
これは 「救急手術設備付きバス」で、医療機器のための電気を
確保するために 発電機を載せた トレーラーを 引っ張って走った。
この欠点は 大きすぎて 操作しにくい ことで、目的の場へ 
着けないことも 多かった。
そこで 1964年に 小回りの効くシステムが ミュンヘンで始められた。
これは ランデブー システムと 呼ばれ、救急医は 救急車に乗らないで
別の車で 現場へ行く。現場で必要な医療を施し、患者は救急車で 病院へ
運ばれる。医者は その現場から 次の事故現場へ向かう。

どんな車を医者用車として使うかは、地勢や道路条件によって決まる。
山岳地帯では VW Touaregなど、平地では Audi A6 Avant などが
使われる。
医者用の車の採用基準は DIN 75079 に従う。
VW T5を 医者用車に改装するには 最高24525ユーロ
(1ユーロは165円)かかる。
5月からは ポルシェの 豪華なSUVが 医者用車として使われている。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/auto/aktuell/0,1518,489354,00.html
  


Posted by jtw at 16:25Comments(0)

2007年06月27日

バグダッドからのblogと写真/市街地の死骸・日常的風景

フリーのジャーナリスト Susanne Fischer は 古里 エルベ河畔を
離れ 2003年秋に イラクへ来た。イラク戦争は その年の春に始まった。
今 彼女は 英国の 「戦争と平和報道研究所」の 委託をうけ、北部イラクで
イラク人 ジャーナリストを教育している。
下記は 彼女のblogです。彼女の友人が メールで送ってきた写真が 
ついています。写真をクリックすると 大きくなります。バグダッドの街路に
放置された 死体の写真です。彼女の友人は この現場の近所に 
住んでいるそうです。
★太平洋戦争が終わって 4年経った頃の 日本は 貧しく混乱していたとは言え
イラクほど荒廃していなかったようです。
http://www.stern.de/blog/index.php?op=ViewArticle&articleId=1111&blogId=10
  


Posted by jtw at 09:28Comments(0)

2007年06月26日

いい母を演じる鬼母・ミュンヒハウゼン代理症候群

ミュンヒハウゼン症候群の患者は 自分を傷つけたり 病気になったふりをする。
その後 確認され 上記の名前を引き継いだ その親戚筋の病気
「代理人をたてるミュンヒハウゼン症候群」
を患う母親は 心遣いが細やかなように 振舞うが 家では子どもを虐待する。
ミュンヒハウゼン代理症候群(MBPS)の母を ビデオカメラで監視して 悪事を本人に
認めさせることもできるが この方法には 議論の余地がある。
すでに1977年に Sir Roy Meadowは この奇妙な子ども虐待を報告した。
Christian Poets は 15年前に ロンドンの国立心臓肺研究所で 働いていた
時に このMBPSに 気づき 病室をカメラで 監視することにした。

Wuerzburg大学病院 法精神科学の指導者 Martin Krupinsk はMBPSの
症例を ドイツ全土で 確認した。379の子ども専門病院のうち 約半数が
このデータ検証に 参加した。
その結果 予期されたよりも多くの症例が 見つかった。
この病気の母親は 子どもに 下剤を飲ませて 下痢がとまらないと言って
通院したり、娘を椅子に縛りつけてハンマーで殴って骨折させて おいて
階段から落ちたと言って 病院へきたりする。小児科へ 来るのを躊躇わない。
病院へ来るのを ためらわないのが 他の虐待と 違うところだ。
重病の子どもを助けようとする医者を 共犯者にしてしまう。
犯人は もっともらしく 振舞い、事実でない情報を 提供し 子どもは
治療を受け 副作用まで 受ける。
Krupinski は 50のMBPSの 症例を検討した。
48例で 母親が犯人で、その平均年齢は 30.7歳。子どもは4歳。
9人の子どもは 永続的障碍をもつようになり、1人は 死んだ。
1/3の母親は 重度の人格障害を持っていたので 精神科へ回された。
彼女たちは 気遣い・優しい言行を 切望しているのに どういう風に
して他人と人間関係を結んでいいか 分からなくて 孤立感をもっている。
何人かは 境界症候群で 少数の母は 薬物・アルコール依存症。
他に 鬱の人もいた。
患者の中には 少女の時代に 感情について配慮されていなかったり
(感情についてのネグレクト)、性的虐待を受けたりした人も まれではない。
そういう人が 病気の子どもを 持つと 情勢が一変する。看護師が親友に
なってしまう。
MBPSだと立証されても 子どもの危険は 取り除かれたわけでは ない。
たいていの医師は ケースワーカーや医師の監視下で 子どもを できるだけ
長く自宅に留めることを 指示するからだ。遅かれ早かれ 子どもは 家から
離されるべきだ。
MBPSの有効な治療法は 今のところない。
精神科医 Reinhard Plassmann は Bad Mergentheim の 心理療法
センターで 治療法を開発したが、この治療法の最終段階まで たどり着いた
患者は いない。患者の心が 安定した時に 初めて 患者の成育暦に
取り組んで 経験や葛藤を 修正することもできる ようになる。

アメリカの精神科医 Marc Feldman は 「人が 病気の振りをするとき」
という本を書いた。

患者に病気の説明を 聞かせるだけでは どうにも ならない。虐待の現場を
押さえられたら 別の病院へ 行って また 同じ芝居を するだけだ。
6月21日の 下記記事から:
http://www.zeit.de/2007/26/M-Muenchhausensyndrom?page=1
  


Posted by jtw at 13:04Comments(0)

2007年06月25日

中国の芸術家・建築家 Ai Weiwei 文革を回想

蓬 未未(Ai は 簡体字では 草冠の下に ×のようなのを置く字)
スイスの建築家と 共同で 北京オリンピックスタディアムの構想を作った人。
50歳。

文化大革命の頃 少年時代に 人権侵害が 常に 行われている時に
芸術と文学を発見した。

今 Kassel市で 開かれている Documenta 2007という行事のために
1001人の中国人を 連れてきている。
1001人は 職業・出身地も 様々で、農民や 少数民族の人もあり
大半はドイツへは 初めて。多くの参加者は 初めてパスポートを取った
人で 「夢みたいや、ホンマ とは 思えんわ」と言うている。

Aiさんは 今も 毛沢東語録を覚えている。毛思想が彼の言葉の 構造を
作った。
お父さんは 50年代の終わりに 党が彼を告発するまで 国民的詩人
だった。
Ai は30歳代に パリで芸術を学んだ。
父親の詩は 砂漠の中のダイヤのようだった。実際 彼の一家は ゴビ
砂漠に住んでいた。父は 昼間 公衆便所の掃除をし、夜は虐待の
ための集会に つれていかれた。
誰も Aiさんに 手を差し伸べては くれなかった。教師も級友も。
当時の中国は 単色の国だった。生きることは 苦しみだった。
隠すべき 大事な物は なにもなく、幻想もなく、恋愛のような感情も
なく、ただ 生き延びるという 本能的意思だけが あった。
政治的闘争から 離れ、自分の世界の中を彷徨った。文学・芸術と
いう回り道を 行った。それは 自我を発見するのに 役に立った。
それは たった30年前のことだ。いくつかの社会組織・構造は
変わっていない。多くの真実は 今も 語っては いけないことに
なっている。古い構造は 私達の心に 影響を刻み付けている。
大半の人は 自分で考えることに 慣れていない。私の少年時代の
無力感は 今も 多くの人の中にある。

今 表面的に見ると 私は 成功しているが 私の周りには
今も 砂漠がある。今 中国で 達成できることは 個人的な
ことであり、他人のために 社会のために 達成できることは
ない。
このような矛盾は どの社会にも ある。
昔の中国の哲学的概念に よると 宇宙は 善と悪に 分けることは
できない。人は 優れた存在ではなく、全体の一部に すぎない。
効率は 人の目標では ありえない。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2007/26/Traum-Ai-Weiwei?page=1

★ドイツ語の会が 潰れる直前の 先生 Oliverさんは 
「ドイツ語の記事を 読んで 全部 分かる必要は ない。
全部分かろうと 思わなくていい」
と言うて 短い文を コピーして 持ってきてくれました。
このblogを 書いていると そういう事が 思い出されます。
  


Posted by jtw at 10:56Comments(0)

2007年06月24日

英国の高校・専門学校でアジア語を習う生徒増加

アジア語は将来の市場開拓のためにも いいし、規律のある生活を送れるように
なるし、集中力も高めてくれると 言われている。
Chrisが Brighton カレッジを選んだのは 中国語の授業を取り入れた最初の
学校だったからだ。彼は2年間 中国語を習っている。クラスで上海へも行った。
中国語での文通友達もできた。彼の父は アメリカのタイヤ製造会社の支社長だ。
East Croydonにある 学校では フランス語教師は 1人、日本人教師は4人
いる。日本語を習う800人の生徒のために 日本人に頼んでいる。
Isabella は もう2年間 公文で算数を習っている。1ヶ月に60ユーロかかる
(1ユーロは165円)。
中国語 ウルドゥ語 アラビア語が 遅くても 2010年には 中学・高校で
教えられようになるだろう。
英国では 外国語として まず EUで多くの人に話されている言語が 
教えられていたが、
2000年から ドイツ語 スペイン語 フランス語は 選択科目になった。
外国語を選択する生徒は 2000年の80%から 2006年には 50%に減った。
中国とインドからの 移住者が増えてきた 1980年に Jim Robertsは
学校で 中国語とウルドゥ語を 教えるように提案したが 教育大臣は
これを拒否した。今 これらの言語を話す人の 子どものために 週末に
学校が開かれている。Roberts の 考えでは イギリスの生徒が こういう
外国語を習って その言葉を話す人々の 生き方は イギリス人の生き方と
同じように 価値があると 認めることが 大切だと 考えて この提案を
した。
しかし 民族統合の考え方は 市場開拓の大切さを 主張する考え方と比べて
大衆受けしない。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2007/24/schule-england-mandarin
  


Posted by jtw at 14:01Comments(0)

2007年06月23日

2人の少年による殺人@Tessin村ドイツ.日本で忍者になる

Mecklenburg 州の小さい村の 高校生(ギムナージウム)の生徒二人が
友人の両親を刺殺し 裁判を受けている。7月12日に判決が言い渡される。
なぜ人を殺したか 誰も知らない。
1月13日の夜 17歳のFelixと Torbenは 友人Florianの 家のベルを
押した。玄関に出た父親を ナイフで刺し殺し その後 母親をも 刺し殺した。
息子は 居間にこもって 警察に連絡した。
二人の犯人は その家の車で逃げようとしたが 逃げられず 1時間 車内に
こもった後 投降した。
この事件で 村の生活は 変わってしまった。
村人は 1月13日の事件を ニューヨークの人が 9月11日のことを
話すのと同じような 沈んだ声で話す。
犯人二人は 学校の成績は よかった。暴力で何かを 解決しようと
したことは なかった。二人の家庭は 困難な境遇にあるわけでも 
なかった。
二人は夫婦の頭と胴体を 60回以上 刺している。
犯人Felixの日記には 弱い者を憎む記述があり、ナイフ・モンスター・
戦争についても 沢山 書かれていた。
Felixは 暴力で押さえつけることや 大量殺戮を 妄想していた。
二人は 殺された夫婦の 車を 盗んで日本へ逃亡し、日本の森の
なかに 住んで 忍者になりたかった とも供述している。
殺された夫婦の息子 Florianは 今 Boizenburgの 親戚に
身を寄せている。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/artikel/94/119946/
  


Posted by jtw at 06:36Comments(0)

2007年06月22日

視覚障害者のインターネット利用ソフトと新機器

ドイツの155000人以上の盲人を 数え切れない障壁が ネット上で
待ち伏せしている。たいていの人は 目とマウスを 使ってネットサーフィンを
するが 視覚障害者は 耳とキーボードを使う。
画像の上にカーソルが来ると 単調な声が 画像データの裏に何が 
隠れているか 説明する。
ドイツ盲人・視覚障害者連盟によると ドイツでは 約55万人が 健康な視力の
1/20よりも少ない視力を もつ。
盲の Jan-Eric Hellbusch さんは JAWS という スクリーンリーダー ソフトを
使う。スクリーン読み取りソフトは ディスプレイに出た内容を 言葉に 変えるか 
点字に変えるかして 示す。
「障壁のない」という環境は 視覚障害者に とって だけでなく、ドイツ語に慣れない
外国からの移住者や 50歳以上の障害のない人(パソコンに弱い人)に 
とっても 有難いことだ。
「障壁のない情報技術規定」BITV は 実施されているが、それほど多くの
障壁のないサイトを 推薦できるわけではない。
図版や書式の要素についての 説明が足りなかったり、コントラストや色の組み合わせが
悪かったり、図が多すぎたり、文が長すぎたり という困難に出会う。
図やマルティメディアのような 文のない場合には 充分な説明が要る。
多くのサイトは マウスで使うのに 最適なように 作られている。キーボードでも
同じことが できるように なるべきだ。
ドイツの企業は 視覚障害をもつネット利用者を 購買力のある消費者として 認めて
いないけれど、外国のハードウェア開発者は 新製品を宣伝している。
韓国の LGエレクトロニクスは 去年 盲・視覚障害者のための 携帯電話を発売した。
Samsung は盲人用の「タッチ メッセンジャー」という 携帯用SMS機器の試作品を 
中国で公開した。1億8千万人の世界中の視覚障害者を 潜在消費者として考えて
いる。地球上の35人に一人のための 盲人用SMS機器になるだろう。

世界的なデータのネットは 障害があろうと なかろうと すべての人が 付き合える
理想的な場に なっているのだから 障壁は 無い方がいい。

下記サイトから: 点字で入力できるキーボードの写真も でています。
和歌山盲学校の方も このカキコミを 聞いてくれたら いいのですが、なかなか
そう うまいこと いかんやろなぁ。
http://www.stern.de/computer-technik/internet/:Sehbehinderte-Webnutzer-Barrieren-Surfer/590166.html
  


Posted by jtw at 12:01Comments(0)

2007年06月21日

半生半死の24人の子@孤児院inバグダッド

孤児院で 24人の少年が 極度の低栄養状態で着衣もなく横たわっている
のを アメリカ軍が 20日に見つけた。
(明日の日本の新聞に でると思うので ここに書かずもがなでは
あるけれど 写真だけでも 見てください)
3-15歳の少年のうちの何人かは ベッドに繋がれていた。
多くの子は 衰弱して 立てなくて 裸で窓のない 暗い部屋の
床に横たわっていた。
頭も上げられず かすかに動くのは眼球だけだった。
24人の少年は 5月末まで 別の孤児院に少女たちと一緒にいた。
イスラム教徒が 少年と少女が一緒に住むのを非難したため 少年だけ
この孤児院に移された。この救出のあと 少年たちは 医療を受け
また元の孤児院へ戻される。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/18/0,3672,5556658,00.html
写真は下記サイトへ:
http://www.stern.de/politik/ausland/:Irak-Horror-Waisenhaus-Bagdad/591503.html
  


Posted by jtw at 10:11Comments(0)

2007年06月20日

中国へのアムネスティ インターナショナルからの要求

世帯登録と定住地管理のための 戸籍システムが 出稼ぎ人と
その子どもが 幾重にも差別されることの 前提となっていると
アムネスティは 考える。このシステムが改善されなければ
ならない。
90年代に 都市戸籍と田舎戸籍の区別は 公式には廃止された。
けれども 今も 定住者と 一時的居住者の区別があるので
二層社会は 生き残っている。
出稼ぎ人は その上 保健システムと 教育システムから 戸籍上の
資格を理由に 締め出されている。
学校の授業料は 廃止されるべきだ。
労働の場について 国際的最低基準を 守ることによって 人権に
配慮することを アムネスティは 要求する。
すなわち 公正な賃金の支払い・安全な労働条件と安全に役立つ
休養/休暇時間を 求めている。
下記サイト「奇跡の経済成長の犠牲者」第7部(最終章)から
http://www.manager-magazin.de/unternehmen/artikel/0,2828,470389-7,00.html
  


Posted by jtw at 16:30Comments(0)

2007年06月19日

奴隷労働@中国山西省・少年少女も被害に

テレビは 奴隷労働者が 煉瓦工場や炭鉱の宿舎から よろめきながら 
出てくる映像を 流した。
親は やっと 行方不明だった 子どもと再会できる希望を持てる
ようになった。しかし 子どもは 山西省の煉瓦工場や 炭鉱で
酷い扱いを受けてきた。
千人以上の労働者が 煉瓦工場と炭鉱で 奴隷として 働かせられていた。
1日19時間労働で 工場の入り口には 監視員と犬がいて、製造現場は 
高い塀に囲まれていた。
月80ユーロ(1ユーロは160円)という約束は 守られていなかった。
逃げようとする者は 虐待され 時には 殺された。
若い労働者の大半は 隣の河南省の田舎からの 教育を受けていない
人だった。不法な職業紹介業者は 田舎で 若い男に声をかけ 工場へ
連れて行く。労働者1人で 紹介業者は 40-50ユーロの 紹介手数料を
稼ぐ。
地元の行政・警察・職業安定所が 企業とグルになっていた。
一般の人が この醜聞を知ったのは 河南省の州都 Zhengzhou で
行方不明の人を探す広告が 増えてきたからである。職を求める少年少女・
成人の男が 跡を残さないで消えていった。
救出された人は テレビに映され それによって わが子のことを 知った
親は 多い。役所は 長年 人身売買を止めさせなかった。地方の幹部は
知っていたはずだと 地元の新聞社は言っている。
「中国社会の 道義・徳性は 地に落ちた。道義は党中央からの 標語に
よって 育つものではない。道義の危機は 政治的・経済的秩序から
生まれる」と 労組員は言う。
今 中央政府の指示によって 3500人以上の 警官が 数千の煉瓦工場や
炭鉱を 監視するために 派遣されている。「調和のとれた社会」という
イメージが 奴隷労働者の存在によって 傷つくのを 共産党は
恐れている。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2613611,00.html
  


Posted by jtw at 14:13Comments(3)

2007年06月18日

賃金を低く抑える方法@中国

疲れ果てて朝 起きられなくて欠勤したら 一ヶ月分の皆勤手当と残業手当が 
支払われない。
その他に 4日分の日当が 罰として 差し引かれる。
その地域の役所は 地域の生活費に基づいて 最低賃金を決められるが
企業は 色々差し引いて 最低賃金よりも 低い賃金を支払うことができる。
たとえば 異議申し立てや欠勤に対して 反則金を 賃金から 引くし、
賃金の支払い停止をすることも できる。
2005年に香港の周辺地域で 一ヶ月生活するのに 800元(約100ドル)必要だった。
(1元は 16円)。一方 平均的月収は 600-700元だった。
社員を拘束するために 雇用の最初の2-3ヶ月の賃金は 遅れて 支払われる。
労働契約は ないから 労働者は 苦情を申し立てられない。
職場を替えると 3ヶ月分の 賃金をなくすことになる。
中国建設省の見積もりに よると 2003年末までに 220億ドルの賃金が
支払われなかった。
社員を拘束する手段として もっとも 好まれるのは 旧正月の前に
賃金を 支払わないということである。そうすれば 新年にまた社員は
戻って来る。
「奇跡の経済成長の犠牲者」第4部
下記サイトから:
http://www.manager-magazin.de/unternehmen/artikel/0,2828,470389-4,00.html
  


Posted by jtw at 11:54Comments(0)

2007年06月17日

チベットへの役に立たない援助/中国政府からの

中国は大金をチベット開発援助に投じているが 援助プロジェクトは
地元の人を傷つけることが 多い。
監視の公式付添い人なしで 西側の人が チベットを旅することは 
めったに できることではない。
この報告者は ドイツの開発援助組織の職員として 中国で働いていて、
チベット自治区の援助組織の代表者に 会うために 短期間 チベットを
旅した。
貧しい農民のために 町に家を建てるというプロジェクトによって
家は 建てられたが 農民は畑に留まりたいので 新しい家に誰も
住んでいない。
60-70年代にチベットは 人民解放軍の管理下にあり 徹底的に荒らされた
ので 今は侵食作用と氾濫に 見舞われている。中央政府は そのために
大規模な植林を決定した。しかし山には 植林されず その代わりに
農民や遊牧民がいる谷間の畑に 植林された。その方が簡単で 安くつく
からだ。
そういう植林地の一つへ行ったが、農民の誰も どんな木が植えられたか
知らなかった。農民は 畑を失い 植えられた木を引き抜くと罰せられると
いうことだけのことだった。
もう一つの 開発援助の失敗は 学校教育に見られた。
北京政府は多くの村に学校を建て 教師を送りこんだ。
しかし地元民は9年の義務教育の間 授業料を 支払わなければならない。
一月に約18ユーロ(1ユーロは160円)かかる。平均の年間収入は
60ユーロなので 大半の村人にとって これは 支払えそうにない。
1983年以来 この学校の生徒のうちで 中学校に合格した子は 
一人もいない。
国立の学校のある地域に 私立や 宗教立の 学校は許されないので
親も子も 国立へ 行くことに逆らえない。
プロジェクトの計画と実行において 地元のグループに 共同決定権は
ないから 金は かけても 効果は少ない。
こういう援助プロジェクトの代わりに 郡の行政は 職員に公用車を
増やしてやった方が いいのではないかと 報告者は 思った。
トヨタのジープと わずかなロシア製のトラックに 出会っただけだった。
車を増やしても 少なくとも 誰かを傷つけることは ないだろう。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2007/24/tibet-reportage?page=1
  


Posted by jtw at 17:17Comments(2)

2007年06月16日

住民登録証なければ権利なし@中国

中国の戸籍制度では 居住地に住民登録することになっている。
指定された居住地を離れた所に3ヶ月以上 滞在する人は 一時的
滞在許可を申請しなければ ならない。
労働契約 出身地の労働許可証 警察の品行証明書を 手に入れるには
交付手数料と賄賂が 要る。
それらを 揃えないと 一時的滞在許可証は でない。
出稼ぎ人の大半は そういう書類を もたないし、一時許可をもらう
金も ないので 大都市で 違法労働者として 働き続ける。
雇用主は 不安定な労働者の立場を 知っていて 大抵は 
労働契約を作成しない。
中国企業で 労働契約をするのは 20%以下だという 調査結果もある。
湖北省の Suizhou市で 134の企業を 調査したところ、
どの社も社員の労働契約を 提示できなかった。
ILOの設立メンバー国として 中国は 強制労働 児童労働 職場での
差別に反対している。しかし 実際していることは それとは 反対
である。出稼ぎ人は 権利を奪われている。
問題の解決には 国の労働組合連盟から 独立して活動する 自由な
労働組合を 認めることが 有効ではないかと ドイツの 中国専門家
Dirk Pleiter は 述べている。
「奇跡の経済成長」 第3部 下記サイトから:
http://www.manager-magazin.de/unternehmen/artikel/0,2828,470389-3,00.html
  


Posted by jtw at 17:13Comments(0)

2007年06月15日

「テキサスドイツ語」絶滅寸前

テキサス大学助教授 Hans Boas は2001年にドイツ語教師として同大学に
赴任した。Fredericksburg という町に 立ち寄った。町の名前は どう考えても
ドイツ語であり、「10月祭り」も あるし、ドイツレストランもあった。
食堂に入って der Hamburger を 食べていると 変わった発音のドイツ語が
聞こえてきた。それが テキサスドイツ語だった。
1840年代に テキサスの中央部にある Hill郡に 入植したドイツ人の子孫の
話す言葉だった。サンアントニオの北、州都オースティンの西にある。
ドイツ人の他に オーストリア人 スイス人 チェコ人も入植した。
昔はなかった物や アメリカ独自の ものを 表すのには ドイツ語と 英語を
混ぜて新語が 作られている。
飛行機は das Luftschiff (飛ぶ船)
スカンクは die Stinkkatze (臭い猫)
cowboyは ドイツにないから そのまま der Cowboy になる。
この話し言葉を 話す人で もっとも若いのは 47歳だが、彼は 例外中の
例外で 大半は 65歳を超えている。
ということは この言葉の死滅は 時間の問題であり、Boas先生は この
言葉を記録し、それを話す人々の生活の 記録を残すのに 時間よ止まって
くれと 念じながら 奮闘している。
第一次大戦のあと ドイツ語を話すことは 好まれなくなり、急激に話す人は
減った。最盛期には 11万人が話していた。
以上 The Daily Yomiuri 6月15日 掲載の APの記事から。
  


Posted by jtw at 13:31Comments(2)

2007年06月15日

バングラデッシュに超大雨・土砂崩れで死者130人

ベンガル湾からのモンスーンによる 地すべりで 400万都市チッタゴンを
中心に 多数の死者がでた。下記サイトに写真が10枚ほど 出ています。
http://www.stern.de/politik/panorama/591003.html?nv=sb

★貧しい国に 大災害が おきて よけい困ったことになります。
日本政府からバングラデッシュへの援助は 毎年 多いそうです。
日本からの 手紙は 書留にしないと 届きません。驚くことでないそうで
そういう国は 他にも 多いらしいです。
バングラデッシュから 和歌山へ 少なくても二人 留学生が 来ています。
極めて厳格なイスラム教の規則を 守って 和歌山でも 生活しないと
いけないらしく、それは 大変です。
たとえば 写真を写されては いけない
幼稚園児と 一緒にであっても 歌を歌っては いけないし、踊るのは
もってのほか、
日本語ができなくても 通訳は 異性に頼んでは いけない、
その他 シンドイくなる から もう近づかないように しているので
詳しい規則は 分からない。 
  


Posted by jtw at 09:27Comments(0)

2007年06月14日

医療費を払えないので病気になれない出稼ぎ人@中国

病院で出る食事は高価なので食べなかった。姪が食べ物を持って来てくれた。
2-3日後 薬をもらえなくなった。薬代を払えなかったから。
このように 出稼ぎ人は 登録外市民として 保健システムから 締め出されている。
上海での3年間の 調査によると 90%の出稼ぎ人は 健康保険に入っていないし、
極限の緊急時にしか 病院へ行かない。
医療費が高価なのと 健康保険制度の不備のため 大半の出稼ぎ人は 
自分で治すか 耐えるだけか しかない。
妊娠中の合併症によって死亡する女性の 2/3は 出稼ぎ人である。
都市の「定住者」と比べ 出稼ぎ人が死産する例は3倍になる。
労災事故の際の給付も 同じように悪い。誰も事故について 責任を持たない。
アムネスティの報告に よると、田舎から杭州へ出稼ぎに来た人は 
足の切り傷が 炎症をおこし 病院へ行った。
健康保険に入っていなかったので 医師は 次のどちらかを選ぶように言った。
治療費として1日12ドル(彼の一月の賃金以上)を払うか、脚を切断するか。
幸いキリスト教の支援組織が 別の病院に入院するお金を 
だしてくれたので 脚の切断を免れた。
「奇跡の経済成長の犠牲者第5話」
下記サイトから:
http://www.manager-magazin.de/unternehmen/artikel/0,2828,470389-5,00.html
  


Posted by jtw at 15:36Comments(0)

2007年06月13日

子どもの就労・発展途上国の子どもは子どもでいられない

世界中で2億5千万の子ども(5-17歳)が働いている。
下記サイトに 写真9枚、解説は 自動翻訳ソフトで 読んでみて ください。
ホンジュラスで 子どもも 農業に雇われる。
欧州でも アルバニアでは 建築・行商・繊維産業で 子どもが 働いている。
農業で働く 子どもは 被服産業:絨毯製造業で 働く子どもの 10倍である。
農業では 化学薬品や 保護装置のない刃物を 使うので 特に危ない。
ニカラグアでも ゴミの山で こどもは働く。
エジプトでは 200万の子どもが 働いている。防護服も足りないし、
安全規定も不十分なので 大きい事故が 絶えない。
インドには 児童労働禁止法が あるけれど、ほとんど 守られない。
アフガニスタンでは 子どもも 1日に14-16時間 絨毯を織る、ウールの
糸で 指を切るので 手は傷だらけだ。大人にも 辛い仕事を子ども も する。
http://www.dw-world.de/popups/popup_imagegalleryimage/0,,2584948_gid_2584911_lang_1_page_1,00.html
★和歌山の紡績工場も 昔 たいへん 危険で 髪の毛を 機械に巻き込まれて
亡くなった方も多かったと 聞きます。中学を出て すぐ 働いていたのです。
  


Posted by jtw at 14:14Comments(0)

2007年06月13日

見捨てられる出稼ぎ人の子ども@中国

2006年秋に 出稼ぎ人の子どもの通う 北京の私設学校を
役所は 閉鎖した。こういう学校の閉鎖によって 出稼ぎ人の
こども2千万人の 将来も危うくなる。
出稼ぎ人の子どもは 通常 公立の学校へ行けない。というのは
出稼ぎ人の大半は 公式には 都市の戸籍に登録されていないし、
授業料も払えないからである。
両親が北京に いても 子どもは 故郷の学校へ行くことが 期待
されている。
親が 自助努力によって 私設の学校を つくることがある。しかし 
北京で 最近もあったように 運動場や 緑地の最小面積などに 
ついての 条件を満たさないという理由で こういう学校は
地元の役所によって 閉鎖される。
役所が 出稼ぎ人の子どもの 学校を 閉鎖した後で 多くの
子どもは 門をよじ登って 椅子を 運び出した。別の場所で
勉強したいのだ。
出稼ぎ人の子どもは はずかしめられ、差別され、子どもの魂は
傷つく。社会を憎むようになる。子どもは 社会を脅かすことに
なるだろう。
多くの出稼ぎ人は 都市から妨害されるので、子どもを故郷に帰し
身内に養育を頼む。中国の田舎では 2300万の子どもが 親から
離れて生活している。
母親の80%は 出稼ぎに行って 何とか暮らしていて、子どもに
年に1-2回しか 会えない。12%の 母親は 1年か2年に一度
子どもに会える。
子どもの精神の発達・魂の発達にとって こういう状況の影響は
甚大である。
政府は 寄宿制学校の増設したり、親と子どもが ビデオで対話
できるようにしたり することを 提案しているが、これでは
家庭崩壊の埋め合わせは できないと アムネスティは言う。
多くの親は 正月にも 子どものいる家へ 帰れない。雇用者は
新年に賃金を渡さないので 労働者は 田舎へ帰る交通費もない。
「奇跡の経済成長の犠牲者」第6話。下記サイトから:
http://www.manager-magazin.de/unternehmen/artikel/0,2828,470389-6,00.html
  


Posted by jtw at 09:44Comments(0)