2012年03月26日
19世紀日本の写真集
マンハイムのDie Reiss-Engelhorndie 博物館は「桜の国へ}という題で
明治時代の日本の写真を展示している。6月3日まで。
アルブミン紙焼付けに手で彩色したもの。
写真集は
著者 Alfried Wieczorek, Claude W. Sui
書名 "Ins Land der Kirschblüte. Japanische Reisefotografien aus dem 19. Jahrhundert".
出版社 Kehrer Verlag
36 Euroユーロ ISBN 978-3-86828-269-6
下記サイトに写真13枚:
http://www.zeit.de/reisen/2012-03/fs-im-land-der-kirschbluete-2
明治時代の日本の写真を展示している。6月3日まで。
アルブミン紙焼付けに手で彩色したもの。
写真集は
著者 Alfried Wieczorek, Claude W. Sui
書名 "Ins Land der Kirschblüte. Japanische Reisefotografien aus dem 19. Jahrhundert".
出版社 Kehrer Verlag
36 Euroユーロ ISBN 978-3-86828-269-6
下記サイトに写真13枚:
http://www.zeit.de/reisen/2012-03/fs-im-land-der-kirschbluete-2
2012年03月08日
フラガール大森莉江in福島・ドイツメディアに
スパリゾートハワイアンズの大森モアナ莉江さんは
原発事故で古里を失った。古里・双葉町は退避地域にある。
しかし 温泉リゾートで1日に2回、34人のダンスチームで
踊ると 避難生活の悲しみや 故郷への苦しい思いを
忘れられる。
莉江は双葉で育った。自宅の2階から 原発の煙突が見えた。
9月に莉江は防護服に身を固め、自宅に戻った。フラチームの
キャプテンが莉江のために縫ってくれたバッグを ビニル袋に
入れて持ち帰った。
大震災の後、莉江はフラをも失ったと思った。避難所で生き
延びるのに 毎日、力を使い果たし、もう目標もなくなった
と思った。
修理のために スパリゾートハワイアンズは何ヶ月も
閉鎖しなければならなかった。
このリゾートは45年間、いわきの人々の希望だった。
莉江は子どもの頃にここへ遊びにきて、20歳の時に
フラガールになった。
今年2月初めに やっと舞台が再開した。ファンの一人
ワタナベ マタコさんも毎日 フラガールに会いに来てくれる。
大震災の前に莉江は フラガールになって、結婚して、二人の
子どものいる家庭をつくるという夢をもっていた。震災が起きて
からは 震災の前の生活に戻れたら どんなに良いだろうかと思う。
家族は いわきに 家を借りていて、莉江も一緒に住んでいる。
しかし そこは故郷ではない。空気が違う。
「できることなら 双葉に住みたい。また深呼吸できる
場所を見つけたい。」
夜 8時過ぎにフラは終わる。
目を閉じて フラの曲を聞いていると 本当に浜辺に波が
打ち寄せているように聞こえる。福島と言うのは「幸せな島」
という意味だった。
下記サイトから抜粋:(写真20枚と動画もあります)
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,816495,00.html
スパリゾートハワイアンズのサイトは:
http://www.hawaiians.co.jp/
★ブログ管理人の蛇足:
莉江さんがこのブログに辿りついてくれるとは、思いにくい
けれど、英語と違って ドイツ語の記事を フリー翻訳ソフ
トを使って 読む人も少ないだろうから カキコミました。

写真 by SACHI
原発事故で古里を失った。古里・双葉町は退避地域にある。
しかし 温泉リゾートで1日に2回、34人のダンスチームで
踊ると 避難生活の悲しみや 故郷への苦しい思いを
忘れられる。
莉江は双葉で育った。自宅の2階から 原発の煙突が見えた。
9月に莉江は防護服に身を固め、自宅に戻った。フラチームの
キャプテンが莉江のために縫ってくれたバッグを ビニル袋に
入れて持ち帰った。
大震災の後、莉江はフラをも失ったと思った。避難所で生き
延びるのに 毎日、力を使い果たし、もう目標もなくなった
と思った。
修理のために スパリゾートハワイアンズは何ヶ月も
閉鎖しなければならなかった。
このリゾートは45年間、いわきの人々の希望だった。
莉江は子どもの頃にここへ遊びにきて、20歳の時に
フラガールになった。
今年2月初めに やっと舞台が再開した。ファンの一人
ワタナベ マタコさんも毎日 フラガールに会いに来てくれる。
大震災の前に莉江は フラガールになって、結婚して、二人の
子どものいる家庭をつくるという夢をもっていた。震災が起きて
からは 震災の前の生活に戻れたら どんなに良いだろうかと思う。
家族は いわきに 家を借りていて、莉江も一緒に住んでいる。
しかし そこは故郷ではない。空気が違う。
「できることなら 双葉に住みたい。また深呼吸できる
場所を見つけたい。」
夜 8時過ぎにフラは終わる。
目を閉じて フラの曲を聞いていると 本当に浜辺に波が
打ち寄せているように聞こえる。福島と言うのは「幸せな島」
という意味だった。
下記サイトから抜粋:(写真20枚と動画もあります)
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,816495,00.html
スパリゾートハワイアンズのサイトは:
http://www.hawaiians.co.jp/
★ブログ管理人の蛇足:
莉江さんがこのブログに辿りついてくれるとは、思いにくい
けれど、英語と違って ドイツ語の記事を フリー翻訳ソフ
トを使って 読む人も少ないだろうから カキコミました。

写真 by SACHI
タグ :原発事故
2012年03月03日
ドイツのユースホステル
ユースホステルとは 安い宿です。日本のユースホステル
(以下 YHと書きます)については 近くの民宿さんが YHの
看板もあげておられるので ああいうものだと理解しています。
そこのアルジに尋ねましたら 日本のYHには 日本ユース
ホステル協会 直営のと 地方自治体の運営するのと 民営の
とが あるようです。民営も 安い料金ですから とても建物の
改修費まで 稼げないように思います。日本ユースホステル
協会の会計も 苦しいらしいし、地方自治体の財政がシンドイ
から 公営のYHも苦しいでしょう。
下記の記事によると ドイツのYHは 安定した経営を続け
ているようです。下記サイトを開いて ドイツのYHの写真だけ
でも 見て下さい。立派なものです:
http://www.dw.de/dw/article/0,,1982810,00.html
藁の袋に寝た時代から 百年以上たち 家族旅行の宿泊の場に。
教師 Richard Schirrmann はクラスの子どもを連れて
8日間の徒歩旅行をした時に 農家に泊めてもらったり、無人の
村の小学校に泊まったりした。そこでYHを作ろうと思いついた。
その数年後、1912年にザウアーラントのAltena城に最初のYHが
作られた。
1913年には 301の村や町にYHが作られていた。
1914年には 535にもなった。
今、ドイツに536のYHがある。
1980年代までは YHというと「クラス旅行」のためのものだったが、
その後 家族旅行の宿泊も増えた。今は 諸団体のセミナーに
も使われている。
ドイツのYHの年間 宿泊者数は1000万人を超える。朝食付き
20~30ユーロという安さが 最大の魅力である。ドイツYH協会が
公益のために運営しているので この料金になっている。
2011年に ドイツYH協会の会員は 200万人以上いる。
ここ数年、ドイツのYHは 外国からの宿泊者を増やそうと努力
している。職員は 客にフランス語や英語で挨拶できるように
訓練を受けている。
(以下 YHと書きます)については 近くの民宿さんが YHの
看板もあげておられるので ああいうものだと理解しています。
そこのアルジに尋ねましたら 日本のYHには 日本ユース
ホステル協会 直営のと 地方自治体の運営するのと 民営の
とが あるようです。民営も 安い料金ですから とても建物の
改修費まで 稼げないように思います。日本ユースホステル
協会の会計も 苦しいらしいし、地方自治体の財政がシンドイ
から 公営のYHも苦しいでしょう。
下記の記事によると ドイツのYHは 安定した経営を続け
ているようです。下記サイトを開いて ドイツのYHの写真だけ
でも 見て下さい。立派なものです:
http://www.dw.de/dw/article/0,,1982810,00.html
藁の袋に寝た時代から 百年以上たち 家族旅行の宿泊の場に。
教師 Richard Schirrmann はクラスの子どもを連れて
8日間の徒歩旅行をした時に 農家に泊めてもらったり、無人の
村の小学校に泊まったりした。そこでYHを作ろうと思いついた。
その数年後、1912年にザウアーラントのAltena城に最初のYHが
作られた。
1913年には 301の村や町にYHが作られていた。
1914年には 535にもなった。
今、ドイツに536のYHがある。
1980年代までは YHというと「クラス旅行」のためのものだったが、
その後 家族旅行の宿泊も増えた。今は 諸団体のセミナーに
も使われている。
ドイツのYHの年間 宿泊者数は1000万人を超える。朝食付き
20~30ユーロという安さが 最大の魅力である。ドイツYH協会が
公益のために運営しているので この料金になっている。
2011年に ドイツYH協会の会員は 200万人以上いる。
ここ数年、ドイツのYHは 外国からの宿泊者を増やそうと努力
している。職員は 客にフランス語や英語で挨拶できるように
訓練を受けている。
Posted by jtw at
11:30
│Comments(0)
2012年03月02日
おかしな掲示・写真14枚
世界各国、いろいろなコトバで書かれた おかしな掲示が
下記サイトで見られます。
ドイツ語訳は 写真の下にあります。無料の翻訳ソフトを
使えば 変な日本語が 出てきて、楽しめます。
http://www.sueddeutsche.de/reise/reisefotos-skurrile-schilder-grrr-bell-wuff-1.1068044
下記サイトで見られます。
ドイツ語訳は 写真の下にあります。無料の翻訳ソフトを
使えば 変な日本語が 出てきて、楽しめます。
http://www.sueddeutsche.de/reise/reisefotos-skurrile-schilder-grrr-bell-wuff-1.1068044