2010年06月30日

65年後の再会inベルリン/ナチスに引き裂かれて

イレーネ(83歳)とマックス(84歳)は ベルリンで 
1943年、戦争中の夏に 16歳と17歳のときに知り合った。
しかしマックスはユダヤ人だから 服にユダヤ人だと
言うことを示す★を付けなければならなかった。
警官が通りかかると 星の印が見えないように 
イレーネはマックスの前に立った。
とうとうマックスは強制労働に連れ去られ、二人の
幸せは終わった。マックスはごみ分別の作業を
させられ、イレーネにも 他の友達にも会えなくなった。

二人は生き延び、イレーネは事務員になり、マックスは
金細工師になった。二人は 別の人と結婚した。
イレーネは2人、マックスは3人の息子がいる。
二人は お互いの所在を知らないままに ベルリンの 
あまり離れていない場所で 暮らしていた。
何十年も過ぎ、二人はパートナーを失っていた。そして 
2年前にイタリアレストランで 偶然 出会った。
数週間後に 同居し始めた。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/news/2010/06/29/liebe-nach-65-jahren/gefunden-irene-max.html
  


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2010年06月29日

ドイツ「農家の女性カレンダー」2011年版10月に発売

農家の女性が 布を節約した衣類を身につけ、
牧場・畑・川を背景に撮した写真を使った
カレンダーが 毎年 発売される。
来年のカレンダーの撮影が 終わった。
動画と写真は 下記サイトに:
http://www.bild.de/BILD/lifestyle/reise/2010/06/bauern-kalender-2011/making-of-land-leben-lust-sexy-shooting.html  


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2010年06月28日

母親がアル中になると

父親や母親のアルコール依存症は 本人だけでなく、
家族全員を苦しめる。
心理学者 Michael Klein教授は アル中の親の子が 
どのような心的外傷につながる経験をするかを述べる。
アル中の親をもつ子の約1/3は 将来 アルコールか
薬物の依存症になる。さらに1/3は精神的障害 すなわち
鬱、不安障害、強迫障害になる。残り1/3は 子ども
時代の苦労を乗り越え、無事に生きる。

アル中の親の子が経験すること:
1. 子どもを怯えさせる 個々の出来事: 親の失業。
酔っ払って事故を起こすこと。親が暴力的になること。
など。
2. もっと重大なのは 依存症が 家族の雰囲気に
長期に影響を与えることだ。アルコールや薬物の影響を
受けて 親の言動が 突然変わった場合、子どもは 
うまく処理できない。

アル中の親の子は 早くに自立する。親が 手に負え
ないで 放り出した 家庭での責任を 子が引き
受けるのだ。
12歳の娘が 家事全般をする例もある。
子どもが 酔っ払った親をベッドに連れて行ったり
、母親を 近所の人の目に触れないようにしたり 
する。こういうことは 子どもを長期的に 傷つける。
親がアル中の家庭の1/3には 精神的暴力がある。
ドイツの児童支援法は 精神的に健康な親を 中心に
考えているので 家庭で傷ついた子を 家庭から 
離すのに 時間がかかり過ぎることがある。
実際は 多くの親は 自分について重い問題を抱えて
いて、子どもまで 考えが及ばない。

身体的暴力は 分かりやすいが 精神的虐待は過小
評価される。
たとえば 母親が酔っ払って「産みたくなかった。
お前のお陰で人生はめちゃめちゃになりそうだ。
おろせば よかった」と言うと 子どもには 
トラウマになる。

社会は アル中の家庭を支える努力をすべきだが、
子どもの幸せにとっては 子どもを家庭から離した
方が良い場合がある。

アル中の親の子の問題を 誰が面倒みるかは 
大きな問題だ。
青少年局は 問題家庭の面倒をみるが、親のアルコール
依存は しばしば隠れている。保育所や小学校に 
早期警告システムや予防システムはない。
この分野で奮闘する個々の人々は あまり支援を
受けられない。

毎年アル中の人の10%は支援提供サービスにたどり着く。
その子どもの10%が治療を受ける。ということは、
アル中家族の100人の子どものうち たった一人しか 
依存症支援システムに発見されない。これは劇的に酷い。

アル中の親の子のためのプログラムがあり、ドイツで
80~100のグループが活動している。これらは 
資金不足に悩んでいる。

ドイツ連邦保健省は アル中の親の子のための予防
プログラムを開発している。その実施が望まれている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wissen/mensch/kinder-von-alkoholikern-wenn-mami-zu-viel-trinkt-612573.html  


Posted by jtw at 20:50Comments(0)

2010年06月27日

ボパール・ガス漏れ大惨事から25年

2010年7月7日発:
インドのボパール市の ユニオンカーバイド社の
元役員8人が有罪の判決をうけた。事件から25年以上
経って 初めての判決だった。
事故で 数万人が死に、今も少なくても十万人が
後遺症に苦しんでいる。
1984年12月30日に当時 殺虫剤を製造していた同社の
工場で 約40トンのメチルイソシアナート(MIC)が
漏れた。事故 発生後、72時間以内に1万人までの
死者がでた。
当時の社長 Warren Anderson をアメリカから
引渡しを受けるために インド政府は 骨折った。
歴史上、最悪の工場惨事だった。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/bhopal-katastrophe-union-carbide-manager-nach-25-jahren-verurteilt-1572075.html  


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2010年06月26日

ニジェール河三角州の忘れられた原油汚染

ナイジェリアの土地と海岸の汚染。
メキシコ湾で人々は今、原油による海の汚染を 
途方にくれて 眺めている。
ニジェール河三角州で、このようなことは 長年、
普通になっている。そこでは 膨大な量の原油が 
毎年 パイプラインから滲みでている。業者も政治も 
その責任を取らない。

ニジェール河三角州には 120以上のガス焼却煙突がある。
大半の煙突はシェル石油の所有だ。原油が採掘される
時に 出るガスが焼却される。
他の国では 余分なガスを焼却処分することは禁止
されている。温室効果を引き起こし、発がん性の
ある重金属が放出されるからだ。
ガスの焼却による汚染の他に 水面には 原油の
膜が張り 鳥は死に 魚は居なくなった。
パイプラインから漏れた原油は 畑に入り、
固まりになる。作物は枯れる。

ニジェール河三角州を6000キロのパイプラインが
横断する。パイプラインの一部は老朽化していて、
漏れたり 盗みのために穴が開けられたりする
。週に平均5回は 大量の漏れがある。

MENDという反乱運動組織が 外国人追放を主張し
 破壊活動により 解放運動を続けている。
石油採掘が ナイジェリアで始まってから 6000億
ドルの利益があったと言われている。アメリカ人 
Peter Maassは これについて本を書いた。
政府は シェル・ナイジェリアに50%資本参加
している。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/oelpest370.html  


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2010年06月25日

癌を予防するにはファーストフードでなく新鮮な果物を

下記サイトに写真12.
http://www.stern.de/ernaehrung/tipps/krebs-vorbeugen-frisches-obst-statt-fast-food-615840.html

写真1. ほっそりしていた方がいいけれど、低体重は
良くない。BMIは21~23がいい。ある種の癌は過体重の
人が罹りやすい。
2.飲み物のカロリーに気をつける。砂糖の入っている
飲み物を避ける。1日に1.5リットルの液体を飲む。
3. 1日に30グラムの消化しにくい繊維質を含んだ
ものを食べる。
  全粒のパン・ヌードル、玄米を食べる。
4. ファーストフードは砂糖や油脂を多く含み、
いくつかの癌を引き起こす危険がある。
5. 野菜と果物を多く食べる。1日に約650グラムを
5回に分けて食べる。できるだけ地元の産品で 
その季節のものを洗ってから食べる。
6.ビタミン剤など、栄養補完・人造物は できるだけ
飲まない。
7. 週に500グラムの肉を食べる。たとえば2回の
食事に分けて食べる。牛や豚でなく、鳥肉を食べる。
ソーセージやハム、塩漬け肉、燻製肉は 
あまり食べない。
8. 低温で できるだけ短時間で 加熱し、水や
油を少なく使って加熱する。焼くよりも 茹でた
方がいい。
煙の出るほどに、油を加熱しない。焦げた部分は
食べない。
9. アルコールはできるだけ少なくする。男は1日に
グラス2杯まで、女は1杯まで。アルコールを減らせば
動脈硬化を防げる。
10. 塩を減らす。塩の多い食品、ハムやソーセージは 
あまり食べない。
11. カビのはえた食べ物は捨てる。カビにある毒は
肝臓癌を引き起こすことがある。
12. 果物の 茶色になってブヨブヨした部分には 
毒がある。その部分だけ切って 食べたりしないで 
全部、捨てる。
  


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2010年06月24日

トヨタ・レクサスのテストドライバー・ドイツで正面衝突死

2010年6月23日 ドイツ発:
トヨタのレクサス試作車が ラインラント-プファルツ州
Boosの近くのB410街道で正面衝突し、日本人テスト
ドライバー(67歳)が死亡した。
もう一台の事故車のテストドライバー(33歳)は重傷を
負った。その車の助手席にいたドライバー(34歳)は
致命的な傷を負った。
死んだ人は トヨタの主席テストドライバーである。
彼の乗っていた車は 150万ユーロと評価されている。
死んだ人は ゆるい左カーブで 対向車線に入り、
対向車BMWと正面衝突した。
写真3枚あり。
下記サイトから:
http://www.welt.de/vermischtes/weltgeschehen/article8158306/Japanischer-Lexus-Testfahrer-bei-Unfall-getoetet.html

ブログ管理人の蛇足:
記事の初めの方では 2台のレクサスが衝突したような
書き方をしているように思えるけれど、最後の方では 
BMWと衝突したことになっていて よく分からない。  


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2010年06月23日

キリスト受難劇inオーバーアマガウ・10年に一度の商売

ドイツのOberammergauで ほぼ400年の間、10年毎に
受難劇が演じられている。今年はその年にあたり、
世界中から観光客がお金をもって来てくれる。
1633年の誓いを守り、約2000人の村人は2010年5月15日に
第41回公演の初日を迎えた。公演は10月まで続く。
観光客はキリストの像を買い、村に宿泊する。
入場券は30万枚発行され、その大半は2~3泊の宿泊と
組み合わせて200~800ユーロで売られる。
前回の2000年公演では 約2500万ユーロの収入が
村に入った。
今年の2月で 入場券の返却率は約5%であり、経済
危機の影響が見られる。
重要なアメリカ市場を開拓するため、キリストと
マリアを演じる人をアメリカにプロモーション・
ツアに送り出した。
資金不足のため、スペイン語の公演台本の出版は
見送られた。
スカンジナビア諸国からの客が増えることに期待している。

若い人の中に「受難」「キリスト受難劇」を知らない
人もふえた。宗教の衰退を評価するのは 難しい。

受難劇の準備に2000万ユーロが投資された。50万人の
客があれば、経費を引いて 約2300万ユーロの純益が
見込まれている。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,5411369,00.html  


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2010年06月23日

「モーニングコーヒー」blogさま

いこらブログに御坊の方が「モーニングコーヒー」という
ブログを 書いてくれていました。
いい写真をとる方でした。私も 御坊と縁が深いので
週に一度は 見るのを楽しみにしてました。
昨日 行ってみたら そのブログは消えてました。
このブログよりも モーニングコーヒーさんへの
アクセスの方が 常に 多かったのに。  


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2010年06月22日

美人・性転換者を警官が「ミスター・・」と呼んだため...

下記サイトの写真を見て分かるように 85Dカップの
美容師Aylinさんは 美人なのに 書類上はまだ 男だ。
http://www.bild.de/BILD/news/2010/06/22/transsexuelle-friseurin/polizist-nennt-sie-herr-mit-titten.html

彼女を「ヘア...」(英語で言うミスターにあたる)と
何度も呼んだ警官に 彼女が言ったことが 侮辱だと
いうことで ケルンの法廷に彼女は引き出された。
彼女は 交通担当の警官に免許証を見せたところ、
警官は彼女を「ミスターAylin]と呼んだ。
「フラウAylin]と呼んでほしいと説明しても 警官は
聞き入れなかった。
そこで 彼女は上着の前を広げ「見えないのか?
これでもか!」と反撃した。それを聞いた 別の警官は
「人造のおっぱいを つけただけのようだ」と言うた。
それに キレた彼女は「ろくでなし~」(ホントは
もっとキツイ言葉)と叫んだため 法廷に引き出され
ることになった。
   


Posted by jtw at 08:54Comments(0)

2010年06月21日

性少数派パレードinベルリン。クリストファ通り記念日

写真8枚。
写真1. CSD Christopher Street Day は性少数派
の記念日。6~7月の週末に 多くの町でパレードがある。
今年は ブブゼラを吹く人もいた。
標語は「違っていても いいものだ」。
ゲイ、レズビアン、両性愛、性転換者が 法的平等を
求めて参加する。
2. CSDパレードは 1969年に ニューヨークの
クリストファ通りで性少数派への警察の手入れが 
あった日を記念して行われる。
3. 同性愛者は つねに 暴力や 仲間はずれを 
経験するわけではない ことを 人々に 分かって
もらいたい。
4. 今年の ベルリンでのパレードに 約50万人の
参加が見込まれている。
5. ベルリン市長 Klaus Wowereit も参加した。
6. 6月19日(土)にも ゲイのカップルが ベルリン
でナイフで襲われた。
7. 緑の党のRenate Kuenast もベルリンの目抜き通り 
クーダムで 参加者と一緒に 写真に おさまった。
8. 虹色は 性少数派のシンボル。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/christopher-street-day-schrille-parade-durch-berlin-1575337.html  


Posted by jtw at 15:39Comments(0)

2010年06月20日

路上文学賞・星野智幸

日本経済新聞2010年6月20日 文化欄の記事から抜粋。
記事は 買って読んでください。

ほしの ともゆき さんは 作家。
写真家 高松英昭さんに 頼まれて 表題の
選考委員になった。
応募資格は「路上生活者であること」。
路上から作家を発掘すると言うもくろみではなく、
ホームレスの人たちに文章を書いてもらい 読む人も
書く人も盛り上がろうという趣旨である。
高松さんの写真集「STREET PEOPLE」の印税を 
路上生活者と楽しむことに使ってしまおうという話に 
なって この賞はできた。

賞を実際に運営し、路上の人々に呼びかけてくれたのは
「ビッグイシュー基金」。ビッグイシューとは 
ホームレス支援の雑誌。

関心のある人は 路上でビッグイシューを売っている
人に尋ねてみててください、運をよければ、全作品を
収録した小冊子を持ち合わせているので。

記事の中に紹介された 一句:

さくら ちり
さつき みるまで
いき あるか

★ JR和歌山駅でビッグイシューは売られているのか 
どうか?
ついに 駅のバス停から プラットホームまで 歩く
うちに 腰砕けするようになり もう電車に乗ることも 
ほとんど無くなった。  


Posted by jtw at 15:05Comments(0)

2010年06月20日

ドイツの助産師「ヘーバメ」

日本経済新聞2010年6月20日社会面の記事。
5段 幅17センチ。

見出し:「ヘバメ」、妊婦の先生役。
産後指導も活躍。出産の素晴らしさ 伝える。

die Hebamme 助産婦。
発音は 「ヘープ・アンメ」と「ヘーバメ」の2種。

昔の独和言林から: 古高地ドイツ語 hevianna、
die Hebende 取り上げ婆さん、これを Amme(乳母)に
かけて できた。heben は「あげる、(子どもを)
とりあげる」

以下 記事の抜粋:
記事は買って読んでください。

ヘーバメは 職業訓練学校で3年間、計4600時間の理論と
実技の研修を受けた専門家。妊婦と社会から 厚い信頼を
得ている。
費用は保険で全額をまかなわれる。

16600人いるヘーバメは 病院勤務者と 妊婦と直接契約
する自営とに分かれる。
(フランクフルトの下田英一郎 記者による記事)

  


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2010年06月19日

世界最小の車・Peel 50

Peel社は英国マン島の工場で Peel 50と 三輪車
Peel Tridentを製作した。
これに乗って 肉体的・精神的障害なしに 1キロも
走れないと言われる ほどに 車内は狭く、騒々しく、
暑い。
見本は販売されないので 価格はないが、約13300
ユーロで どうかいなと言う提案はある。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/auto/2010/06/19/peel-p50-peel-trident/die-kleinsten-autos-der-welt-a__b.html  


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2010年06月18日

鮭養殖場の鮭の糞便と騒音は海の生物にとって脅威になっている

ゲッティンゲンのMax-Planck研究所の学者によると 
養殖場のサケによる海水汚染と モーターの騒音と 
養殖場の網が 多くの海の生物のとって害になっている。
チリは世界で もっとも重要なサケ養殖国の一つだ。
サケを網の中に押し込んで飼うことにより 海水は汚れる。
サケはひしめいて生きているので 薬と殺虫剤が投入
される。その他にサケの排泄物と 余分に与えられる
餌が 水を汚す。

この学者たちは パタゴニアの海域で 鯨の音による
コミュニケーションについて調査していた。その際に 
偶然、サケ養殖による環境への影響を考えることになった。

アシカが養殖場の網に ひっかかって死ぬのは 目に
見える影響だ。目に見えない影響に 騒音がある。
養殖場の船のモーターの騒音と 餌をやる機械の発電機の
だす騒音は 鯨の音によるコミュニケーションを
混乱させ、鯨を追い払う。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/weltall/Fischfarmen-bedrohen-Umwelt-article927269.html

  


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2010年06月17日

同性愛結婚・ポルトガルで初めて

2010年6月7日発:
カトリックの強い国で5月18日に同性愛結婚が認められ 
その後、3週間ほどして 初めてレズビアン同士の
結婚が届けられた。
33歳のテレサと40歳のヘレナは 8年前からカップル
だった。
二人とも以前には 男と結婚していて テレサは
10歳の娘、ヘレナは16歳の娘がいる。今は娘たちも
一緒に4人で暮らしている。
二人は2006年にも 結婚届を出そうとしたが 
裁判所に拒否された。
大統領は同性結婚を認める法律に署名したが、そう
いう結婚に心から賛成しているわけでないと言うた。
ポルトガルで1992年までは 同性愛であることは 
刑法上の罪だった。
同性の結婚に反対する人々は約9万の署名を集めた。
ローマ教皇ベネディクト16世は 先日 ポルトガル
を訪問した時に同性結婚を非難した。

スペインでは 2005年から 同性愛カップルは 
子どもと養子として迎えることができる。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Erste-Homo-Ehe-in-Portugal-article909301.html
   


Posted by jtw at 20:41Comments(0)

2010年06月16日

女子刑務所内「母子施設」inフランクフルト・塀の中の母の愛

ドイツの受刑女性の半分以上は子持ちだ。女子受刑者は
刑務所の中の母子施設で子どもと一緒に過ごすことが
できる。所内 母子施設で最古のはフランクフルトにある。
母子施設の所長は Klaus Hermes(51歳)。
母と子の分離を できるだけ避けるために このような
施設はある。母子施設を利用できるのは 刑期中に
3歳にならない子だ。
刑務所外の刑の執行の段階では 就学前の子どもが 
この施設を利用できる。
所長は 青少年局と密接に連絡をとる。
母親が薬物依存症である場合、終身刑である場合、
精神病の場合などは 里親委託が考慮される。

マルティナ(27歳)は未決勾留の間に息子 Damianを
生んだ。その後、刑務所に入り 母子施設を利用した。
彼女は殺人未遂で 9年の刑を受けた。子どもは 
生まれてから ずっと 独房で母と一緒にいる。
子どもが外界を知ることが できるように 母子施設
では 子どもを専門に扱う職員がいる。職員は 子ども
を買い物に連れていったり、一緒に お出かけしたり
する。
マルティナが 刑務所外の刑の執行になった時には 
息子は 自分の乗る地下鉄も 幼稚園も 指し示す
ことができた。
息子の世話をしたのは 職員のBeatrix Deinhard さん。
最大の問題は 子どもが大きくなることであり、そして 
子どもが経験したことと 母親が逸したことの間の
空白が 段々、大きくなることである、
とBeatrixは言う。

母子施設の中で 母子が一緒に歌い、工作をして、
運動もするのは子どもの発達を促進する。母親が 
職員との間に良い人間関係をつくっている場合に、
子どもは刑務所内でも まったく普通に発達する、
とBeatrixは言う。

半年前から Martinaは刑務所外で 何時間か 過ご
せるようになった。3年後に 早期出所することを
彼女は望んでいる。
最近、息子は Martinaに尋ねた:「お母さんは悪い
ことをしたから 今、刑務所にいる。僕も 悪いことを 
したの?」
こういう質問をされる度に 彼女は良心の呵責に苦しむ。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,5660406,00.html


日本の女子刑務所に 母子施設があるのか どうか
知らない。女子刑務所のある地域では 受刑者が
刑期の間に生んだ子どもは 乳児院に 入れられる。
そして2年後に 児童養護施設に入る。
里親に引き取られる 子どもは 大変 少ない。  


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2010年06月15日

AA・アルコール依存症者匿名会・75周年(下)

◎フリードリッヒ(69歳)の半生記
13歳で 十分に酔っ払っていた。うちでは子どもたちの
誕生日プレゼントはリキュールだった。
酒蔵でアルバイトしたから、いつも酒と縁があった。
寝る前に飲み、朝 起きては飲み、ただ 美味しい
から飲んだ。
大人になって 自営業をしていたが 常に赤字だった。
主の私が仕事を把握していないのだから 従業員が 
まともに働く はずもなかった。従業員には 前日に
言ったことと同じことを また言ったりしていた。

最初の妻は「私の目にはアル中にみえる」と言った。
私は妻に 明日やめる、来月やめる、クリスマスに
やめる などと いつも言っていた。
3日間、居酒屋を巡って、家に帰ってきたが、どこに
居たのか思い出せなかった。
朝、窓から外を見て 自分の車があると ほっとした。
車を探して村じゅうを回ることもあった。どうやって
家に帰ったか 覚えていないこともあった。
外見にも 構わなくなった。歯は欠け、髪は伸び放題で 
ヨレヨレの服を着ていた。

1981年に 妻は二人の子を連れて 出て行った。
子どもは2歳と3歳だった。私は41歳だった。医者は 
酒をやめないと 後、半年の命だと言った。肝機能の
数値は 破滅的に高かった。
商売も破産 寸前だった。
妻を失ったことが 私の人生を救ってくれた。
商売していたから 入院するわけにいかず、AAに通った
。最初の頃は やたらに 集会に行った。色々な地域の
AAの集会に 11日間 続けて行ったりした。1982年に 
酒は やまった。
それから 商売は上向き、黒字になった。

二番目の妻は シラフの私しか知らない。
朝おきて もう飲む必要もないし、飲みたくもない。
これは有り難いことだ。破産の心配もないし、ご同輩を
失う気遣いもない。頭も冴えている。

昔はリキュールなど甘い酒が 好きだった。今は
クロワッサン、クッキー、アイスクリームが好きだ。
下記サイトから:http://www.sueddeutsche.de/leben/jahre-anonyme-alkoholiker-endlich-leben-1.955989-2

  


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2010年06月14日

AA アルコール依存症者匿名会・創立75年(上)

アルコールを飲む危険は しばしば評価されていない。
ドイツ依存問題センターに調査によると ドイツでの
35~65歳の死亡例の1/5は酒に原因がある。

下記の二人のアル中患者は 仕事をこなしていても、
家族と自分に偽りを言っていた。数十年、酒が二人の
日常を支配してきた。今、シラフでいられると言う
エルンストとフリードリッヒは AAにつながって 
生きる道を見つけた。

◎エルンスト(52歳)の体験談:
家族は皆、酒飲み だった。母はアルコール依存症だった。
3歳のときビアガーデンで飲んだ。飲ませておけば、
静かにしていたから。ストレスがあったり、混乱した
時には 飲んだ。小学校でも 何か引き起こしたら、
飲んだ。母親は「ちょっと飲め」と私に言った。
12歳の時には1日にグラス2杯ビールを飲んだ。
大人になって 朝10時に飲み始めた。

朝、職場へ行く途中で ガソリンスタンドで ビールか
発泡ワインを買った。(ドイツでは ガソリンと酒を
一緒に売る??)

長い間、色々とウソを言ってきた。

子供を連れて遠出するときも 飲める食堂を通り
かかるようにしていた。ともかく 年中、放心状態で
あって 酒のことを 常に考えていた。

人は飲むと 孤独になる。他人が引いてしまうから
ではなく、自分に耐えられなくなるから 孤独になる。
昔は 鏡に映る むくんだ顔、赤い目を見るのは
辛かった。今よりも17キロ 太っていた。
朝、歯を磨こうとしたら 吐き気がしたものだった。
ある時、友達が「飲みすぎでないか」と言うてくれた。
しかし私は不機嫌になっただけだった。依存症だとは
認めたくなかった。
妻も私に不信感をもっていたが、私が依存症だとは
 思っていなかった。アルコール依存は家族全員が 
かかるものだから。

そのうちに 医者が 私の肝機能の数値が えらい
ことだと言うたので、しぶしぶ酒を止めることにした。
自助グループに行ってみた。それが救いになった。
初めて 自助会に行った帰り道に ガソリンスタンドを
通りかかったが、飲まなかった。
禁断症状で1週間ほど辛かった。自助会の人たちの
助言を求めた。たとえば水を飲んで 耐えたりした。
自助グループで「エルンストです。アル中です」と
言えるようになるのに半年かかった。

もう13年、酒を飲んでいない。制約を受けている
という気持ちでもない。食堂へもビアガーデンへも
行ける。ミネラルウォーターを飲めば それで 
いい気分になれる。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/jahre-anonyme-alkoholiker-endlich-leben-1.955989  


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2010年06月13日

カメルーン独立50周年

2010年5月17日発:
首都ヤウンデで2010年5月18日、19日に「アフリカ21会議。
アフリカの新しい課題」が開かれる。
1960年1月1日にカメルーンは アフリカの植民地では 
初めて独立した。この年は「アフリカの年」と呼ばれ、
数十年の間の欧州支配から この年の末までに 他に
16カ国が独立した。
ガーナのKofi Annan(2006年までの国連事務総長)も
会議に参加する。アナンは今「アフリカでの緑の
革命のための連合」の議長だ。

農業において、 原油・金・ダイヤなどの豊かな
自然資源において、アフリカは 多くを生み出せるか
を この会議は検討する。その際に問題になるのは 
アフリカの新しい起業家世代であり、アフリカが
世界市場で果たす役割である。
その他に議論される問題は:
1. アフリカへの資金援助を承認する際に 問題に
なるのは 行政が機能しているか どうか。
2. 治安について。 武力衝突だけでなく、食料不足・
保健システムの不足・それに伴なう移民の問題がある。

50年前に 独立を祝った幸福感は 今はない。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,5581552,00.html  


Posted by jtw at 13:22Comments(0)