2007年10月31日

公海での海賊行為増加

2007年1-9月の間の 世界中の海賊行為は 
去年と比べ 14%増えた。国際商工会議所の専門部・
国際海事局IMBの報告による。
去年は 174件、今年は 198件の襲撃が あった。
襲われた船のうち 15隻が乗っ取られ 63人の船員が
人質に取られ 3人が殺された。
インドネシア海域が もっとも危ない。そこでは1-9月の間に
37件の海賊の襲撃が あった。
ソマリアとナイジェリアの沿岸での襲撃は 増え、
深刻な事態である。IMBは 海運会社に その沿岸を 
できるだけ 避けるよう 呼びかけている。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/866586.html
  


Posted by jtw at 16:28Comments(0)

2007年10月30日

孤児売買事件についてサルコジ大統領は援助団体を非難

100人以上の子どもを チャドからフランスへ輸送しようと
したことに ついて 大統領はフランスの援助団体を 
違法で受け入れられないと 非難した。
Arche de Zoe という団体は スーダンの危機的な
地域 ダルフールから 隣国チャドを 経由して 1歳から
9歳までの子どもを空輸しようとした。子供達はベルギーと
フランスの受け入れ家庭へ行くはずだった。
フランス外務省でこの事件への対応を指揮するRama 
Yadeによると この団体は 「狂信者の群れ」である。
フランス政府が この団体の活動を支援しているという 
噂を 政府は 否定した。
事件にからんで チャドで25日に17人が 逮捕された。
この団体は 2004年にアジアの大津波災害の後に 
設立された。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2850977,00.html
  


Posted by jtw at 15:02Comments(0)

2007年10月29日

地雷を篩(フルイ)にかける@アンゴラ

MgM(地雷に立ち向かう人間)財団の創設者は 
アフリカで地雷除去の独自の方法を 開発した。
Hendrik Ehlerが 15年まえに アンゴラに来た時 
女性は泉に水を汲みに行く勇気は なかった。子どもは
学校へ行けなかった。農民は 畑を耕すことも 
できなかった。
たしかに 30年の内戦は 終わっていたが 
地雷は数百万個残っていた。地雷は 道や畑に 
土をかけられていた。一部は おもちゃや 
水筒として偽装されて放置されていた。

Ehlerと 友人Hans-Georg Kruessenが この財団を作った。
資金はドイツ政府から得た。
「草木切り機械を付けた装甲車」が最初の道具だった。
「道路削り機械」も有用だった。
これらの道具によって 2年間に175キロの道路の地雷を
除去するという 大きな成果をあげた。そのお陰で 
6万人の難民が 家へ帰れた。
今では 全部で6000キロの道路から地雷を除去した。
重建設機械が道の地雷を 除去した結果、約300万人の
難民と戦争被害者がお陰で 家に帰れた。道路の
アスファルトの 表面を削り取り その跡を 犬が 
地雷の臭いを かいで歩いた。

この他に Ehlerと そのグループは 独自の除去方法を
開発した。それは 土をフルイにかける方法で 世界的に
注目されている。
大きい回転槽をブルドーザーかトラクターに くっつけた
ような物である。七つの円筒が地雷の入った土を 取り込み 
フルイにかける。地雷は円筒の中に残る。
このフルイにかける方法は 安く 速く 簡単で どこでも
使え、信頼性が高い。11年間 この方法でやって 事故はない。

もし フルイにかける作業中に 地雷が作動しても 
装甲の鋼鉄とガラスの保護によって 機械の操作者に危険は 
及ばない。アメリカ軍は このドイツの技術を 
アフガニスタンとイラクでの 地雷除去に 取り入れている。

下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2787756,00.html
  


Posted by jtw at 12:07Comments(0)

2007年10月28日

ミャンマーのAir Bagan航空シンガポール便停止

先月 ビルマ軍事政権は 平和的デモに対して 残忍な制圧を
加えた。シンガポールの銀行(複数)は それに対して 制裁を課す
ことになり Air Baganとの 取引を止めると ビルマに
通告した。
その結果 シンガポールへの 便は 11月4日を もって最後に
なり、その後 一時停止の状態になる。
Air Baganは 財政危機に直面することになる。危機を回避
するため エアバス2機を 売る計画をしている。

下記サイトから:
http://www.ko-htike.blogspot.com/
  


Posted by jtw at 08:27Comments(0)

2007年10月27日

パンティpower反ビルマ軍事政権@フィリピン

フィリピン女性労働者は デモをして
ミャンマー大使館を攻撃した。
ビルマ軍事政権が デモを制圧し 流血の惨事を
引き起こしたことに 抗議し 女性たちは 大使館に
パンティを 投げつけた。
下記サイトから:
http://www.mizzima.com/

★大使館員は それを 拾い集め 本国へ送った
とは 書かれていない。これを報じた ブログは
インドに亡命しているビルマ人のなので 大使館の
中のことは 分からない。
東京にも ミャンマー大使館は あるんでしょうし
こういう企画を してみて ほしいです。
  


Posted by jtw at 20:54Comments(2)

2007年10月26日

子ども売買という非難に援助団体は抵抗する

Arche de Zoeという フランスの援助団体は アフリカの
103人の子どもを 売買したという非難に 反論している。
103人の子どもを ヨーロッパの家庭に斡旋するために 
フランスへ 連れて行こうとしたとして 9人のフランス人が
23日にチャドで逮捕された。
この団体の事務局長は 「ただ子どもを 救い出したいだけだ」
と言っている。子どもは スーダンのダルフールの戦争孤児
であると いうことだ。
チャド政府は チャドもスーダンも 養子縁組を許していない
と述べている。
一方 援助団体の話しでは、フランスとベルギーの
300の家庭が ダルフールの子どもを 受け入れたいと 
言っている。
ダルフールには 200-300万人に難民がいて、
その約半分は 子どもである ようだ。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/871099.html
  


Posted by jtw at 19:02Comments(0)

2007年10月25日

カナリア諸島(大西洋上)で99人のアフリカ難民を救助

10月21日発:
スペイン沿岸警備隊は スペイン領カナリア諸島の
Teneriffaに 近い海域で99人のアフリカ難民を
のせた船を 拿捕した。
少なくとも10人は 子どもである。
難民の健康状態は いい。どの国から来たかは まだ
分からない。
カナリア諸島への アフリカからの難民は 今年
約70%減った。大西洋での 厳しい取締りと 出発国との
返還協定が 減少の原因である。
去年1年で 約31000人の アフリカ人が 小さい船で
カナリア諸島へ 逃げてきた。数百人が 危険な渡海で
死亡したと支援団体は 言っている。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/868618.html
  


Posted by jtw at 14:12Comments(0)

2007年10月25日

アウン サン スー チーへの詩/亡命ビルマ人のブログから

下記は ミャンマーから ロンドンへ亡命している 
Ko Htikeさんの ブログから 無断転載。
http://www.ko-htike.blogspot.com/

このブログの カキコミは 文字がドットに 変えられて
いるのが 多いです。検閲か 妨害か でしょうか?

★ Free ASSK ★

Her father is Aung San

Her courage is un-sung

Her life’s a sacrifice

For Democracy – the price

To Burma, freedom she will bring

Of her heroism we sing

Her people need her now

Action is her vow

Daw Aung San Suu Kyi

We want her free

Doug Siva (22 Oct 2007)

  


Posted by jtw at 12:37Comments(0)

2007年10月24日

エルサレムへの旅

ドイツの学生が助成金をもらって イスラエルへ行った。
その旅行記の連載の第一回。

夜中の0時半に ベングリオン空港に着いた。
9ヶ月の滞在予定なので 荷物は 多い。30キロの規定
の荷物の他に超過分に 140ユーロ支払った。
30分待って コンベヤベルトに荷物が出てきた。
その夜は エルサレムの旧市内にホテルを 予約していた。
夜の2時にテルアビブから高速道路で エルサレムへ
向かった。
道の両側は 荒地が続く。
そのホテルは アラブ人街にあって そこまでは 
行けないとタクシー運転手は言った。旧市内へは 
入れないのだそうだ。
幸いミニバスに一つ空き席が あり、ホテルの前まで 
行ってくれて タクシーより安かった。
ホテルの玄関まで 28段を よじ登ったら バッグについていた車は 
取れてしまって 三つだけになっていた。荷物は 
50キロあるので 無理も無い。
翌朝 テラスで Chumusと バター風味のマーガリン
のついた 「コンチネンタル朝食」と食べた。格子越しに 
ドームが見える。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/kolumne/630/139340/index.html/leben/artikel/156/138870/article.html

★こういうのは 粗筋だけ かいても おもしろくないです。
書いてみて 分かった。
  


Posted by jtw at 21:15Comments(0)

2007年10月24日

検索エンジン経由で検索されたキーワードtop5

1. 歓喜の歌 第九 歌詞
2. VQ1005
3. Mundart
4. ミャンマー インターネット 電話
5. Linfen (中国の環境汚染 最悪の町です)

  


Posted by jtw at 18:04Comments(0)

2007年10月23日

猿は生活圏を奪われ人を襲う@インド

インドのニューデリーの副市長は 自宅のテラスで新聞を 
読んでいたところ、猿の群れに 襲われ 逃げたはずみに 
テラスから 落ち、死んだ。
ニューデリーに多くの猿が 住んでいる。都市の膨張と共に 
猿は もとの生活圏から追いたてられ 人を襲うようになった。
ヒンズー教では 猿の神様は 神聖なものと されて いるので
サルを 殺して 間引くことなど できそうにない。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/868617.html

ついでながら ビルマから インドに亡命した人が インドで
ビルマの軍事政権に反対するブログを 書いています。
しかし インド政府は ミャンマー政府を 支援しているようで
複雑な 状況のようです。
  


Posted by jtw at 11:00Comments(2)

2007年10月22日

ハワイからタヒチへ千年前に航海

千年前4000キロを超える交易が 太平洋にあった。
ポリネシアのTuamotu群島の手斧を 化学的に分析
したところ 手斧の出所は ハワイ諸島だと いうことが 
分かった。
ハワイの口承によると 昔の人は ハワイからカヌーで
風を頼りに Tuamotuを経由して タヒチへ 行って戻って来た。
上記の調査は この口承を裏付けると Science誌は 報じた。

オーストラリアのクイーンズ大学の Kenneth Collerson と 
Marshall Weislerは 1929年から 1934年の間に 
Tuamotu群島の九つの環礁で 収集した石斧19個について 
化学的組成を調査した。19のうち18は 近くの五つの群島から
来たもので 一つは4040キロ離れたハワイ諸島の石だった。
この型の石斧は ハワイには なく、発見地で よく見られるものだ。
おそらく この石は 贈り物として ハワイから 届けられたか
 船の底荷として 持ってこられたのだろう。
実験では カヌーで この旅は32日かかる。
  


Posted by jtw at 15:07Comments(0)

2007年10月21日

馬で世界旅行中・「旅でなく生活だ」と

ドイツ人Guenter Wamserは 旅に出て11年になる。
メキシコからカナダへ向かっている。
記者は コロラド州で 休憩中の彼に会った。

1994年には 南米から北米への旅を 4-5年と 
見積もっていたが ずいぶん 長くかかったものだ。
長引いている 理由は 国境を超えるのに 色々な
書類が要ったり 馬が怪我をしたりしたからだ。
朝起きて その日に何が 起きるか 夕方 何処へ
着くのかも 分からない。そういう風に 生きているという
気持ちが この長い旅を続ける元になっている。
迷い・疑念が 起きたら すぐ 旅をやめようと 
誓ったが 今まで そうならなかった。
自分の持っているものを 自覚していて そのことに 
満足している。これが 一番大事だと思う。
Rauenberg という人口600人の村に生まれた。
旅に出るまえは 飛行機会社の機械工をして 普通に
働いていた。
旅費は スライドを使ってする講演の 謝礼で まかなっている。
講演するために 定期的に ドイツへ 帰る。その他に 
今年は旅行記を出版したので その金も入る。
北米大陸の 旅を おわったら、次は シベリアへ行きたい。
  


Posted by jtw at 14:06Comments(0)

2007年10月20日

教育は人種統合の中心的要素

学校助言者 Enja Riegelに なぜ小学校が人種統合にとって 
ますます大切な場になってきているかをインタビューした。

言語を習得すること。様々な文化についての相互の感情を
理解すること。共同で何かをすること。 これらは 
人種統合の本質的な要素である。そして これらは 
学校で密接に関連づけられる。
しかし ドイツの小学校が そのために うまく運営されているとは 
全然いえない。

大半のドイツの子は 一人っ子で、片親の子も多い。
人間が大人になるために 必要な可能性。好奇心や
勇気を持ったままでいられるのに 必要な可能性。 こういう
可能性は 今はもう家庭になく、小学校にある。
学校は 人員も設備も 充分に 備えられていて、
子どもを励まし 共同の学習と作業を させられるような場で 
なければならない。

ドルトムントのクライネキール通り小学校は 良い例だ。
そこの子どもの85%は 移民者の子どもである。
去年 ドイツの最善の小学校に選ばれた。
ここでは 教師は 子どもの面倒をみるだけでなく、
親と 早めの時宜を得た接触をはかっている。
外国人の子どもの場合に 親を見方にすることが 
大事で、親が「学校に 気分良くいられるし 喜んで行けるし 
子どもにも 良い場だ」と言えるような場として 
学校を とらえて くれることが 大事だ。

外国の子どもでなく 子どもが問題なのだ。
この小学校では 60%は 4年終了後に 
ギムナージウムか総合学校へ行く。これは 驚くべきことだ。

外国から来た人の子どもを ほったらかしに すると、
ゲットーに住む大人になって しまって 社会から
 離れてしまう。そうなると 金が かかると 政治は 気が付いた。

人種統合というのは ドイツ語だけを 習えというのではない。
移民の子どもも 私たちの生活に参加するように 
誘わなければならない。

ドイツ語を話せない子どもが 小学校に入り 教師に暇がなく 
誰も 子どもの面倒を まともに みないと なると、子どもは 
上級学校Hauptoschuleへ 行くしかない。
(Hauptschule:小学校4年のあとの義務教育課程の一つ。
卒業後 直ちに就職する者を対象とする)
上級学校にも 知的で好奇心の強い子どもは いるのだけれど、
すぐに好奇心を失くしてしまう。というのは 長い間 退屈したり 
長い間 屈辱的な思いを させられたり すると、もう 好奇心など 
もてなくなる からだ。
そういう子どもは 終了試験に通らなくて 
職業教育も見つけられない。

オランダ スウェーデン イギリス カナダなどでは 
状況の変化に 早く適応して 学校教育を 変革している。
ドイツは少し遅れている。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/inland/interviewriegelintegration2.html
  


Posted by jtw at 17:44Comments(0)

2007年10月19日

Hirsi Ali(オランダ国会議員)を狂信者から守ろう

Sam Harris and Salman Rushdie による記事

2007年10月16日 The Daily Yomiuriから 抜粋.
元はLos Angels Times.

Ayaan Hirsi Aliは1992年にソマリアから オランダに難民として来た。
最初 掃除婦として 働いた。
ソマリア語 アラビア語 アムハリ語 スワヒリ語 英語を 話し、
すぐに オランダ語を話せるようになったので、他のソマリアからの
難民のための通訳翻訳者として 働き始めた。
これらの難民は 虐待され 手足を切断され 医療や適切な
教育を受けられず 性的服従と妊娠を強制されていた。

彼女は ライデン大学にはいり イスラム教徒の女性の
抑圧について 公の場で 話し始めた。その結果 
オランダのイスラム教徒から 命を狙うと脅迫された。
そこで 2002年に アメリカに移り住んだ。まもなく 
オランダの副首相 Gerrit Zalmは 彼女に 国会議員になる
ように 頼んだ。Zalmは 彼女に いつ どこでも 保護すると 
確約したので 彼女は オランダに戻り 国会議員になった。
そして 女性・市民社会・理性(合理的思考)を 擁護する主張を
してきた。

2004年に 彼女は Theo van Goghと 共同で 
「服従」という 映画を制作した。これは イスラム教の掟と 
その下での女性の苦しみ との 関連を論じるものだった。
van Goghは 射殺され、彼女には 脅迫状が 届いた。
彼女はアメリカに戻り オランダ政府が アメリカでの 
彼女の保護の経費を払ってきた。しかし 先週 突然 
オランダ政府は オランダの国外では彼女の保護を 
もう しないと 告知してきた。
イスラム教の女性嫌悪症と 狂信的言動の 拡大を阻止
しようと する時 誰でも 困難に直面する。そのことを 
彼女は よく知っている。
不寛容を 寛大に許すことは 卑怯・臆病である。

彼女は 2冊の本を 書いた。最近の作品「不信心」は
国際的ベストセラーになった。
オランダ政府は 彼女をオランダ国内だけで保護すると 
言っているが、これは 不可解であり 正道を踏み外している。
と言うのは 彼女を アメリカで保護するのに 金が かかると 
オランダ政府は言うけれど 実際のところ、アメリカの方が 
安全であって オランダで彼女を 保護するのに はるかに
多くの金が かかる。

その上 私達は 西側で 言論の自由と 良心の自由を 
当然のものと 考えているが、この自由を 受けるに値する人は 
生きている人の中では 彼女ほどの人は いない。
その自由を 擁護するのに 彼女ほど 勇気をもって 
努力している人は いない。

  


Posted by jtw at 10:45Comments(0)

2007年10月19日

ラジオドイツ語講座NHK

ラジオドイツ語講座入門編を 4月-9月に担当された
清野(セイノ)智昭先生(千葉大学)が 下記 学会サイトに
「ラジオドイツ語講座を聞いてくださった方々へ」
という題で 立派な内容の 文章を書いておれれます。
http://www.jgg.jp/modules/soapbox/article.php?articleID=50

清野先生は インターネットの巨大 掲示板にも 本名で
カキコミされたそうです。(2回書き込みされた後 先生の
名前を騙って 書き込みがあったそうです)。
  


Posted by jtw at 06:48Comments(0)

2007年10月18日

ダライラマに米議会金メダルを授与

アメリカの大統領で ダライラマと 一緒に 公式の場に
登場したのは ブッシュが初めてだった。
10月17日に ブッシュは 語った:中国はダライラマを 
拒否するのを 止めて このチベットの宗教の指導者に 
対話を 求めるべきだ。 中国は ダライラマと 会えば 
ダライラマが「平和と和解の人」だという事を 知るだろう。
夜に 米議会は ダライラマが 平和と人権に 貢献してきた
ことを 称えて 式典をもった。式典の間 ブッシュは 
ダライラマと並んで 座っていた。

中国は いつもの 非難を くりかえした。

ダライラマは チベット占領への抵抗のシンボルと 
見なされている。
ダライラマが ドイツのメルケル首相と会談した後、
12月に予定されていた ドイツの代表者との 人権に
ついての対話や 他の会談予定を 中国は 取り消した。

下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2827831,00.html

★ 日本のメディアは ダライラマと メルケル首相との 対談を
無視したようですが、 ブッシュ大統領が 議会で ダライラマを
顕彰したのは 無視しなかった。
  


Posted by jtw at 08:54Comments(0)

2007年10月17日

ダライラマ・ブッシュとホワイトハウスで会う

10月16日(火)にブッシュ大統領は 中国からの抗議にも
かかわらず、ダライラマとホワイトハウスの大統領個人室で 
会った。
チベット人を 国際的に より高く評価しようという試みを
中国政府は 妨害している。
この受け入れは 中国政府の不満を 他の利益を 勘案して
無視しようとした結果である。

ブッシュのスポークスマン Tony Frattは 次のように述べた。
「我々は中国人の心配を理解する。
大統領が魂の指導者と会うという だけであり、
アメリカの大統領は ダライラマの 関心事と気がかりに 
興味を持っているということだ」

水曜日に ダライラマは アメリカ議会で 勲章を授与される。
ブッシュは ダライラマを 既に3回 ホワイトハウスに 
迎えている。この前は 2005年11月だった。
ダライラマは チベットを分離しようとしていると 中国は非難している。
1951年に中国軍は チベットに侵攻した。
チベット人の反攻が 失敗した後 ダライラマはインドに亡命し、
1955年から Dharamsalaで 亡命政府を 率いている。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2827831,00.html
  


Posted by jtw at 08:50Comments(0)

2007年10月16日

貧しい家庭の子どもの健康@ドイツ

ドイツでも 貧しい家庭の 子どもは 充分な養育を受けられない。
小児少年科医師連盟(BVKJ)によると 貧困と病気は 密接に
関係している。
社会的に下の層の 子どもや 青少年は 栄養状態の欠陥や 
運動不足に 苦しんでいる。
経済状況は よくなっているのに、子どもの貧困は 年々
ふえている。そのため 次の世代が ちゃんと 生きていける
見込みは 損なわれる。

UNICEFによると、ドイツの子どもの 17%は 貧困である。
片親の子の場合 貧困の子は 38%であり、倍の比率になっている。

社会的に 弱い家庭は 子どもの養育において 専門家から 
より多くの 支援を うけなければ ならない。保育所も 無料で 
行けるように なることが 要求されている。

病気は 精神的・肉体的・社会的成り行きの相互作用から 
生まれるもので、こどもや 青少年も 例外でない。
その結果 頭痛・ウツ・自殺したくなること などの症状が 生まれる。
貧しい人たちの間では ニコチンと アルコールの消費も 
他の人より はるかに 多い。

処方箋の必要のない薬に ついて 12歳以上の少年は 
自費で支払わなければ ならないという 規定が ある。
そういう薬の中には 慢性病のために 必要な薬もある。
貧しい家庭の 子どもは 自費で払えない。

下記サイトから:
http://www.n-tv.de/866178.html
  


Posted by jtw at 11:32Comments(0)

2007年10月15日

和歌山城聴きあるき11月3日お知らせ

おと と まち

―和歌山城聴きあるき-

この体験型イベント「おととまち―和歌山城聴きあるき」は、
普段ないがしろに しがちな「まちのおと」に注目し、
そこに暮らす 私たちの環境を 改めて 考えてみようという
イベントです。
まずは 和歌山市の中心に 付置する 和歌山城公園内を散策し、
とのような音が 聞こえてくるかを体験します。

2007年11月3日(祝)
小雨決行・荒天中止
対象:中高生以上
参加費 無料 (先着順)

★ワークショップ(定員50人)
音を聴きながら和歌山城公園を歩きます。
                        
受付 場所: 和歌山県立近代美術館正面入口前  
実施場所:和歌山城公園内
受付開始:9時30分
     ワークショッブ10:00-11:30
     ディスカッション 11.30-12.15

ドイツや日本で「より良く聴くこと」をテーマに活動を行っている西風満紀子さ
ん(和歌山大学教育学部)のナビゲーションのもとで和歌山城公園内を散策し、聞
こえる音の比較をしたり、音の違いを予想したりしながら音の風景のシートを作
ります。
筆記具を用意してこ参加ください。天候に応じて雨具などをこ持参ください。

★ トークセッション(定員80人)
自分たちを 取り巻く音について話をします。       

受付場所:和歌山県立近代美術館 応接室

受付開始: 13.30
トークセッション 14.00-16.00
途中休憩を挟み 最後に 会場からの質疑応答が あります。

おとやまち について 様々なアプローチを 行っている5名の方を
招いて、「おととまち、そしてそこに暮らす私たちの環境」をテーマに
トークセッションを行います。
バネリスト
 西風満紀子:和歌山大学 教育学部
 関和明:関東学院大学 建築学科教授
 柿沼敏江:京都市立芸術大学 音楽学部教授
 平松博: 株式会社ぶらくり取締役
 奥村一郎:和歌山県立近代美術館  学芸員
 (順不同)

主催:鍛冶屋町クリエイションラボラトリー 

協力:和歌山県立近代美術館、 株式会社ぶらくり

この事業は和歌山市わかやまの底力・市民提案実施事業の助成を受け実施しています。
和歌山市担当窓口:和歌山市教育委員会文化振興課

★参加申し込みの方法
参加ご希望の方は下記までご連絡ください。
参加費 無料(先着順)

tel 073.423・7678
fax 073・424-7522
ホームページ http://www.kajiyamachi.com 申し込みフォームより
メール info@kajiyamachi.com
お名前、ご住所、電話番号(携帯可)をお書き添えの上
上記連絡先までお申し込みください。

ワークショップ、トークセッションどちらか一方の参加も可能です。
鍛冶屋町クリエイションラボラトリー
〒640-8023 和歌山市中ノ店北ノ丁22
北ぷらくり丁会館2F-1号室
URL http://www.kajiyamachi.com

このイベントはワークショップとトークセッションの2部構成です。
両方を通して参加希望の方は昼食などのご用意をお願いいたします。

★トークセッションパネリスト

西風満紀子
作曲家、ピアニスト、音のパフォーマー
和歌山県粉河町(現紀の川市)出身、愛知県立芸術大学卒業後カリフォルニアのミルズ
力レッジ大学院を経てベルリン芸術大学大学院修了。
2006年ベルリン芸術大学で実験音楽の「風景を聴く」を担当、2007年ベルリン
芸術賞、若手奨励賞受賞。2007年より和歌山大学教育学部勤務。
http://www.makiko-nishikaze.de

関 和明
建築史家
1948年、京都市生まれ。関東学院大学建築学科・教授。早稲田大学理工学部建築学科卒業。
同大学院理工学研究科建設工学専攻・建築史研究専修・修士課程・博士課程修了。
主な研究テーマ:
古代エジプト建築(王宮建築、都市、庭園)、西欧のモダニズム建築(パウハウスなど)、横浜
市および葉山市におけるまちづくり(歴史的建造物・景観の保存と活用)、小規模な仮設建
築(ビーチハウス)の設計・建設の実践など。
主な著作:
「マルカタ王宮の研究」「マルカタ南/ 魚の丘/建築の研究」「ナイルの祝祭」エジブト図
像観光」「ハンネス・マイヤーとバウハウス」「都市の記憶一横浜の近代建築」など。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/゛kg064302/

柿沼 敏江
音楽学
京都市立芸術大学音楽学部教授。静岡県生まれ 国立音楽大学楽理科、お茶の水女子大字
大学院人文科学研究科修士課程修了。お茶の水女子大学大学院在学中に現代音楽祭「バ
ン・ムジーク・フェスティヴァル」の音楽評論のコンクール「アドホック・クリティック
」で、第1位「音楽之友社賞』を受賞。1989年、ハリー・バーチの創作楽器に関する研究で
Ph.D.を取得した。
帰国後は、明治学院大学などで教鞭をとるとともに、多様化する現代の音楽状況について
幅広い視野から研究を続けている。2001年度から現職。

平松 博
株式公社ぶらくり取締役
和歌山県生まれ。まちづくり会社「株会社ぶらくり」を運営。
ぶらくり発信物のフリ-ペーパー「Bravo_」の立ち上げに関わるなど、まちと文化を
つなぐ活動も行う。

奥村一郎
私歌山県立近代美術館 学芸員。
岐阜県うまれ。サウンドアーティスト鈴木昭男を招き、和歌山市内に耳を澄ますべきポイ
ントを探した。「鈴木昭雄 点音in和歌山」(2005)などを行う。

  


Posted by jtw at 16:55Comments(0)