2016年04月24日
チェルノブイリの野生生物・写真
下記サイトに写真19枚:
http://www.spiegel.de/fotostrecke/tschernobyl-tierfotos-aus-der-todeszone-fotostrecke-136611.html
写真の下にある説明の文は 無料翻訳ソフトに
貼り付ければ 変な日本語に変わります。

http://www.spiegel.de/fotostrecke/tschernobyl-tierfotos-aus-der-todeszone-fotostrecke-136611.html
写真の下にある説明の文は 無料翻訳ソフトに
貼り付ければ 変な日本語に変わります。

2015年03月13日
「フラガール物語」清水一利著、講談社
2500円。スパリゾート・ハワイアンズ(福島県いわき市)のフラダンス
チームのダンサーを養成する「常磐音楽舞踏学院」が今年4月に
50周年を迎えるのを機に、関係者約60人に取材した。
日本経済新聞
2015年3月1日(日)の読書欄に上記の紹介がでています。
★このブログの2012年3月8日のカキコミは ドイツのメディア
Spiegelに載った フラガール 大森梨江さんのインタビューの
抜粋でした。2012年8月11日のカキコミも モアナ大森梨江さん
についてです。

写真 by SACHI
チームのダンサーを養成する「常磐音楽舞踏学院」が今年4月に
50周年を迎えるのを機に、関係者約60人に取材した。
日本経済新聞
2015年3月1日(日)の読書欄に上記の紹介がでています。
★このブログの2012年3月8日のカキコミは ドイツのメディア
Spiegelに載った フラガール 大森梨江さんのインタビューの
抜粋でした。2012年8月11日のカキコミも モアナ大森梨江さん
についてです。

写真 by SACHI
2014年12月31日
チェルノブイリの写真53枚
下記サイトに:
http://www.n-tv.de/wissen/Tschernobyl-verseucht-norwegische-Rentiere-article13758526.html
孤立した人々と見捨てられて風景。
それぞれの写真の下に説明があります。短い文なら
自動翻訳ソフトに入れても それほど変な日本語には
ならないと思う。

http://www.n-tv.de/wissen/Tschernobyl-verseucht-norwegische-Rentiere-article13758526.html
孤立した人々と見捨てられて風景。
それぞれの写真の下に説明があります。短い文なら
自動翻訳ソフトに入れても それほど変な日本語には
ならないと思う。

2014年09月27日
チェルノブイリ・無人地域の今(動画)
1986年に原子炉大惨事が起きた。2011年に閉鎖地域へ立ち
入りできるようになった。無人の地域は 今 危険を覚悟のうえ、
極端な体験をする観光の場になっている。
原子炉の近くのPrypjat プリプヤトは原子力発電所の職員の
住んでいた小さい町であった。今 幽霊町になっている。
この撮影者は カメラと放射線測定器をもって、4日間
この町に留まった。
下記サイトに動画:
http://www.stern.de/reise/europa/extremtourist-in-tschernobyl-eine-verstoerende-reise-durchs-sperrgebiet-2140341.html

写真 by SACHI
入りできるようになった。無人の地域は 今 危険を覚悟のうえ、
極端な体験をする観光の場になっている。
原子炉の近くのPrypjat プリプヤトは原子力発電所の職員の
住んでいた小さい町であった。今 幽霊町になっている。
この撮影者は カメラと放射線測定器をもって、4日間
この町に留まった。
下記サイトに動画:
http://www.stern.de/reise/europa/extremtourist-in-tschernobyl-eine-verstoerende-reise-durchs-sperrgebiet-2140341.html

写真 by SACHI
2013年10月04日
福島・立入禁止地域の写真15枚
下記サイトに:
http://www.stern.de/panorama/beklemmende-bilder-aus-fukushima-verlorenes-leben-in-der-sperrzone-2062243.html
それぞれの写真の下に説明の文があります。文の中に
あるローマ字は地名・人名です。他の単語は無視して
ローマ字を探してください。
写真9. サカモト ケイゴさんは退避を拒否し、あるじを
失くした500以上の動物と共に楢葉町の近くで暮らして
いる。彼の抱いている犬は 大震災の起きる少し
前に生まれ、アトムと名付けられた。

オリンピックを開く時期か。日本に好意的なトルコに譲ればよかった。
十数年まえ県庁が「第一回国際子どもナントカ祭」をマリーナシティで
開いたとき トルコの母親と小学校低学年の女の子ふたりが
うちに 二泊ほどホームステイした。
お母さんは数十の英語単語を使い、子ども達はトルコ語と
身振りで話してくれた。
http://www.stern.de/panorama/beklemmende-bilder-aus-fukushima-verlorenes-leben-in-der-sperrzone-2062243.html
それぞれの写真の下に説明の文があります。文の中に
あるローマ字は地名・人名です。他の単語は無視して
ローマ字を探してください。
写真9. サカモト ケイゴさんは退避を拒否し、あるじを
失くした500以上の動物と共に楢葉町の近くで暮らして
いる。彼の抱いている犬は 大震災の起きる少し
前に生まれ、アトムと名付けられた。

オリンピックを開く時期か。日本に好意的なトルコに譲ればよかった。
十数年まえ県庁が「第一回国際子どもナントカ祭」をマリーナシティで
開いたとき トルコの母親と小学校低学年の女の子ふたりが
うちに 二泊ほどホームステイした。
お母さんは数十の英語単語を使い、子ども達はトルコ語と
身振りで話してくれた。
2012年07月12日
福島原発事故による太平洋の放射線汚染地図
下記サイトに写真と動画:
http://www.zeit.de/wissen/umwelt/2012-07/fukushima-radioaktivitaet
太平洋に流されたCs-137の拡散を示す 長期モデル・シミュレーション。
赤く塗られた海域は 放射線の値が最も高い。2012年夏 現在で
2011年4月の値の まだ約千分の一もある。
http://www.zeit.de/wissen/umwelt/2012-07/fukushima-radioaktivitaet
太平洋に流されたCs-137の拡散を示す 長期モデル・シミュレーション。
赤く塗られた海域は 放射線の値が最も高い。2012年夏 現在で
2011年4月の値の まだ約千分の一もある。
タグ :原発事故
2012年03月08日
フラガール大森莉江in福島・ドイツメディアに
スパリゾートハワイアンズの大森モアナ莉江さんは
原発事故で古里を失った。古里・双葉町は退避地域にある。
しかし 温泉リゾートで1日に2回、34人のダンスチームで
踊ると 避難生活の悲しみや 故郷への苦しい思いを
忘れられる。
莉江は双葉で育った。自宅の2階から 原発の煙突が見えた。
9月に莉江は防護服に身を固め、自宅に戻った。フラチームの
キャプテンが莉江のために縫ってくれたバッグを ビニル袋に
入れて持ち帰った。
大震災の後、莉江はフラをも失ったと思った。避難所で生き
延びるのに 毎日、力を使い果たし、もう目標もなくなった
と思った。
修理のために スパリゾートハワイアンズは何ヶ月も
閉鎖しなければならなかった。
このリゾートは45年間、いわきの人々の希望だった。
莉江は子どもの頃にここへ遊びにきて、20歳の時に
フラガールになった。
今年2月初めに やっと舞台が再開した。ファンの一人
ワタナベ マタコさんも毎日 フラガールに会いに来てくれる。
大震災の前に莉江は フラガールになって、結婚して、二人の
子どものいる家庭をつくるという夢をもっていた。震災が起きて
からは 震災の前の生活に戻れたら どんなに良いだろうかと思う。
家族は いわきに 家を借りていて、莉江も一緒に住んでいる。
しかし そこは故郷ではない。空気が違う。
「できることなら 双葉に住みたい。また深呼吸できる
場所を見つけたい。」
夜 8時過ぎにフラは終わる。
目を閉じて フラの曲を聞いていると 本当に浜辺に波が
打ち寄せているように聞こえる。福島と言うのは「幸せな島」
という意味だった。
下記サイトから抜粋:(写真20枚と動画もあります)
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,816495,00.html
スパリゾートハワイアンズのサイトは:
http://www.hawaiians.co.jp/
★ブログ管理人の蛇足:
莉江さんがこのブログに辿りついてくれるとは、思いにくい
けれど、英語と違って ドイツ語の記事を フリー翻訳ソフ
トを使って 読む人も少ないだろうから カキコミました。

写真 by SACHI
原発事故で古里を失った。古里・双葉町は退避地域にある。
しかし 温泉リゾートで1日に2回、34人のダンスチームで
踊ると 避難生活の悲しみや 故郷への苦しい思いを
忘れられる。
莉江は双葉で育った。自宅の2階から 原発の煙突が見えた。
9月に莉江は防護服に身を固め、自宅に戻った。フラチームの
キャプテンが莉江のために縫ってくれたバッグを ビニル袋に
入れて持ち帰った。
大震災の後、莉江はフラをも失ったと思った。避難所で生き
延びるのに 毎日、力を使い果たし、もう目標もなくなった
と思った。
修理のために スパリゾートハワイアンズは何ヶ月も
閉鎖しなければならなかった。
このリゾートは45年間、いわきの人々の希望だった。
莉江は子どもの頃にここへ遊びにきて、20歳の時に
フラガールになった。
今年2月初めに やっと舞台が再開した。ファンの一人
ワタナベ マタコさんも毎日 フラガールに会いに来てくれる。
大震災の前に莉江は フラガールになって、結婚して、二人の
子どものいる家庭をつくるという夢をもっていた。震災が起きて
からは 震災の前の生活に戻れたら どんなに良いだろうかと思う。
家族は いわきに 家を借りていて、莉江も一緒に住んでいる。
しかし そこは故郷ではない。空気が違う。
「できることなら 双葉に住みたい。また深呼吸できる
場所を見つけたい。」
夜 8時過ぎにフラは終わる。
目を閉じて フラの曲を聞いていると 本当に浜辺に波が
打ち寄せているように聞こえる。福島と言うのは「幸せな島」
という意味だった。
下記サイトから抜粋:(写真20枚と動画もあります)
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,816495,00.html
スパリゾートハワイアンズのサイトは:
http://www.hawaiians.co.jp/
★ブログ管理人の蛇足:
莉江さんがこのブログに辿りついてくれるとは、思いにくい
けれど、英語と違って ドイツ語の記事を フリー翻訳ソフ
トを使って 読む人も少ないだろうから カキコミました。

写真 by SACHI
タグ :原発事故
2012年01月21日
南相馬市・無人の町の写真
下記サイトに白黒写真14枚:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/japan-minamisoma-die-verlassene-stadt-1.1083997
AP通信社の写真家 David Guttenfelderは 福島原発の周り
20キロの立入規制地域に入り 写真を写した。
南相馬は ひとけが 無く、ゴーストタウンになった。
飼い主を失くした犬が群れをつくっている。

写真 by SACHI
http://www.sueddeutsche.de/panorama/japan-minamisoma-die-verlassene-stadt-1.1083997
AP通信社の写真家 David Guttenfelderは 福島原発の周り
20キロの立入規制地域に入り 写真を写した。
南相馬は ひとけが 無く、ゴーストタウンになった。
飼い主を失くした犬が群れをつくっている。

写真 by SACHI
タグ :写真
2012年01月19日
福島の封鎖地域の写真
原発から20キロ圏内にある富岡・大熊・双葉の
無人地域の写真集、2012年1月15日に撮影。
街路を歩くダチョウ、荒れた農地を行く牛の群れ、
まだ機能している信号機など。
下記サイトをクリックすると出ます:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/bilder-aus-der-fukushima-sperrzone-strahlende-leere-1.1260859
写真 by SACHI
無人地域の写真集、2012年1月15日に撮影。
街路を歩くダチョウ、荒れた農地を行く牛の群れ、
まだ機能している信号機など。
下記サイトをクリックすると出ます:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/bilder-aus-der-fukushima-sperrzone-strahlende-leere-1.1260859

2012年01月07日
福島原発・封鎖地域の現状(写真15枚)
下記サイトに 写真家 David Guttenfelder が
National Geographic誌のために撮影した 写真:
http://www.faz.net/aktuell/gesellschaft/fukushima-leben-in-der-sperrzone-11590033.html
写真7. 浪江の中心街の街灯は 今も機能している。
9. 刺青の男性は 生涯を原発の職員として生きた。
10. 津波はこの高さまで来た。
11. 封鎖地域に入って 家畜に餌をやり、救おうとする人。
12. 動物保護家が 肉を焼いて ホームレスの犬を誘い出す。救出するために。
13. サカモト ケイゴさんの家は 封鎖地域の境にあるので 留まっていられる。
14. これがサカモトさんに家。家に入るには 警察の検問所を通らないといけない。

写真 by SACHI
National Geographic誌のために撮影した 写真:
http://www.faz.net/aktuell/gesellschaft/fukushima-leben-in-der-sperrzone-11590033.html
写真7. 浪江の中心街の街灯は 今も機能している。
9. 刺青の男性は 生涯を原発の職員として生きた。
10. 津波はこの高さまで来た。
11. 封鎖地域に入って 家畜に餌をやり、救おうとする人。
12. 動物保護家が 肉を焼いて ホームレスの犬を誘い出す。救出するために。
13. サカモト ケイゴさんの家は 封鎖地域の境にあるので 留まっていられる。
14. これがサカモトさんに家。家に入るには 警察の検問所を通らないといけない。

写真 by SACHI
2011年11月06日
反原発運動小史(上)
ヨアヒム・ラートカウ著 森田直子・海老根剛 訳。
月刊「みすず」みすず書房、2011年11月号 p.6~16.
ラートカウ Joachim Radkau(1943--)はドイツ内外で
環境史研究の第一人者とみなされている。
歴史的背景と40年に及ぶ反原発運動の展開を知る
ことは 日本の原発をめぐる議論に際しても、弾力的な
議論を導く一助をなると考え、訳出する。(上記 記事の解題から 抜粋)
買って読んでください。315円。

写真 by SACHI(Photost.jp)
月刊「みすず」みすず書房、2011年11月号 p.6~16.
ラートカウ Joachim Radkau(1943--)はドイツ内外で
環境史研究の第一人者とみなされている。
歴史的背景と40年に及ぶ反原発運動の展開を知る
ことは 日本の原発をめぐる議論に際しても、弾力的な
議論を導く一助をなると考え、訳出する。(上記 記事の解題から 抜粋)
買って読んでください。315円。

写真 by SACHI(Photost.jp)
タグ :原発事故
2011年09月30日
福島原発事故がドイツで演劇に
劇作家 Elfriede Jelinek イェリネクは 人々を無力にした
福島原発大惨事を 脚本の主題に選んだ。この不気味な
作品は今 ケルンで初演されている。日本人の女優も出演。
下記サイトに動画 2分40秒:
http://www.tagesschau.de/kultur/jelinek100.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
福島原発大惨事を 脚本の主題に選んだ。この不気味な
作品は今 ケルンで初演されている。日本人の女優も出演。
下記サイトに動画 2分40秒:
http://www.tagesschau.de/kultur/jelinek100.html

写真 by SACHI(Photost.jp)
タグ :原発事故
2011年09月11日
福島の立ち入り禁止地域へ入った写真家 Max Hodges
アメリカ人写真家 マックス・ホッジスは今、東京に住んでいる。彼は 原発被災地を撮影するために 福島第一原発の近くの立ち入り禁止地域に入った。
以下は彼へのインタビュー:
立ち入り禁止地域がどうなっているかを 探検するのは 大切だと思った。人は退避し、牛は牛舎に残されていると聞いていた。
そういう地域に入った時に どこか おかしなところが あると思った。20キロメーターの長さの退避地域は どこも一様な風景だった。ただ、立入は違法なので 自衛隊の輸送隊に見つからないように 注意を払わなければならなかったから、五感を研ぎ澄ましていなければ ならず、神経を消耗させる滞在だった。
数日、危険地域に居たとしても 放射線を浴びる危険は さほど大きくないということは 聞いていた。もっと大きな心配は 逮捕されて、ビザについて問題が起きるかもしれないという ことだった。
撮影した写真の中に 日本人 小林さんの写真もある。撮影のために歩きまわっている うちに 彼に偶然 出会った。彼は 危険地域に住む 唯一の人だったと思う。彼は 私に食べ物や飲み物をくれて、シャワーを使わせてくれ、寝る場所を提供してくれた。
大震災の前に 彼は退避地域で 機械工として働いていた。震災後も 退避命令を無視して そこで 生きていた。
彼の住んでいたオダカ市は 原発から15キロしか 離れていないけれど、あまり放射線で汚染されていない。風向きの影響による。
小林さんは 2~3ヶ月たって 住んでいるのが 見つかって 強制的に立ち退きさせられるまでは 古里に居たいと思っていた。
彼は自分の畑でとれた野菜を食べていた。時々、妻と一人の友人が 必要なものを持って、無人の非常線まで来てくれた。
今、彼は小さいアパートに住んでいる。アパートは気に入らない。しかし それにも慣れてきたようだ。小林さんは ユーモアのある人で、こういう状況で生き延びるには ユーモアが最も大切な能力だろう。彼と知り合って三ヶ月になる。彼に起きた出来事や不運のこを聞きたいと思っている。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/529275/Zwischen-toten-Kuehen-und-Konvois
★ 日本にも「戦場の写真家」はいるそうですが、外国の戦争の写真の方が 市場価値が高いからか 国内の大惨事の地域に 立ち入る 戦場の写真家は あまり ないようです。
以下は彼へのインタビュー:
立ち入り禁止地域がどうなっているかを 探検するのは 大切だと思った。人は退避し、牛は牛舎に残されていると聞いていた。
そういう地域に入った時に どこか おかしなところが あると思った。20キロメーターの長さの退避地域は どこも一様な風景だった。ただ、立入は違法なので 自衛隊の輸送隊に見つからないように 注意を払わなければならなかったから、五感を研ぎ澄ましていなければ ならず、神経を消耗させる滞在だった。
数日、危険地域に居たとしても 放射線を浴びる危険は さほど大きくないということは 聞いていた。もっと大きな心配は 逮捕されて、ビザについて問題が起きるかもしれないという ことだった。
撮影した写真の中に 日本人 小林さんの写真もある。撮影のために歩きまわっている うちに 彼に偶然 出会った。彼は 危険地域に住む 唯一の人だったと思う。彼は 私に食べ物や飲み物をくれて、シャワーを使わせてくれ、寝る場所を提供してくれた。
大震災の前に 彼は退避地域で 機械工として働いていた。震災後も 退避命令を無視して そこで 生きていた。
彼の住んでいたオダカ市は 原発から15キロしか 離れていないけれど、あまり放射線で汚染されていない。風向きの影響による。
小林さんは 2~3ヶ月たって 住んでいるのが 見つかって 強制的に立ち退きさせられるまでは 古里に居たいと思っていた。
彼は自分の畑でとれた野菜を食べていた。時々、妻と一人の友人が 必要なものを持って、無人の非常線まで来てくれた。
今、彼は小さいアパートに住んでいる。アパートは気に入らない。しかし それにも慣れてきたようだ。小林さんは ユーモアのある人で、こういう状況で生き延びるには ユーモアが最も大切な能力だろう。彼と知り合って三ヶ月になる。彼に起きた出来事や不運のこを聞きたいと思っている。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/529275/Zwischen-toten-Kuehen-und-Konvois
★ 日本にも「戦場の写真家」はいるそうですが、外国の戦争の写真の方が 市場価値が高いからか 国内の大惨事の地域に 立ち入る 戦場の写真家は あまり ないようです。
タグ :原発事故