2011年09月11日

福島の立ち入り禁止地域へ入った写真家 Max Hodges

アメリカ人写真家 マックス・ホッジスは今、東京に住んでいる。彼は 原発被災地を撮影するために 福島第一原発の近くの立ち入り禁止地域に入った。
以下は彼へのインタビュー:
立ち入り禁止地域がどうなっているかを 探検するのは 大切だと思った。人は退避し、牛は牛舎に残されていると聞いていた。
そういう地域に入った時に どこか おかしなところが あると思った。20キロメーターの長さの退避地域は どこも一様な風景だった。ただ、立入は違法なので 自衛隊の輸送隊に見つからないように 注意を払わなければならなかったから、五感を研ぎ澄ましていなければ ならず、神経を消耗させる滞在だった。

数日、危険地域に居たとしても 放射線を浴びる危険は さほど大きくないということは 聞いていた。もっと大きな心配は 逮捕されて、ビザについて問題が起きるかもしれないという ことだった。
撮影した写真の中に 日本人 小林さんの写真もある。撮影のために歩きまわっている うちに 彼に偶然 出会った。彼は 危険地域に住む 唯一の人だったと思う。彼は 私に食べ物や飲み物をくれて、シャワーを使わせてくれ、寝る場所を提供してくれた。
大震災の前に 彼は退避地域で 機械工として働いていた。震災後も 退避命令を無視して そこで 生きていた。

彼の住んでいたオダカ市は 原発から15キロしか 離れていないけれど、あまり放射線で汚染されていない。風向きの影響による。
小林さんは 2~3ヶ月たって 住んでいるのが 見つかって 強制的に立ち退きさせられるまでは 古里に居たいと思っていた。
彼は自分の畑でとれた野菜を食べていた。時々、妻と一人の友人が 必要なものを持って、無人の非常線まで来てくれた。

今、彼は小さいアパートに住んでいる。アパートは気に入らない。しかし それにも慣れてきたようだ。小林さんは ユーモアのある人で、こういう状況で生き延びるには ユーモアが最も大切な能力だろう。彼と知り合って三ヶ月になる。彼に起きた出来事や不運のこを聞きたいと思っている。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/529275/Zwischen-toten-Kuehen-und-Konvois
★ 日本にも「戦場の写真家」はいるそうですが、外国の戦争の写真の方が 市場価値が高いからか 国内の大惨事の地域に 立ち入る 戦場の写真家は あまり ないようです。


タグ :原発事故

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