2009年06月30日

チェルノブイルの子ども達・大惨事のあった地域で生きる

1986年4月の原子炉爆発後 20年以上たっても、
ベラル-シ(白ロシア)東南部の人々は 見えない脅威に
曝されながら生活している。
Bragin町は ベラルーシの東南部にあり、チェルノブイルから
数キロしか離れていない。
絵に描いたような風景が広がっている:白樺や松の森が
平らな土地に何キロも続き、牛は草原で草を食べている。
コウノトリも飛んでいる。人はほとんど見かけない。大半の
人は20年も前に 安全のために 移住してしまった。
事故のおきた時に生まれていなかった子ども達も
被害者である。14歳のユリアは 甲状腺が悪い。他に 
よく見られる病気は 心臓循環障害と癌だ。
これは放射性物質セシウムによる。セシウムは地面に
何年にも渡って 漏れ出し、植物に吸収され、それを
動物が食べ 最後に住民が食べる。

ユリアの学校の生徒の多くは 卒業しても この汚染された
土地から離れようと思っていない。大半の生徒は
この町に留まりたい。ここは古里だから、あるいは 
引っ越す金がないから。

政府はこの町に 他の地域から働きに来る人に特典を
与えている。町外れに無料で住めるアパートもある。
Bragin町の人は 原子炉の周り 30キロの封鎖地域の
境に住んでいる。
標識に「警告!滞在時間は限られている」と書かれている
場所では、30分以内に 出ないと危険だ。

Bragin町に住む人は 不運と折り合いをつけているが、
2~3週間でも この町を離れることは 特に子どもに
とっては大きい意味がある。
1年に一度 子ども達が外国へレクレーションに行くのは 
特別な意味がある。健康にいい食べ物・汚染されて
いない水・新鮮な空気は 子どもの免疫システムを
安定させる。
子ども達が1ヶ月ドイツに滞在できたら 1年間 いい効果
が残ると ハノーファにある「チェルノブイルの子ども支援グループ」
は言う。
子ども達は 大惨事から23年たっても、自分たちは
忘れられていないのだということに 気づく。

1980年代の終わり頃から ドイツだけでも 多くの組織が 
このような旅行を組織してきた。この20年に20万人の
子どもがレクレーション旅行に参加した。Bragin町の小学校に
行った人は 一度はドイツに行っている。

去年の秋に 子ども達が ベラルーシからドイツへ来られ
なくなった。ベラルーシ政府が反対したためだ。
そこで この春にドイツとベラルーシは協定を結び、子ども達が 
再びドイツに来られるようにドイツは 尽力することになった。
しかし14歳以上の子は 旅行を許されないし、4回以上 
ドイツに来ることも許されない。
ドイツへの旅行は回復のためばかりでなく、人格を
広げる機会にも なっている。ドイツに行って 生きて
いくうえでの 新しい目標をもつようになる。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/167/472690/text/
  


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2009年06月29日

同性愛者の「クリストファー通りの日」とは。CSDの始まり

ゲイは1969年6月28日の夜 ニューヨークで警察に反撃した。
ゲイとして闘いを学んだ日は いま世界中で祝われている。
ニューヨークのクリストファー通りの騒乱から40年、ドイツで
この日を祝うようになって30年たつ。

1969年6月28日はジュディ ガーランドの葬式だった。
ジュディは歌手で俳優で ゲイのファンが多かった。23万人の
ファンがニューヨークで彼女に別れを告げた。(彼女の持ち歌
Over the rainbow からゲイとレズの虹色の旗が 
生まれたのでしょうか?)

1969年6月28日の夜 クリストファー・ストリートの「ストーンウォール・イン」
というバーに 警察の手入れが入り、暴力行為があった。
その後 何日間か ゲイは警察と街頭で衝突した。
あの夜が決定的な時だったと 61歳になった今も 
そのバーに通う その日の目撃者は回想する。

ゲイは反撃した。警察に追われるままになるのでなく、
闘うことを学んだ。「ストーンウォール」の後、ゲイとレズは
政治的グループを結成した。ゲイの新聞も出された。
「ストーンウォール反乱」一周年記念日に アメリカで最初の
ゲイとレズのパレードが行われた。

30年前にドイツで初めてCSDが祝われた時に ブレーメン
とベルリンにわずか数百人が集まった。今ドイツの
ほとんどの大都市でCSDのパレードがあり、ケルンと
ベルリンのが最大。
7月5日のケルンのパレードには数十万人が参加すると
期待されている。
ケルンでは2002年に120万人が参加し、これが最多記録
になっている。
先週6月27日のベルリンでのパレードに約55万人が参加し 
レズとゲイを除け者にすることに反対した。
ベルリンの市長、最も有名な性同一性障害者Klaus Wowereit
はCSDの要求を支持している。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4439309,00.html
  


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2009年06月28日

動画・盲導ポニーinアメリカ

視覚障害者のために働くポニー。
デトロイトの近くに住むMona Ramouniさんは盲導ポニーを
持っている。ポニーはモナさんを案内し、段差のある所
では 足音で段差があると教えてくれる。ポニーは
小さいから車にも乗せられる。
モナさんは 宗教上の理由で盲導犬を飼えない。
下記サイトで 動画が見られます。
http://www.stern.de/panorama/:Tierische-Hilfe-Ponyaugen-M%E4dchen/704570.html  


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2009年06月28日

ゲイとレズのパレードinベルリン・日本からも参加

第31回クリストファ通りの日(CSD)記念パレードは 差別と
のけ者にされることに反対して レズ・ゲイ・性転換者に
よってベルリンで行われた。
参加者は当事者と見物客を合わせて55万人(主催者の
発表による)。去年よりも5万人多い。

CSD祭りは 1969年6月にニューヨークで起きた出来事に
由来する。芸術家の多く住む地区のクリストファ通りにある
バーに 警察の手入れが入り、警察が職権濫用した
ため 乱闘が起きた。この事件を記念し、虹色の旗を
掲げて パレードが行われるようになった。

来賓の一人 96歳のルドルフさんは演台から落ちて
怪我をした。彼は同性愛であると言う理由で 1941年
から45年まで Buchenwaldの強制収用所に
入れられていた。

ベルリン市長も参加し、1969年まで存在した ゲイについて
の法律条項によって 刑法上の犯罪として迫害された
人々の名誉回復について話した。彼は賠償と年金の
調整を要求した。

下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Parade-zum-Christopher-Street-article385883.html
写真は下記サイトにもあります。。
2番の写真の説明に「アジアから」とあるけれど 和服だから
日本人??
3番は「芸者さん」に扮した人。日本人でなさそう。
http://www.welt.de/vermischtes/article4013143/550-000-bei-CSD-Schrille-Parade-ernstes-Ziel.html

下記サイトにも 写真12枚。
http://www.stern.de/panorama/:Christopher-Street-Day-Berlin-St%FCck-St%FCck-Homogl%FCck/704780.html?cp=1
  


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2009年06月27日

薬物依存症の息子を父親が病院から「救出」

27歳の息子は大麻中毒で 10年間治療もできなかった。
2007年5月に息子は父親(58歳)をプラットフォームから電車の
前に突き落とそうとした。父親は なんとか逃げた。
父親は捜査官に「息子は私を殺そうとした」と言ったのに、
半年後の裁判で その反対の供述をした。
父親は虚偽の供述をしたという理由で被告人になった。

長男は何の問題も無かった。27歳のこの次男は 親が
離婚した時にまだ8歳で 状況を克服できなかった。それで 
ギムナージウムの生徒だった16歳の時に大麻を吸い始めた。
昔の大麻は害が無かったが、品種改良された大麻には
40年前の10-30倍のTHCが含まれていて、大麻を吸って
いると 昔と比べ、短期間で精神病になることを 
父親は知っていたので、父親は 熱心に取り組んだ。

息子は夜中に外で暴れ、父親は警察にたたき起こされたし、
息子から脅され 侮辱された。

父親が捜査官に 駅で突き落とされそうになった事件を
報告した後で、息子は 措置入院させられた。その後 
1年半の間 息子は 麻薬から離れ、病院の薬も飲んでいた。
一方 父親は 病院に居る息子を取り戻すために 
虚偽の陳述をして、それで 刑をうけた。6時間の公共の
利益になる労働をするという 刑だった。罰をうけたけれど
父親は息子を 精神病院から取り戻した。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Icke-Jericht-Die-Rettung-Sohnes/704445.html

★ブログ管理人の蛇足:
親は子どもから 離れにくいです。本人をほうって 
置いて「底をつかせる」のは難しい。この息子は
今も クリーンでいるのだろうか?  


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2009年06月26日

同性愛についての啓発活動は早く始めよう

映画家 Rosa von Praunheimは 性同一性障害に
ついての より良い啓発教育が 家庭・学校・幼稚園で
されることを要求する。
自分と異なる人への先入観・偏見を持たないように 
するには 社会のすべての分野で 問題を啓発する
ことが必要だ。
プラウンハイムは ゲイとレズの記念日のパレード(クリストファ・
ストリート・デイのパレード)がベルリンで行われる直前に 
そう語った。
彼は1970年に 同性愛の映画を制作し、有名になった。
その前年 1969年に ニューヨークのクリストファ通りで 
ゲイとレズが警察に抗議し、ニューヨークでは 同性愛者の
運動が高まりつつあった。

寛容は家庭での もっとも大事な課題だ。
偏見の無い家庭、権威にとらわれない家庭、
凝り固まっていない家庭で育つと こういうテーマに
ついて 感受性が豊かになる。家庭が性同一性障害を
拒絶するなら、社会全体が ナンギすることになる。

青少年は 多数派と同じようにする傾向がある。
自分が属するグループが ゲイやレズを嫌な奴だとする場合
には グループから圧力がかかる。もし 親が異文化圏
の出身であって、その文化圏が 性同一性障害に
対して 原理主義的な見方をするなら、家庭の
圧力は 強くなる。
西ヨーロッパは 比較的 寛容な社会であるが。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Homo-Aufklaerung-frueh-beginnen-article381803.html
  


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2009年06月26日

マイケル・ジャクソン死亡/6月25日LAで

6月25日 ロスアンジェルスの自宅から緊急通報があり
救急車で入院した。既に心拍停止だった。
享年50歳。
下記ドイツのメディアから:
http://www.bild.de/BILD/unterhaltung/leute/2009/06/25/michael-jackson-atemstillstand/notarzt-brachte-popstar-ins-krankenhaus-in-los-angeles.html  


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2009年06月25日

クリストファー通りの日・ゲイとレズの記念日/由来と現況

下記サイトに写真12枚あり。
http://www.sueddeutsche.de/panorama/196/472718/bilder/

写真1. 40年前に 人の見ている所で この写真のような
ことは無かった。
Christopher Street Day(CSD)は1969年6月28日に
ニューヨークのこの街路で 同性愛者が 警察の横暴な行動に
対して立ち上がったことを 記念する。

2. 今ドイツの大都市のほとんどで CSDの祭り・パレードが
ある。ケルンとベルリンの祭りは 最大。祭りは6月28日に
限らない、6月から8月の週末に開かれる。

3. 2002年のベルリンのCSDに 120万人が集まった。
4. ただ騒ぐだけでなく、レズとゲイの権利を求める政治的
関心もある。参加者は 性についての自己意識、
結婚の権利、迫害された性同一性障害者のリハビリを
求めている。

5. パレードの参加者は 自分たちの生き方を受け入れ
ない人々をからかう。ヒトラーと桃色の軍用犬。
7. ミュンヘンのパレードで ズボンの代わりに 子供用
ビニルプールをはく人。
8. どんな派手な衣装も 派手すぎることは無い。しかし 
こういう写真を見て パレードを後ろで支える政治的関心が
誤解されるのを 主催者は 遺憾に思う。

9. 新しくEUに加盟した国の幾つかでは 同性愛者の
パレードは 好意的に受け止められていない。これは 
ワルシャワでのファシストの反デモ行進。
去年 ブルガリアで ゲイのパレードが襲撃された。

10. 2008年にブダペストで 頭を丸刈りにした男たちが
ゲイのパレードに襲い掛かったので、ゲイは警察の保護の
もとに行進することになった。虹色の旗は同性愛のしるし。

11. ブダペストの警察は ゲイのパレードを守った。
しかし その反対のことも 起きている:緑の党の人権に
ついての広報担当者 Volker Beckは2007年5月に
モスクワで 市長に ゲイのパレードの禁止に反対する
請願書を手渡そうとして ネオナチに襲われた。その時 
警察は 同性愛者を守ろうとは しないで、
同性愛者を逮捕した。

12. ベルリンの市長 Klaus Wowereitもゲイなので 
パレードに参加した。ミュンヘンの市長もゲイだ。
7月12日にミュンヘンでパレードがある。その後 ほとんど
毎週末に どこかの市でパレードがある。
  


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2009年06月24日

ムンバイの娼婦のための銀行

10万人の娼婦がインドの大都会ムンバイで働いている。
多くはヒモに騙され 金を取られている。そこで この
業界の協同組合銀行は 女性たちが僅かな稼ぎを
貯められるように手助けしている。
グディヤは20歳代で、もう何年も娼館で働いている。
「娘には学校へ行かせたい。素晴らしい結婚式をしてやり
たい。ちゃんとした生活をさせてやりたい。私みたいに
騙されて こういう風になってしまって ほしくない。」
娼婦で銀行口座を持つ人は少ない。グディヤは口座を
もっている。「この銀行は親切で お金の貯めかたとか、
病気についてとか、色々 教えてくれる。私たちを
人間として扱ってくれる。」
この銀行は アジア最大の娼館地区Kamathipuraにある。
この2年で約5000人の娼婦が口座を開いた。自分の
金が無ければ 社会に訴えることも できない。
娼婦も他のインド市民と同じ権利を持つべきだ。

娼婦はインドの他の銀行へいったとしても、身分証明書も
ないし、住所もないし、不法の職に就いているとして
拒否される。
この銀行なら 小口の融資を申請することできる。
最終的には 別の職業に就けるようにと言う目標を
もてる。
この地区に住んでいると、新しい生活を始めるのは 
何光年も はるか先のことのように 思える。

シバンタは 500ルピー(約7ユーロ)を稼ぐ日もある。5人の男
から500ルピー稼ぐ女性もあるし、20人の男から稼ぐ
女性もある。稼ぎの大半は 娼館主とヒモに取られる。
残ったほんの少しの金を 銀行に入れる。
シバンタは稼ぎの少ない場合にだけ 預金をおろす。
シバンタの夢は 金を貯めて、村に帰り、土地を買うことだ。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/bankfuerprostituierte100.html  


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2009年06月24日

合法的薬物のため治療を受けた人は多い、非合法薬物より

2007年に非合法薬物(ヘロイン、コカイン、大麻など)を使った結果、
治療を受けた人は約8万人だった。一方、合法薬物
(酒・煙草・錠剤)を使った結果 治療を受けた人はもっと多く、
約532000人だった。
これは2009年6月26日にWiesbadenで開かれる 
薬物濫用に反対する国際大会で報告される。
飲酒と関連する病気や喫煙と関連のありえる癌で 
2007年に58000人たらずの人が死んだ。他方 
非合法宅物で死んだ人は1375人。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/koerpergeist/Mehr-Kranke-durch-legale-Drogen-article377997.html
  


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2009年06月23日

ドイツ語系クレオール語inパプアニューギニア

南太平洋のパプアニューギニアにドイツ人植民者が住み
着いて約100年経つ。
この島に 世界唯一のドイツ語に基づくクレオール語
(混交言語)「ウンザードイチ」(我らがドイツ語」が今も残っている。
この言語の文法はドイツ語と違う。たとえば、疑問詞は
文の最後に来る。複数形は無く、「すべての」という言葉を
付ければ済む。所有格は fi を付ける。
ウンザードイチに書き言葉は無い。

日本に住むアメリカ人言語学者Craig Volkerは70年代
の終わりに この言語を調査し始めた。当時 Volkerは
オーストラリアでドイツ語教員をしていた。彼の生徒の一人が
風変わりなドイツ語を話した。彼女はパプアニューギニアのラバウル
出身だった。
この言語を話す100人ほどの人の ほとんどは 今では
60歳以上になっている。若い話し手は ウンザードイチを
聞いて理解できるが、もう正確には話せない。

演劇家のMarc Pohlは新聞でこの言語について読んだ。
彼の情報源はVolkerだった。
VolkerとPohlはベルリンで会って、この言語の歴史と 
この言語を話す人々について 舞台で説明するという
ことを 思いつき チームを作って 実行に移した。
去年の秋にPohlと 舞台監督をするNicola Ungerは 
パプアニューギニアへ行き、人々に会い、情報・写真・テープ
録音を収集した。

この作品の中心人物は 解説者 Yvette Coetzeeだ。
彼女の家族はナミビア出身で ドイツ系。
彼女は8年前からドイツに住み、ドイツのかつての植民地に
ついて ドイツ人が あまりに知らないことに 大変 
驚いている。ナミビアには ドイツ学校があるし、ナミビアの歴史
の特徴は ドイツの植民地主義と その結果が残っている
ということだ。
パプアニューギニアが1884年から1914年までドイツ保護領だった
ことは あまり知られていない。
パプアニューギニアのドイツ系住民はクリスマスなどの伝統を
大切にしている。

この作品の初演は9月中旬にベルリンで予定されている。
ウンザードイチを話すHarry Hoerlerは初演を機会に 
パプアニューギニアからドイツに来る。日本に住む言語学者 
Craig Volkerも来る。
Pohlと彼のチームは この作品をパプアニューギニアでも
上演したいが カネが無く、テレビで作品を現地で放映
するしかない。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4264200,00.html

  


Posted by jtw at 08:34Comments(2)

2009年06月22日

性転換願望/自分の体でないような気持ち

ティル(24歳)は以前の名前をタニア(女性名)と言った。今
大学でトイレに入るにもナンギする。ティルはドイツに少なくとも
6000人いる 性転換願望者の一人だ。
この数は医者で処置をうけた人の数であり、多くの
該当者は医者へ行かない。だから実際の人数は
もっと多い。
性転換願望者は服装倒錯者とは無関係だ。女装して
テレビにでる男とは無関係。
性転換願望者は服がほしいのでなく、間違えた性に
生まれたので 別の体がほしい。
彼らは一生ホルモンを注射し、何度も手術する。

心理士と裁判所の鑑定が無ければ ファーストネームを
変えられないし、別の性のホルモンを摂取できないし、
手術もできない。しかしティルは鑑定を待てないので 
今もう男として生きようと努力している。ティルは男に
見られるように 色々と試してきた。
しかし人はティルを男性的な女だとか、14歳の少年だ
とか思ってしまう。アルバイトをする自信はない。女性の
制服を着るのは心配だから。
スポーツもしない。更衣室は どっちのを使えばいいか
分からないから。
ゲティンゲンの街を歩くと 子どもたちから「男の子?
女の子?」と訊かれる。

大学講師のBjoern(45歳)はベルリンに住み ハレ大学で
ロシア文化史を教える。誰もBjoernが以前Birgit(女性名)
だったとは 知らない。1995年に初めてホルモン治療を受けた。
その1年後に乳房と子宮を取る手術をした。
1988年 まだ女だった頃に結婚した。3年後に結婚
生活に耐えられなくなった。それで髪を切り、ジーンズをはき、
革の上着を着るようになった。夫にはすべてを話した。
4年前に離婚した。

ドイツで毎年 約300人が性転換手術を受ける。問題は
手術の前である。欝になり 自殺しようとする人も多い。
思春期が性転換願望者にとって 苦悩の時である。
ティルは生理が来た日に この世の終わりと思った。

性転換願望の原因は 充分に研究されていない。
極端な二つの主張がある。一方は 教育と社会的環境
によって 性転換願望が生じると言う。
他方の生物学的主張は 性転換願望は 生まれる以前に 
子宮の中に原因があるとする。
大半の学者は この中間の意見である。

多くの精神科医は性転換願望者を知らない。
ティルが 性転換願望について学んだことの ほとんど
全ては インターネットからである。
カタリナ(25歳)は大学でのティルの親友であるが、「ティルは
恋人であって、彼で あろうと 彼女であろうと 中性で
あろうと どうでもいい」と言う。

Bjoernは教授の職を求めて 何年も応募しているが 
うまくいなかい。応募書類は すべてBirgitという
女性名宛になっている。女性だった過去が問題なのか
と思う。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/campus/2009/03/transsexualitaet?page=1  


Posted by jtw at 14:29Comments(0)

2009年06月21日

伝道の自由/拉致され殺されるキリスト教信者

テーマの後ろにある隠れたタブーのテーマ。

多くのドイツのメディアが 攻撃的に論じないテーマがある。
イエメンの人質と3人の殺された看護婦に敬意を払い、
論じられないテーマがある。
イスラム教圏からの 辛い報道の背後に 人間の信仰に
関わる基本的な違いが 隠されている。宗教と 
どのように付き合うかという問題がある。
殺されたドイツ人のうちの一人の両親も、殺された二人の
看護婦を教育した聖書学校も この若い女性たちが
イエメンで活発なキリスト教伝道をしていたということに 
対して異議を唱えている。
幾つかの伝道グループは 手段の選択において、精神的な
事柄について、疑いを持たれるのも無理はない。

ユダヤ教を邪教だとして否認するカトリック原理主義者、
イスラム教をカタキとみなす超正統派ユダヤ教、
すべての不信心者に死を と公言するイスラム教徒など
にも 賛成できない。
キリスト教を伝道するからと言って 拉致という犯罪を
正当化することは 許されない。しかし このテーマは
避けてはいけない。
ドイツにも 様々な宗教を信じる人がいる。
下記サイトから:
http://blog.zdf.de/wahlimweb/2009/06/das-tabu-thema-hinter-dem-them.html
★上記のカキコミについて 24ものコメントが書き込まれて
います。元のカキコミよりも コメントの方が長いです。

  


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2009年06月21日

「ヒロポン地域、アメリカの小さい町の死と生活」本の書評

著者はジャーナリストNick Reding. この30年の間に
アメリカの小さい町が どういう風に メタンフェタミン
(日本での通称ヒロポン)によって衰退したかを描く。
Redingは4年間 アイオワのOelweinという人口6000人の田舎町
での ヒロポン製造と薬物依存症を調査した。
かつて組合活動が盛んで 中小企業の栄えたこの町は
今、農業関連産業と低賃金、失業へと移行する過程で 
苦闘している。この背景が ヒロポンに引き込まれやすい
状態を生み出している。
ローランドさんは 食肉加工場の昼夜交代労働をこなす
ために メタンフェタミンを使い始めた。1980年代の初めに 
この町の医者は 疲れ果てた労働者に日常的にヒロポンを
処方していた。ローランドさんの工場の組合が解散し、
賃金が2/3になった時に 彼はヒロポンを常用するようになり、
ついには製造するようになった。
1980年代に統制されない資本主義が力をもつようになり、
それがヒロポンの蔓延につながる。
この時期に労働者の賃金は下がり、疾病・退職などの
手当てが消えた。
不法移住労働者を無茶な低賃金で使うようになった。
ヒロポンは 落胆し惨めな思いをする人を元気づけた。その
原材料エフェドリンと擬似エフェドリンを自由に入手できなく
しようというDEA(麻薬取締局)の活動は 製薬会社
ロビイストに妨害された。

ヒロポンは19世紀の終わりに日本人が開発した。
20世紀中ごろまでに 兵士の士気を高めるのに理想的な
薬だと、政府も業界も考えるようになった。
「精神病的」「反社会的」行動を引き起こすと言う調査は 
あったが、米軍も第2次大戦中に兵士にヒロポンを使った。
(具体的な悪影響・副作用は あまりに多いので ここに
書くのは省略)
人々の「気分をよくし、熱心に働くようにする」という効果は 
素晴らしかったので ヒロポンの人気は高くなった。
ヒロポンを広めたのはメディアだとRedingは言う。メディアは
ヒロポンの問題は終わった、あるいは 元々 存在しなかった
としたのだ。

小さい町のアメリカは 一般に思われているような 
道徳的で勤勉な人々の住む場所ではないことを この本は
示している。そして 小さい町の衰退を 大都市が
知らないままでいることが 危険であることも 示している。

”Methaland, the death and life of an American small town" by Nick Reding"
Bloomsberry 255pp. $25.
書評は David Liss
書評の見出しは 「アメリカの心臓部だと言われた地域の心痛」

The Daily Yomiuri 2009年6月17日の書評欄から抜粋。

  


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2009年06月20日

メキシコの麻薬戦争の町フアレス

アメリカのエルパソから橋を渡り 歩いて行ける国境の町フアレスで
混乱は続く。
「依存症なしの生活」と言う薬物依存症者回復援助施設
は2週間前に銃で襲われ 5人の患者が死んだ。
去年8月にも8人の依存症者が殺された。
先週も一人の男が別の回復援助施設で殺された。

この町では 殺した犯人が捕まることは めったに無い。
患者が売人に借金があるか、敵対する組に殺されるか、
川向こうのアメリカの町 エルパソに麻薬を運ぶ仕事をしていて 
麻薬を盗んで殺されるか だろうと言われている。

昼間 麻薬を売り、夜は回復施設で寝る人が多い。
フアレスはメキシコでもっとも暴力の多い町で、今年 既に
約700人が殺された。
今年の初めに大統領が1万人の兵士と捜査官をフアレスに
送りこんで、町は平和になり、2月 3月に殺された人は
ゼロになった。しかし 今では 毎日10人くらい殺されている。


やくざ屋さんからの脅しが増え、回復支援施設のうちの
七つは閉めた。まだ25の施設は残っている。
マルチネス(40歳)は 大人になってから ずっとヘロイン中毒だ。
3ヶ月前まで回復支援センターにいたが、脅しのために閉鎖され 
今はエルパソへの橋の下から 橋を通る人に「カネをくれ~」と
叫んでいる。1日に8ドルもらえると、1日分のヘロインを買う。
The Daily Yomiuri 2009年6月17日の記事から抜粋。
下記サイトに地図とブログあり。
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/world/interactives/mexico-at-war/

★ブログ管理人の蛇足:
和歌山にも薬物依存症者回復支援施設はあります。
そこに通う人で 殺された人は無い。
メキシコは たいへんな国です。
   


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2009年06月20日

世界最年長男性の英国人は酒・煙草・女性のお陰で長生き

世界最年長男性だった田鍋友時(たなべ ともじ)さんは
113歳で2009年6月19日に他界した。朝5時半に起き、
新聞を読み、午後3時には牛乳を飲み、酒も煙草も
しなかった。
後継者の 世界最年長男性は 1896年生まれの
イギリス人Henry Allinghamである。
ヘンリーさんは第一次大戦と第二次大戦に従軍し、英国空軍
の創設者の一人。
日本のタナベさんと異なる生き方をしてきた。どういう風に
して そんなに長生きできたのかと 尋ねられ
「ウイスキーと煙草と奔放な女性たちのお陰」と答えた。
彼には 孫5人、曾孫12人、ヒヒ孫14人、ヒヒヒ孫1人いる。
一族の大半はアメリカに住んでいる。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Meldungen/Aeltester-Mann-der-Erde-gestorben-article373383.html  


Posted by jtw at 07:39Comments(0)

2009年06月19日

ドイツ人聖書学校女子学生イエメンで拉致され射殺される

殺されたリタ(26歳)とアニタ(25歳)の古里Wolfsburgの
教会には お悔やみの言葉を書くノートと二人の写真が
置かれている。
二人はイエメンの病院での3ヶ月の介護実習を終了していた。
教区の信者の多くは 二人を知っていて、ただ手伝いたい
と言う理由で イエメンに行ったのに なぜ殺されるのか
という当惑は 大きい。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/news/2009/06/18/jemen-anita-g-rita-s/trauer-in-heimat-gemeinde.html

★ブログ管理人の蛇足:
イスラム教圏へ聖書学校の生徒が行くのは 北朝鮮へ
民主主義について説教に行くのと同じほど 危ないと
思うけれど、なんで そういう国に実習に行った
のでしょうか。  


Posted by jtw at 10:40Comments(0)

2009年06月19日

ポラロイド今秋に復活

1年前にオランダのEnschede市のポラロイド工場は
インスタントカメラとフィルムの製造をやめた。
しかし 芸術家、愛好家、アマチュア写真家が
ポラロイドの再起に向かって活動してきた お陰で
この秋に試作モデルがでる。
下記サイトに動画:
http://www9.dw-world.de/tagesvideo/index.php?v=de&s=681&l=&o=0&f=FlashHigh  


Posted by jtw at 07:40Comments(0)

2009年06月18日

アルプスのセントバーナード犬の新しい役割

アルプスのセントバーナード犬には新しい役目がある
スイスアルプスのグレイトセントバーナード峠(スイスからイタリアへ向かう
道)に1000年前に修道院が建てられた。セントバーナード犬は
約300年前からここに居る。犬は標高2500メーターの
修道院に住み、修道士を案内し、雪の中で遭難した
旅人を助けてきた。
125年前に「スイスの国犬」に指定された。
首にラム酒の小さい樽をぶらさげた犬は 今はヘリコプターと
近代的な技術に代わられた。

わずか4人の修道士で この犬の繁殖の面倒まで
見られなくなったため 5年前にBarry財団が作られ、
夏の間 財団が 修道院で犬の面倒を見ている。
犬は冬の間 アルプスの麓に移される。

アルプス地域に元々いた農場の犬をかけ合わせて
セントバーナード犬が生まれた。1887年に 種として
承認された。雄は85キロにもなり、雌は70キロにもなる。
雪山で 踏み跡を案内する犬だった。橇犬としても
使われた。

バリー Barryは1800年から1812年まで生きて、40人
以上を救助したと言われる名犬。バリーは首に疲れた
旅人に飲ませる酒樽をぶらさげていた。一度は幼い少年を
救出し、背に乗せて戻ってきた。
バリーを称えて 修道院はつねに1頭にバリーという
名前をつけている。

今では救助に出ることはなく、老人ホームに治療犬として
出かけている。
財団の持っている28頭の犬のうち、1頭は雪崩の
救助の訓練をうけるが、これは実地で役に立つため
と言うよりも 伝統を守るためである。
財団では1年に20頭の子犬が産まれている。
ヘリコプターに乗せて救援に向かう犬としては ドイツシェパード犬
のような犬の方が 乗せやすいし、救助の能力に
おいても優れている。

修道士は今も救助に出ることはあるが 犬でなく、
近代的な道具を使う。雪崩にあった時に役に立つ
送信機は「バリーの声」と呼ばれている。

The Daily Yomiuri 2009年6月17日の記事
Saint Bernards forced to find new roles
から抜粋。
  


Posted by jtw at 21:17Comments(0)

2009年06月18日

樹上の家(バウムハウス)写真集by Pete Nelson

「世界中の樹上の家」という写真集からの写真10枚が
下記サイトで見られます。
http://www.zeit.de/online/2009/20/bg-baumhaeuser

沖縄の樹上の家、栃木県の小林さんの樹上の小屋、
他にインドのリゾート地の樹上のホテル?、アメリカのもの
数軒、ブラジルのもあります。
樹上の家は 休暇を過ごしたり、日常から逃げてきたり 
するためのもの。
  


Posted by jtw at 12:54Comments(0)