2007年07月31日

少年院の息子に薬物差し入れ

薬物濫用で少年院(「子どもの家」:日本と制度が違うので 児童養護施設
というようなものかも 知れない)に入っている息子に ハンブルクの
母親が 定期的に マリフアナを小包で送っていた。
39歳の母親は 4月から5回 煙草のほかに 5グラムの
マリフアナを 送った。
少年は 監視のもとに 少年院から 外出し、自分の金は 
もてなかったのに 薬物検査の結果 大麻を 使っていることが
分かった。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/833055.html

★分けの分からない親子です。
薬物濫用については 下記のblogも みてください。
http://orizuru.ikora.tv/
  


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2007年07月30日

ダライラマは中国の人権侵害を嘆く@フライブルク

10日前に始まったドイツ訪問の終わりに当たり 
ダライラマは 諸宗教間の対話を 呼びかけ また 
中国の人権侵害を嘆き悲しんだ。
諸宗教の共通性は 差異よりも大きく、対話の中に
イスラム教も 入れられるべきだ。
教育は 人間の内面の優れた資質を伝えることに 強い
かかわりを 持つべきである。愛と好意と共感は 世界に
とっても 個人の平和にとっても 本質的なものだ。
社会の 内面的価値が おろそかに されている原因は
教会と家庭の 影響力が 減ってきていることにある。
これらの価値は 個人の 内面的平和に とって必要な
だけでなく、寛容・非暴力・軍備縮小・自然との妥当な
かかわり に とっても 必要である。
中国における 状況に目を閉じないように ダライラマは 
フライブルク市庁舎での 歓迎会で 呼びかけた。
中国は 好景気では あっても、民主化・人権・宗教と
報道の自由について 何の進歩もしていない。
チベット自治区の副知事 Nyima Ceringは ラサで
外国人報道者と 記者会見し、「ダライラマの 宗教的
活動に 反対しているのではなく、チベット分離を
求める政治活動に 反対しているだけだ」と述べた。
29日に ダライラマは インドの亡命生活に戻る。 
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2711113,00.html

★ 日本の新聞に このダライラマの ドイツ滞在が 報道されないのは 
自主規制しているから でしょうか。
  


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2007年07月28日

オシメをする宿泊者を退去させた民宿

Usedomの貸主は 庭に建てた小さい民宿に泊まっていた 
27歳の障碍を持つ息子とその父母を 出て行かせた。
その理由は 息子が 常にオシメをしていたから。

父親は これは 差別だと言うている。
父は ヴェストファーレン新聞にこのことを 投書した。

民宿の女亭主は この非難を 正当でないと言う。
オシメを家庭ごみとして だしたから 衛生上の理由で
宿泊を 断っただけで、オシメは 特別ゴミとして
分別してだされるべきだ。そして 大小便で 宿泊所が
汚れるのを 恐れたと 彼女は言う。
一家は 2週間 そこで 過ごすつもりだったので
弁護士に相談し、ベルリンの反差別連盟に 通告する
つもりだ。
ヴェストファーレン州の 消費者センターの話では
所有者は 宿泊所が ひどく汚される 危険が あれば
宿泊の解約告知を する権利がある。しかし この程度
では ムリが ありそうだと 旅行の権利の専門家は
言っている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/deutschland/:Diskriminierung-Hausverweis-Windeltr%E4ger/593939.html
  


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2007年07月27日

猫に首掛け式カメラをつけて写真を写す

Juergen Perthold が 開発した猫用カメラを猫の
首にかけ、写真をうつし、人間がそれをネットで
公開している。
本文中 黒でない文字列をクリックすると 猫が
写した写真のサイトへ 飛びます。

首輪カメラ Vista Quest VQ1005はバッテリー付きで
70グラム。値段は約20ドル。

Stephan Bieletzke も 75グラムの 猫用 無線カメラを
作った。
次世代の 猫カメラも 開発中で それは GPS付き。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/netzwelt/web/0,1518,496609,00.html
  


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2007年07月26日

ダライラマは語る@ハンブルク

Deutche Welleの Hans Juergen Mayer とのインタビュー:

チベットの人権事情は あいかわらず深刻だ。
最近会ったチベット人は 中国の監獄に8年いた。彼の犯罪は
ラサの近くの村で ある人に 自分の気持ちを言ったことだけだった。

ハンブルク市庁舎での歓迎会で チベットの問題について
話した後 中国から 厳しい反論が あったが、別に驚かない。
たとえ 黙っていても 中国は 私を常に弾劾する。

ドイツ政府は 原則的に チベットに対して 共感をもって、
憂慮を表明している。

この旅の主な目的は チベット問題ではなく、人間のもつ優れた
資質を 伸ばすということだ。
そうすることに よって 人と家族と社会は より幸せになる。
すべての人は より良い世界を作ることに 責任を負っている。
そう 確信していて、その振興のために 努力している。

インドで講演すると 中国人も聞きに来る。時には 中国政府は
それを 妨害するが それでも 数人の中国人は 来る。
そういう中国人は チベット社会の実際の生活を 自分の目で
見た後では 中国で チベットについて聞いたことと、大変な
食い違いがあると 言う。そういう矛盾に気づくことは 結局
いい方向に働く。

チベット人は みな郷愁を感じるし 古里へ 行きたいと
思う。私もそうだ。しかし 私は 僧であり、仏教徒にとって
生まれた場所は それほど 大事ではない。
チベットの諺に 
「人にとって 無事に生きていける場所が 古里だ。人に
いいことをしてくれる人が 親だ」と言われている。

ハンブルクに来て たいへん暖かく迎えていただいている。
この滞在の間 家にいるような気持ちに なっている。
多くの人が ジャーナリストも みな 友人のように
接してくれた。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2704381,00.html
  


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2007年07月25日

ダライラマ記者会見「後継者は外国出身者に」

ADRとの独占インタビュー:
ARDの 中国特派員を 長く務めるStephan Niemannとの対話。

もし生きている間に チベットに戻れない場合、後継者は
チベット出身者でない人にならざるを えないだろう。
それが 生まれ代わりという事の意味であるから。

私の第1の目標は 人間の価値・すぐれた資質を 追い求めること。
第2の 目標は 諸宗教の調和。
第3の目標は チベットの問題。
目指すものは 自治である。宗教の調和と 人間のすぐれた資質
という 私たちが 価値を置くものを 保持するには、
自治が最善の道である。

49年前に 中国は 私たちを 難民にした。49年経って 今
若い世代が もっと多くの責任を 引き受ける時代になった。
中国は チベット文化を 意図的に荒廃させている。
チベットは 豊な言語を 含め たぐいまれな文化遺産を
もっている。私の考えでは チベット語は アジアの諸語の
中で サンスクリット語に もっとも 近い。それなのに
偏狭な中国の役人が この文化的伝承を チベット分離主義の
源であると 考えている。
以前 ラサの大学に 仏教論理学の講義が あったが、
その後 禁止された。
チベットの学校では 長い間 中国語が第一の順位になっている。
僧院には 信じられない程 多くの規制がある。
チベットの多くの都市で 人口の2/3は 漢民族である。
大半の食堂や店は 中国人の経営である。
チベット人は 少数派になり、日常は チベット語よりも
中国語を 話すことになる。
自分の国で 自分の言葉が 通用しないというアホな話は ない。
チベットに充分な 自由が戻れば、私は チベットに戻る。
そうなれば 私の正当な権限を チベットの行政に 譲り渡し、
魂の指導者でも 政治的リーダーでも なくなる。
今までに 政治的権力を 獲得しようとした ことは 決して
なかった。
生まれ変わりということの 意味は 前の世で 完成できなかった
先代の仕事を 後継者が 継承するということだ。
50年インドに 亡命しているので 次のダライラマは チベット
以外の人に ならざるを えない。何と言うても 私の仕事を
続けないといけないのだから。
当然 後継者は 女性ということも ありえる。私は皆さんに
可愛がってもらって いる らしいけれど、若い女性の
ダライラマなら もっと 魅力的だろう。
女性のダライラマが 仏教にとって、チベット文化にとって、
チベット人にとって 役に立つだろう。そうでない 理由は
ないではないか。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/aktuell/meldungen/0,1185,OID7150884_TYP6_THE_NAV_REF1_BAB,00.html
  


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2007年07月24日

ベルリンは梅毒の首都

ベルリンは他のどの都市よりも 梅毒が多い。
Robert-Koch 研究所(RKI)に よると 2006年に 首都には
10万人あたり16.8人の 梅毒患者が いる。
(ドイツ全土では10万人に3.8人)
第2位は ハンブルクで 10万人に7.5人。
梅毒は 特に ホモの間で 伝染する。
大都市に多く、シレースヴィッヒホルシュタイン
ブランデンブルク テューリンゲンなどの平地地方には
少ない。
早期の段階で 皮膚に潰瘍が あらわれ、後期には
脳脊髄膜炎 痴呆に 至る。
RKIの報告によると 梅毒患者の73%は 男と 無防備な
性的接触をした男である。
異性との関係と比べて ホモによる感染の危険は 200-300倍
高い。急性の梅毒の場合 さらに HIVに 感染しやすい。
異性間の感染では 娼婦との接触によるもの 薬物利用に伴う感染
スワッピング クラブでの感染が 多い。
梅毒のはやっている 東欧からの感染もある。
ホモや性労働者の間で うつされた梅毒は 両性愛の男から
女へ 伝染する。
ドイツで 今までで 梅毒患者が 最多だったのは 2004年で
3352人。2006年は 3147人だった。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/,ra17m3/gesundheit/artikel/927/124744/

★ 普通の人は こういう記事を 読んでも どうと言う事 ないでしょうけれど、
近くに患者がいる人が 読むと へぇ~ そうであったんかいな という
感動というか しんどい気持ちが 生まれます。

  


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2007年07月23日

マウスをクリックして途上国の人に小額貸付

発展途上国の零細企業家を貸付金で 助けたい人は マウスを
クリックするだけでいいという仕組みを アメリカの組織
Kiva が 作った。
しかし 専門家は この考えを批判的に見ている。

カンボジアの女性は 魚網を買いたい。メキシコの女性は
中古衣料店を開きたい。象牙海岸の女性は 化粧品店を
改装したい。この3人は Kiva orgに 頼った。
このアメリカの援助組織の ウェブサイトには 約14000の
同様の 貸付例が ある。
数十年前からキリスト教の組合 Oikocredit は
小額ローンを支援している。
Kiva orgの 新しい点は インターネットを使うことと、
貸付をしたい人が 中心にあるということだ。
貸し金の提供者は ネットで 誰に金を 貸せるかを探す。
支払いは クレジットカードか オンラインの PayPalで
する。返済は 保証されていないが、今まで 99%の
ローンは 返済されている。
この考えを実地で始めたのは カリフォルニアの夫婦
Jessica Flannery とMatt Flannery。
Jessica は アフリカのマイクロ金融組織で 働いていた。
夫は カリフォルニアの製造業界で働いていた。
2005年に Kiva org を設立した。
その任務は 人々をつなぐ ことと 零細組織を助けること。
Kiva には 約78000人の 貸付人が いる。その中に 欧州の
人もいて その一人 Remagenの Clausmann はこのクレジット
活動についてブログを 書いている。
この貸し金事業は ブログで 人気が高い。
貸付人は 利子を取らない。
Kivaは 12000の貸付人をもち、総額820万ドルを 貸し出した。
これは Oikocredit の 貸付金 1億5千万ドルと比べて
少ない。
専門家は Kivaの 貸付が 長期的に 発展途上国の役に立つか 
どうか 疑念をもっている。 
「ドイツ技術共同作業のための組合」の専門家 Gabriela Braun は
発展の政治学の観点から Kiva のしていることは 有意義でない」
と言う。たいていの途上国には 実は 充分な金が あるのに、
効果的な銀行システムが ないだけだ。
このようなシステムは 西側からの援助への 依存を生む。
バングラデッシュの Yunusが 小額貸付金の パイオニアとして
ノーベル平和賞を 受けてから このテーマは 話題になりやすく
なった。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2681077,00.html
  


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2007年07月22日

ダライラマ連続講演始まる@ハンブルク

7月21日にハンブルクのテニススタジアムで ダライラマの最初の
講演があった。
毎日 32カ国からの 約1万人が 講演を聞きにくると 思われる。
西洋では 多くの人は 物質的に恵まれていても 不幸であり、
だから 憎しみや激怒のような 否定的感情に 対抗するために 
愛や共感や寛容という 肯定的感情を 展開していかなければ
ならないと、ダライラマは 述べた。
ARDとのインタビューで ダライラマは 中国との間に信頼関係を
築きたいと 述べた。
「平和になれば チベットに戻り 正当な権威を チベットの
行政に譲る。そうなれば もう チベットの魂の指導者でもなく
政治的な指導者でもなくなる」。
世界の貧富の差の 拡大を憂え、その格差を減らすことに
注意を向けるべきだ とも 述べた。
女性の教団内の 権利についても 述べ、尼が 任職/叙階に
完全に 平等であるように なるのが 望ましいと 述べた。
ハンブルクの新教の監督 Maria Jepsen は ダライラマの
立場を 支持した。キリスト教では 約2000年の間 女性は
締め出されていた。Jepsenは 1992年に 世界で最初の
女性 新教監督になった。
下記サイトから:
http://www1.ndr.de/nachrichten/hamburg/dalailama4.html
  


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2007年07月21日

国際的な児童演劇フェスティバル@大阪

大阪で初めて国際的な児童演劇フェスティバルが開催されます。
開催期間: 2007.7/30(月) ~8/4(土) 。
このフェスティバルは、異なる文化や異なる背景を持つ人達とこどもた
ちが交わり、理解を深めることで、
互いに共生していく未来の礎を作っていきたいと考え、親と子、青少年
が、複数の素晴らしい舞台芸術に出会い、
心をゆさぶられる体験ができる場を提供したいと考えています。

いま起こっている問題の多くは、人の痛みや、苦しみ、喜びなどを感じ
とり、
想像することができなくなってしまったことから来ていると思います。
優れた演劇は子どもたちに大きな感動を与え、想像することができる心
を取り戻す力となるはずです。

今年はカナダ、韓国、デンマーク、ドイツより現在世界でもトップレベ
ルだといわれる4作品を招聘いたします。
(詳細は是非ホームページをご覧下さい。 
 http://www.takotan-festa.jp/ )
以上 運営委員さんからの メールです。
  


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2007年07月21日

最貧国への援助

ニジェールのような国では 貧困と共に 空腹が来て、時には
援助も来る。
国連貿易開発会議 UNCTAD は最貧国のリストを発表した。
多くの国は このリストに のることを 望んでいる。借金が
しやすくなるし、欧州市場へ近づきやすくなるから。
世界銀行によると 1日に 地元の購買力で 1ドル以下しか
使えないと 貧しいと される。
2001年に それ程 貧しい人は 11億人と 見積もられ
それは 世界の人口の約1/5であった。
しかし 純粋に経済だけを 考えるやり方は あまりにも
大まかだという 批判がある。それで、国の 発展状態を
示すのに 読み書き能力の程度・国内総生産における農業の
関与割合が 90年代から 考慮されるようになった。
7月19日に UNCTADは 最貧国についての 報告を発表した。
カーポベルデという アフリカ西方の大西洋にある国は
最貧国で なくなり、49カ国が リストにのった。
これらの国は 年間一人当たりの所得が 750ドルより 少ない。
生活の質は 栄養状態・健康・就学率・読み書き能力によって
決められる。経済の傷つき易さは 農業生産と輸出の 不安定さ
などの基準によって 測り、自然災害の危険や 国の経済規模
によっても 測られる。
最貧国には 国際特許の 規定が 制限され、たとえば 薬は
有利な条件で 自分で 生産できる。
2000-2005年の間に 13億ドルが 行政の改良に 援助が向けられた。
その間に 1200万ドルだけが 農業プロジェクトに 投入された。
49の最貧国のうち12カ国は 最近の数年に 高い資格を もつ優秀な
人の 1/3を なくした。移住してしまった。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2696921,00.html
  


Posted by jtw at 14:36Comments(0)

2007年07月20日

ケルンのオーデコロン博物館

昔は 水は健康に良くないとみなされていたので 身体を水で 
洗ったりしなかった。香水を身体にかけたのだ。
Johann Maria Farina は約300年前に 自分で作った香水に
オーデコロン(ケルンの水 という 意味の フランス語)と
名づけた。
その世界最古の香水工場は 今 Farina Hausという小さい
博物館になっている。
Patrick Sueskind は 「香水」という本を 1985年に 出版した。
この本は Farina Hausも 利用しての 20年の調査の結晶である。
オーデコロンは 裕福な人だけのものだった。Farina の製品は
欧州のすべての宮廷、オーストリーの皇帝、エリザベス女王、
ペルシャの王にも 使われた。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2663902,00.html
  


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2007年07月19日

ダライラマ@ハンブルク10日間滞在~Freiburgへも

ダライラマはドイツで ローマ法王よりも 人気がある。
ハンブルク テニス スタジアムで ダライラマは3万人の
聴衆に 平和・グローバリゼーション・仏教について
講演する。
尼さんの 大会にも 参加して 仏教における 女性の同権を
求める運動をも 支持することが 期待されている。
「生きることの 意義は 幸運を求める努力にある」と
ダライラマは言う。
正式の尼僧として 任職できるとすると、尼も 宗教教師の
職をもつことができる。今までは 男の僧だけが そういう
可能性をもっていた。
一連の催しの一つに 著作者 Roger Willemsen との対談も
ある。
今72歳。1937年 2歳の時 ダライラマ13世の 生まれ変わりと
認められ、15歳で チベットの魂の指導者と 世俗的指導者を
兼ねる。その後 しばらくして 中国軍が チベットに侵攻し
1959年に ダライラマは インドに亡命した。
中国政府との交渉によって チベットの自治権と自主管理を
達成するのが ダライラマの目標である。

19日朝に ハンブルクに着き 講演やセミナーをした後 28日に
フライブルクへ向かう。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/28/0,3672,5568348,00.html
★文中 すべて「ダライラマ」を繰り返し 「彼」は まったく
出てこない。偉い人に 彼とか 彼女とか 言わないのでしょう。
  


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2007年07月18日

回教徒のスカーフについての闘い

ノルトラインヴェストファーレン州の女性教師 Selma Yavasは
スカーフ禁止令があるので ひさし/つばのない帽子で 髪の毛を隠したい。
しかし 労働法は それも認めない。
彼女はHauptschuleで 教えている。
2006年5月に ドュセルドルフ州議会で スカーフ法が可決された。
それによると 教師は世界観において中立でなければならない。
スカーフは女性の抑圧の印しであり、偏狭と理解される。
スカーフをかぶる人の 見解は認められない。それを見る人が
どう考えるかの 問題であるようだ。
そこで 彼女は 帽子をかぶれば済むと考えた。校長も そう
考えた。
ケルンのイスラム教女性センターで 毎月「信仰と付き合いに
おける自己決定のための会合」という 州内でスカーフをかぶる
女性教師の自助グループが 集まっている。
ある州では すべての信仰表明を禁止しているが、別の州では
キリスト教の信仰表明を 許すが 他の宗教に ついては
禁止している。
ある女性教師は 譲歩して ヘアバンドを することにした。
スカーフは 宗教的戒律であり、それが どういうものかを
すべて 説明しろと 言われても できない。
トルコ系移民の子どもに 生まれ 家族で始めて 大学へ
進んだ 女性にとって スカーフは 家族とドイツの間の
バランスをとる行為である。スカーフは 彼女にとって 大学で
学んだという女性解放の 印しであった。宗教的義務であり、
そのうえに トルコ系の家族から ドイツの教師の一員になった
という 印しでもある。
彼女は 困り果てて 鬘を 買うことになった。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2007/29/C-Kopftuchlehrerinnen?page=all
  


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2007年07月17日

統合失調症30歳女性十数年の経験を語る

Juliaは 30歳、医療助手になったばかり。統合失調症を患う。
異常な心理状態になったのは 18歳の頃で 自殺を図った。
彼女は 11年生(高校1-2年?)の女生徒13人に 
病気について 語った。
この集会は 3人の人が 「ミュンヘン精神病者連合」と共に
計画した。生徒に 精神病の問題に 直面してもらって
偏見と心配を なくすのに 役立つように。

人口の約1%は 生きているうちに 精神病になる。
精神病は 一時的な 状態であり、その間に 人は 現実との
接触を無くす。しばしば 周りの人によって 脅かされているような
感じがしたりする。
精神病の中で 統合失調症は 重い病気だ。
Julia が病気になったのは 12年生の時、彼にふられ、卒業試験は
迫り、突然 不安になった。人々や周囲の世界から 迫害されて
いるような感じがした。地下鉄の中でも そんな気がした。
会話の断片は すべて 自分に関連が あるように思えて
常に 否定的な意味を持っていた。
車は 自分に向かって ひきにくるように 思えた。
薬を飲んで 自殺しようとした。精神科へ自分で 行った。
ただ そこでは 診断が つかなかった。
抗ウツ剤をもらって 「女の子の家」へ引越し 卒業試験の
追試を受けた。
1年後に 薬を飲まなくなった。これは間違いだった。
2回目の異常な心理状態に なったのは 21歳の頃。
アジア旅行から 帰って 大学に入ったが 失恋し、大学でも
迫害されているように 思えた。何にも集中できなくなり、
何もできなくなった。これは 大変 恐ろしい経験で
「皆さんには 想像できないだろう」。
しかし 回復した。その後の 9年で 薬のせいで、50キロふえた。
今 1日に 12錠の薬を飲む。
1年半前に 最悪の時が あった。それまでは 将来も 一緒に
いるつもりの 彼がいたのに、彼は 自殺してしまった。
それで 薬を飲むのを 止めた。すると 突然 声が 聞こえて
きた。自分から 病院へいって、その後 共同住居へ 引越し
新しい男友達も できて 猫も 仕事も 手に入れた。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/muenchen/artikel/899/123724/2/
  


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2007年07月16日

Buchenwald強制収用所建設70周年追悼

ブーヘンヴァルト強制収用所はワイマールの近く Ettersburgに
70年前の1937年 7月15日に建てられた。
最大の収用所の一つ。
犠牲者約38000人の名前は 多額の調査費をかけて 突き止められたが
今も多くの犠牲者の名は 確定されていない。
当時の被拘留者は 建設70年に当たり ファシズムを 実際よりも
危険でないように見せることに 警告した。戦争・不寛容・
民族主義・人種差別が世界的に 広がり、暴力を 危険なものでない
ように見せた結果 このような大虐殺に至った。
ドイツのジプシーの代表者や ユダヤ人の代表者も 追悼の場で
挨拶した。
1937年から45年の間に 30カ国以上からの 約25万人が 収用され
そのうち 56000人が 死亡するか殺されるかした。
1945年4月11日に アメリカ軍が この強制収用所を開放した時
21000人だけが 生き延びていた。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/27/0,3672,5567611,00.html  


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2007年07月15日

移住者の子は勉強しても上級学校へ進学する機会が少ない

移民の子はドイツの教育システムでは ドイツ人の子より
成績が良くても挫折する。
これは生まれつきそうなのでなく、社会的な理由がある。
幼稚園から大学まで 教育の全ての段階で ドイツ人と
比べて 移民の子は 不利である。
幼稚園へ行けたとしても ドイツ語の能力は 不十分だ。
小学校へ入ったら 困難は もっと 厳しくなる。
ドイツに生まれた親を持つ三世の15歳の子の うち
約40%は 数学のもっとも易しい問題を 解かねばならない。
若い移民の1/3以上は 学校を卒業できない。
トルコ系移民の子の 約1/2は 上級学校 Hauptschule へ
行き、1/8が ギムナジウム(大学進学高校)へ行く。
移民の子の 1/5は 学校へ入っても 終了できない。
ドイツ人の場合 中退する子は 7%しかいない。
親が滞在許可を持っていない場合 子どもは 特に 困難である。
強制送還されるのを 恐れて そういう子の多くは 学校へ行けない。
約200万人いる大学生の うち わずか8%が 移民の子で、その
多くは 卒業まで もたない。中退率は45%になる。
一方 ドイツ人の中退率は その半分以下。
移民の子は 貧しい家庭の子が 多い。今まで小学校は そういう
家庭の不十分な養育を 埋め合わせることができなかった。
移民の子は ドイツ人よりも成績が 良くても 不利な扱いを
受けると いくつかの調査は 報告している。その結果
ギムナジウムへ推薦されることが 少なくなる。
「職業教育のための連邦研究所」の調査によると 同じ
成績の子であっても、移民の子は 職業教育の専門学校へ
入れる機会が 少ない。教師が生徒の能力に 期待し、信頼する
ことが 教育が成果をあげる鍵になると 同研究所は強調する。
移民の子は 移民の子が過半数を占める小学校へ行く。
トルコ系とアラブ系の子は 特に 上級学校へ 入れる機会が
少ない。ロシアや東欧から来た親の子は まだ いい。
旧東独で ベトナムの子は 平均以上に うまく行っている。
イタリア系の子にも 心配の種になる子は 多い。
スイスにいるトルコ系の子は ドイツにいる子よりも
成績がいい。これは 小学校教育の違いによる。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/,tt4m3/deutschland/artikel/166/122996/
  


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2007年07月14日

USA大統領候補オバマの先祖の地ケニアを訪ねる

来年大統領になるかも知れないオバマのおばあさんを
ケニアのKologo村に 記者は訪ねた。
オバマは ハワイで私立小学校へ行き ハーバード大学で
法学を勉強した。
1983年 オバマは 21歳の学生だった時 父の先祖の土地
アフリカを知るために シカゴからナイロビへ向かった。
父の墓は 赤道直下にあると 村人は言った。
オバマが2歳の時 父は家族を見捨てた。9歳の時 アメリカで
一度だけ再会できた。
祖父母の家は 墓の隣にある。おばあさん Sarahは 82歳。
村で セアラ ママは 有名で 「目の見えない人も セアラ
ママの家への 道を知っている」。その道は ユーカリと
マンゴーの木立に 囲まれている。土壁の小屋が 幾つもあり
円錐形の屋根は 藁葺きだ。そのうちの一軒が セアラママの
家。
コゲロ村は ナイロビから西へ約800キロ。首都に次ぐ大都市
で空港のある キスミは ビクトリア湖畔にあり 村から
車で2時間かかる。
コゲロの村人は 畑作をして 牛を飼って 生活している。
村では 電気は 宝で、セアラ ママは 電気を引いている
数少ない家である。
★「続きを 読みたい人は SZ誌を読んでください」と書いて
まして、お金を払わないと 全部は 読めない。
しかし オバマさんの 写真 十数枚と おばあさんの写真は 
このサイトでタダで見られます。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/,ra1m3/ausland/artikel/469/123298/
  


Posted by jtw at 05:45Comments(2)

2007年07月13日

移住者のための相談所@ケルン・希望への手がかり

ベルリンで連邦政府の第2回人種統合頂上会議が いま開かれている。
ケルンの移住女性相談所 AGISRA のような 小さい組織が
具体的な人種統合の仕事をしている。
Marjan が 去年8月に初めてこの相談所に来た時は 絶望していた。
病気で 孤独で 職もなく 滞在権もなかった。
11年前 イランから来て ずっと強制送還を 恐れていた。
毎年この相談所へ来る400人の女性も 似たような境遇にある。

AGISRA(性的・人種的な国際搾取に反対する共同体)で 7人の
職員が 11の言語で相談業務をする。職員も同じ移住者である。
AGISRAは 1983年にマイン河畔のフランクフルトに設立され、
最初は 人身売買の犠牲者を対象にしていた。
ケルンには 1993年に 設立された ここでは 家庭内暴力に苦しむ
女性・強制結婚を恐れる若い女性・強制送還に脅かされる女性
の世話をしている。
相談だけでなく 治療も受けられる。ウツ・孤立感・不安
という精神的困難に 通所者は 苦しんでいる。
Marjanも ウツだった。高卒資格試験をドイツで 受けたかった
けれど、イランの卒業資格は ドイツで認められなかった。
ドイツで職業教育を受けたが 集中できなくて、止めた。
部屋に閉じこもって 過ぎた事ばかり 考えていた。
そんな時に 友人が この相談所を勧めてくれた。
孤立は 大きな問題だし、役所へ行くことに恐怖感をもつ 女性も
多い。それで、相談所の職員が 役所へ行くのに 同伴する。
相談に来た人には 権利があることを示唆して、自分自身で何か
できると いうことを 職員は 示す。
Marjanは イランで グラフィックアートの高卒資格をもっていた
のに ウツ病の間に そんなことは 忘れてしまっていた。
職員は 絵の教室を始めるように 彼女を励ました。教室は実現した。
次に 彼女は 本格的な職場を 捜さなければならなかった。
職が 見つかれば 新しい滞在権規則では 滞在の権利が 得られる。
まもなく 彼女は ファストフード店で職を 見つけた。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2678762,00.html
  


Posted by jtw at 10:30Comments(0)

2007年07月13日

牛追い祭り@スペイン・写真

7月12日に開かれた牛追い祭りの写真 十数枚 下記サイトに。
80人ほどが 牛に突かれて 怪我をした。重傷者も。
岸和田のだんじり祭りの 方が はるかに 安全です。
ヘミングウェイの フィエスタと いう 小説で 有名になった祭り
だそうです。
http://www.faz.net/s/RubCD175863466D41BB9A6A93D460B81174/Doc~ED5CA4E1E1A2B4460B4433EFD2E105D3F~ATpl~Ecommon~Sspezial.html
  


Posted by jtw at 08:12Comments(0)