2007年07月10日

ユダヤ人博物館@ウィーン

ナチの時代のユダヤ人についての 世界最大のデータが2000年に
偶然 屋根裏部屋から 見つかった。何十年も空きアパートに800の
ボール箱に入れられていた。1センチの埃が 積もっていて、黴が 
脆くなった紙を食っていた。専門家が 7年間 この紙の山を 調べて 
整理して 公開された。
この類稀な資料に基づく展示は ウィーンのユダヤ人社会が その破滅を
どのように 管理させられたかを 示している。自分達の死を 自分で
管理させられたのだ。
第二次大戦前に ウィーンのユダヤ人社会は20万人だった。欧州で
ワルシャワに次ぐ大きい人口をもっていた。
現在 ドナウ河沿いに約7500人が住む。戦後60年経って ウィーンの
ユダヤ人社会は 再び 活き活きとしている。
300年間 ユダヤ人社会が どんな運命に耐えてきたかを 
この博物館は示す。
このアーカイブの所長 Lothar Hoebling は エルサレムの
「ユダヤ人の歴史のための中央アーカイブ」と 共同で この資料を
一般の人が 利用できるようにした。
1938年から45年までの間の資料は 50万ページになる。
今までは ナチが残した資料を基に ユダヤ人迫害の歴史が書かれてきた
と、 ワシントンのホロコースト記念博物館の 歴史研究所 所長
Paul Shapiroは 言う。
ウィーンで 犠牲者の手による書類が 発見されたことによって
失われたホロコーストの歴史が 明らかにされる。
オーストリー併合の後に ユダヤ人が 古里を離れ、キューバ 
パラグアイ ブラジルなどに 逃れたことを この展示は示す。
1941年2月に ウィーンからの追放輸送が 始まった。ユダヤ人社会は
自分達の死を きちんと 管理しなければ ならなかった。
この資料は 歴史的意味の他に 実際的効用もある。生き延びた人は
行方不明の身内を捜す手がかりを 得られる。賠償金や 原状回復の
問題について 難しい立証に役に立つ。
芸術作品としての ポスター 約3600枚も 取り返される。これは
この50年で 最大の原状回復の事例であり 750万ユーロの価値があると
見積もられている。ポスターの元の所有者 Julius Paul の甥は
1938年に ウィーンから追放された。ポスター1枚につき 僅か
数ペニッヒで 接収された。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,493391,00.html
  


Posted by jtw at 20:24Comments(0)