2012年08月24日
イスラム教についての悪いイメージ
下記サイトから抜粋:
http://www.welt.de/vermischtes/article108716265/Fuer-Sex-gibt-s-bei-uns-Punkte.html
★ブログ管理人の意見:
当地にいる留学生を通してだけイスラム教を理解していると 厳格な規則を
守る宗教もあるものやと 言う感じです。
イスラム教徒のための肉でない 肉を焼いた網や 穢れた肉に触れたお箸は
イスラム教徒は 使ってはならない。あるいは ほとんど日本語のできない
留学生のための 通訳をするのは 同性の人で なければ ならない。と言う
ようなことは 実際的でなく カネも手間も かかり、お手上げでした。
しかし 外国でイスラム教徒とつきあった人の話しでは それ程 厳格
ではないようです。
下記の記事を読んだ ところで イスラム教徒についての理解が
深まるわけでも なかったですが 読みました。
◎絶食の一ヶ月ラマダンが終わり、世界中のイスラム教徒は今、祝っている。
イスラム教に改宗した Anja Hilscherは イスラム教のイメージに
ついて本を書いた。
イスラム教を 不寛容・暴力・女性抑圧に結びつける人は 多い。
全体の文脈から切り離されて 引用されたり、伝承の半分だけ引用され
たりするために イスラム教の本質がわからなくなっている。
イスラム教では 慈悲心が 神のもっとも大切な特性である。
罪のない市民を殺すことは イスラム教において正当化されないと
専門知識をもつイスラム教学者なら 誰でも言うだろう。
ジハドは「聖戦」でなく、「努力」を意味する。「努力」とは神へ向かう途中の
努めであり、善行である。最大のジハドは 心の中の卑しさとの
日常の闘いである。人間の弱さを知り、弱さについて 懸命の努力を
することである。
性欲については 結婚という枠の中では 良いことだ。
イスラム教圏からの移民の子どもは 親の出身国に帰りたがる。イスラム
教徒への敵意と無関心があるために 率直にイスラム教徒の言うことに
耳を傾けない人がいる。こういう状態では くつろげない。だからイスラム圏へ
帰りたいのは 無理もない。
この本の読者として まず想定されたのは 心を開いた非イスラム教徒で
あり、次に 心を開いたイスラム教徒に読んでもらいたい、宗教を実践して
いないが 未知のことを学びたいと思っている人(文化としてイスラム教を
捉える人)にも読んでもらいたいと 考えて書かれた。
http://www.welt.de/vermischtes/article108716265/Fuer-Sex-gibt-s-bei-uns-Punkte.html
★ブログ管理人の意見:
当地にいる留学生を通してだけイスラム教を理解していると 厳格な規則を
守る宗教もあるものやと 言う感じです。
イスラム教徒のための肉でない 肉を焼いた網や 穢れた肉に触れたお箸は
イスラム教徒は 使ってはならない。あるいは ほとんど日本語のできない
留学生のための 通訳をするのは 同性の人で なければ ならない。と言う
ようなことは 実際的でなく カネも手間も かかり、お手上げでした。
しかし 外国でイスラム教徒とつきあった人の話しでは それ程 厳格
ではないようです。
下記の記事を読んだ ところで イスラム教徒についての理解が
深まるわけでも なかったですが 読みました。
◎絶食の一ヶ月ラマダンが終わり、世界中のイスラム教徒は今、祝っている。
イスラム教に改宗した Anja Hilscherは イスラム教のイメージに
ついて本を書いた。
イスラム教を 不寛容・暴力・女性抑圧に結びつける人は 多い。
全体の文脈から切り離されて 引用されたり、伝承の半分だけ引用され
たりするために イスラム教の本質がわからなくなっている。
イスラム教では 慈悲心が 神のもっとも大切な特性である。
罪のない市民を殺すことは イスラム教において正当化されないと
専門知識をもつイスラム教学者なら 誰でも言うだろう。
ジハドは「聖戦」でなく、「努力」を意味する。「努力」とは神へ向かう途中の
努めであり、善行である。最大のジハドは 心の中の卑しさとの
日常の闘いである。人間の弱さを知り、弱さについて 懸命の努力を
することである。
性欲については 結婚という枠の中では 良いことだ。
イスラム教圏からの移民の子どもは 親の出身国に帰りたがる。イスラム
教徒への敵意と無関心があるために 率直にイスラム教徒の言うことに
耳を傾けない人がいる。こういう状態では くつろげない。だからイスラム圏へ
帰りたいのは 無理もない。
この本の読者として まず想定されたのは 心を開いた非イスラム教徒で
あり、次に 心を開いたイスラム教徒に読んでもらいたい、宗教を実践して
いないが 未知のことを学びたいと思っている人(文化としてイスラム教を
捉える人)にも読んでもらいたいと 考えて書かれた。