2011年12月30日
歳末・御礼
この会が潰れて 満5年たち、昔の会員はたいてい都会に引越し
再開の見込みは無いのに、カキコミだけ 今年も月に3回くらい
続けてきました。訪問していただいて 有難うございました。
5年まえ 潰れそうな時期には ホームページ担当してくれた
山下さんの勧めもあって、ブログは毎日かいていました。
ただで 広報できるからと言う理由でした。
今年から 和歌山ダルク(薬物依存症者回復支援組織)の
広報のために その非公式ブログを毎日かいています。
覚醒剤という特殊な主題のブログなので 昔のドイツ語の会の
ブログほどに アクセスは 多くないです。
和歌山ダルクも潰れないように したいです。
良いお歳をお迎えください。
写真 by SACHI(Photost.jp)
再開の見込みは無いのに、カキコミだけ 今年も月に3回くらい
続けてきました。訪問していただいて 有難うございました。
5年まえ 潰れそうな時期には ホームページ担当してくれた
山下さんの勧めもあって、ブログは毎日かいていました。
ただで 広報できるからと言う理由でした。
今年から 和歌山ダルク(薬物依存症者回復支援組織)の
広報のために その非公式ブログを毎日かいています。
覚醒剤という特殊な主題のブログなので 昔のドイツ語の会の
ブログほどに アクセスは 多くないです。
和歌山ダルクも潰れないように したいです。
良いお歳をお迎えください。
写真 by SACHI(Photost.jp)
Posted by jtw at
18:29
│Comments(0)
2011年12月21日
六ヵ国語落語・三遊亭竜楽
日本経済新聞2011年12月20日文化欄に五代目円楽さんの
弟子・竜楽さんが寄稿しています。
見出しは「6カ国語落語の話を一つ ~ヨーロッパで公演
通算58回、笑いは各国様々」
外国語レッスンは大学の先生や大使館関係者のお力を
借りている。今年6月のドイツ公演は ベルリン自由大学で
日本の漫才について講義するワインガートナーさんの世話による。
彼はこの12月1日に日独友好賞を受賞した。
海外における日本の伝統芸能公演は国やスポンサーの援助に
加え、主催者・演者の奉仕的精神に支えられて 実現に至る
場合が ほとんどで、大抵は 単発で終わる。
座布団が一枚あって たった一人で興行できる落語ならば
遠い欧州でも定期公演が可能になると考え、活動を始めた。
昨年 一昨年 国際交流基金や笹川日仏財団の助成を
受け、渡航がかなった。
弟子・竜楽さんが寄稿しています。
見出しは「6カ国語落語の話を一つ ~ヨーロッパで公演
通算58回、笑いは各国様々」
外国語レッスンは大学の先生や大使館関係者のお力を
借りている。今年6月のドイツ公演は ベルリン自由大学で
日本の漫才について講義するワインガートナーさんの世話による。
彼はこの12月1日に日独友好賞を受賞した。
海外における日本の伝統芸能公演は国やスポンサーの援助に
加え、主催者・演者の奉仕的精神に支えられて 実現に至る
場合が ほとんどで、大抵は 単発で終わる。
座布団が一枚あって たった一人で興行できる落語ならば
遠い欧州でも定期公演が可能になると考え、活動を始めた。
昨年 一昨年 国際交流基金や笹川日仏財団の助成を
受け、渡航がかなった。
2011年12月11日
目隠し有料ツアーinケルン
(ダブルポストです)
ドイツで初めての 触覚・聴覚・嗅覚を頼りに歩くツアー。
参加費35ユーロ。
見える人が わざわざ目隠ししてガイドにケルン市を案内して
もらうツアーが 2011年10月21日から 始まった。
実は 暗闇で開かれる行事は ケルンに今までも あった。
「見えないバー」という 真っ暗のレストランの隣に 1989年から
「暗闇での対話」というのがあり、そこは 盲人を晴眼者の
案内人にする場である。
しかし 自発的に視覚を絶つという可能性を 思いつく人は
長い間なかった。
ツアー参加者は6人までで、黒いアイマスクをして、リュックを
背負って 一列縦隊で 歩く。3人が一組になる。
案内人と参加者は イヤホンとマイクで つながっている。
まず Ludwig博物館に行き、駅から大聖堂に向かい、Hohen
通りに着く。ここらあたりで たいていは 通りがかりの人と
目隠しツアー参加者との間で 活発な話し合いが 起きると
ブラインド ウォークの発案者 Axel Rudolf博士は言う。
休憩の時にも 参加者は別の困難を経験する:リュックの中の
パンを探し、飲み物をコップに注ぐのも 一苦労である。
2時間半のツアーの終わりに 睡眠用アイマスクを取り、地図を
見て、どこを歩いたのかを確認する。35ユーロかけて、
暗闇のケルンを見て、頭の中に 生き生きした像が 残る。
下記サイトから:
http://www.marcopolo.de/reise-news/deutschland-blindwalk-mit-verbundenen-augen-durch-koeln
写真 by yo_see(Photost.jp)
ドイツで初めての 触覚・聴覚・嗅覚を頼りに歩くツアー。
参加費35ユーロ。
見える人が わざわざ目隠ししてガイドにケルン市を案内して
もらうツアーが 2011年10月21日から 始まった。
実は 暗闇で開かれる行事は ケルンに今までも あった。
「見えないバー」という 真っ暗のレストランの隣に 1989年から
「暗闇での対話」というのがあり、そこは 盲人を晴眼者の
案内人にする場である。
しかし 自発的に視覚を絶つという可能性を 思いつく人は
長い間なかった。
ツアー参加者は6人までで、黒いアイマスクをして、リュックを
背負って 一列縦隊で 歩く。3人が一組になる。
案内人と参加者は イヤホンとマイクで つながっている。
まず Ludwig博物館に行き、駅から大聖堂に向かい、Hohen
通りに着く。ここらあたりで たいていは 通りがかりの人と
目隠しツアー参加者との間で 活発な話し合いが 起きると
ブラインド ウォークの発案者 Axel Rudolf博士は言う。
休憩の時にも 参加者は別の困難を経験する:リュックの中の
パンを探し、飲み物をコップに注ぐのも 一苦労である。
2時間半のツアーの終わりに 睡眠用アイマスクを取り、地図を
見て、どこを歩いたのかを確認する。35ユーロかけて、
暗闇のケルンを見て、頭の中に 生き生きした像が 残る。
下記サイトから:
http://www.marcopolo.de/reise-news/deutschland-blindwalk-mit-verbundenen-augen-durch-koeln
写真 by yo_see(Photost.jp)
Posted by jtw at
08:00
│Comments(0)
2011年12月08日
生駒公暉さん追悼
生駒さんは2010年12月21日に逝去されました。
間もなく1年になります。
時計・眼鏡商の店主で 昭和初めの置き時計を修理して
いただいたりして、永年 大変お世話になりました。
軽い難聴だったため 誤解されることが 多かったよう
ですけれど 腕は確かで 裏表のない方でした。
京都市芸術大学を卒業されたと伺いました。いい油絵を
描かれました。絵を1枚 譲ってほしいと お願いすることも
ないままに 亡くなってしまいました。
まったく 絵心のない私を 油絵のグループ「マーロ」に
入るよう 誘ってくださいました。怖気付いて とても行けません
でしたが。
マーロの発表会で 毎年 生駒さんの絵を拝見するのを
楽しみにしていました。
近所の散髪屋さんの弟さんと 高校で同窓だったと 亡く
なってから聞きました。と言うことは 60歳代半ばでした。
御冥福をお祈りいたします。
写真 by SACHI(Photost.jp)
間もなく1年になります。
時計・眼鏡商の店主で 昭和初めの置き時計を修理して
いただいたりして、永年 大変お世話になりました。
軽い難聴だったため 誤解されることが 多かったよう
ですけれど 腕は確かで 裏表のない方でした。
京都市芸術大学を卒業されたと伺いました。いい油絵を
描かれました。絵を1枚 譲ってほしいと お願いすることも
ないままに 亡くなってしまいました。
まったく 絵心のない私を 油絵のグループ「マーロ」に
入るよう 誘ってくださいました。怖気付いて とても行けません
でしたが。
マーロの発表会で 毎年 生駒さんの絵を拝見するのを
楽しみにしていました。
近所の散髪屋さんの弟さんと 高校で同窓だったと 亡く
なってから聞きました。と言うことは 60歳代半ばでした。
御冥福をお祈りいたします。
写真 by SACHI(Photost.jp)
Posted by jtw at
14:39
│Comments(0)