2008年05月31日

思うにまかせぬ救助者@青少年福祉局inベルリン(4/5)

ケースワーカーのクラウスは 週に24分を利用者との話し合い
に使えると計算した。書類整理の時間を引くと1人
当たり12分になる。書類整理の時間が増えると
話し合いの時間が減り、危険を察知する機会が減る。

Silkeという19歳の女性が クラウスの事務所へ来た。
男が飲んで自制できなくなっていたので、2週間前に
彼女の息子二人は施設に入った。彼女が男と別れたら、
子どもを施設から戻すとクラウスは 彼女と取り決めた。

子どもを産むことだけが唯一できることだ、という風に
見える女性もいる。袋入りスープに湯を入れないで 
子どもに食べさせる母親を クラウスは知っている。
子どもと自分自身を放棄したような母親がいる。
20年前の基準では Wedding地区の住人の半分も
理解できなくなった。
利用者(青少年福祉局の客)に単純なことを説明
するのに時間がかかる。ドイツ人もドイツ語を 
十分に習得していない。
Silkeが 家庭介助者を受け入れ、家計簿をつけ、
子どもを保健サービスへ連れて行き、親のための
教室に参加してくれる ことを クラウスは望んでいる。

クラウスは彼のチームの中で ただ一人Wedding地区
に住んでいる。2-3日前に 彼はレース用自転車で
この地区を走った。元の利用者が彼に声をかけてくれた。
その男は一人で3人の娘を育てている。クラウスは彼に
家庭介助を世話したことがあった。

早期の家庭支援は 週に270ユーロかかる。一方 
手遅れになって施設に入れると 週に1400ユーロかかる。

新人の市会議員Fritschは Wedding地区の修復は
できないし、労働市場や教育について 政治が怠って
きたことを変えられない。できるのは 仕事の組織化である。
2-3年前 ある地区で養育親サービスが民営化された。
これは 養育親を指導・管理するサービスである。
役所は最善の価格・業績関係になるように 
養育親を選ぶ。
Fritschは問題を考えるのでなく、 解決法を考える。
金のかかる家庭支援でなく、無償で働いてくれる人を
投入するとか、企業と提携し、その社員を青少年スポーツ
事業に派遣してもらう等の 方法を考えている。
彼の計画がすべて 実現すれば、古典的ケースワーカーは
青少年福祉局から いなくなる。
彼は80人の前で マンチェスターのTriageシステムについて
話した。トリアージは救急医療で 患者を最初に評価する
のに使われる。どの患者(福祉サービスの利用者)の
治療を優先するかについての基準を チームの中で 
はっきりさせる。

下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/22/Jugendamt?page=4
http://www.zeit.de/2008/22/Jugendamt?page=5  


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2008年05月30日

思うにまかせぬ救助者@青少年福祉局inベルリン(連載3)

クラウスの支援業務は 時間あたり費用の観点から承認
されなければならない。
費用についての圧力が強くなり、かつて必要とされた
事が今では もうそうでないと判断されることも多い。
ある地区では 16歳の子どもは今まで施設にいたが、
明日からもう青少年支援の対象ではなくなる。

「ケースマネジャー」と今は 呼ばれているが、この言葉は
彼にとって中傷のように響く。
彼はケースワーカーの状況について 仮名でインターネットに
記事を書いている。(注釈:Sozialarbeiter Blog Berlin 
で検索したら 彼の記事が見つかるかも知れない)
彼も過重労働について訴えをした一人だ。
彼の日常常務は もはや家庭を助けるのではなく、
最悪の事態を避けることだ。日常業務は 非常事態を
救うことだ。

Frischという新しいベルリン市会議員から電話がかかった。
「あなたの記事は素晴らしかった」。記事について
上からの反応は めったにない。その数日後 
FrischはWedding地区を歩いて回った。Frischは
2ヶ月前に 青少年福祉局担当になった。青少年福祉局
は将来 病院のようなものに ならなければ ならない。
ケースワーカーは救助隊員だ。ケースワーカーは診断するが、
それからの治療は専門家がする。彼は20年 
Wedding地区に住んでいる。町を歩いてみて、
その零落ぶりに 愕然とする。

Frischは ケースワーカーの会議に参加した。一人のワーカー
は彼に説明した:
危機的というのは 昨日行ったアパートだった。
ウンチの臭いがした。そこらじゅうに 服が積み重ね
られていて、残飯とゴミの山だった。カーペットは
汚れていた。台所に汚れた食器が積み重なっていた。
冷蔵庫の中はカビだらけ。トイレはウンチまみれ。
こうなり果てたのは 先週 掃除機が壊れたからだと 
母親は言う。

Frischは 50歳代の初めで、クラウスより4歳若いだけ
なのに、まったく違う世代のように感じた。彼には 
90年のドイツ再統一のあと、ある地区で社会教育サービス
を主導する機会があった。その後 青少年福祉局の
局長にもなった。しかし 今 彼は この会議の中で 
異質の人のように見えた。

下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/22/Jugendamt?page=3
  


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2008年05月29日

思うにまかせぬ救助者@青少年福祉局inベルリン(連載2)

10人のチームは子ども保護の前線で働いている。事務所は
老朽化したビルにあり、パソコンはインターネットにつながって
いない。そこの職員は超過勤務時間を休暇に振り
替えると5ヶ月も休める。全員 目に隈をつくって、
顔色は悪い。一人の職員は東京へ移住することを夢見て 
日本語を習っている程だ。
ベルリンのWedding地区では 暴力行為、麻薬、精神病
多く、未成年の半分以上は 国の支援で生きている。
小学生の80%は移民の子で、ドイツ語を十分に話せる
のは わずか1/3.
ケースワーカーのクラウスは銀行を辞めて 大学に入り 
社会福祉の仕事に就いた。
1960年代の中ごろは青少年福祉局の黄金時代だった。
クラウスもレース用自転車で家庭訪問していた。90年代に
児童養護施設は民営化され 青少年クラブや依存症者
相談所も民営化された。
今 日常の世話は民営の家庭ヘルパーがしている。
クラウスも同僚も評価を第三者に任せないといけない
例が増えている。
国は価格を決定するので 民間組織も節約しなけれ
ばならない。
クラウスはもう 家庭訪問しないので、担当している人
について書類から 生活状況を知るだけだ。
個人的な接触は無くなった。しかし 社会福祉の仕事は
人間関係の仕事であり、人間関係には 時間が要る。
親が役所とかかわる場合に 親が示す外面の裏側を
見るには 時間がかかる。

2001年にベルリン市政府は青少年支援の予算を
4億5千万ユーロkから3億1900万ユーロに減らし、
青少年福祉局に固定した予算を割り当てた。
施設に居る子どもは 里親の家庭へ移された。
家庭支援の週あたりの時間は減らされた。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/22/Jugendamt?page=2  


Posted by jtw at 15:40Comments(0)

2008年05月28日

思うにまかせぬ救助者@青少年福祉局inベルリン(連載1)

家庭の困窮は増え、国からの支援は切り詰められている。危険に
さらされた子どもや養育放棄された子どもの命が問題になって
いる時に どの程度の合理化が許されるのか?


ソーシャルワーカー(ケースワーカー)という呼び名が変わり、
「ケースマネジャー」と呼ばれるようになったベルリンの現場からの報告:

この日の非常事態担当者クラウスは10分前に勤務を終えて
いたが、非常電話が鳴ったので電話にでた。警察から
だった。あるアパートで赤ちゃんの泣き声がして 行って
みると、母親が赤ちゃんの側で死んでいた。おそらく
麻薬のやりすぎだった。
この死んだ母は35歳、ヘロイン中毒者。長年 青少年
福祉局の利用者だった。
クラウスがそのアパートに入った時、遺体は既に運び出されて
いて、同棲していた男が居た。クラウスは男に赤ちゃんは
連れて行くと伝えた。「あなたが この子の父親かどうか
知らないけれど、あなたは ショックを受けていて、復活祭の
休暇中 この子の面倒をみられるか どうか 
分からないから」と伝えた。
ここへ来るタクシーの中で既に 養育親に電話して 
復活祭の休暇中に その子を受け入れてくれるように 
了解を得ていた。
男には「赤ちゃんに何か起きたら 私が刑務所へ入れ
られるのだ」と説明した。

ドイツには250万の子どもが 貧困境界以下で生きている。
ベルリンでは 3人に1人が貧困である。
1990年代の初めと比べ、青少年福祉局が面倒をみて
いる家庭の数は6倍になった。
少なくなる職員で 多くなる事例を扱わなければならない。
2月に ベルリンのWedding地区のケースワーカーたちは 
市議会で過大な負担のもとで働いていることを訴えた。
これは 自分達が訴追された場合に 法的に身を守る
ためであった。
復活祭直前の金曜日に クラウスは青少年福祉局へ行き、
死んだ女性について書類を書いた。土曜日に 新聞が
この事件について何か 書いたかどうか調べた。幸い 
警察は復活祭の休みの間 何も発表しなかった。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/22/Jugendamt


  


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2008年05月27日

捕虜ドイツ兵オーケストラの息吹/習志野

第一次大戦中、収容所があった千葉・習志野で史実を探る。
星 昌幸(習志野市 教育委員会 社会教育課)

日本経済新聞2008年5月27日 文化欄から抜粋:

習志野市には第一次世界大戦のころ、ドイツ兵士の捕虜
収容所があり、多い時で千人近くがいた。
現在のオーストリー、ハンガリー、ポーランド、フランス、バルカン諸国の
者もいた。そして周辺の住民に、音楽や料理などを伝えた。
オーケストラや合唱団があり、演劇も上演された。

日本は第一次大戦でドイツと 中国で対戦した
主に青島にいたドイツ兵が 習志野、鳴門市、
久留米市などの 捕虜収容所へ送られた。

ソーセージの製法も伝えられた。ソーセージは
習志野が日本発祥の地ともいえる。

収容所長と務めていた西郷隆盛の長男 寅太郎
死に関する証言も得られた.

演奏会も月に1-2回もあった。中心人物は高名な
音楽家 ヨーゼフ ヨアヒムの弟子 ハンス ミリエス。彼は
上海のオーケストラでコンサートマスター兼
指揮者だった。彼らは自分たちでギターやマンドリンを作った。

調査結果は「ドイツ兵の見たニッポン」(丸善)という
本にまとめられた。
今年は第一次大戦終結から90周年。  


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2008年05月26日

ロバの日@ケニア5月26日

5月26日に農民はロバに敬意を払い 自分で荷車を
引き ロバは1日 休み、好きなだけ 飲み食いする。
市の立つ広場に 約50頭のロバが足で土をかいている。
獣医が ロバの口に回虫駆除剤を入れていく。首都
ナイロビの西の ある地区だけで この獣医は8000頭の
ロバの面倒をみている。
ケニア全土に約60万頭のロバがいる。
大半の農民は ロバは痛みを感じないし、病気にも
ならないと思っている。ロバは死ぬまで 働き続ける。
せめて ロバの日だけでも 休んで もらおうと言う
日である。
この日に ロバの治療は無料なので 農民も喜ぶ。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/esel6.html  


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2008年05月25日

子ども兵士の現状

2008年の世界子ども兵士報告書によるとミャンマーの
状況は最悪で、数万人の子どもが軍事政権のために
働いている。
世界中で約25万人の子どもが兵士になっている。
支援組織 Terre des Hommesによると、今までの
努力は 大半の子どもには 届いていないか、遅すぎた
かであった。
コロンビア、コンゴ民主共和国、ビルマ(ミャンマー)で特に
状況は悪い。
ミャンマーでは 正規軍の他に 国軍でない武装グループ
にも 子ども兵士は多く、9歳の子が軍事政権に
雇われている。
スーダン ウガンダ イスラエルでも 未成年兵士がいる。
未成年兵士を 正規軍に入れている国は26あり
ドイツも その一つ。
ゲリラや民兵組織に未成年者を入れているのは
24カ国。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/ausland/:Weltreport-Kindersoldaten-Neunj%E4hrige-Waffen/621276.html

★自衛隊へ高校をでて 入る人がいるから 日本も未成年兵士
をもつ国の一つに なるのかも知れない。ただ 成人するまでは
戦闘行為の場には 未成年者は 投入されないと いう
ような 規定があるのかも しれない。  


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2008年05月24日

ヘッセン州に狼がいる・150年ぶりに

ドイツ北部 山岳地帯が州の大半を占めるヘッセンの 
北部で 1頭のオオカミが 10日ほど前から たびたび
見られている。
他の地域から移ってきた若い狼のようだ。
少なくとも 150年前から この地域に狼はいなかった。
東部ドイツの BrandenburugとSachenでは
狼を放す事業が行われ、子どもも育っている。
BayernとSchleswig-Holsteinでは 一頭ずつが
車にひかれた。
西欧と中欧で 狼は18-19世紀にほとんど 絶滅した。
1970年代になって やっと 東部ポーランドで 狼の
個体数は 安定した。
90年代の初めに 狼をドイツへ移住させる計画が
始まった。狼はドイツでは 保護されていて、
狩の対象ではない。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/Mitten_in_Deutschland_Wolf_in_Hessen_gesichtet/080520082219/961235.html

★本州の狼は 絶滅のまえに 紀伊半島に 居たそうです。  


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2008年05月23日

貞操を守らせるための殺人/イスラム教の名誉殺人@ハンブルク

5月16日(金)の夜 アーマドは妹Morsalを20回以上
ナイフで刺して殺した。ただ兄のイメージに沿った
生き方をしていないと言う理由で。
ドイツの女性権論者 Seyran Atesはこのような
「貞操を守らせるための殺人」に対してドイツ社会は
厳しい態度を取るべきだと 要求する。「若い女性が
遊びに出かけたからと言って 身持ちの悪い女
であるわけではない」。

彼女は西欧の女性と同じように 派手なシャツを
着て きついジーンズをはいていても 家庭の中
での制限は厳しすぎると思っていた。
門限を守らない、
自分の部屋に閉じこもる、学校の勉強をあまりしない、
よくない男とつきあう、と言うのが家族の不満だった。
兄は彼女に枠をはめるのが 自分の義務だと
思っていた。兄以外にも おじ、おば、いとこ等 
大家族が監視している。
彼女の自由と自己決定についてのイメージは 
家族のそれと相容れなかった。

国連の調査では 世界中で1年間に約5000人
の女性がこういう殺人の被害者になっている。
「貞操を守る」というけれど、この場合 貞操とは 
女性の性についての自己決定の否定である。
「ボーイフレンドを持つな、結婚するまで するな」
ということだ。

こういう殺人者は 元々 殺人者として生まれた
わけではない。そう育っただけだ。だから 学校
でも家庭でも こういう「貞操」について啓発をしな
ければならない。娘が 麻薬をしようと、ボーイフレンドを
持とうと、犯罪者になろうと、その娘を殺す権利は
存在しない。

若い女性が家庭に背を向けた場合も 女性は
保護され、家庭との接触は 誰かが付き添ってされる 
ことが 大事である。ベルリンのプロジェクトPapatyeは 
迫害された少女を支援する。ここに入った少女も 
父兄・従兄弟と会う危険について理解していない。
そういう少女も いつか家族は 自分の生き方を受け
入れてくれると 望んでいる。若い女性は西欧の
行き方と家族への親近感を 結び付けたいと思っている。
しかし それは大事業である。

Morsalは自分は危険が立場にあるとは分かって
いながらも、従兄弟に呼び出され 駐車場へ行き 
兄に殺された。下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,554619,00.html

  


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2008年05月23日

掃除の文化を台湾に/NHKラジオ放送・台湾日本掃除に学ぶ会

23日4amから、昨日の続きの話:

謙虚になれないと幸せになれない。謙虚になるには 
掃除をするのがいい。人の嫌がる トイレ掃除が幸せ
の第一歩である。

人の話を聞いて 分かる、人に話してみて分かる、
文章にしてみて分かる、最後に 最も深い理解は
実践してみて 分かるということだ。

京都では 小中学校のトイレ掃除を外部業者に
委託するのを やめ、生徒が自分たちで 掃除する
ことになった。

広島市では 集団暴走を 警察が取り締まり、
掃除に学ぶ会と警察が協力し、暴走を掃除に
転換させた。

「トイレ掃除は大変だった。こんな大変なことを 
うちの人は いつも 大変だと思った」という感想
を書いた子どもがいた。子どもはこれから60-70年 
生きていくのに 少年時代に 自分の知らない
ところで 他人が 汗を流していることに 気が
つくのは大事だ。
まず他人が心をこめて やっていることを評価する。
それによって自分も認められる世の中になる。
人間関係が成立する。

昔は物にさえ命を認め 物を大事にした。もったいない
と言う気持ちがあった。今では 物を物としか 
見ない。人間さえ物として見てしまう。時には 
上下関係を離れ 一対一の関係になることが大事だ。

時間・かね・物は 少ないと 大事に思える。
限られたものは 貴重である。
すべて もったいないと思えれば 大事にする。

1999年の台湾大地震のあと、ジョさんの経営する
企業群は 被災地へ旅行するようにコマーシャルを流した。
被災地を支援するためである。
また 被災地の産物を ジョさんの企業が
引き受け、流通機構にのせた。

新宿駅を中心に公衆トイレの掃除を始めて5年に
なり、トイレのゴミは最初の頃と比べ 明らかに減っている。

これから中国大陸への 掃除に学ぶ会の活動を
広めるに あたり、台湾から大陸へ活動を広報
する方が やりやすい。

ジョさんの会社は四川省でも スーパーなどを展開
しているが、今度の大地震での被害は少なかった。
会社から1億8千万円相当の支援を 四川省へ
贈ることになった。
  


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2008年05月22日

イスラム教徒貞操を守らせるための殺人/名誉殺人@ハンブルク

6日前にMorsalは16歳でハンブルクの駐車場で殺された。
彼女の兄(23歳)が妹のドイツ風の生き方に同意
できないと言う理由で妹を刺し殺したと思われる。
父母によると、これは一家で計画した殺人ではない。

13年前に一家はアフガニスタンからドイツへ移住してきた。
Morsalの3歳の頃だった。
彼女が去年通った学校の校長の話では 彼女は
同級生のいい話し相手だった。個人的な問題に
ついては 同級生も教師も気がつかなかった。

彼女は攻撃的でなかったが、しっかりした論拠を
もって議論する人だった。
そのことが 
家族には 棘になっていたのだろう。
普通の若い女性で、おしゃれをしたり、男の子と
付き合ってという生活をしていた。それで 家族で
もめた末に 青少年施設に逃げ込んだことがあった。

死の4日前にも 酷い争いがあり、父親は彼女を
殴ったり けったりした。彼女は3階の窓からロープを
つたって下へおりたが、外には13歳の弟が待ち
受けていて、彼女の首を絞めた。警察は彼女を 
子ども青少年緊急援助施設へかくまった。

兄は弟よりも「強烈な犯罪者」として知られていた。
兄は大酒呑みでパーティで騒ぐのが好きだった。
ということは兄は西欧風の生き方だったのだ。2004年
には娼家の前で刺されている。

妹を刺して12時間後に兄は逮捕された。

3月に彼は傷害罪で1年5ヶ月の刑の判決を
受けていた。彼の拘留猶予は この殺人の数時間
前に拒絶されていた。ということは、実はこの殺人
の時に彼は刑務所に居なければ ならなかったのだ。

一方 Morsalに とっても ほんの僅かな時間差で 
この悲劇を避けられた。彼女は2-3日後、ハンブルク
郊外の施設の青少年の家に入所する予定だった。
そこへ入って また 学校へ戻ることになっていた。
実習の場も見つかっていた。解決は近かったのだ。
警察と青少年福祉局の間で協同作業が すこしだけ 
うまく機能していればよかったのかも 知れない。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Hamburger-Ehrenmord-Das-Leben-Morsal-O./621107.html

★blog管理人の蛇足:
イスラム教は分かりにくい。女の人を 家族の面子のために
殺していいというのも わからない。
ここに居るあるイスラム教国からの 留学生の言動も 
理解を超える。「大学の中で女の人と 学問的な話を
しても いいし、金の授受を伴う場で 女性と話しを
してもいい(そりゃ そうだろ、そうでなければ 買い物も 
できない) しかし それ以外の場で 女性と会うのは 
禁止されている そうです。
その結果 アパートと大学を 往復し、毎晩 故国へ
電話し、奨学金を貯め ひたすら 博士号取得の日を
楽しみに過ごす ことになる。
  


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2008年05月22日

明朝4時から日本台湾の「掃除に学ぶ会」放送・NHKラジオ

23日金曜4amから45分間 放送。
日本の標記の会 創始者 鍵山秀三郎さんと
台湾の 掃除に学ぶ会の ジョさんが NHK第1放送で
語ります。
今日の4amからも お二人が話しました。続きは明日。

まもなく 5月24日(土)に和歌山市で鍵山さんの講演が
ありますが、講演に行けず 本も読めない方は 
早起きさえしたら、ラジオでお話が 聞けます。 

鍵山さんは イェローハットの創業者。
ジョさんは 台湾で スーパー、コンビニ、外食産業、流通業を
経営する。グループ企業社員10万人以上。早稲田大に
留学した。

鍵山さんは 「凡事徹底」を旨とする。
凡事徹底は 間違いなく 社風を良くする。業績は
二の次にしても 社風をよくするのが 大事である。

ジョさんは2002年に鍵山さんと知り合い、駅・学校の
トイレ、公衆トイレの掃除を始めた。今 台湾に51の
掃除に学ぶ会が ある。

リーダーが教えるのではない。手法を教えるのでなく
掃除に学ぶのである。掃除「を」学ぶのでもない。
掃除のたびに 毎回学ぶ。  


Posted by jtw at 08:44Comments(0)

2008年05月21日

バードウォッチングの雑誌

Birderという雑誌の広告がでていました。
文一総合出版。980円。
2004年4月号から でているようです。
不景気の時代に よくも続けてくださった。

6月号は ホオジロの特集。下記に詳しくでています。
http://birderplus.seesaa.net/article/96547317.html

5月号は ヒタキ類の特集。

昔 バードウォッチングという言葉のない時代に
横須賀自然博物館の先生や 高校の先生に
鳥のことを 教えていただいて 今も感謝しています。  


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2008年05月21日

無秩序/混乱への不安・食料危機@ハイチ

南北アメリカ大陸で最貧の国 Haiti は 食料危機
にある。
WFP 国連食糧計画は 3500万ユーロの資金援助を
国際社会に要請している。
この金で年末までに 5万トンの食料を買う。
早期の援助がなければ ハイチの政治的安定は
損なわれる。
4月初めに 米 とうもろこし 豆のような基本的食料
の価格が急騰し、人々の怒りが爆発した。
騒乱は首都ポルトプランスに及び、若者は裕福な
地域に入り 銀行 ガソリンスタンド 商店 住宅を
略奪した。
850万人の人口のうち半数は失業している。
ハイチの米の輸入は 年に8億ドルに達する。
世界的な農産物価格の上昇は 特にハイチの
ような国にとって厳しい。
2004年から国連が ハイチの安定のために
活動している。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,3304812,00.html

★ Haitiは ドイツ語では Ha-i-tiの 真ん中のイーに
アクセントがあるそうです。ハイーティ。
英語では ヘイティ。
地元では 何語を話していて Haitiを どう発音してるの
でしょう?

  


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2008年05月20日

麻薬依存症者だった人が依存症支援者になった

モーニカは Ostholsteinで麻薬依存症患者の支援
活動をしている。
若い頃 自身も依存症者だった。娘も依存症になった。
今モーニカは学校でも啓発活動をしている。

1996年 当時41歳の時 母の日に長女クリスティナ25歳
から 麻薬をしていると告白された。クリスティナは素敵な
子で 地元の進学高校へ行ったのに。

母モーニカは12歳のときハシシュを試した。その後マリフアナ
入り煙草をしばしば吸った。LSDのような強い薬もやった。
モルヒネをうち、アヘンも吸った。時々 戦慄の幻覚体験・欝・
迫害妄想に苦しんだ。
グループの少年と付き合ううちに妊娠し、15歳で
クリスティナを産んだ。赤ちゃんの父は子どもの面倒を
見なかった。モーニカの父親がカトリック教会の福祉団体
カーリタスに相談した。カーリタスは直ぐに彼女を麻薬治療
施設に入れる手配をした。そこで14ヶ月過ごし、
麻薬を絶ち、料理人助手として 初めて職に就いた。
その町で 工芸職人カルルと知り合い 結婚し、
3人の子どもを産んだ。

娘クリスティナはコックをしているMarkusと知り合った。
そのうちにマルクスの様子がおかしくなり、ヘロインを買う
ために薬を売っていることが分かった。家族全員で
治療を受けることになり、子どももクリスティナも一緒に
3人で 医師と心理臨床専門家の監督する施設に入った。
17ヶ月後にマルクスは良くなり、退院した。ところが
彼はまた麻薬をやり始めた。モーニカが今になって思う
ことは、クリスティナはマルクスに依存し恋に狂っていたのだ。
ひょっとしたらクリスティナは麻薬によって彼の世界に
入り込み 彼の身近に居たかったのだ。治療を受けて
いる間に麻薬常用者の魅力に引き入れられて
しまったのかも知れない。
あの母の日の頃 彼女は日に20も注射を打っていた。
親は 麻薬依存症と衰弱を認めようとしないので、
中毒の人のために全てをしたがり、自分も破滅する。
それでモーニカは他の親との接触を求め、1997年に
親の会
を作った。麻薬と麻薬依存症患者との適切な
対話について学ぼうと思った。

しかし クリスティナはだんだん悪くなっていった。歯は
ほとんど抜け落ち、体中に膿瘍ができ、髪の毛は
抜けた。脳卒中を起こし、C型肝炎にもなった。
モニカは娘とその夫を メタドン・プログラムに参加させた。
これは医師の管理する代替麻薬である。

モーニカは駅や公園で麻薬依存症者に話しかける
ようになった。
それに並行して、2000年5月に 麻薬支援協会
作り、依存症者の家族のために無償で働いている。
この協会には州と二つの地方自治体から補助が
でている。ライオンズとロータリークラブからも援助を
受けている。
モーニカは学校を回って啓発活動をする他に 週に2日 
月・水曜に 役所で麻薬依存症者に助言
する。
夜にも 必要なら 麻薬依存症者のところへ出向く。

クリスティナは薬から抜けたが 彼女のグループのうち
5人はもう死んだ。
クリスティナはマルクスと別居している。彼はまだ
麻薬を止められない。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wissenschaft/mensch/:Drogenabh%E4ngigkeit-Von-S%FCchtigen-Helferin/619288.html  


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2008年05月19日

病院での通訳/informed consentのための

ある大きい病院で 旅行中のドイツ語圏の人が手術を
受けないといけなくなり、患者さんに手術について同意
してもらうために 通訳に来てもらおうと 言うことになった。
それで ○○交流協会へ 病院の職員さんは 電話して
そういうドイツ語通訳を探してくれないかと 言ってきた。
協会さんは うちへ そういう事を引き受ける人は いる
だろうかと 問い合わせてきた。

当地に住んで大阪の大学へ通ってドイツ語を教えて
おられる先生は いるけれど、無料で通訳してほしい
というのは どうも 頼みにくいし、もともと お医者様は
英語とドイツ語を習っているので 話せないとしても
英語とドイツ語で 筆談しようと 思えばできるだろう。
だから お医者さんが 自分で患者さんと 筆談した
方が、通訳を入れるよりも いいと思うと ○○協会
さんに 返事した。
協会さんも それは もっともだと 言われた。

手術の結果 通訳が 悪かったと言うて 帰国後に
訴えられては 困るし、そもそも ドイツ語で医療通訳
など する能力はない。

医者さんは 辞書を頼りに 筆談する実習を して
おいたらいいです、忙しいでしょうけれど。

3-4年まえ別の大きい病院で 夜に緊急手術することに
なり、その患者さんは 英語圏の人でないけれど英語を
話すので 英語通訳に来てほしいと 患者から頼まれた。
その患者さんとは 知り合いだったから 夜10時過ぎから
病院に入り 手術の説明をしたことがある。
筆談で できないような ことではなかった。無料なら 
通訳を呼ぼうと お医者さんは 思ってしますのかな~と
いう感想をもってしまった。
無料でなくて 交通費くらいが 支払われても あとで
訴訟になる危険を 考えたら とても 医療通訳はできない。
患者と知り合いなら 別ですが。
   


Posted by jtw at 20:44Comments(0)

2008年05月19日

ハンブルク開港819年/エルベ川で国民的祭り

5月12日はハンブルク開港819年の記念日。
今年は この日 精霊降臨の大祝日にもあたり、
4日間にわたって 陸海空で多くの催しが行われた。

300隻以上も船が参加する。
ハンザのユッゲ船(13-15世紀の帆船)、ロシアの帆船
Sedov, 家族用の小さいヨット多数、大型客船数隻、
それに 軍艦も例年よりも多い。
フィンランドの機雷敷設艦も参加。

3.5キロの長さのエルベ川の会場に 天気がよければ
約100万人が訪れる。

★ 下記サイトに写真が いくつも あります。
写真の見出しをクリックすると また別の写真に
飛びます。
ハンブルクは海辺にあるのでなく、エルベ川沿いにあります。
大きい川なので 大きな船も入れるらしい。
大阪市は ハンブルクと 姉妹都市(今は パートナー都市と
言うそうです)なので こういうお祭りを 大阪でも
していただけたら 有難いですが 財政厳しい
折柄 むつかしい??
http://www.ndr903.de/veranstaltungen/hafengeburtstag198.html

○1189年の開港の頃 日本では 義経が31歳で殺され
ました。浄瑠璃の 義経千本桜は この頃のことなんや。
しかし 800年前から 吉野には あれほどの桜が 
あったのでしょうか。
  


Posted by jtw at 08:36Comments(0)

2008年05月18日

四川地震被災地のドイツ人記者から

5月14日発、Tagesschauの女性記者からの報告:

大地震被災地へ行くという決定は 地震の直後に
下された。北京から 成都(Chengdu)への航空券を手配した。
カメラマン、機械技術者、通訳と記者の4人。
まず乗り継ぎ地 重慶(Chongging)へ13日(火)に出発した。
その日の夜11時ころ Mianzhuという 大被害を受け 多数の
死者をだした町に着いた。家々に電灯はついていなくて、
人々は路上でキャンプしていた。
あくる日 今日の朝 明るくなって やっと状況が分かった。

被災地の事情は想像できなかったので、中継地 重慶で
ビスケット 水 ガソリンを買い込んだ。
小さい発電機と 車の中で寝るための寝袋は 北京から
持ってきていた。
朝 昼 晩に 別々のビスケットを食べ ガソリンで発電して
パソコンを動かしている。ここには 電気も水もない。

★大きい車の脇に椅子を置いて 発電機やパソコンを
その上に置き 作業する記者を 地元の人が取り巻いて
いる写真が でています。
14日以後の発信は まだ ないようです。道路事情が
悪くて 動けないのかも 知れません。

下記サイトから:
http://blog.tagesschau.de/?p=1094
  


Posted by jtw at 13:32Comments(0)

2008年05月18日

ホトトギス飛来

5月17日(土)夜9時5分 ホトトギスが和歌山市
秋葉山上空を 北東か北へ向かって 鳴きながら
飛びました。
去年は 聞けなくて 心配していました。
無事に 今年も 来てくれて よかったです。
地球温暖化で 地元の鳥は 2週間ほど 早く
卵を産むようになって いるそうで、ホトトギスが
南から 日本へ着いた頃には 卵を預ける鳥は 
もう子育てを終わっている場合も 多いから
ホトトギスは 少し早く 南方を出発した方が
いいようです。  


Posted by jtw at 07:33Comments(0)

2008年05月17日

青少年福祉局@ドイツ(下)

Braunさんのような「子ども世話人」が家庭へ
行ってみると「措置は終わったので もう明日から
来なくていい」と言われることもある。青少年福祉局も
Braunさんのような担当者も心配になる。その場合 
子どもが悲しみを負うことになる。

青少年福祉局の支援にとって 具合の悪いのは 
警察との接触である。支援は犯罪行為の行われる
場で しばしば なされる。たとえば継父が 子どもの
母親を殴るとか 子どもの兄が麻薬の売人で
あるという ことがある。
福祉担当者は犯罪を届出て、家族の強力態勢を
傷つけたら どうなるだろうか。ケースワーカーが 検事
のようでもあり、裁判官でもあるような 不当な行使
をする懼れもある。刑事は「子どもの世話人」の立場
を心配する。
犯罪者である親が ケースワーカーにいつでも解約通告
できるなら、犯罪者はもっとも強い立場に居ることになる。
警察官とケースワーカーの間の関係は たいへん問題点
の多いものだが、警察は青少年福祉局の最善の友である。

ドイツで 子どもの幸せの ために 働いているのは:
警察、青少年局、福祉事務所、無数の子どもの
担い手(Braunさんのような人)、保健所、福祉事務所、
幼稚園、学校、医師、健康保険機構、カウンセラーなど。

これらを まとめるシステムが必要である。
苦境にある一人の子どもについて 様々な組織が
情報を集める。しかし 情報保護のために 情報は
分かち合うことができない。

青少年局が ある家庭について知っていることを 
Braunさんは 長い間 知ることを許されなかった
という こともあった。
青少年福祉局と学校の間にも 断絶がある。
学校は州が運営していて、青少年福祉局は地方
自治体が運営する。教師は青少年福祉局へ 
簡単には 問い合わせることもできない。

小児科医のところで 子どもが致命的な病状に
なった場合に 医師は守秘義務を破棄しても 
いいが、それについて規則はない。
病院と小児科医は 相互に連絡網を作り、子どもの
特異な例を登録している。子どもを虐待する親は 
しばしば小児科医を転々と代えて 受診するが、
連絡網にひっかかって、虐待が発見されることがある。
しかし 青少年福祉局は 医師のデータへアクセス
できない。組織間の情報の やりとりは しばしば 
違法を覚悟のうえで行われる。

多くの親は 福祉担当者との間で もめたりすると 
他所へ引っ越す。しかし青少年福祉局は 別の町
の福祉局へ文書を回すことは 簡単には 許され
ない。情報の保護は 子どもの保護よりも 優先
されている。
情報保護の問題のほかに 青少年福祉局は
時間不足・人手不足にも悩んでいる。
Bielefeld市の青少年福祉局の職員は1人あたり 
55人の子どもを担当している。これは限界である。
多くの青少年福祉局では 一人の職員が100-
300人の子どもを担当していることもある。

青少年支援システムは1980年代の社会のために
考えられたものであり、今は別の社会になってしまっている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Jugend%E4mter-Alle/619924.html?p=3&nv=ct_cb

 


  


Posted by jtw at 11:36Comments(0)