2008年05月16日

青少年福祉局@ドイツ(中)

子どもの面倒を見たり 家庭の中へ入っていくのは
ケースワーカーである。ケースワーカーには 独立自営の人も
いるし、会社、協会、キリスト教会関係に属している
人もいる。
青少年福祉局は決定をくだし、ケースワーカーへの支払いをする。
本来の社会福祉活動は 国家によって 行われる
のでなく、企業によって行われている。
多くの自治体で 近距離交通やゴミ搬出が 私的
企業によって 行われていいかどうかが 争われている。
子どもと青少年支援において、協会や会社は 
国の職員よりも 好まれている

Braunさんは ケースワーカーで、住居共同体(WG)に
雇われている。ここでは53人の社会教育家が
働いている。彼の事務所はBienefeld市のアパート
にある。思春期の男の子Michaelは授業が終わると 
直ぐにそのアパートへ来る。そしてBraunさんと
一緒に軽食を料理して食べて 話す。Michaelは
親から 居ても居なくてもいい子どもだと 言われて
きたから、グループホームへ行きたいが、Braunさん
は 家へ戻ることを もう一度考えてみようと 
提案している。今は 大規模な施設ない。
Michaelの姉はグループホームにいる。その経営者は
Braunさんの競争相手である。妹はデイケア・グルーフ
通っている。デイケアの経費は青少年福祉局が支払う。
その経営者も別の人である。
いくつかの家庭では 8-10人の別々の世話する
人が 別々のやり方で 別々の理念のもとに活動
している。理論的には ケース・マネジャーがこれらの
担い手の仕事を調整すべきである。
Braunさんは 担当の子どもに週に3-4回会う。しかし
青少年福祉局の職員は1年に2回しか 子どもに
会えない。
Bienefeld市の青少年福祉局は 約140の「実行者」
と共に仕事をしていて、これらの「実行者」組織にうちの 
かなりの組織は100人以上の職員を持つ。
外来/通院の家庭支援は 1ヶ月に500-1000ユーロかかる(1ユーロ=160円)。
そして1年以上 継続される。
子どもを施設に入れると 1日に120-140ユーロかかる。
良いホテルと同じくらいの金がかかることになる。

ドイツでは 正規の子ども・青少年支援産業
展開してきた。グループホーム経営者は ドイツ全土の
市役所へ代理人を派遣し、支援企画者は市場開拓
のために学校や幼稚園を訪問している。
この産業の法的基礎は 1990年の「子どもと青少年保護法」
であり、この法の中心にあるのは 親の権利である。
子どもの幸せが危険に曝された場合にだけ 裁判所は
親から子を引き離す。
動物虐待場合と同じである。
したがって 青少年福祉局はケースワーカーを通して 
親に対して 子どもの面倒を見るようにと言う指示
を出せない。家庭への支援は 親が要求できる権利
である。親は支援を申請できる。
朝 起きられない親、麻薬・アルコール依存の親、
精神病の親も 自分で子どもへの支援を申請する
ことになっている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Jugend%E4mter-Alle/619924.html?p=2&nv=ct_cb  


Posted by jtw at 09:37Comments(0)

2008年05月14日

ドイツの青少年福祉局(日本の児童相談所に当たる?)上

青少年福祉局は 苦境にある子どもを施設へ送るか 
家庭へ戻すかを決める。親から離れる子どもの魂の傷を
考慮に入れ、施設に収容した場合の経費も考慮に
入れなければならない。
施設では子ども1人に1年に5万ユーロ(160円x5万=
800万円)かかる。
(日本の施設でも措置費はそのくらいです)
この金額は1人のケースワーカーの年間給料とほぼ同じ
だから 青少年福祉局が うまく機能することは 
子どもにとっても、地方自治体の財政にとっても 
いいことだ。
1991年から 青少年福祉局の支援を必要とする
家庭の割合は6倍になった。
社会の変化の結果を 国家はまず 青少年福祉局
というアンテナでまず知覚するのだ。
同局の職員の決定で大事なのは その子にとって
の危険がどれくらい大きいか、家庭と施設の 
どちらが その子を より多く傷つけるか、を判断する
ことだ。ドイツでは 2-3日に1人の子どもが殺され
ている。
数十年 同局職員は 人に知られずに働いてきた。
今 彼らはスポットライトを浴びている。子殺しがあると 
ケースワーカーに非難が集まる。
ドイツに600を超える青少年福祉局がある。しかし 
どの局も同じ組織形態なわけではない。子どもと
青少年の支援は 地方自治体の任務であり、それを
どう組織するかは 自由である。質にもバラツキが
大きい。
その結果 青少年福祉局がうまく機能していて 
苦境にある子どもが 迅速な信頼できる支援を
得られるか どうかは運任せだ、と「子ども支援 Direkt」
という組織の委員長は言う。(中、下 と続く)
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Jugend%E4mter-Alle/619924.html

  


Posted by jtw at 18:08Comments(0)

2008年05月13日

ドイツの鳥について12のクイズ

ドイツの鳴禽(めいきん)(Singvogel を 独和辞典で ひくと
こう書いてあった、難しい日本語が 昔は あったものだ)
の 写真を見て その名前を4選択くらいで あてたり、
雀は時速何キロで 飛ぶか とか、鳥は 寝入っても
枝から 落ちないのは なぜかという クイズ。

下記画面の右下 weiter>>とクリックすると 次の
質問に移ります。
雀、ウソ、○○カラとか 日本にも居る似た鳥が でています。

http://www.stern.de/wissenschaft/natur/619379.html?

★ 一昨年までは この時期に 和歌浦の方から北東に
夜にカッコウが 鳴きながら 飛んだのに、去年も
今年も 聞きません。
段々と 暖かくなり、カッコウが日本へ たどり着いた
時には もう卵を預ける 他の鳥は抱卵を終わって
いて、カッコウは卵も 産めず 鳴かなくなったのか
それとも 日本へ来るカッコウが 少なくなったのか
どうなんでしょう?
  


Posted by jtw at 07:20Comments(0)

2008年05月12日

シジュウカラも地球温暖化に適応@英国

英国の四十雀気候変動のために 50年近く前と比べ 
2週間 早く 産卵する。
Oxford大学の Ben Sheldon教授とその研究者グループは
米国のScience誌に そう報じた。
産卵が早まったことによって 雛に十分な餌を与える
ことができる。大量の幼虫が 以前よりも2週間 早く
現れる。
この研究はオックスフォードの森で 60年前に始められ
シジュウカラの抱卵行動の報告 約1万例についての
ものである。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/Bruetet_zwei_Wochen_frueher_Kohlmeise_passt_sich_an/080520085819/960989.html

★ 写真を見ると 日本のシジュウカラと 柄は同じで 色が
両脇 黄色に近いところだけ 違うようです。しかし
これは 私のdisplayが 安物のせいかもしれない。
この鳥は ドイツ語で Kohlmeiseと言うそうで
Kohlは キャベツ、
文字通り 日本語にすれば 「キャベツカラ」です。
  


Posted by jtw at 16:29Comments(0)

2008年05月11日

監禁事件と対応する法案@オーストリー

5月7日発
犯人Fritzlは4月28日に逮捕され 黙秘していたが、
事情聴取に応じるようになった。しかし その詳細は
発表されていない。
法務大臣は 暴力に対する法案を提示した。長期の
犯罪についての刑罰を20年までに延長し、
性的犯罪者には 治療を義務付け、
学校や幼稚園に近づかせないという内容である。
この法案は1年前から
準備され、夏まえに可決される。
性的犯罪者についてのデータを集中的に把握する計画
もある。
ドイツのプロテスタントの監督 Wolfgang Huber は「隣人を
見失わないように、隣人から眼を離さないように」と
呼びかけている。
下記サイトから:
http://www.welt.de/vermischtes/article1974452/Die_ganz_eigene_Wahrheit_des_Josef_Fritzl.html  


Posted by jtw at 16:11Comments(0)

2008年05月08日

オーストリーでの監禁事件/その後わかった事など

5月5日発。
1984年に当時12歳だったエリーザベトは地下室に入れられ、
そこで生んだ子のうち1人は亡くなり、3人はずっと生後 
ずっと地下室にいた。他の3人は犯人(エリーザベトの父親)
とその妻(エリーザベトの母)が養子や里子として地上で育てた。
エリーザベトの長女 Kerstin 19歳は 重病で 集中治療室にいる。
エリーザベトと子どもは 光に対して 以前ほど 敏感でなくなった。
最年少の6歳の男の子は 生き生きとしてきて、人を接する
喜びを感じている。
エリーザベトに頼まれて犯人はビタミン剤と紫外線ランプを
地下室に提供していた。それが監禁状態を少しは 
ましな状態にしていた。

被害者を 医師と介助者の15人からなるチームで世話
している。
地下室で毎日過ごすのに使っていた「時間割」にも
配慮している。
地下室で子どもたちが 時間割を守って 規則的な
生活をするように 母親は気を使っていたからだ。
監禁状態では 時間の流れは 極めて遅かったので 
治療に入っても 時間は ゆったりと進行するように
している。

エリーザベトは11歳の時から 父親に性的虐待を受けて
いたのに 賞賛すべき強い女性だと 弁護人は言う。

犯人は1960年代の終わりに 強姦で有罪判決を
言い渡されている。
オーストリーの法律では 犯罪行為は 
最も長くて15年で抹消される。そのために1984年に
エリーザベトが失踪したとされたときに 当局は昔の
強姦事件に気づかなかったのだろう。
したがって 犯人が娘に産ませた子のうちの3人を 
犯人の養子や里子にすることに当局が決めた時にも 
かつての犯行は知られないままだった。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Amstetten-Zweiter-Zugang-Verlies/619345.html  


Posted by jtw at 12:42Comments(0)

2008年05月07日

監禁被害者(24年の)について精神分析医のインタビュー続編

犯人は最も抵抗しない人を犠牲者として選び出す。
見知らぬ人も まず相手の身体言語を読み取り、それから
殴りかかる。
決まった相手のある男が 別の女性と二重生活する
ことは あるが、それは家の外で別の女性と生活すると
いうことであり、この事件の男は 自分の家庭の中
から奴隷を選んだ。

犯人は性欲が亢進していたという話もあるが、
それは根拠がない。精神分析医として彼を見ると 
彼は精神病の疑いがある。
犯人の妻は 近親相姦を伴う監禁事件に介入する
立場には なかった。妻は途方にくれていて、
自分の意志を通すことなどできない。妻は不安の
ために どうやって自分自身が無事に生き抜いて
いくか分からない。
そのうえ 娘は 自分が両親の不和の原因だと
思い、母親に対して 自分は大丈夫だという
信号を出し、自分を犠牲にする。

母親は 娘エリーザベトが生きていてくれて、ほっと
しているだろう。娘も 自分の産んだ子の内の3人と
再会できて喜んでいるだろう。
この危機的状況で 母娘が互いの親しさを増す
のは 正常な反応である。
危機的な体験を克服した後に とてつもない無感覚
の段階が来る。その後に母親は きっと報復の
段階に入る。

子の内の3人を奪われた時にエリーザベトは嘆き
悲しんだに違いない。犯人が3人の子を彼女から
奪った理由は分からないが、それは エリーザベトに
とって さらに酷い罰であった、
今までのことは すべて 恐ろしい嘘だったの
だから、新しい生活を築いていく他ない。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/justiz/0,1518,551106,00.html  


Posted by jtw at 09:42Comments(0)

2008年05月06日

監禁被害者(24年間の)について精神分析医のインタビュー

精神分析学者Rotraud A.Pernerに聞く。
エリーザベトは人生の半分を地下室に監禁され、その間に 
子どもを生み、子どもへの責任を果たした。
彼女の抵抗する力は 自由を剥奪された時の初めから 
極めて弱かった。こういう極限状況にいる人は 
対人関係の能力を失う。「野性的」になる。よくても、
うつ状態になる。
強制収用所に入れられた人も、お互いに関係を
持たなくなり、上記のようになる。
話しかけたり 話しかけられたり することもない
場合に 精神は病む。
子どもがいた事が エリーザベトの健康には 良かった。
他の誰かが 自分よりも 身体の調子が悪いのを
見れば 人は抵抗するものだ。エリーザベトの長女が 
重病になり、病院へ入ったことによって、この犯罪が
明るみに出たのは エリーザベトが長女のことを心配して 
犯人に抵抗して 長女を病院へ入れた 結果だった。

狭い地下室では 人は惨めな気持ちになる。
虐待者は そのことによっても 被害者の活動を抑え 
力を弱めた。
テレビとラジオが地下室にあったのは 幸運だった。

エリーザベトは まだ監禁される前に 子どもの頃に 
父によって虐待され、2度 逃げようとしたが、
2度とも家に戻された。

暴力を振るう夫との 関係を断ち切れない妻は
たいへん多い。暴力を振るう親から 逃れられない
子どもも 同様に 多い。そして 自分を守る力の
ある子は 家出し、「養育しにくい子の施設」(日本では
児童自立支援施設、以前は 教護院とよばれた施設??)
に行き着く。
そういう子どもは 「恐ろしい子」だと宣告される。しかし 
そういう子の背景には 「恐ろしい親」がいるという事が 
しばしば 忘れられている。

この犯人のような暴君は 自分の意思を通そうとするし、
他人が自分の考えに沿って動くことを望む。
それは洗脳である。
最初のうち 娘は慈悲心を請うが 父親はさらに罰を加え 
脅迫する。こうして 娘の抵抗する力は尽きる。監禁した
年齢では 体力も魂も精神も 十分に発達していないのと 
同じに 抵抗する力も 育ってはいない。だから 抵抗は 
考えられないことになる。

エリーザベトの子のうちの二人は 閉じ込められたまま
成人したが、テレビに映る生活と 地下室での生活の 
違いについて 十分な説明は 与えられなかっただろう。
そうでないと 子どもは 反逆を起こす。

犯人は 妻(地下に押し込めた娘の母親)に対しても
支配的で 抑圧的だった。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/justiz/0,1518,551106,00.html


  


Posted by jtw at 18:56Comments(0)

2008年05月05日

24年間の監禁事件の起きた町から

出所は 別ですが 続き物です。
オーストリーのAnstettenから 30分電車のところに
Linzという比較的大きい市があり、そこでは駅前に
酔っ払った若者がいるが、Anstettenには 
そんな少年はいない。
報道によると 地下室から開放された子の一人 
5歳の少年は とても機嫌よく 本物の車に初めて
乗れて良かったと 言っている。

犯人の生ませた子のうちの3人は 地下室に居たのでなく 
地上の祖父母の養子や里子になっていた。3人の養子/里子は 
ちゃんと育っていて、養母(犯人の妻で、生みの母の母親に
当たるという ややこしい関係)は 里親表彰を受けた。

一家の住むアパートの入居者の中には 電気の
請求金額が高額なのに 驚いたことがあるし 
別の入居者は 地下室へのドアの近くで 犬が臭いを
嗅ぎつけ、奇妙な行動をしたのに 驚いている。
大量の食べ物が 運びこまれるのを見た人もいるが、
その後 注意は払われなかった。
監禁されていた24年に100人の 住人がそのアパート
に住んだ。

医師 Berthold Kepplingはチームを組んで 
この一家のケアにあたっている。被害者は 恐怖の
受難のあとに 個人的な領域をもつ権利があると 
彼は言っている。しかし ある雑誌は 犯人の子ども
のうちの2人の成人の 写真を一面に載せた。
地下室に入れられていた人の写真は1枚 百万ドルで 
買われると言われている。
この事件について 人は 見るべきだった時に 
目をそらし、手遅れになり 事件が起きてから 
メディアが群がり 見たがっている。理不尽だ。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/artikel/132/172622/



  


Posted by jtw at 16:35Comments(0)

2008年05月04日

24年の地下牢生活の後に回復のチャンスあり/精神科医談話続編

昨日のカキコミの続き。
24年地下牢に入れられていたエリザベートと6人の子ども
(すべて彼女の父親が生ませた子)には 酷い体験が
降りかかっただけでなく、自由の剥奪・性的虐待・
近親相姦・暴力・ぺてん などの犯罪行為が降りかかった。
子どものうち3人は地下牢で生まれ そこから出ること
なく育った。残り3人は牢屋の管理人、牢屋の上に
住むエリザベートの父親が養子や里子として 地上で育てた。

これ程の激しさで 様々なトラウマの因子を経験した
人の治療を 誰も体験していない。
監禁期間の長さ、性的虐待のトラウマ、社会からの
絶縁という因子が 組み合わさった 今回の犠牲者は 
心理療法で修復する際に 困難を経験するだろう。
層を一つずつ慎重に剥がして修復していく 長期の
集中的な経過を辿る、何年もかかる治療になる。

オーストリーでは2年前に ナターシャが8年も誘拐されていて 
自分で脱出した。今回は アムシュテッテンで この戦慄の
事件が発覚した。
子どもを物と見なし、権利の主体とは見なさない 
と言う伝統があるのかも知れない。この伝統が 
このような犯罪の原因になっていると いうことは
ないが、そういう社会では 子どもを所有物として 
おとしめることに 成りやすいとは 言えるだろう。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2008/19/amstetten-inzest-interview-berger?page=3  


Posted by jtw at 15:05Comments(0)

2008年05月03日

地下室に24年閉じ込められても普通の生活に戻るチャンスはある

オーストリーで最も有名な児童精神科医で神経科医 
Ernst Bergerのインタビュー:

彼は多くのトラウマをもつ子どもを助けてきた。
かつて 23歳のマリアは養子縁組した親から虐待され、
木の箱に入れられていた。ナターシャは誘拐された。
この二人の治療も彼は担当した。

長年 外界と絶縁され 酷い経験をし、やっと人生で
初めて他人との接触を持つことになった人を どう手伝うか?
他人への信頼を もてるように なることは可能だ。
それは心理的治療の技術の問題である。専門家が 
患者に付き添うことによって 体験を修復することが
問題である。

心理的トラウマの治療において 実地の経験と学問的経
験が 積み重ねられている。まず 犠牲者の精神的・
情動的安定を目指し、トラウマの治療が行われる。第2の
段階で 長期的な心理治療的支援がされる。同時にまた 
孤立してきた人が 普通の生活をする方法を 見つけ
られるように 支援される。
世間と どう付き合うかという 日常生活の知識を 
犠牲者が学習し、獲得するのを 手助けしなければならない。

ある程度 歳をとってから、人付き合いの知識を獲得し、
失った時間を取り戻すことは可能か? ドイツ語の格言に 
「子どもの頃に習わなかったら、大人になっても 
習えない」と言われるが、これは真実でない。遅れても 
別の方法で習える。習うのが 難しいだけのことだ。
常にチャンスはある。
子どもと大人では 酷い経験を頭の中で どう整理するか
という方法が異なるだけで、子どもの方が うまく 
やれるというもものでもない。
成人は克服する際に 頼ることのできる 色々な
経験を既に 持っている。子どもは そうは いかない。
しかし だからと言って、子どもは不利かというと
そうではない。道は色々あるのだから。

木の檻に入れられた少女マリアも誘拐されたナターシャも 
専門家が付き添い 支援すれば 独立自尊の生活
に戻ることは可能だ。
まったく過去からの影響が無くなり 完治すると
いうわけではないが、足の無いままに生まれても
支援があれば 満足できる生活を送れるように、
トラウマを負った人も 治療すれば まずまずの生活は
できるようになる。(続く)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2008/19/amstetten-inzest-interview-berger
  


Posted by jtw at 21:27Comments(0)

2008年05月02日

戦慄の家に群がるハイエナ ジャーナリズム@オーストリー

大衆向け新聞は アンシュタットという小さい町で起きた
地下室監禁事件を報道し、売り上げを伸ばし、
犠牲者を 改めて 傷つけている。
人権侵害によって 部数を増やすのを ハイエナ ジャーナリズムという。

73歳の男が実の娘を 自宅地下室に24年間 監禁し、
7人の子どもを生ませた。一人は死亡していた。

Natascha Kampuscha の事件の2年後に また 
こういう事件が 部数を伸ばすのに 利用されることになった。
ナターシャは10歳の時に 登校途中に誘拐され、
8年後 自力で脱出した。
安物の新聞は 今もスキャンダルで最も苦しむ人
のことを 考慮に入れない。

この男の妻は 男のたくらみに まったく気づかなかった
と断言しているが、一方で 精神科医の治療を受けて
きた。この妻も 事件で 傷ついている。
ある新聞は この妻の 名前を イニシャルにする 
こともなく、そのまま 載せているし、写真も 加工しないで 
載せている。
子どもの写真も ボカシなしで 名前入りで 載せられた。
男が養子にしている三人の子どものうち 2人は この町で
学校へ通っている。この子たちは 「祖父」だと思っていた
男が 実は 父であり、失踪したことになっていた母親は 
家の真下の 地下室で生活していて、他に3人のきょうだいが 
地下室にいたことを 知ることになる。
子どもの顔写真は オーストリー中に知られてしまった。

暴露報道は 暴力を受けた人にとって トラウマの再現
になり 耐え難いことだ。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2008/19/inzest-medien
  


Posted by jtw at 13:57Comments(0)

2008年05月01日

自分の娘を地下室に閉じ込めた男/町の人々の当惑/教会の働き

オーストリーのAmstettenという小さい町で 男が娘を虐待して
いたことが発覚し、町の人々は 哀しみ、当惑、憤激を
どうしたものか 途方にくれている。
男は 自分の娘を地下室に閉じ込め、子を産ませ 子どもの
うち3人は その母親(この男の娘)も一緒に 生まれてから 
ずっと地下室から出されなかった。残り3人の子を 男は 
自分の養子や里子にして 地下室の上の自宅で育てた。

4月29日の夜 カトリックの教区は 蝋燭を灯すように呼び
かけたが 町の中央広場に ろうそくの灯の海は
生まれなかった。
カトリックの教区の主任司祭館には 秘密を守る無料の
電話相談・少年のための命の電話の広報文が書かれている。

27日に事件が明らかになって以来 教区の助祭Lagler
さんは 通例のミサの他にもミサをしてきた。ミサの
中心はこの事件だ。普通のミサは 今のところない。
事件に巻き込まれた家族を思い、市民は自分自身の
心配を忘れた。
事件から目をそらしている人たちからの非難、
見当はずれの同情、無知などが町に広がり、
助祭はそれに 抵抗している。
教区がこの家族の傷を治せるか どうか 助祭には 
分からないが、少なくとも 人はその努力をしたいと
思うものだ。
Anstettenから8キロ離れた州立病院 「身体と魂の
健康センター」に家族は収容された。6人の子のうち 
地下室で長年過ごした3人の子は ここで 日の光の
もとで 新しい生活を始めている。
今のところ 警察は家族の事情聴取を断念している。
弁護士が家族の代理人になった。子どもの養育権は 
誰が引き受けるのか?

下記サイトから:
http://www.welt.de/vermischtes/article1954038/Amstetten_weiss_nicht_wohin_mit_der_Trauer.html
  


Posted by jtw at 13:09Comments(0)