2008年05月08日

オーストリーでの監禁事件/その後わかった事など

5月5日発。
1984年に当時12歳だったエリーザベトは地下室に入れられ、
そこで生んだ子のうち1人は亡くなり、3人はずっと生後 
ずっと地下室にいた。他の3人は犯人(エリーザベトの父親)
とその妻(エリーザベトの母)が養子や里子として地上で育てた。
エリーザベトの長女 Kerstin 19歳は 重病で 集中治療室にいる。
エリーザベトと子どもは 光に対して 以前ほど 敏感でなくなった。
最年少の6歳の男の子は 生き生きとしてきて、人を接する
喜びを感じている。
エリーザベトに頼まれて犯人はビタミン剤と紫外線ランプを
地下室に提供していた。それが監禁状態を少しは 
ましな状態にしていた。

被害者を 医師と介助者の15人からなるチームで世話
している。
地下室で毎日過ごすのに使っていた「時間割」にも
配慮している。
地下室で子どもたちが 時間割を守って 規則的な
生活をするように 母親は気を使っていたからだ。
監禁状態では 時間の流れは 極めて遅かったので 
治療に入っても 時間は ゆったりと進行するように
している。

エリーザベトは11歳の時から 父親に性的虐待を受けて
いたのに 賞賛すべき強い女性だと 弁護人は言う。

犯人は1960年代の終わりに 強姦で有罪判決を
言い渡されている。
オーストリーの法律では 犯罪行為は 
最も長くて15年で抹消される。そのために1984年に
エリーザベトが失踪したとされたときに 当局は昔の
強姦事件に気づかなかったのだろう。
したがって 犯人が娘に産ませた子のうちの3人を 
犯人の養子や里子にすることに当局が決めた時にも 
かつての犯行は知られないままだった。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Amstetten-Zweiter-Zugang-Verlies/619345.html  


Posted by jtw at 12:42Comments(0)