2008年05月27日

捕虜ドイツ兵オーケストラの息吹/習志野

第一次大戦中、収容所があった千葉・習志野で史実を探る。
星 昌幸(習志野市 教育委員会 社会教育課)

日本経済新聞2008年5月27日 文化欄から抜粋:

習志野市には第一次世界大戦のころ、ドイツ兵士の捕虜
収容所があり、多い時で千人近くがいた。
現在のオーストリー、ハンガリー、ポーランド、フランス、バルカン諸国の
者もいた。そして周辺の住民に、音楽や料理などを伝えた。
オーケストラや合唱団があり、演劇も上演された。

日本は第一次大戦でドイツと 中国で対戦した
主に青島にいたドイツ兵が 習志野、鳴門市、
久留米市などの 捕虜収容所へ送られた。

ソーセージの製法も伝えられた。ソーセージは
習志野が日本発祥の地ともいえる。

収容所長と務めていた西郷隆盛の長男 寅太郎
死に関する証言も得られた.

演奏会も月に1-2回もあった。中心人物は高名な
音楽家 ヨーゼフ ヨアヒムの弟子 ハンス ミリエス。彼は
上海のオーケストラでコンサートマスター兼
指揮者だった。彼らは自分たちでギターやマンドリンを作った。

調査結果は「ドイツ兵の見たニッポン」(丸善)という
本にまとめられた。
今年は第一次大戦終結から90周年。  


Posted by jtw at 14:33Comments(1)