2010年12月29日

昔、児童施設で過ごした人とのチャットinドイツ

2006年2月21日 ハンブルク発:
(4年前の記事です)
児童施設の元入所者の代表者とSpiegel誌の読者が
オンラインで対話する機会を Spiegel誌はつくった。
約3500人が60分間にアクセスして、元入所者に
過去の克服、虐待、報復する気持ちについて尋ねた。
オンライン対話の回答者は 元入所者 Michael-Peter
SchiltskyとRegina Eppert。
質問は:
どんな虐待に耐えねばならなかったか?
自分自身の子どもに何を伝えたいか?
今も悪夢に悩まされるか?
など。

多くのキリスト教会立・国立の児童施設で戦後、
どのような日常生活が送られていたのかを
質問者は知りたかった。
質問者の中には施設出身者もいた。
「率直に話してくれたことに敬意を表します」と
書いた人も多かった。
二人の回答者の答えは 施設での無慈悲な教育
システムを見せてくれた。Michaelは 子どもの
時に施設で受けた日常的虐待について述べた:
「げんこつや棒で殴られ、性的虐待や言葉に
よる侮辱もあった」。
職員(女性)が子ども達に 好意を示すことや、
子ども達と話しをしようとすることは 本当に
まれだった。そんな職員は 気をつけるようにと 
あからさまに注意されていた。

Reginaも「慈悲深い修道女」と共に施設で過ごした
子ども時代を チャットで語った。施設では
「神の妻」であるシスターからの最悪の罵りに 
日々、耐えねばならなかった。自分の過去と
長年の間、取り組むことができなかった。「過去を
抑圧していて、そして 自分の子ども時代について 
長い間 話さなかった」。彼女が母親になった時、
「愛と理解」が子どもの教育にとって最も大切な
ことだった。しかし「愛も理解も 自分では経験
していなかった。あの頃は いつも 良い修道女に
会えるようにと ひたすら望んでいた」。
当時の職員に対して 法的措置をとるか どうかと
いう質問にMichaelは 冷静に答えた:「彼らを
責めても 無意味だろう。昔のことだ。」
Reginaも同様の考えだ、「復讐するという気持ち
からは 遠い。けれど公的な謝罪をいつも望んでいる。」
Michaelは 当時の職員(子どもを虐待した人)と
再会したことについて チャットで語った:「彼は
私に無造作に ”おまえ”(君)という言い方で 
親しい間柄であるかのように話すことが できると
思い込んでいたのが 私には不愉快だった。そして
彼は言った:結局、君がひとかどの人物になれた
のも 施設に居たお陰だから、それほど悪く
なかっただろう。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,402293,00.html


  


Posted by jtw at 20:43Comments(0)