2014年11月02日

中六薬局(漢方薬)

和歌山市新通7-45。新通がブラクリ丁とぶつかる寸前にある。
一人ひとりに合った漢方薬を処方してくれる。
消費者の信頼は厚く、救急車が患者の指示に従って 
中六さんに着いたこともあるという話です。
http://nakarokuph.com/index.php?nakaroku

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 08:48Comments(0)

2014年10月30日

グレイハウンドバス・百周年(写真20枚)

アメリカの長距離バスは百周年を迎えた。
下記サイトに 写真20枚:
http://www.stern.de/reise/fernreisen/greyhound-busse-in-den-usa-feiern-100-jaehriges-jubilaeum-2144992.html

写真 lovefreePhoto  


Posted by jtw at 11:50Comments(0)写真集

2014年09月27日

チェルノブイリ・無人地域の今(動画)

1986年に原子炉大惨事が起きた。2011年に閉鎖地域へ立ち
入りできるようになった。無人の地域は 今 危険を覚悟のうえ、
極端な体験をする観光の場になっている。
原子炉の近くのPrypjat プリプヤトは原子力発電所の職員の
住んでいた小さい町であった。今 幽霊町になっている。
この撮影者は カメラと放射線測定器をもって、4日間 
この町に留まった。
下記サイトに動画:
http://www.stern.de/reise/europa/extremtourist-in-tschernobyl-eine-verstoerende-reise-durchs-sperrgebiet-2140341.html

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 14:36Comments(0)原発事故

2014年08月03日

ドイツ風居酒屋カルトフェル

JR和歌山駅東口を東へ50メーターほど行った所にある
ドイツ料理と地元魚料理のレストラン。
ドイツのビールが色々ある。
今はランチは営業してなくて、夕方から夜だけ開けてます。
昨日 自家製ソーセージとカルパッチョ(これはドイツ語で
ないですよね)を食べてきました。
大将、ご馳走さまでした。元気でいてください。

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 19:07Comments(0)

2014年03月23日

有田ユースホステル40周年

2014年3月22日(土)の夜、有田YHで40周年記念の
集会が開かれました。
台湾から東京へ来ている留学生とわざわざ台湾から
来てくれた学生さんも参加されました。
ユースホステルにあたるドイツ語を古い独和辞典で
引くと「青年宿泊所(徒歩旅行者のための)」と
あります。
今のドイツのユースホステルの主なお客さんは
クラス単位でお泊りに行く小学生のようです。
日本では YHに泊まる人の数が40年前と比べて
十分の一になっていると この集会で伺いました。
ここの管理人さんには 40年ご家族と共に奮闘
してくださいましたが、もうシンドイと思いますので
素泊まりにして 朝夕食はカップ麺やレトルト食品を
泊客に勝手に食べていただいたら 良いんでは
なかろうかと思いました。

  


Posted by jtw at 12:12Comments(0)

2014年03月19日

雀に巣作りの場を提供inドイツ

10年前にヴィースバーデン市の中心部の広場で 
雀の声は よく聞かれた。今、雀はいない。
ヴィースバーデン市の「環境店」はヴィースバーデン博物館の
自然史収集物のなかから雀についての物を展示し、
雀の保護を広報している。
今の建物は隙間がないから 雀が巣を作る場がない。
そのうえ餌も少なくなった。何にも使われていない土地は
減り、庭や緑地は きちんと管理され、雑草が育つことも
なくなった。雑草の種は雀の好物だ。地面を覆ってしまうと 
鳥が生きるのに必要な水も土も足りなくなる。
こういう条件のもとでは 虫が少なくなり、雀の親も雛に
与える虫を探すのにナンギする。
ヴィースバーデンの環境店の展示では雀の保護のための
広報活動をしている。たとえば バルコニーやテラスに 
雀のための「小さい長屋」を置く提案をしている。巣箱には
小部屋があり、三組の雀のカップルが巣を作れる。この雀の
お宿は 木とルーフィング材(屋根ふき用タール紙)とで
できている。この環境店で26ユーロで売っている。
下記サイトから:
http://www.faz.net/aktuell/rhein-main/spatzen-in-der-defensive-12851628.html

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 17:49Comments(0)野生生物

2014年02月27日

農場の動物と幼い子/写真集

ロシアの女性が自分の農場の犬・猫・うさぎ・アヒルと
二人の息子をCanon EOSで撮した:
http://www.boredpanda.com/animal-children-photography-elena-shumilova/

この写真はSACHIさん。  


Posted by jtw at 17:49Comments(0)写真集

2014年01月16日

冬の野鳥inドイツ/写真

下記サイトに写真10枚:
http://www.tagesschau.de/multimedia/bilder/wintervogelzaehlung102.html
雀・メジロ・野生のインコなど。

  


Posted by jtw at 08:43Comments(0)野生生物

2013年12月26日

クラウン独和辞典第五版

2008年に第四版が出ています。今月第五版がでました。
長生きして 改訂版を買えるのは喜ぶべきことです。
使いやすい辞書なので 消費税が上がる前に買います。
下記サイトに広告:
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/dicts/foreign/crwn_dj5/

  


Posted by jtw at 13:07Comments(0)外国語学習

2013年12月14日

2013年11月21日

カルトフェル・ドイツ風居酒屋

JR和歌山駅 東口から東へ200メーターほどにある
カルトフェルは 開店12年になります。
きのう行ってきました。
自家製ドイツ風ソーセージやグラーシュなど
アルジがドイツで習ってきた味を楽しめました。
昔 この店のアルジはドイツのレストランへ
日本食を教えに行って、御礼にドイツ料理を
教えてもらったそうです。
  


Posted by jtw at 14:36Comments(0)

2013年11月10日

誰でも入れる集合墓in福井県

福井県の御誕生寺の住職、板橋興宗禅師は
「誰でも入れる集合墓」をつくられた。
武生の駅からタクシーで行ける。地元では猫寺と
呼んでいるお寺に十数匹の猫がいる。
ランディさんは実家の菩提寺から 永代供養は
しないと告げられ、板橋禅師に相談に行った。
田口ランディ、”墓石の重み”、月刊「春秋」
2013年11月号 p.1~6.から抜粋。
  


Posted by jtw at 17:58Comments(0)仏教

2013年11月10日

遠友夜学校in札幌

日本経済新聞2013年11月6日の文化欄から抜粋:
見出し:札幌の夜学 消えぬ理念。
新渡戸稲造設立・遠友夜学校の「自愛」の精神伝える。
筆者:山本玉樹(北大)

新渡戸稲造が1894年(明治27年)に札幌で開校し、
終戦前年まで続いた夜学、遠友夜学校の歴史と教育
理念を伝えるため、山本先生は 地元での講演や
大学生向けの講義を続けている。
この学校は 通常の学校に通えない青少年が無料で
学べるようにした場。
札幌農学校の学生たちが無給で教壇に立った。新渡戸
博士夫妻のほか有島武郎らも教べんを執り、
約千人の卒業生を送り出した。
山本先生は 約50年前、北大理学部の助手として
大学にいた時期に この学校に関心を持った。当時 
松浦一教授の研究室に堀内寿郎教授が尋ねてきて、
両教授が北大に採用されたときの宮部金吾教授の
思い出を語り合っていた。宮部は新渡戸の同期で、
植物学者。クラークの理念を受け継いだ宮部に対する
両教授の強い畏敬の念に打たれ、北大建学の理念に
興味を持った。
新渡戸は米国滞在中の85年、宮部に宛てた手紙に
「札幌市民学園」の構想を記している。「貧しくて義務制の
学校にも行けない子供たちなどに対する学校」である。
宮部は新渡戸の後、遠友夜学校の二代目校長を務めた。
この学校の校是は「リンカーンに学べ。リンカーン精神に学べ」。
「何人に対しても悪意をいだかず、すべての人に慈愛を」と
説いたリンカーンの精神だ。
クラーク博士の背景にはリンカーンの精神があった。
生徒募集のチラシの文面に 学校関係者による無私の
献身が染みこんでいる。
卒業生も探して訪ねた。1909年に入学した小寺アキさんは 
雪の日もはだしで学校まで通っていたという。
山本先生は北大で 1,2年生向けに「札幌農学校の教育
思想とその背景」という講義を持っていた。亡くなるまで
毎年、小寺さんを講義に招き、学生たちに合わせ続けた。
小寺さんはいつも約束の部屋の入り口に立って、我々を
見ると手を合わせて 最敬礼をしてくれた。そして学生一人
一人に「あなたとそっくりな北大生が遠夜学校で私に
教えてくださったのです」と言って握手をする。
全国の大学には それぞれ異なる建学の精神と独自の
歴史がある。各大学の個性を、歴史を見直すことで
再確認してみてほしい。
  


Posted by jtw at 13:49Comments(0)

2013年10月21日

賞味期限きれたのを外国人へ売るinドイツ

知人の友人がヨーロッパの大きい川を船で一ヶ月も旅して
きて 土産に クリスマスに飲むグリューワインをつくるための
漢方薬みたいなものを一袋110グラム買って 土産に
知人にくれたそうです。
もらった人は ドイツ語を読めないので 私に袋のラベルを
コピーして送ってきました。読んでみたら 賞味期限
2011年!!12月8日。干した果物の皮・葉っぱが主な
原料なので 古くてもアタル気遣いない。
しかし ラベルを読めない外国人に 2年まえの在庫を売るとは 
ドイツにも えげつない店があるもんです。
2.25ユーロ。廃棄物をこの値段で。

写真 lovefreePhoto  


Posted by jtw at 16:01Comments(0)

2013年10月17日

美声の鳥inアマゾン熱帯雨林

日本のミソサザイに似たこの鳥は 美声で有名である。
ポルトガル語で uirapura と言う名の鳥。
(日本にこんな声の鳥はいない)
バッハやハイドンの作品に似ていると学者は報告している。
下記サイトの動画で声が聞ける:
http://www.sueddeutsche.de/wissen/suedamerikanischer-singvogel-erstaunliche-lieder-aus-dem-regenwald-1.1796402

写真は 和歌山によく見られるイソシギ?  


Posted by jtw at 17:55Comments(0)野生生物

2013年10月14日

国際ガーデン・ショーinハンブルク

下記サイトを出して、本文七行ほどの下に青い帯が
あるので その右上の矢印をクリックすると 写真
十数枚でます。
171日間のショーは終わった。3700万ユーロの赤字に
なった。主催者は250万人の入場を見込んでいたが
実際の入場者は百万を少し超えるほどだった。
http://www.ndr.de/ratgeber/reise/urlaubsregionen/hamburg/igs367.html

写真 lovefreePhoto  


Posted by jtw at 08:49Comments(0)写真集

2013年10月04日

福島・立入禁止地域の写真15枚

下記サイトに:
http://www.stern.de/panorama/beklemmende-bilder-aus-fukushima-verlorenes-leben-in-der-sperrzone-2062243.html
それぞれの写真の下に説明の文があります。文の中に
あるローマ字は地名・人名です。他の単語は無視して 
ローマ字を探してください。
写真9. サカモト ケイゴさんは退避を拒否し、あるじを
失くした500以上の動物と共に楢葉町の近くで暮らして
いる。彼の抱いている犬は 大震災の起きる少し
前に生まれ、アトムと名付けられた。

オリンピックを開く時期か。日本に好意的なトルコに譲ればよかった。
十数年まえ県庁が「第一回国際子どもナントカ祭」をマリーナシティで
開いたとき トルコの母親と小学校低学年の女の子ふたりが
うちに 二泊ほどホームステイした。
お母さんは数十の英語単語を使い、子ども達はトルコ語と
身振りで話してくれた。
  


Posted by jtw at 08:49Comments(0)原発事故

2013年09月25日

die Hetze の訳語

大学書林のドイツ語小辞典で標記の語を引くと
七つも日本語の単語が あげられていて
その内の一つは「使嗾(しそう)」。
国語辞典を引いたら これは「指図して
そそのかすこと。けしかけること。」とあります。

ロシアでのゲイへの迫害についての記事に
Hetze が出てきました。
ついでに もっと古い辞書「独和言林」を引いて
みたら 「扇動・中傷・非難」などという普通の単語は
のっていなくて、ただ「使嗾」とあります。
昔の人は 難しい日本語を使っていたものです。
しかし 浄瑠璃に「使嗾」は出てこないような気が
します。明治・大正の時代の言葉でしょうか?
  


Posted by jtw at 08:46Comments(0)

2013年09月24日

ジャズピアニスト/パウル・クーン死去85歳で

2013年9月23日発:
ドイツの「ピアノの男」クーンは 数十年、ショーの世界で
活躍し、心臓病のため85歳で死去した。
彼は引退することを考えていなかった。この11月には
「レーヴァクーゼン・ジャズの日」に出演する予定だった。
今年の春に85歳の誕生日の直前に「ピアノの前に
座らない日は一日もない」と語った。
1936年 8歳で にアコーディオン奏者として初めて舞台に立った。
2011年には 当時、住んでいたスイスで 主役として
映画デビューした。そのときに「聞こえにくいし、目も良く
みえないが それ以外は元気だ。歳をとるということは 
くだらない」と語った。
最期まで 夫人のウーテは 彼に力と自信を与えた。
2008年春、80歳の誕生日を故郷 Wiesbaden ヴィーズ
バーデン での ジャズフェスティバルで祝った。
下記サイトから:
http://www.stern.de/kultur/musik/der-mann-am-klavier-jazz-pianist-paul-kuhn-ist-tot-2059817.html
http://www.n-tv.de/panorama/Paul-Kuhn-ist-tot-article11422676.html

写真 lovefreePhoto  


Posted by jtw at 08:55Comments(0)

2013年09月10日

自動翻訳は分からない

フェイスブックに入ったのは この会を作ってくれた
方の勧めによります。
フェイスブックのマレー語のカキコミについては
自動翻訳の表示がないです。
フェイスブックで「友達」になってくれているベトナムの
元留学生のベトナム語のカキコミを自動翻訳してみました。
下記です:
イギリスで薄いシャツも春の日少し冷たい臭いイスラム教期限をもたらした朝カウボーイのクラッシュ, 彼は rảo の間の線空星の貿易ボディわずかに暖かい春の日としあなたに花びらなくなって風が吹いた見捨てられて生きて突風を待っているを参照してください突然停止垣間見るをステップ記憶されて私を見ていた光景を夢見ていた彼は実現することがなく自分でダウン ボーは理由を知らない。私は泣いています。懐かしさでイギリスは価値があるしているそうでないかもしれない彼女の娘の日を手に私と一緒に歩いてしなければならない. (Bingによる翻訳)
★ こういう日本語を読むと、私の翻訳(抜粋)は
まだ ましだと思う。
  


Posted by jtw at 18:55Comments(0)外国語学習