2009年05月26日

鶴澤寛治さん・四世津大夫を語る

朝日新聞 2009年5月25日夕刊
「立ち見席・文楽劇場 四半世紀」(3)
見出し: 兄貴の愛で よみがえった。
文・西本ゆか、写真・伊ケ崎忍。

以下 抜粋です:

四世津大夫さんは 文楽劇場 こけら落としの千本桜で
「渡海屋・大物浦の段」を語った。当代寛治さんの父・
先代寛治さんが 長年 相三味線だった津大夫さんは 
寛治さんの実姉の夫でもあった。
「大夫としての 功績は言うまでもない。でも今、立派な
劇場で 芸に専念できる我々は、戦中戦後の激動の時代、
文楽を守るために彼が捧げた献身を、忘れちゃいかん
と思うのです」

寛治さんが16歳だった45年春、大阪が空襲で焼け野原
になった。四つ橋文楽座も焼けた。
一回り年長の津大夫さんは 即座に動いた。当時 
文楽を経営していた松竹系映画館での上演をめざして 
奔走した。映画館も焼け、幻に終わったが、努力は無駄に
ならず、悲願の公演は終戦 直前、朝日会館で実現した。
生活のために 氷屋をしながら 戦争で散り散りになった
仲間に もう一度 文楽をと 声をかけて回った。
復興後も「巡業の興行主になって もらえないか」と各地の
新聞社を回り、国立の文楽劇場実現を願い東京に
幾度も陳情の足を運んだ。
「汽車賃のため質屋通いも辞さなかった。そして
功績を誇らなかった」
「兄貴が捧げた無償の愛が礎となり、今も劇場を
見守ってくれている気がします」

★ブログ管理人の蛇足:
本当は 勝手に 抜粋するのは 著作権法違反だと
思うけれど、津大夫さん 全盛の頃に 合邦、山科閑居、
尼ケ崎などを 聞かせていただいて 感謝の念 尽きない
ですので 追善供養のため 見逃していただきたく 
カキコミいたしました。



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