2009年05月27日

薬物依存とその意義inドイツ

1.日常生活のための薬物使用

酒・薬剤・禁止されている麻薬などを使わないで生きて
いくのは 難しいように思われる。
依存癖・中毒の研究者 Peter Raschke教授は 
なぜ そうなのかを語る。
麻薬、酒のない社会は神話にすぎない。人は麻薬を
使って 日常生活を克服してきた。今もドイツでは 多くの
人が 途方にくれないで やっていくために 補助手段を
必要としている。

酒、煙草の消費はあまり変わっていない。喫煙者の
人数は減っているが、煙草の販売数は変わっていない。

青少年の場合は 大人になりたくて 煙草を吸うという
動機がある。大人になれば 煙草を止める人は多い。

打ち解けた飲酒の場には ある程度の社会的コントロール
があったのに、消費社会になり、そういう場が無くなって
しまい ただ やみくもに 飲むという傾向は 憂慮すべきだ。
 
鎮静剤、興奮剤、抗うつ剤、落ち着かせるための
Ritalinリタリン、ずっと寝ないでいるためのModafinil、
精神的肉体的健康のための薬、内気な性格を変えると
いう薬など 簡単に手に入る。
大酒を飲まなくても 煙草を途切れることなく吸い続け
なくても こういう薬で幸せになれる。

合理化は進み、経済的効率が優先される潮流に足を
すくわれ、今までの日常生活の構造は 変わってしまった。
もう 会社で 少しでも ぼんやりすることは 許されない。

酒は ストレスから解放されるための夜の麻薬だ。
薬物は どん底を乗り越えるのに 役立ち 効率がいい。
煙草は 働きながら ストレスを少なくできると言う
高機能商品だ。

2. 余暇のための薬物使用

ラブパレードは 無理やり幸せな気分になろうと言う強制的
催しなので 多くの薬物が使われる。
「日常の薬物使用」というのは 強迫観念から来る。ある
決まった時点に 決められた状態に達しなければなら
ないのだ。問題は 自分で設定した強制を どう回避する
かだ。麻薬や薬剤で支えてもらう人もいるし、ヨガや瞑想
や 賢明なことを する人もいる。

ダライラマが なぜ あのような感激を人々に引き起こすか
というと、ダライラマは どうしたら 補助手段なしに 幸せに
なれるかを 示しているからだと思う。
ダライラマは 安らかであり、愛想がよく、霊的であり、酒も
飲まない。それに 私が勝手に思っているのだが 薬も
しない。多くの人が切望する 生きる姿勢を ダライラマは
身をもって示している。

チベット人にとって 瞑想は 日常のことだが、ドイツ人の
生活習慣は そういう構造になっていない。
ここハンブルクでは プロテスタントの倫理観をもつように 
教育されている。勤勉と義務の遂行を求める倫理観だ。
しかし この規範は消えつつある。19~20世紀の
労働規律は 今の生産様式に合わない。従って 社会の
合意は 新たに定義されなければならない。

幸福とは何かを定義するのは 個人的なことだが、一方 
幸福の追求を援助し、そして制限するのは 社会だ。
なので 人は幸福の追求を 麻薬で助けてもらうのかも
知れない。
アルコールによる死者は 自動車事故、暴力、病気に
よるもの 合わせて 年に4万人以上になるのに 酒と
いう麻薬は許されている。というのは 酒は この労働
環境を耐えれれるように してくれる 素晴らしい薬だから。

煙草も禁止されていない。ドイツだけで 年に14万人が
肺癌などで死ぬのに。
大麻で死者はでていないが 禁止されている。
麻薬法は まったく理不尽だ。たとえば トルコでは 
一時 コーヒーを飲むのが禁止され 飲めば死刑に
なった。(続く)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/wissen/736/469294/text/






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