2007年09月18日

文盲inドイツ

66歳になって やっと Ursulaは読み書きを 習い始めた。
ずっと 隠れて 生きてきた 気がしたと 彼女は言う。
母親が 恋文や 履歴書を書いてくれた。
◎ 9枚の写真も 下記サイトに でています。

ドイツ・アルファベット協会によると ドイツには 400万人の
「機能的文盲」がいる。個々の単語は 読めても、学校から親宛の
手紙や 職場の警告書を 読めない。そして 書くことに ついては 
2語に 1語は 綴りを 間違えるから もう 書く気にならない。
そこで あきらめて 一生 しんどい 思いをする。

Urusula は小学校で 手細工 お絵描き 体操の点は 
良かったのに 読み書きだけ うまく いかなかった。
恐ろしい教師に いつも 殴られた。綴りを まともに 書けるのは 
der die das くらいの ものだった。
補習授業も 役に立たなかった。繰り返しても 覚えられなかった。
特別学校は 金がかかった。それで 13歳で 学校を やめて 
紡績女工になった。筆記試験が なかったから。
母親は 言った、「どちみち 奥さんになるし、読み書きする
必要もない」。

1年間 週に一度は 恋文を書いた。その手紙は 今も大事に
している。1年間 彼女は 母親に 口述して 手紙を書いて 
もらった。母の書いた字を 彼女は 一字ずつ模写した。

大きい調理場で 働いていた時 注文伝票に ×印を 書いたし 
同僚は 彼女が 文盲だとは 気づかなかった。
バスの時刻表を 家へ もって帰り 夫に 読んでもらって 
乗り遅れる ことは なかった。
職業紹介会社で 履歴書を 書かないと いけない時は 
娘を 連れて行った。2度目に 行く時は 眼鏡を 忘れたことにした。
「何とか やっては きたものの、自分を騙すことは できない」。

ある時 孫娘に メルヘンの本を 手に取り 話してやった。
孫娘が 学校へ 行ったら おばあちゃんの 話とは まったく 
違っていた。

そんなことで やっと 週に一度 成人学級に 行くようになった。
そこには 文盲の人の グループが ある。ドイツには 2万人が 
アルファベット教室に 通っている。
文盲は 年取った人だけの 問題ではない。ドイツの小学生の10%は 
最低の読み書き能力水準に 達していない。初歩的な読みの技能は 
あるが、実際の文脈は 読めない。こういう生徒の 半分は 
ドイツ生まれで 話コトバには 不自由しない。

月曜に Ursulaが 成人学級へ 行くと 若い人も 大勢いる。
隣の席の人は 元トラック運転手で 今は アパート管理人をしている。
雇用主も 借家人も 彼が 読み書きを 充分に 出来ないとは 
思っていない。

こういう人たちは バカでは ない。ただ 学習に立ちはだかる障壁を 
こじあける 教育が なかっただけの ことだ。

ここの生徒は サナダムシのように 長い文を 練習する。
ドイツ語では 幾つもの単語を ハイフンなしに くっつけて 一語に
してしまう ので 無茶苦茶 長い単語が できる。
それを どこで 切って 読むかが 大問題になる。

もう5年以上 Urusulaは 宿題をしている。時には 孫娘に
厳しい目で 見られながら。
彼女は モンテクリスト伯を 読みたい。
彼女は 自分のために 戦っている。そして 4百万人のドイツの
文盲の人の ためにも 戦っている つもりだ。
この4百万人が どんな人だか 彼女は 知らないが 
文盲の人が いるということを 彼女は 知っている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wissenschaft/mensch/:Analphabeten-Im-Labyrinth-Schriftzeichen/597647.html

  


Posted by jtw at 17:13Comments(0)

2007年09月18日

チベットの写真・ラサへの列車からの風景とラサの人々。35枚

次の日曜に ダライラマは ドイツの首相と会談します。

下記サイトに 北京から首都ラサまでの 列車から 見える
美しい風景・ ラサで机を一人で担いで運ぶ人・仏教徒・
寺院・巡礼者などの 写真35枚が 出ています。
北京から ラサまで 4千キロ、列車で 48時間 かかります。

それぞれの 写真に 2-3行の説明が あります。自動翻訳
ソフトを 使って 読んで みてください。
http://www.sueddeutsche.de/reise/bildstrecke/115/131878/p0/  


Posted by jtw at 10:21Comments(0)