2010年03月12日

レズビアン高校生・卒業パーティへの参加を拒否される

女子高生Constanse McMillenが 学年末ダンス
パーティに 男装して 女性の友達を連れて
行きたいと ミシシッピ州の小さい町の高校に
伝えたところ、高校(農業高校)はパーティを
取り消した。
パーティ中止をItawanba郡教育委員会が決定した
翌日にMcMillenは登校した。「私が 私であることに
今も誇りに思っていると言うことを みんなに
示すには 登校した方がいい、と父は言った。
それが 後々の人に役にたつと私も思うし、それが
私が生きていくのに 私の役にもたつ」と
彼女は言った。

「アメリカ市民的自由連合」は 同性を伴って
卒業ダンスパーティに参加することを禁止する
方針は 学生の権利の侵害であると発表した。
その発表の後に 教育委員会はパーティの中止を
決めた。
教育委員会は パーティを誰か個人的に主催して
くれることを望んでいる、と述べた。そうなると 
Mcmillenは入れてもらえない「ここはミシシッピの
小さい町で 町は金のある年寄りが運営している。
彼らが 私がタキシードを着て 女の子と一緒に
パーティに来るのに同意するわけない」。

以上下記サイトから抜粋:
http://www.msnbc.msn.com/id/35814348/ns/us_news-education/


この事件の数日前にもアメリカでは注目を集める
事件があった。コロラド州のカトリック系小学校が 
レズビアンの親をもつ二人の子どもを 入学させない
と言う決定をした。
二人の子どもが幼稚園を卒園することは 許されたが 
その後、同じ系列の小学校へは入学を許されなかった。
コロラド州デンバーの大司教はこの決定を弁護している。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/jobkarriere/283/495607/text/  


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2010年03月11日

煙草の害inドイツ

煙草を吸うと 心筋梗塞、肺癌、動脈の詰まり
などが引き起こされ ドイツで 煙草のために
1日に300人が死ぬ。
ニコチンは脳に快感を与えるが 煙草に入って
いる猛毒の物質 二酸化硫黄などが 癌を引き起こす。
受動喫煙の危険は 過小評価されるが、年々 
2100人以上が受動喫煙のために 心筋梗塞で死ぬ。

肺癌の手術を受けた人のうち20%は助からない。
煙草を吸う量を減らせば 肺癌になる危険が減る
というデータはない。
COPD(慢性閉塞性肺疾患)になる患者の9割は
喫煙歴がある。しかし 非喫煙者もCOPDになる
ことがある。

その他に「喫煙者の脚」と言う病気もある。
ニコチンは脚の太い血管を狭くする。すると組織に
長期にわたり酸素が充分に供給されなくなる。
脚の組織が損なわれると切断されねばならなく
なる。そうしないと 感染や敗血症で死ぬ危険が
ある。動脈に風船を入れて 動脈を押し広げ 
ステントによって 狭くならないようにすると 
脚切断の50%は避けられる。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/ratgeber/gesund-fit/bams/2010/02/21/rauchen-nikotinsucht-lungenkrebs/nie-wieder-zigaretten-neue-methoden-zur-raucherentwoehnung.html

  


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2010年03月10日

野鳥のために餌台を置くのはいいことだinドイツ

マックス・プランク研究所のPeter Bertholdは
ドイツで指導的な鳥学者の一人。
自然保護家は長年、餌台は生態系を考えると、馬鹿げたことで、感傷的な動物愛護家の気まぐれだと主張している。Bertholdは学問的に これに反論する:

野鳥に餌をやることを思いついたのは ドイツ人であり、19世紀には それについての一般向けの本も出ている。
野鳥保護についてもっとも熱心な英国で 餌をやるのが悪いなどと言われていない。英国では 1930年代に冬だけでなく、年中無休で 餌をやることが始まった。
年中 餌をやると 野鳥は早く繁殖期に入り、多くの卵を生み、雛も多く生き残る。鳥の生息密度が高くなり 多くの鳥が定住する。
庭に巣箱を架けると このことが確認できる。餌をやると 巣箱の利用率が上がり、ほとんどすべての巣箱が利用される。餌をやらないと、あまり巣箱は使われない。
鳥は朝 マイナス10度になっても 1時間ほど餌を探す。もし餌が見つからないと どこかに座り込む。餌のある場を知らないと 見つけるチャンスはあまり ない。

自然保護家が餌台に反対するのは 1970年代に始まる。当時の活動家は 議会活動(議員との交渉)と生息地保護に専念していた。彼らは過去の鳥類保護活動や餌台・巣箱を軽蔑していた。そのうえ 自然保護団体は 多くの常勤職員を雇うようになり、人件費の心配をしなければならなかった。餌台も巣箱も高価なので これを止めれば節約になった。

ドイツ自然保護連盟の指針に従って 雪の積もった時と零下5度以下の時だけ、鳥に餌をやると ごくありふれた鳥が餌台に来る。一方、年中 餌をやっていれば 1日に30~70種、1000羽の鳥がくることもある。
たとえば バイエルンではキバシオオライチョウが定期的に餌台に来ているという報告がある。
普通は まずクロウタドリ(Amsel)やシジュウカラなど おなじみの鳥が餌台にくる。
野鳥の餌台はネズミを喜ばせるだけだという意見は 馬鹿げている。ネズミは明るい広い場所を避けるし、夜にでてくる。サイロ式の餌台もある。
餌台は鳥の排泄物によって鳥に感染症を広げるという説もあるが、普通 鳥は体温が43~44度もあり その温度で細菌が増殖する可能性は あまりない。
年中 誰も掃除しない餌台に鳥が集まってきて 鳥が健康でいられるというのは 驚くべきことだ。200年前の村のウンチまみれの街路にも 鳥はいた。

餌をやると鳥は 栄養の取りすぎにならないかと 心配する必要はない。昔は 鳥の餌になる種をつける野草が多かった。1950年にドイツの畑で 野草は100万トン以上の種をつくっていた。私と同年齢の人は 秋にジャガイモ畑が 雑草に覆われていたのを 思い出すだろう。穀物畑には ヒナゲシや矢車草があった。私達は完璧な工業的農業によって 鳥を追い出したのだから、埋め合わせに 餌をやった としても、昔あった膨大な種と比べものには ならない。

良い餌台とは
広い餌置き場に屋根がついていて、高い支柱の上にあるものだ。支柱が高ければ 猫が来たら 早く気付くことができる。プラスチックのサイロ式のは 清潔な状態を保てるし、餌が湿気ない。

理想的な餌は 穀類とシジュウカラ用団子の組み合わせだ。(日本にない団子? Meisenknoedeln)
脂肪は鳥にとって燃料だ。人間には炭水化物が燃料になる。だから シジュウカラ団子は夏にも大事だ(ということは この団子は脂肪からできているらしい)。この団子を食べれば 遠くへ飛んでいけて 雛の餌になる虫をたくさん捕まえられる。
ピーナツも大変いい。ただ ピーナツは鳥だけが 食べられるような やり方で 置いておかないと、リスに食べられる。
ケーキの残りや残飯は 鳥にやっては いけない。古いパンはカビが生えていると 鳥に悪い。人間の食べ物は塩分と香辛料が多すぎる。

餌台が 鳥の自然な生活圏の近くにあれば 近いほど多くの鳥が来る。ベルリンのビルの8階の窓敷居につけた餌台にも シジュウカラ、雀、アムセルは来る。大都会の雀の群れの中には 餌台を頼りにして 生き延びているのもある。(★うちには猫が2匹いて、たまに 鶯やメジロを捕って 見せにくるから 餌台を置けないけれど、イソヒヨドリや セキレイは来るかも知れない。雀は いなくなった★)

庭の木や低木になる実や果実だけでは 充分でない。鳥にとって実は補助食であり、果物だけでは 腹がへるので 種が要る。しかし50平方メーターの雑草地は1年に5キロの種を生むだけなので、それではアオカワラヒワ3カップルの食べ物にしかならない。庭一つでは 鳥の隠れ場所にも 繁殖の場にも ならないが、一つの餌台があれば 雑草の茂った庭よりも 多くの栄養を鳥に与えられる。

昆虫の減少は 幾つかの種の鳥にとって 大きい問題だ。1960年代に田舎を車でしばらく走るとフロントグラスにぶつかって死んだ虫の層ができる程で、それを 掻き落とさないといけなかった。今では 60年代と比べ、虫の数は1/4になった。そういう状況で雛を育てるのに 親鳥は昔の何倍も飛び回り 虫をあつめる。だから 少なくとも 飛ぶ燃料を人が補給してやると 鳥は助かるのだ。
下記サイトから:
http://www.welt.de/wissenschaft/tierwelt/article5910484/Voegel-fuettern-ist-unsere-moralische-Pflicht.html





  


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2010年03月09日

「人はあきらめない」・ハイチから写真家は語る

下記サイトから、子どもの写真も10枚あります。
http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,682337,00.html

写真家Alice Sweetsのブログは:
http://blog.alicesmeets.com
このブログは英語ですが ドイツ語の詩も引用されて
います。どこの国の人?

貧困と悲惨と人生に立ち向かう勇気と。
幼い少女を主題に Aliceはハイチの悲劇を 写真に
表現する。
インタビューで彼女は 献身、児童奴隷、悲しみの
中の幸せについて語る:

長い間 ハイチで働いてきて、特に子どもの手助け
をしたいと思ってきた。
Viv Timonn(子どもよ、生きよ)という財団は 
孤児院の建設にかかわっている。彼女はインター
ネットで写真を売り、その収益をこのハイチの
財団に送る。

ハイチは初めて見る発展途上国だった。ハイチは
かつて、最も豊かな植民地の一つだったのに、
今では西半球で最貧の国一つになった。なぜ 
そうなったのか知りたかった。

子ども奴隷はハイチの悪い面だ。4歳の時から
家事労働者として 子どもが使われている。子ども
はベッドでなく、床に寝て、残飯を食べて
生きている。
彼女のもう一つの関心事は ハイチの隣の島 
de la Gonaue島だ。(小さい地図に 見当たらない)

子ども奴隷を使うのは 貧しい人々であり、
裕福な人は金を払って家事労働者を雇う。奴隷と
しての子どもは 田舎の親が都会へ就学できる
ようにと送りだした子どもだが、学校へは 実際は
行けない。奴隷にされる孤児も問題だ。奴隷の
ほとんどは少女だ。

2008年にユネスコの賞をとった写真はLandaと
いう少女の写真だった。通りを歩いていて 子ども達
に囲まれ、Landaの写真も撮った。賞をとって
から Landaを探し当て、家族と知り合った。
寄付を集め、ランダの家族を Cite Soleilへ引越
してこられるようにした。子どもたち 一人
ひとりに 代父をつけ、学校へ行けるようにした。
母親には 市場で屋台を出せるようにして、父親
には バイクタクシーをする手配をした。

高校を出てから ニュージーランドへ行き、
写真を勉強するために ベルギーへ行った。
大学は1年で 中退し、有名な写真家 Philip 
Jones Griffithsの助手になった。



  


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2010年03月08日

死んだ母親の傍で5歳児が一人で通夜をしたinドイツ

◎下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,681092,00.html

★長い記事です。1/4くらいの抜粋を下記にカキコミます。
この子が 40キロも離れた大学病院の児童精神科に入院したことが あったこと、
それに 母親の亡くなった後、祖父母がこの子の養育をできない場合に 里親のところに行くだろうと 書かれていること、
この子に後見人が付けられたこと
などが 印象的でした。母親は 充分なケアを受けられなかったようですが、子どもは 少しはケアを受けられて 良かったです。少なくとも 当地と比べて。
遠い異国の この子の 無事を祈っています★★
ダブルポストです、管理人が同じブログに。

5歳の男児は 母親が死んでいくのを 傍でみていたし、2月17日に死んでからも傍にいた。
近所の人が 彼の泣き声を聞いて 通報した。この悲劇は バーデンヴュルテムベルク州のハイデンハイムの町に衝撃を与えた。

夜中の零時過ぎに近所の人が子どものかすかな泣き声を聞いて 警察に通報した。普通なら 珍しいことではないが その3階の部屋は何ヶ月もの間、空き家のはずだった。
パトカーが来て、そのアパートの隣人も 子どもの泣き声を聞いたと警官に伝えた。警官は ドアをこじ開け、室内に入った。ゴミが散乱し、悪臭が漂っていた。居間に 残飯と汚物とガラクタの間に 女性が死んで横たわっていた。傍で 息子ルイースが泣いていた。40歳の母親は自然死だった。警察の来る48時間前に死んでいた。48時間 ルイースは遺体のそばに居た。
彼は助けを呼ぶために 部屋を出ることもなかった。彼は脱水状態だっただけで、トラウマによる障害は 見られなかった。その後、彼はウルム大学付属病院の児童青少年精神科に入るように指示された。
病院の医師も看護婦もルイースを知っていた。2009年11月24日から 2010年1月13日まで 彼は入院していたからだ。その時は 青少年局が 入院して検査を受けるように手配したのだった。
3月1日に ルイースは母親と一緒に入院することになっていた。

ハイデンハイムへ母親とルイースが引越してきた時に 別の青少年局に 二人のファイルは移った。2008年3月19日からハイデンハイム少年局が 二人の管轄になった。アパートは母親の親の所有だった。休暇用のアパートのようなもので、暖房も給湯もなかった。

青少年局は「社会教育家庭支援サービス(SPFH)」に この家庭を引き受けるように依頼していた。ハイデンハイムでは このサービスは外部の企業によって行われている。
2008年6月4日に職員が 母親と約束した時刻にドアベルを鳴らしたが 母親は出てこなかった。5日後に 彼女は役所に来て、病気だったと言った。これが嘘の始まりで、嘘の迷路の果てに 悲劇があったのだ。
しかし この最初の対話では 彼女は 自分の問題を克服するために 週に7時間の支援を受けることに同意した。
彼女はハルツVI(4)~失業保険~で生活していた。慢性の病気のために 職業安定所は彼女の就業能力を30%だと認定していた。彼女の息子の父は 誰だか分からないので 養育費は役所から出ていた。子どもの行ける幼稚園を探すのさえ彼女には手に負えない負担だった。
2008年11月3日の記録によると、養育についての質問に彼女は詳しく答え、息子に暴力を振るっている様子もなかった。「子どもは良く守られ、栄養状態もよい」。

第2部:母親は家庭支援サービスの職員(社会教育専門家)を避けた。

母親は役所との約束を守り、家庭訪問の取り決めをしたが、いつも約束を直前に取り消した。
母親は2008年9月1日に家庭訪問を受ける約束は取りやめにして、公共の場で会ってほしいと言ってきた。両親が役所の人に来られるのを嫌うのだと言うことだった。
2009年2月11日に家庭支援サービスの職員は「子どもの衛生上の世話について問題がある」ということに気付いた。これは アパートの給湯と暖房の不備を言っている。役所の人を部屋に入れないという条件で 親は孫の母親にアパートを貸していたのだろう。
母子は 経済的に 行き詰まり、役所は ハイデンハイムから10キロ離れたギーンゲンにアパートを見つけ 3月1日に二人は引越した。家庭支援サービスの職員二人が手伝ったが 二人が着いた時には 母親は箱を家の前に出していて 鍵の引渡しは終わっていた。母親が どんな様子で生活していたかを見る機会は またも無くなった。
2009年3月から8月まで 定期的な家庭訪問がされていた。「アパートは比較的、整理されていた」。ルイースには自分の部屋があり、給湯も暖房も無料になった。「ルイースは元気な可愛い子だった」。
ルイースはギーンゲンの幼稚園に行くようになり、最初の頃は 周りの子どもとうまくやっていた。7月になってルイースはしばしば攻撃的になり 規則を守らなくなった。ルイースの行動が変わったのは 母親にボーイフレンドができたためだった かも知れない。
10月22日に「支援計画面談」があったが、母親は来なかった。母親は嘘を言い続け、支援サービスの職員を避けるようになった。

第3部 母親の病気は どれほど重かったのか

息子を医学的・精神医学的な検査のために 40キロも離れたウルムの大学付属病院に入れることに 母親は同意していた。息子は8週間 入院した。母親が定期的に見舞いに来た。しかしギーンゲンのアパートに 少年局と支援サービスの職員は入れなかった。2010年1月13日に 支援サービスは 家庭訪問を迫った。母親は拒否した。
家庭支援サービスは 家庭裁判所を介入させ、必要なら 家に強引に入ることを 青少年局に勧めた。
2月2日に母親と息子は 少年局に現れた。ルイースは楽しそうにしていて、面倒みてもらっているような印象だった。それに反して、母親は「肉体的に ぐあい悪い印象」を受けたが 彼女は慢性の病気だから そういう記録も稀ではなかった。しかし支援サービスの職員の誰もが この母親が どれほど重病だったかを なぜ記録しなかったのだろう?

1月31日に母親は幼稚園に退園届を出した。幾日か後に 少年局は そのことを知った。母親は手術のため入院するので 家庭訪問を延期してほしいと2月9日にSMSで知らせてきた。
実際は 手術はなかった。2月16日に支援サービスと少年局は アパートに入るために 家庭裁判所が介入するように求めることに決めた。その1日後に 母親は 子どものそばで死んだ。2月20日に警察は少年局に知らせた。

母親は 息子と一緒に元のハイデンハイムのアパート(母の両親の休暇用アパート)に戻り、長い間 泊まっていたに違いないことも 分かった。近所の人は1月から ずっと母子を見かけたし、母親と話した人もいた。

母親が死んだ後は 少年局が息子の後見人になっている。息子が祖父母のところで養育されない場合は 里親のところに里子として行くだろう。

なぜ5歳児が荒れ果てたアパートから出て行かなかったのか、あるいは 自分が困っていることを他人に伝えなかったのかは 児童精神科医が明らかにするだろう。
母親が息子に誰が来ても ドアを開けるなと言い聞かせていたのかも知れない。
母親が息子と一緒に精神科へ検査に行けるように準備が整っていた。できることは していたと当局は言っている。
しかし 隣人の一人はそう思っていない。母親があまり支援を受けられなかったと その人は少年局を非難している。
おしまい




  


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2010年03月07日

国際交流まつりin和歌山市

2010年3月28日(日)10.30~16.00
場所:和歌山ビッグ愛

下記は ビラからの抜粋です。他に色々 あるので 
和歌山県国際交流センターのホームページを
見てください。
1階大ホール:10.30~11.30 落語と講演 ダイアン吉日さん(予約要ります)
13.30~15.00 在住外国人による日本語スピーチと
世界のダンス(ミニ レッスン)。
1階ホワイエ:11~13.30 と 15~16 茶館

2階:1200~14.00 と 15~16.00
★ドイツ語で歌ってみよう(ファース ダニエル、田島昭洋)★

◎ポーランドの遊びを楽しもう(生駒アンナエヴァ)

★ブログ管理人の蛇足:ドイツ語の会に6年前に大阪
から教えにきてくれた先生 ユスティナさんが 
会に来たついでに JR和駅で 有田に住んでいる
ポーランドの女性と会ったことが ありました。
ひょとしたら それはアンアエヴァさんだった
かも 知れない。
ユスティナさんは ハンブルク大学を卒業し
ポーランドには 帰らないで ドイツで日系企業
で働いています。  


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2010年03月07日

厳冬で池の鯉18匹全滅inドイツ

コイは ドイツ語でも Koi あるいは Koi-Karpfen
になってます。
ニーダーザクセン州RonnebergのJuergen Meiserberg
さんの池で鯉が長期間、氷の中に閉じ込められたため 
全部 死んだ。11000ユーロで買ったものだった
(小型車の買える金額)。
4年間の冬を生き延びたが この冬は寒すぎた。
「池を掃除したら また 鯉を買う。小さいのは 
それほど高くない。次の冬は 池が凍らないように
考えたい」と飼い主は言うている。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/news/leserreporter/aktuell/nachrichten/2010/03/05/1414-tag-koi-karpfen-gefroren/teich-im-winter-vereist.html  


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2010年03月06日

北イタリア・ポー川・石油漏れ事故(動画も)

2010年2月26日発:
ポー川とLambro川へ流出した石油を下流へ流れる
のを 阻止しないと、粘りつく塊がアドリア海に着き、
地域と自然にとって大惨事になる。
Monzaにある精油所が破壊活動にあい、油が流出した。
ポー川 川口地帯は 欧州で最も重要な湿地帯の
一つだ。油の塊は もし阻止できない場合、2月28日
にアドリア海に着くかもしれない。
黒い べたべたする塊が河口デルタに着くと、
渡りの時期にそこに集まっている野鳥に影響を与える
(4月下旬に そこでバードウォッチング大会が
開かれるが それは まだ先のことなのは 
幸運だった)。
油の流れる道中で、特に農業と漁業は被害を受ける。
精油所のタンクから夜に 数百リットルの暖房用油
とディーゼル油が流され、その4時間後にやっと 
環境への警報がでた。
この精油所は 何年もの間、稼動していなかった
のに それに対して 破壊活動がされたのは 
近くに計画されている巨大不動産プロジェクトに
関連する犯行ではないかと言う 噂もある。なぜ 
これほど多量の油が 今も貯蔵されていたかも 
疑問だ。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Oel-bedroht-Adria-article749268.html  


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2010年03月05日

巨大波で豪華客船の乗客2人死亡in地中海・動画

全長207メーターの「ルイス・マジェスティ」号は
1350人の乗客と580人の乗組員を乗せ、バルセローナ
からジェノバ(イタリア北西部)に向かっていた。
2010年3月3日の夜中に70人の客はサロンで飲みながら
荒れる海を見ていた ところ、突然 8メーターの
高さの波が3度、船を襲い 69歳のドイツ人と
52歳のイタリア人が死に、16人が負傷した。
船はバルセローナに戻り、死者と負傷者を降ろした。
事故のあった海域ははっきり しない。マルセイユ
の近くだとか、バルセローナの北だとか
言われている。

1995年の北海の石油採掘基地にある計測機器が
26.5メーターの波を記録した時から モンスター波
は真剣に検討されてきた。それまでは 船乗りは 
知っていたが、海洋研究者は 巨大波の存在を
信じていなかった。上記の記録は モンスター波が
起きることの 最初の客観的証拠になった。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,5319088,00.html

下記サイトには 乗客の映した動画:
http://www.stern.de/panorama/unglueck-auf-kreuzfahrer-amateurvideos-zeigen-riesenwellen-1548381.html  


Posted by jtw at 09:03Comments(0)

2010年03月04日

野鳥の餌台・商品テスト・鳥による人気投票inドイツ

餌台は なんでも いいと言うわけでなく 鳥は 
好みに合った台へ行く。
10個の餌台(直訳すると「鳥の家」)に300グラム
の餌を置き、バルコニーに置いた。餌台の場所は 
毎晩 別の場所に置き換えた。下に落ちた餌は 
毎晩 集めた。
1週間後に餌台の残った餌の重さを量った。

★下記サイトの最初の写真が一位の餌台で、
その右にある矢印をクリックすると 2位、3位...
と続いて写真がでます。
http://www.bild.de/BILD/ratgeber/haustier/bams/2009/11/08/vogelhaus/auf-die-voegel-fliegen.html

1位: 12.99ユーロ。NABUと言う自然保護連盟
が開発した。60%の餌が食べられ、30%は下に落ちた。
2位: 7.99ユーロ。単純な木製。鳥の好みに合った。
46%の餌が食べられた。
3位: 壁に取り付けられる。
4位: 木製で一本脚のある大きい台。30%の餌
は食べられた。
5位: プラスチックの餌台。デンマーク製。
デザインは良いが、鳥は引き付けなかった。
18%の餌が食べられた。
6位:アメリカ製。おもちゃ みたいで、人間が
見たら可愛いし、鳥が見ても 恐ろしげには 
見えないと思うが 17%の餌しか食べられなかった。
7位:10%の餌が食べられた。
8位:79.95ユーロもする。巣箱も兼ねる。
大きければ 良いと言うものでないらしく5%の
餌しか 食べられなかった。巣の下の餌台に他の
鳥が集まると 落ち着いて 巣に居られないから
これは 素人が考えた製品。
9位:プラスチックの餌筒。4%。
10位:最悪。3%の餌しか 食べられなかった。
  


Posted by jtw at 14:07Comments(0)

2010年03月03日

肥満の尺度BMIへの疑問

ミュンヘンのLudwig-Maximilians大学の
Herald Schneiderのグループは 約11000人の被験者
による8年間の調査にの結果、BMIは卒中、
心筋梗塞、死の危険を見積もるのに適して
いないことを証明した。

お尻や太ももに「良い脂肪」があり、これは心臓・
循環器病の危険を高くしない。それに反して 
腹にある「悪い脂肪」は 有害な脂肪酸を体に
供給することがある。これは 場合によっては
炎症を引き起こす。

この調査では BMIのほかに ウェストの周囲を
身長で割った数値も出された。この数値を
WHtRと言う。
WHtRが高くなると 心筋梗塞や卒中の危険が
高くなる。
下記サイトから:
http://www.welt.de/wissenschaft/medizin/article6622943/Studie-weckt-Zweifel-am-Wert-des-Body-Mass-Index.html  


Posted by jtw at 08:34Comments(0)

2010年03月02日

古代エジプトの神官は神への供物を食べすぎ早死に

マンチェスター大学の研究によると、神官は神への
捧げ物~肉、菓子、ビール、ワイン~をとりすぎた
ため早死にした。
神への供物は不死をもたらすと言う予見とは違った。
古代エジプトの神々には1日に3回、肉やスイーツが
供えられた。食べるのは神官とその家族だった。
油の多すぎるジャンクフードだったので 動脈硬化、
心臓病を引き起こした。
研究者Rosalie Davidは 支援者と共に神殿の
ヒエログラフと絵を解読した。
食事には飽和脂肪酸が多く、ビールとワインも
飲みすぎだった。神官のミイラのレントゲン写真を
見ると 動脈硬化、心臓病がはっきりと分かる。
このような食事のために 社会的に高位の
エジプト人の平均余命は40~50歳だった。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/gesundheit/Priester-starben-an-Goetterspeise-article749600.html  


Posted by jtw at 15:04Comments(0)

2010年03月02日

春の鳥inドイツ

下記サイトに写真6枚:
http://www.bild.de/BILD/ratgeber/haustier/2010/03/01/voegel/bringen-fruehling-zwitschern.html

写真1. 「青カラ」?日本に居ない。
この親戚のシジュウカラ(四十雀)はドイツでは
Zizibae Zizibae と鳴く。
日本では ツーツービーと鳴く。
2. アムゼル(黒ウタドリ):真っ黒で見かけは
悪いが超美声。djuck-djuck-tixと鳴く。
3. アオカワラヒワ。中欧で もっともよく見かける鳥。
Djuep-Ruep-Ruepと鳴く。
日本でも カワラヒワは よく見かけます。
4. ヨーロッパコマドリ(「赤い喉」)。zick-tsiと鳴く。
大変 早起きで5時には鳴き始める。
5. 雀。これもドイツでは 「歌鳥」の一つ。たしかに
鳴く。Schilpと鳴く。チュンチュンとは言わない。   


Posted by jtw at 08:36Comments(0)

2010年03月01日

貧困は都会でよりも田舎で、なお辛い

ドイツでは人口の約16%が貧困だとされている。
田舎の人々は貧困を恥じて 援助を断ったりする。
失業者、一人親、外国人の中に貧困が もっとも
多い。職業資格をもつことは貧困に陥る危険を
減らす。
平均的所得の60%以下の場合、貧困の危険がある
とみなされる。

特に 田舎の人は隣人に貧困だと悟られない
ように隠そうとする。ドイツのプロテスタント
教会・社会科学研究所(EKD)の調査によると、
貧しいことを恥じて 援助サービスを利用しな
かったり、権利を充分に主張しなかったりする。
EKDは2007年には都会の貧困についての調査を
出した。
今回の調査では 5教区に住む30人の男女
(19~78歳)の貧しい人を対象にした。
都会の貧しい人と同じように 田舎の貧しい人も 
失業、負い目、依存症(病的嗜好)、社会から
追放されているという気持ち 等に悩まされる。
特に恥ずかしいという気持ちが強い。
田舎での対人関係についての 締め付けは辛い。
その他に インフラ(基本的施設)が整備されて
いないこと、バスと鉄道との接続が不十分な
ことも 困る。
人々の望む改善策は たとえば 休暇の時に無料で 
公共交通機関を使えるようにするとか、子どもに
ボランティアによる 個人授業や音楽のレッスンを
提供してくれること等だ。
下記サイトから:
http://www.welt.de/wissenschaft/article6507708/Armut-ist-auf-dem-Land-peinlicher-als-in-der-Stadt.html  


Posted by jtw at 15:58Comments(0)

2010年03月01日

女子団体追い抜き・準決勝ドイツ@オリンピック

ドイツ・スケート・チームの一人 アニ・フリージンガ-ポスマ
Anni Friesinger-Postma がゴールの数メーター手前で こけて、
後は 腹ばいのまま ゴールにたどり着くという連続写真は 
下記サイトの写真をクリックしていくと 見られます:
http://www.bild.de/BILD/sport/olympia-2010-vancouver/2010/03/01/anni-friesinger/der-verrueckteste-sturz-olympias.html

動画も探せば あるかも 知れないですが。  


Posted by jtw at 09:15Comments(0)