2010年03月29日

ハイチへ支援に行ったドイツ人医師

首都ポルトプランスにある ドイツ援助組織が
経営する子ども病院で2週間、働いた医師 
Peter Tinnemannへのインタビュー:
St.Damien子ども病院に着いた時、呆然とした。野戦
病院のようだった。
14年前にハイチで暮らしたことがあったので 土地の
言葉も話せたし、ハイチの事情も知っていた。しかし
大地震に破壊された地域に入ったことは 今まで
なかった。

子ども病院は通常100~150人の子どもを治療して
いるのに、地震の後、その倍の患者が来た。大半の
患者は成人で、外傷や骨折の人だった。病院は患者の
多さにも圧倒されたが、外傷の程度は とても十分な
治療をできるものでなかった。小児科医と
小児科看護婦が 突然、骨折と外傷の手当をする
ことになる。これは壊れたテレビを自動車整備工場に
持ち込むようなものだ。

ドイツでは 子どもが腕を骨折したら、両親は心配する。
ハイチで地震で 一人の子が腕を折り、もう一人の
子が死んだら、家族の嘆きは どれほどか 想像して
みてほしい。多くの人は 家族がどこに居るか、怪我
しているのか、意識があるのか、死んでいるのかも
分からない。
ハイチでの経験を自分のものにするには、消化する
には、友人や同僚に話しすることだと思う。

カリブの生き方は 冗談を言い、打ち解けて話すと
いうものだった。しかし 地震の後、誰も泣かず、
叫ばず、冗談もいわず、何も言わず、被害にあった
人々は感情が鈍麻していた。地震の4日後、私は
ハイチに着いた。そのまた10日後、やっと人々は
笑い始めた。病院で 初めて人々が笑った時、すべての
職員が何が起きたのかと集まって来た。その時が 
ここに来て一番いい瞬間だった。
ハイチのような大惨事の場へ行って働けるには 
人はどんな素質をもっていないといけないかと、
尋ねられても 特に英雄的な人格や能力が必要だとは 
思えない。支援と言うのは 必要とされることを
することだ。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/dossier/Keiner-weinte-keiner-schrie-article733767.html  


Posted by jtw at 14:41Comments(0)