2008年09月12日
サリドマイド被害者の映画/被害者のヌードカレンダー
Niko von Glasow監督の新作映画「誰も完全ではない
(どの人の体も完全でない)」が上映されている。
監督も含めて12人のサリドマイド被害者が 自分達の
ヌードカレンダーを作成する様子を 撮影した映画。
以下監督へのインタビュー:
Gruenthal製薬コンツェルンは サリドマイド被害者に損害賠償金
を今はもう払っていないということを ヌード写真により
目立たせたいと 被害者は願っている。
下着をつけて写真を写したら 写真はそれほど
美しくはなかっただろう。
多くの障害者は人前に出ると 他の人から嫌な顔を
して見つめられたり、同情の目つきで見つめられたり
する。それは辛い。
90分のこの映画を見た後では 人は障碍者の
映像に慣れて、あまり気にしなくなる。私はタブーを
破りたかった。社会は 私たちを見ることに慣れて
変だと思わないように ならなければならない。
この映画の基礎は政治的なものであり、人間的な
ものだ。自分の信条を表明する勇気を引き出している。
私たちのウェブサイトにネットワークを作ろうと努めている。
いくつかの都市にサリドマイド被害者が 毎週
出会える場ができたら いいのにを思う。
ドイツにもサリドマイド被害者の連合はあるが 連合では
生活に満足している人が支配的だ。この社会にも
階級があり、連合はサリドマイド被害者の中の最も
貧しい人を 代表していない。金持ちが中心だ。
生きていくのに、いくら金がいるかというだけの問題
ではなく、慰謝料や社会正義の問題である。
私たちは大人なのに「サリドマイド児」と人は呼ぶ。
これは差別だ。
ブラジルではサリドマイドはハンセン病の薬として与えられている。
女性の避妊のためと堕胎のために効くと思い込んで
サリドマイドを飲み 被害児がまた 生まれている。
ブラジルでは識字率が低く、薬の説明を読めない人が多いのだ。
発展途上国の医師にも監視義務がある。
薬がハンセン病に効くなら使えばいい。妊娠中の女性が
飲まない方がいい薬は多い。
この映画を作ったお陰で 陽気になれた。まだ悟りの
境地には達していないが、少しは解放された。
映画を通して やっと 多少の友情をもてるようになった。
以前は サリドマイド被害者を避けていたが、障碍自体を
避けていたわけではない。
すべての人は障碍をもっていると言うのが 私の考えだ。
ただサリドマイド被害者の場合は 障碍が 見て
すぐに分かるというだけのことだ。
下記サイトから(写真もあり):
http://zuender.zeit.de/2008/37/nobodys-perfect-nackte-behinderte-aktkalender-niko-von-glasow
(どの人の体も完全でない)」が上映されている。
監督も含めて12人のサリドマイド被害者が 自分達の
ヌードカレンダーを作成する様子を 撮影した映画。
以下監督へのインタビュー:
Gruenthal製薬コンツェルンは サリドマイド被害者に損害賠償金
を今はもう払っていないということを ヌード写真により
目立たせたいと 被害者は願っている。
下着をつけて写真を写したら 写真はそれほど
美しくはなかっただろう。
多くの障害者は人前に出ると 他の人から嫌な顔を
して見つめられたり、同情の目つきで見つめられたり
する。それは辛い。
90分のこの映画を見た後では 人は障碍者の
映像に慣れて、あまり気にしなくなる。私はタブーを
破りたかった。社会は 私たちを見ることに慣れて
変だと思わないように ならなければならない。
この映画の基礎は政治的なものであり、人間的な
ものだ。自分の信条を表明する勇気を引き出している。
私たちのウェブサイトにネットワークを作ろうと努めている。
いくつかの都市にサリドマイド被害者が 毎週
出会える場ができたら いいのにを思う。
ドイツにもサリドマイド被害者の連合はあるが 連合では
生活に満足している人が支配的だ。この社会にも
階級があり、連合はサリドマイド被害者の中の最も
貧しい人を 代表していない。金持ちが中心だ。
生きていくのに、いくら金がいるかというだけの問題
ではなく、慰謝料や社会正義の問題である。
私たちは大人なのに「サリドマイド児」と人は呼ぶ。
これは差別だ。
ブラジルではサリドマイドはハンセン病の薬として与えられている。
女性の避妊のためと堕胎のために効くと思い込んで
サリドマイドを飲み 被害児がまた 生まれている。
ブラジルでは識字率が低く、薬の説明を読めない人が多いのだ。
発展途上国の医師にも監視義務がある。
薬がハンセン病に効くなら使えばいい。妊娠中の女性が
飲まない方がいい薬は多い。
この映画を作ったお陰で 陽気になれた。まだ悟りの
境地には達していないが、少しは解放された。
映画を通して やっと 多少の友情をもてるようになった。
以前は サリドマイド被害者を避けていたが、障碍自体を
避けていたわけではない。
すべての人は障碍をもっていると言うのが 私の考えだ。
ただサリドマイド被害者の場合は 障碍が 見て
すぐに分かるというだけのことだ。
下記サイトから(写真もあり):
http://zuender.zeit.de/2008/37/nobodys-perfect-nackte-behinderte-aktkalender-niko-von-glasow
Posted by jtw at
16:02
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