2008年09月02日

一家離散・早朝に強制退去処分inハンブルク

アルメニア人の子ども2人は ドイツの学校生活にも馴染ん
でいたのに母親と離され、アルメニアに退去させられた。
一家は8年間 ドイツに住んでいた。
Liana(14歳)は2008年3月31日 朝5時に 車の音で
目が覚めた。10分後にドアを激しくたたく音がした。
ドアを開けると警察官と外国人局の人が立っていた。
一家は強制退去処分になったので あと20分で
荷造りをするようにと 言われた。
2週間前に 外国人局は 一家の滞在の黙認は
延長されたと言った。今 その黙認は無効になった
と伝えられた。
警官は父親とLianaと10歳の息子Grischoを空港へ
連れていった。
5歳のSonaと母親は ドイツに留まらねばならなかった。
家族を 長期間 不確定な期間 引き裂いておくのは 
ドイツ憲法違反だ。
5歳の子は ドイツで生まれ アルメニアには 登録されて
いないから、アルメニアに追放するわけにいかない、
というのは 役所の理由付けだ。

教会の支援組織「逃亡点」のAnnaは 警察が一家へ来た
早朝に この支援組織が 電話を受けていれば 
裁判所は強制送還を 認めていなかっただろうと 
考える。
そんな時間に 裁判官に接触するのは 不可能だが。

一家が国外に逃れたのは、父親が自動車事故に
巻き込まれ 殺すと脅されていたからだった。最初 
ロシアに逃げ、6年後にドイツに来た。

8年のうちに 子どもは ドイツの生活に融けこんでいた。
Lianaは2007年に7年生の時、級長をした。
Grischoは 地域のボクシングクラブに入っていた。
末の娘 Sonaも たくさん友達がいた。

アルメニアで 2人の子どもは 学校へ行っていない。
二人ともアルメニア文字を読めない。
Grischoにとって 母との別れは辛い。幼くて 
何が起きたか 理解できないのだ。

ハンブルクの「法の画一的適用による社会的不公平委員会」
からの助けを一家は 期待しているが、今のところ
何も役に立っていない。
子どもがアルメニアで危険に曝されているということを 
一家が証明できれば、子どもはドイツへ戻れるだろう。
そのために 強制送還が人道上の理由により 
行われるべきでは なかったのだと 言うことを 
一家は 立証しなければならない。
一家が 再び 一緒に住めるようになるのは 確かだ。
問題は アルメニアで住むか ドイツで住むか ということだ。
下記サイトから:
http://zuender.zeit.de/2008/30/abgeholt-im-morgengrauen-abschiebung-armenien-familientrennung-gericht-31-politik?page=all
  


Posted by jtw at 15:17Comments(0)

2008年09月02日

ドーデ「最期の授業」の虚構性/曽野綾子

2008年9月1日 産経新聞の 曽野さんの
連載「透明な歳月の光」No.300 から抜粋:

普仏戦争でフランスが負けると、ベルフォールを除いた
アルザスと、ロレーヌの東半分は プロイセンに割譲され、
明日からが 学校でも ドイツ語で授業が行われる、
ということになる。小説では 最期の授業がおわり、
アメル先生は 黒板にフランス語で「フランス万歳」と
書いて教室を去っていく。

しかし この小説には いくつかの構造上の欠陥が
あったらしい。
第一に 当時 この土地の生徒は 日常語にアルザス語を
話していて フランス語は一般に深く浸透していなかった。
住民の ほとんどは むしろドイツ系であり、生徒全員が
フランス語を禁じられるのを これほど悲しんだとは
考えにくい。
アルザス語はドイツ系の言葉である。

プロヴァンス出身のドーデは プロヴァンス語を喋りながら
学校ではフランス語を学ぶ。そしてフランス語を完全に
習得し、フランス語で小説を書き、後年は フランス
アカデミー会員になった。

戦争中の日本の軍部の姿勢、戦後の日本のマスコミの
浮き草のような流れを見てきた世代には この虚構性は 
耐えられないらしい。

  


Posted by jtw at 14:38Comments(0)

2008年09月02日

豊臣期大坂図屏風・エッゲンベルク城博物館蔵

日本経済新聞2008年9月1日
「美術逍遥」の囲みもの記事。 標記について
同志社大の 狩野 博幸先生が 書いておられます。

エッケンベルク城はオーストリーのグラーツの町外れにある。
ウィーンから特急列車で2時間半。
ウィーンを訪れる日本人は ぜひ グラーツまで
足を運んで ほしいと 狩野先生は 言うておられます。

この屏風には 豊臣時代の大坂城と城下の様子が 
詳細に描かれている。
保存困難な屏風が ほぼ完好に保存されていたのは 
奇跡と言える。
グラーツと関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター
の共同プロジェクトが この屏風を扱っている。

管理人の蛇足:
グラーツは 京都のような古都です。
オーストリーの切手は 銅版画のようなのも あって
たいへん きれいでした。もう10年以上 見ていませんが。
  


Posted by jtw at 14:21Comments(0)