2008年11月12日

「白衣の麻薬販売者」という糾弾inドイツ(上)

麻薬中毒の患者をメタドンMethadonで治療した 
ニーダーザクセン州の医師(複数)は 法に触れそうな
ギリギリの医療行為をした。
Michael Foellmerは著名な一般医であるが、
犯罪者だという判決を下された。彼はヘロイン中毒者に
ヘロインを止めさせたいと思い できるだけのことを
したかった。4年間の拘留の理由は:
麻酔薬の引渡し、理由付けのない治療、過大な
投薬量であった。
彼の友人、同じ町の家庭医 Malte Fredrichも
法廷に立たねばならない。Follmerと同じように 
ヘロイン中毒者に代替麻薬(メタドンと他のアヘン剤)を
処方した。中毒者がそういう薬を飲むと、体はヘロインを
求めなくなり、患者は殆んど普通の生活を送れる。
仕事にもいける。友人や身内にとっても頼り
になる人になる。
メタドンを処方することにより、麻薬入手という犯罪を防ぎ、
麻薬による死を減らせる。ドイツでは約65000人の
ヘロイン依存症者がメタドンの処方を受けている。
アヘンの処方は厳しく規制されている。
上記の医師は 継続教育を受け、専門誌を読み、
他の医師とも相談して 医療行為をしてきた。法律を
守ろうと努力した。しかし医師は法律家ではない。
だから 犯罪人にされた。
田舎では交通不便のため 患者は毎日 医院に
来られるわけではないから メタドンを数日分 
渡すことは普通だ。

Malte Fredrichは 3週間 調査のため拘置され、
健康保険の取り扱い認可も取り消された。
代替薬を処方する医師は ニーダーザクセン州に他にもいる。
(続く)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/46/Methadon?page=1
  


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2008年11月11日

アフリカの母さん・南アフリカのMakeba イタリアで死亡

市民権運動家でもあった歌手Miriam Makebaは 南イタリアで
11月9日(日曜)に公演中に心筋梗塞で倒れ、
救急車で運ばれ 76歳で急逝した。

人生を歌と自由と民族間意思疎通のために捧げた。
高校生の時からプレトリアで歌っていた。
アパルトヘイトのため31年間を 故国を離れて 過ごすことに
なり、60年代から アフリカ音楽を西側で歌ってきた。
ジャズと抵抗と民俗音楽の混ざった音楽だった。
1959年に記録映画制作者 Lionel Rogosinが
ベニス映画祭に参加するように 彼女を誘った。その後 
南アフリカに戻ることが許されなくなり、ロンドンに留まった。
そこでハリー ベラフォンテが彼女の才能に注目し、
後にアメリカで活動する契機を与えた。ベラフォンテとは
共に公演した。
亡命生活を始めて7年後にPata Pataという世界的
ヒットに恵まれた。
1968年にアメリカを離れ、ギニアに住むことになった。
ギニアでは外交官パスポートを受けた。やっと1990年に 
故国に戻ることを許された。アパルトヘイトが崩壊したのだ。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/13/0,3672,7401901,00.html

  


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2008年11月11日

「秋津野ガルテン」に近畿経済産業局長が感謝状

田辺市上秋津野のガルテンは 廃校になった小学校の
木造校舎を農業体験施設として再生したもの。

同施設の運営会社には地元農家らが出資し、運営も
近隣の人々が協力して行う。
施設は ドイツの貸し農園付き宿泊施設を真似た。
木造の古い校舎は耐火構造にして改修し
「交流施設」を設置した。旧校庭には32人が
泊まれる宿舎を新築し、11月1日に開業した。
 
朝日新聞 2008年11月11日 和歌山版から抜粋。  


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2008年11月10日

イタリア・ランペドゥーサ島から「国境なき医師団」撤退

同島はシチリア島とアフリカの中ほどにある。
アフリカから毎年数万の難民が来る。今まで 難民は
到着後に「国境なき医師団」の手当てを受けていた。
しかしイタリア内務省は医師団との協定延長をしないので、
医師団は10月末で 活動を中止しなければならなくなった。

医師団は応急手当と 重症患者の収容所への移送を
していた。移動治療車は港にとまり、医師・看護師・通訳
は岸壁に待機していた。

今年既に3万の難民が同島に着いた。難民は増えている。
そのうえ 段々と 難民の状態は悪くなっている。
多くは体温が下がり、火傷を負い、脱水状態にある。
乗ってくる船も小さくなり、旅も長くなり、危険は
増えている。妊婦も増えてきた。
港での専門家による 応急手当が必要だと医師団は言う。
内務省がなぜ医師団との協定を延長しないのか 
回答はない。医師団は困惑している。
医師団は無償の活動をしているので 政府の決定に
従わなくても いいが、港は軍事施設であり、許可なく
立ち入ることはできないし、医療行為は政府との
協定が必要だ。
島の医療基盤は不十分だ。病院も無く、X線装置もない。
島の市長は医師団の駐在は絶対 必要だと言う。

下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/lampedusa106.html
  


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2008年11月09日

エイズ薬・証明書なく売れずinコンゴ

戦乱のコンゴでドイツ人兄弟 Dick と Michael Gebbers
は製薬会社を経営している。重要だとされる証明書を
作れないのでエイズ薬を売ることを許されない。

コンゴのBukavuに戦闘はない。しかし北Kivuの戦争は
南Kivu県の中心都市にも及んだ。だから北から物を
運べない。マラリア薬も搬出をまっている。
この会社の別の薬、エイズの薬は 戦争のせいでなく、
お役所仕事のために患者に届かない。3年後に
この薬は製造中止される。証明書を作れないのだ。

東コンゴで再び 戦争が起こり、人道的大惨事が再発した。
難民の流出は止まらず、人々は飢餓と伝染病の
危険に曝されている。兵士は女性を強姦し、エイズを
広める。だからエイズ薬が望まれるが 空港は使え
ないので送れない。

この会社の経営者は 専横と暴力と 戦争の様々な
派閥との付き合いを2005年から してきた。
Bukavu市は Kivu湖の岸にあり、難民と大量虐殺者
の避難所になっている。
会社の薬草栽培地は湖の両岸にある。
2004年に反乱軍は コンゴのツチ族を ルアンダのフツ族
から守るという理屈で、Bukavuへ侵攻し、民兵による
大虐殺がおきた。薬会社の社員は 家族が殺され 
強姦されるのを見て、今もトラウマをもっている。
この会社は年10万トンのキニーネ塩を生産する。
マラリアの薬の原料だ。世界市場で30%を占める。
そのうち40%はBukavuでマラリア薬に加工される。
後は輸出される。
60万人の人口のこの町で 社員は1800人いる。

会社はエイズの安い薬も 国内市場のために作った。
その薬は 会社の付属診療所で だけ使われた。
薬の有効期限が切れ、償却処分しなければならなく
なった。全国に600万人のHIV感染者が居ると言うのに。
「事前鑑定証明書」が無いという理由で 使われない
うちに有効期限が切れたのだ。
その証明書を作るには 百万ドルかかり、薬の価格は
高くなり、競争に参加できなくなる。このエイズ薬は
 タイの女性 Krisana Kraisintuが発明した。他の
薬よりも安いうえ、他に薬を飲まなくても済むものだった。
(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/46/M-Aids-im-Kongo
  


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2008年11月09日

アクセス異常増加はgigazineのせい

gigazineというメディアに また中国の大気汚染の
カキコミ(2年くらい前に書いた)が引用されたらしく、
普通の日の5倍くらいアクセスが増えました。

普通1日に80人も 読んでくれるというのも 多すぎ
というか 最盛期で会員10人くらいだったし、つぶれる前は
3人しか いなかったので 信じがたく 有難いです。  


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2008年11月08日

肉屋は衰退してゆくinドイツ/ソーセージは将来どうなる?

個々の店にとってでなく、地方の大半の肉屋にとって
ソーセージを作り続けられるかが問題だ。
競争、マイスターの高齢化、肉についてのスキャンダル、
購買習慣の変化のために 多くの肉屋は将来を心配している。
シュトゥットガルトで最盛期に400の肉屋があったのに、
今では50以下になった。
肉屋の衰退の理由は:
買い物を楽しむという傾向が減ってきたこと、
税金の負担、出生率の低下と客の高齢化、
若い人がめったに料理しなくなり、一ケ所で何でも
変えるスーパーで買うこと、など。
スープ肉や ロール巻き肉を注文するような客は
いなくなった。
ドイツの肉屋の売り上げは 去年 約2.5%へった。
調理済みの肉に ソースや付け合わせを一緒に
冷凍した新製品なども発売されている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wirtschaft/unternehmen/unternehmen/:Metzgerei-Sterben-Es-Wurst/644592.html
  


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2008年11月07日

ロシア兵に強姦されたベルリンの女性の日記(下)

映画でAnonymaを演じたNina Hossは ロシア人の
同僚から「ドイツ人が私達の祖父にしたことを どう
思っているのか?」と言われた。ロシア兵はベルリンに
着くまで ドイツ兵に荒らされた土地を渡ってきたのだ。
兵士はドイツに恨みをもっていた。

ベルリンの女性には 耐え抜くか、隠れるか、自殺するか
の三つの可能性があった。Anonymaは四番目の
可能性を実行した:積極的になることだった。3回強姦
された後で 食料をもらって 特定の軍人の相手を
することにした。
Ingridの母親もそうすることにした。
しかしドイツ軍の前線にいる夫には わるいと思い泣いた。
こういう事情は 戦後戻ってきた Anonymaの恋人も
理解しなかった。男たちは理解できなかった。
女性は絶望し黙っていた。

1959年にAnonymaの日記の初版がでた。同じ年に 
Kurt Marekが C.W.Ceram という筆名で書いた
本がベストセラーになった。この日記は Marekが
書いた偽書だという噂が流れた。2004年に 
Walter Wempowskiが偽書か どうか鑑定し 
やっと疑いは晴れた。
IngridもIngeborgも Anonymaが偽書だと思った
ことはなかった。映画化されたことによって、多くの
女性が過去と向き合い 魂の重荷を語る勇気を
もてることを 両人は願っている。
映画では 女性がロシア兵に愛情をもつようになると
描かれているが 日記にそんなことは 書かれていない。
愛であることは おそらく ない。同情は ひょっと
したら あったかも知れない。食料が無くなっていく
ことへの悲しみでは あった。
映画化された作品が 何人かの女性が隠された
戦争の経験について語るのに 役に立つなら、
愛情であろうと なかろうと かまわない。
下記サイトから:
http://www.stern.de/unterhaltung/film/:Anonyma-Und/643849.html


  


Posted by jtw at 15:36Comments(0)

2008年11月06日

ロシア兵に強姦されたベルリンの女性の日記(上)

第二次大戦の最後1945年にロシアの兵士はベルリンの
多くの女性を強姦した。
その一人Marta H.の日記Anonymaが出版され、
映画化されたので 当時 被害にあった女性の何人かが 
メディアSternに苦悩を語ってくれた。

Ingeborg(83歳)は1945年にベルリンで強姦され 
羞恥心のため誰にも言えないでいた。しかし 
Anonymaが2003年に出版され、やっと他人に語れる
ようになった。
1945年4月11日に息子を産んで すこし経った4月27日
に被害にあった。ベルリンは混乱していて 水道も電気も
なかった。ロシア兵はベルリンに入り、アルコールや女性を
取れるだけ取った。人は地下室や屋根裏部屋に隠れた。

この日記の著者Marta H.はジャーナリストだった。1954年に
英語への翻訳版がでて、1959年にやっとドイツ語版
が出た。2003年に新版がだされた。
今これをMax Faeberboeckが Aimee und Jaguar
という題で映画化した。Nina Hossが主人公を演じている。

Faeboeckは「男は強姦が どういうものか 想像できない
と思う」と言う。しかし この日記のお陰で 強姦が
どういうものか 話してくれる女性が何人か見つかった。
記録映画を作ったHelke Sanderは 強姦された
女性の人数を概算しようとした。その試算によると、
ベルリンで11万人が強姦された。当時 ベルリンの人口
140万人のうちの約8%にあたる。大半は何度も
被害にあっている。
被害をうけた女性の多くは後で 性病になった。
20%は妊娠した。堕胎は許されていなかったが、
黙認された。おそらく千人の「ロシアの子」が生まれた。

Ingrid(71歳)はもう 黙っていたくはなかった。彼女は
1945年に強姦されたのではないが 母親が「自発的に」
ロシア兵の犠牲になった。壁の向こうの物音や 裸に
なったロシア兵は 記憶から消えない。(続く)
下記サイトから:
http://www.stern.de/unterhaltung/film/:Anonyma-Und/643849.html
  


Posted by jtw at 17:58Comments(0)

2008年11月05日

トイレの改革を論じる世界トイレ大会開催

26億人がトイレ無しで生きている。世界トイレ機構(WTO)は
この状況を変えたい。水洗方式を止めることを提案する。
多くの国で人々は野外で済ませている。人口密度の
少ない国はこれでいいが、第三世界 たとえばインドの
首都ではトイレがないために多くの病気がおきている。

WTOは毎年大会を開き、排泄物についての技術を論じ、
技術を市場にだしている。
今年の大会は11月4-6日に中国のマカオで開かれる。
WTOの目標はトイレのない26億人の社会を活気ある
市場に変換することだ。
水洗便所は1775年にAlexander Cummingsが発明し、
西側で有力な処理法だが、大半の発展途上国には 
下水道はないから適さない。代わりに 排泄物の
再利用を目指すべきだ。この技術は先進国にも有用だ。
ドイツでも公衆便所は とても満足できる状態ではない。
家のトイレは最善の状態であるが、外出すればデパート
やレストランのトイレを借りることになる。
Johannes Bergmannの開発した新方式のトイレは 
バス停の待合室のトイレとして実際に使われている。
今その90%は水洗だが、水なしの方式が増えるだろう。
東部ドイツと 北ドイツのいくつかの地方では 
人口が減り、浄化システムの維持は もはや難しい。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2008/45/internationaler-toilettengipfel


  


Posted by jtw at 16:39Comments(0)

2008年11月04日

白熊クヌートの記念石像

赤ちゃん熊クヌートの飼育係だったトーマス・デルフラインさん
(享年44歳)の墓地に クヌートと狼の石像が 
3ヶ月後には 置かれることになった。
彼はベルリンの動物園で 熊と狼を担当していた。
母親のエーリカさんは毎日 墓参りしている。
トーマスさんの死を惜しむ人たちは墓地に2メーターほどの
木を立て、そこに詩、別れの言葉、写真を架けている。
母親は言う:「お参りしてくれた人の中に 私に気づいて 
言葉をかけてくれる人もいる。ほとんどは女性で、
泣いてくれる人もいる。トーマスは人気があった
のだな~と思うと...」
数日前 母親は動物園から 息子の遺品を受け取った。
作業着、ファンレター、アルバム、誕生日のカード、死亡通知
の他に エルビスのレコードと ギターの楽譜も入っていた。
クヌートの幼かった頃に トーマスはクヌートにエルビスの
曲を弾いてやっていた。
下記サイトに お墓の写真もあります。供えられた花は
たいへんな数です:
http://www.bild.de/BILD/berlin/aktuell/2008/11/03/knut-denkmal/fuer-thomas-doerflein-grab.html

  


Posted by jtw at 12:27Comments(0)

2008年11月03日

サウジアラビアの女性

国王は上から国を改造しようと努力している。国王の
課題はソビエトのゴルバチョフのペレストロイカを思い出させる。
サウジアラビアは世界最大の石油埋蔵量をもち、金は
入ってきて、若い人口が増えている。しかし
超保守的なサウジアラビア人は改革を望まない。
サウジアラビアが崩壊するか、近代的な強国になるかは
女性に かかっている。
今まで同国では 女性は公の生活にほとんど
参加できなかった。女性の社会参加が進めば 
進むほど、改革は成果を生む。
外で顔をベールで隠さない女子は増えている。
会議でも男性の中に座り、自分の意見を言う
女性もいる。新聞に女性の顔写真がでるようになった。

サウジアラビアは民主主義ではないが、国王は部族や
国民に助言を求める。

繊維・不動産・食品の販売会社を経営する 
ある人は職員、秘書、簿記係、マーケティング担当者を
求めているが、 サウジには これらの人は いない。
学校も大学も宗教・歴史・文学を教えているだけだ。
経済学や工学を勉強した人が要る。
女性社員を雇いたいが 女性は車を運転することを
許されていないので、女性は家にいるか、大学へ
行っても文学を専攻する。だから パキスタンやエジプトの
女性を雇うしかないのだ。

ソビエトでは技術者と経済学者は たくさん居たが、
腐敗した経済のために 彼らは働く場が無くなった。
一方 サウジアラビアでは 金は あれども、能力の
ある人が少ない。
今 サウジの大学に 男性と同じくらいの数の女子
学生がいる。しかし 卒業して職に就く女性はまだ少ない。

多くの教員はあまり勉強していない。
私立学校では 物理学、情報学、生化学を教える
ところもある。
宗教・文学以外を専攻する女子大をつくる計画もある。
6年前まで 宗教省が 女性の学ぶべきことを
決めていた国で これは革命的なことだ。女子大では 
外国語も自然科学も 勉強されるようになる。
重点は経済学、経営学、法律にある。
一人の女性が平均5人の子どもを産む国が 変わる。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/43/Saudi-Arabien-Frauen
  


Posted by jtw at 19:10Comments(0)

2008年11月02日

オーストラリア移民局はダウン症の少年に滞在権を拒否

2008年10月31日発
オーストラリア当局は ドイツ人医師に永続的滞在許可を拒否した。
彼の子息が ダウン症だと言う理由で。
医師 Bernhard Moellerは家族と共に2年前に
オーストラリアに来て ビクトリア州の医師不足の田舎で
診療してきた。
13歳の息子が ダウン症のために 健康について
の条件を満たしていないと 当局は言う。「息子の
健康状態は オーストラリア社会にとって 顕著な永続的経費を
負担させることになる。これは差別の問題でなく、
費用の問題だ」と当局は説明した。
Moellerさんは訴訟すると言っている。有力な支援者も
いる。ビクトリア州首相も 保健大臣も 彼を支持している。
Moellerさんの働いている病院は 当局の決定を
理解できない。「彼を受け入れ、医師の仕事を引き受けて
もらっていた自治体にとっても 胸の痛むことだ」。
下記サイトから
http://www.faz.net/s/Rub8E1390D3396F422B869A49268EE3F15C/Doc~E11FC4B60EB6D4B1D8EB77EB931A21A96~ATpl~Ecommon~Scontent.html  


Posted by jtw at 16:20Comments(0)

2008年11月01日

ゲイTV局TIMM@ドイツ

TIMMは ゲイの人に合ったテレビ番組を提供する。
ゲイであることを テーマにするのではない。
ポルノやクイズ番組で視聴者を呼び込もうとは 思わない。 
ゲイは男性への愛について 意見が一致しているので 
その要望に応えたい。
深い青い海を男が泳ぐ「ゲイ水族館」などを放映する。
ゲイに合ったシリーズ、映画、ドキュメンタリーを集め、提供する。
当然 社会・政治的意見も伝える。たとえば同性のカップルが
養子縁組する権利などを トークショーで話す。しかし 
それを長々と論じることは しない。TIMMは 職業的ゲイ
による 職業的ゲイのための放送局ではないのだから。
生活保護を受けているゲイについて放送したこともある。

★ブログ管理人のコメント:
身近にゲイの人がいるので こういう記事を読もうと
努力はするのだけれど、日本のゲイ社会も 分かって
いないから、ドイツのゲイ社会は なおさら 分からない。
上記のカキコミは 下記のサイトのほんの一部、
分かった(と思った)部分だけです。

ともかく ゲイやレズの人々が そうだと言うことを隠さないで
生きられる世の中になるように なることを願っています。

http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,587391,00.html  


Posted by jtw at 20:06Comments(0)