2007年01月21日

真言密教観/クロアチアからの

Mein Ansichten u"ber Shingon Mikkyo im 2l.Jahrhundert
21世紀の 真言密教観

(本文は 日本語、原文のママ。 2002年 10月 橋本ロータリークラブ
での 講演)

Sanja Jurkovic (Jurkovic の 最後の c の上に左下向きの 矢印 あり)

今月で 私が 日本に来てから ちょうど 二年になります。栃木県の宇都宮で
日本語を 半年勉強して、その後 高野山に まいりました。高野山のことに
ついて 最初に 知ったのは 十年間ぐらい前です。そのときクロアチアで 
はけだ先生が 英語で書かれた 弘法大師空海に ついての本を 読んで感動
しました。当時から 仏教に 深い興味が あった私は 仏教の国を ―度 訪れ
たいと 思って いましたが 実際に 高野山で 密教を 勉強をできるように
なったことは 夢のようでした。

日本人は 私に よく聞くことは クロアチアが キリスト教の国なのに なぜ 
私が 仏教に興味を持っているのか ということです。 それと私の21世紀の
真言密教観について 今日 話したいと 思います。

最初に、私が 理解する ところでは、仏教は ―般的に言えば 苦しみを 断ち
切るために 人間の 心や動作を 理解する 普遍的な教えです。その中で ―番
重要なことは 思考を超え、本来の 清浄な心を 体験するために いろいろな 
瞑想方法を 備えている ということです。自己の 精神的な成長、さまざまな 
文化や人間の相違点の理解、寛容、尊重を もとに 他者との 平和的共存が 
仏教実践の目的だと 思います。その理想は、世界の ひとびとの 平和的共存に
あるのです。
それゆえ、仏教は 時間と空間に 左右されない 普遍性を 備えています。インド、
日本、アメリカ、アフガニスタン、クロアチアなど どこの国でも 異文化に
対する寛容性と平和的共存が必要だと思っています。

朝 お寺の 朝勤行から 家へ帰ると 私は世界の新しい二ユースを 知るために
今日 ―般的に なってきた インターネットで 情報を 得ています。
コンピューターを付けて から コンピューターのシステムがスタートするまで
一分ぐらい かかりますが その間に 私が どんな 新しいテ口あるいは 戦争の
ような 悪い二ユースが 出てくるかしらと 思っています。最近 良い二ユースを
ぜんぜん 期待できません。そこから 多くの憎しみや 寛容のなさが 読みとれ
ます。文化の違いや 人間の相違点が 強調されていて共通点が 少なそうだと
思います。

これに対して、仏教の理論には 人間の相違点では なくて人間の
共通点が 強調されていて 簡単に言うと 人間は だれしも この世に生まれ、
苦しみや幸せを 経験し 死にます。皆、幸せで充実した生活を営みたいという
欲求を持っています。また、物質的、情緒的、創造的、知的、精神的満足を 得たいと
思っています。文化、教育、伝統の面で だれも この五つの領域での 生活を
向上させようと しています。
さらに 弘法大師空海は 即身成仏儀 の中で、あらゆるものは土、水、火、
風、空、識という 六大の本体から成っていると 指摘しています。まさに、こ
れを もとに 空海は 真言密教の特徴である 即身成仏という 理論を 
打ち立てました。

今日、世界は 小さくなって来ています。20世紀の めざましい科学技術の
発展のお陰で 情報伝達のスピードが 早くなり、さまざまな 文化や国が 互いに
つながるように なってきます。違う意見や文化的な価値観から いろいろな論争、
不和、最悪の事態 戦争を引き起こす ような 寛容さのない態度が 毎日 世界中
でみられます。そのような 論争の根源は いつも 二元論考えを 示す言葉や言語
だと おもいます。

また、空海は 声字実相儀 の中で言葉の はかり知れない意味や言葉と 現実の関係
を論じています。さらに、真言密教の ―番 重要な実践は 現実というものを
ありのままに 表している ご真言を唱えることです。この空海の著書を 読み
私は 社会における 言葉の意味とその重要性について 深く考えさせられました。
ときに 不用意に 口から出た言葉が 相手からの 新たな不用意な言葉を 引き出す
ことがあります,このようにして 現在の政治的、外交問題も 言葉が間違って
使われたり、解釈されなければ 起こらなかった かもしれないと 思われます。

持に、欧米では 根強いデカルトの,二元論が、やがて体と心は 分離している
という考えを もたらしました。かれの有名な cogito ergo sum
我思う、ゆえに我あり という言葉に よって 彼は外界から独立した考える主体が
存在することを 説きました,後の18世紀のヨーロッパで起こった啓蒙運動は科学
、産業、技術の知的基礎となる 人間の合理性を 強調しました。
 
西洋の思想によって これらの恩恵 を受けた反面、人間と自然、自己と也者、物質と
精神、理性と直感といった 対立の考え方が いろいろな問題を 引き起こして
きました。たとえば、人間と自然の分離が 環境破壊や環境汚染を もたらし、
その結果 危険な気候の変化が ひとびとの生活や健康を 脅かしています。
物質と精神、体と心の分離といったように、ものの本質を 客観的に 捉えようとする
行き過ぎた 科学的探求は 現代社会の ひとびとの生活を 持徴づける いろいろな
精神病やノイロ―ゼを 引き起こす結果と なりました,

しかしながら、社会の著しい 発達と 同時に 引き起こされた 環境破壊また 人間
破壊は 人間と自然を 再統合し 心と体を 全体的に見る 試みを 生み出しました。
西洋では、この何十年間で さまざまな運動が 起こりました。たとえば、ニューエイ
ジ運動や 西洋医学のみに 頼らない治療方法です。そして、東洋の瞑想、ヨガに関心
が向けられ、現代医学では 治療しえない患者は 心と体に働きかける 総合的な
治療方法を 求めるように なりました。アメリカやヨーロッパでは、瞑想、
はた ヨガを はじめとする 様々なヨガ、気功、れいき といった エネルギ治療、
断食療養、クリスタルセラピー、カラーセラピー、アロマセラピーなどの代替治療が
おこなわれています。そして、それらは 体と心を 同時に癒しその結果 健康を回復し
ます.

また、哲学の分野でも さまざまな思想体系を 一つに統合しよう という傾向が
あります。統合哲学の 代表的な哲学者の ひとりに Ken Wiber (アメリカ人)
がいます。彼の見解によると 人間の意識を 扱う すべてのアプロ―チと 学派は
なんらかの 意味で 重要な価値がある ということです。そして、全てのアプロ―チ
は お互いの特異性を尊重し 欠けた点を補い、より統合された ―つの体系に形づける
必要があると 提唱しています。

以上のことがらは 私が ここ高野山で学んだ 真言密教の特徴の 一つである
曼陀羅の世界を 思い出させます。曼陀羅の世界は 二元論的な思想に 基づくのでは
なく、多元論に 基づいています。全宇宙を表す 曼陀羅世界は あらゆるものを
表し 含んでいると 私は 考えています。いかなるものも 価値がないとか 必要が
ないという理由で 脇に追いやられる ことは ありません。あらゆるもの、あらゆる
現象は いのちを持ち すくなくとも プラスの面を 持っています。情念、欲望も
また 建設的なものに 変わりうる可能性が あります。曼陀羅世界は あらゆる
ものが 独自性を 失わずに 平和に 共存できる理想の 世界です。また、真言密教
では これは 観念的なものだけ ではなくて 現実世界なのです。それは、三密の
実践によって 会得することが できると説いています。

この曼陀羅思想は 私には このうえもなく すばらしい思想に思われます。

今日 真言密教の 曼陀羅は インドに起源を持ち 日本に もたらされたアジア
文明の発展の 結果と言えます。生井先生が 高野山大学の 夏期講座で 指摘された
ように 曼陀羅は その土地の民族に よって取りいれられ、文化により 変容を遂げた
にもかかわらず その曼陀羅思想の核心は 変わっていません。
曼陀羅思想は 現在の問題解決を 模索している 欧米人に 非常に興味を 引く
ものであると 私は考えます。

先ほど述べましたように、二元論に 行き詰まり その反動として起こった 西洋の
多元論は 総合的な ものの見方を しようとする傾向だと 思います。科学の分野
でも 人間を 総合的に 捉えようとする 考え方が でてきました。たとえば、心身
医学、神経心理学、心理療法、社会心理学、。。といったものです。この総合的な
考え方は 21世紀の ひとびとに 浸透し また 21世紀を 特徴づけるものに なると
思います。

とくに、真言密教における 宇宙観は 時空を超えた 普遍性を持って
いるので 21世紀の 欧米の 総合的思考の傾向に 適合すると 思います。
真言密教を 欧米社会に 取り入れるためには 西洋人の精神に、より適合する形式、言
葉に 変化を加える必要が あるかもしれません。
西洋の批判的、合理的精神は 神秘的な要素を 排除し満足のいく説明を 求めてくるで
しょう。しかし、日常生活の実践と 明せきな成果は 欧米の人たちを 十分 説得
させる ものがあると 思います。西洋社会に 取り人れられた 仏教の形は なんらかの
変化を すでに うけています。


ヨーロッパでは 東洋人と みなされ、ここ日本では 西洋人とみなされる クロアチア人
の私は 真言密教の 研究の機会を 与えていただき 非常に 感謝しております。
高野山での 研究と実践 終えた後 将来 ほかの西洋人と 日本を含めたアジアの方々と
共に密教の教えを ヨーロッパに 広めたいという 希望を 持っております。
21世紀には 平和的共存という 真言密教の考え方は 東洋だけでなく 西洋社会の
思想の柱となれば良いとおもっております。

★ 以上 著者サニアさんのご了解を 得て blogに のせました。サニアさんに
感謝いたします。サニアさんは この講演の5年後の 今も 高野山大学で 研究を 
続けておれれます。
サニアさんの 旦那さま シュミットさんの お話によると 真言密教は たいへん 
分かりやすい ものだ そうです。
  


Posted by jtw at 08:48Comments(0)