2013年06月05日

ナチに引き裂かれ74年ぶりの再会

二人のユダヤの少女は ナチによりベルリンから
追い出された。ベルリンで人形の家で遊び、ドリトル
先生の本を交換した友達だった。
ベルリンの博物館 Neukoelln の特別展が きっかけに
なり、Elisabeth Rosenthal(85)と Hannah Shaw-Ridler(80) は
再会した。二人は手を差し伸べ、テーブルについ

た。74年前はレモネードを飲んだ。今はコーヒーを飲む。
チョコレート・クッキーの好きなのは 昔も今も変わらない。
エリザベートは1939年に子ども輸送計画によって
英国へ送られた。英国で大学に行き、英語・ドイツ語・
フランス語の教授になった。ハンナも英国に送られた。
二回 結婚し、夫は 二人ともイギリス人だった。娘を
二人 生んだ。
両人は 英国で わずか100キロ離れて 住んでいた
のに、お互いに消息を知らないまま 70年が過ぎた。
去年 博物館が二人に電話してきた。
ハンナは 2年前まで エリザベートがくれたドリトル
先生の本を持っていた。
この特別展「(博物館のある)Britz地区 居住地・
1933年の前と後」は2013年12月29日まで。入場無料。
下記サイトから:
http://www.bild.de/news/inland/freundschaft/freundinnen-treffen-sich-nach-74-jahren-wieder-30447810.bild.html



  


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2013年06月01日

ナイチンゲール(夜鶯)の声inモスクワ

下記サイトで声が聞けます:
http://www.tagesschau.de/schlusslicht/nachtigallen100.html
モスクワの中心部でも 5月になると ナイチンゲールは
鳴き始める。
鉛筆と同じくらいの身長で、体重は20グラムくらい
なのに 比類のない声をだす。
毎年 5月にロシア鳥類保護連盟は ナイチンゲールの
個体総数調査をするために モスクワの人々に呼びかける。
戦争に行った人々にとって ナイチンゲールの声は 
格別の感慨を引き起こしてくれる。第二次大戦が終わった
5月のことを 思い出すのだ。5月9日にロシアは勝った。
それから70年近く経って、生き残った元兵士たちの中には 
孤独な人も多い。彼らはナイチンゲールの声を聞いて 
鳥類保護連盟に電話してくる。泣きながら語る人もいる。
モスクワ首都圏に 1500羽のナイチンゲールがいる。
公園・墓地・休耕地に主に住む。そういう場所を あまり
熱心に管理すると、虫が減り、ナイチンゲールも住みにくくなる。
ナイチンゲールの囀りは 6月中旬まで。冬は南欧や
北アフリカで過ごす。
★ブログ管理人の蛇足:
ドイツ語で Nachtigal と言い、ナイチン...の「ン」N はありません。
小夜啼鳥(さよなきどり)・夜鶯(よるうぐいす)。上記サイトを
見ると うぐいすに外観は似ています。しかし欧州の鳥
なので「法 法華経」とは 鳴かない。
ヨーロッパの5月は 夜が短いとは言え、フクロウの
ように暗闇で鳴くのでしょうか?

写真 by SACHI  


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2013年05月30日

「農家の若い女性カレンダー」2014年版

ドイツでは 来年のために 撮影が始まった。モデルは
全員、田舎の生活に慣れ親しんでいる女性。
「モデルはみな、牛の乳を絞れて、農場で育った子
ばかり」。
バイエルン州の150人の女性が このカレンダーの
モデルに応募した。
カレンダーはオーストリーの「若い農業経営者の会」
との共同事業。
オーストリーのカレンダーでは モデルはオッパイを
出してくれているが、ドイツのは そうでない。
下記サイトに写真 多数:
http://www.n-tv.de/panorama/Mit-Hotpants-in-den-Kuhstall-article10729506.html

★和歌山でも 後継者のない農家が多いそうです。
農協の方が このブログを見ることは ないと思うけれど、
ドイツでは 売れ行きが よいそうなので、JAでも
そのうち 試していただけたら 有難いです。

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 17:25Comments(0)写真集

2013年05月29日

和歌浦での仮面フォーラム・上村忠男

月刊みすず2013年5月号 p.64~65 ヘテロピア通信40
”紀州・和歌浦での仮面フォーラム”から抜粋。
原文は 買って読んでください。315円。

乾武俊。1921年和歌山市に生まれ、中学校(旧制)の教師に。
詩人としても活動したが、1959年大阪府和泉市の中学に
赴任したのを契機に同和教育に関与するなかで、被差別
部落古老からの聞きとりをつうじて伝承文化に開眼。
なかでも各地に散在する中世以来の「民間仮面」に
魅了されて蒐集に努めるとともに、その研究に専念。
『黒い翁--民間仮面のフォークロア』(解放出版社、
1999年)や『能面以前その基層への往還』(私家版、
2012年)などを世に問うてきた。御年九十一歳。
 その乾が「生涯の幕引きに仮面シンポジウムを開きたい」
との希望を山本ひろ子に伝えてきたという。
そこで、山本が代表をつとめる成城寺小屋講座主催の
仮面フォーラム《芸能と仮面のむこうがわへ》が2013年3月
2~3日の両日、乾が定宿にしている紀州・和歌浦の
木村屋で開催された。
 第一目目は、五百羅廃寺と紀州東照宮を散策したのち、
乾の新作になる舞「黒い媼(おうな)」が披露された。
 2010年3月、島根県安来の清水寺に伝わる謎の坐像が
嘉暦(かりゃく)四年(1329年)の胎内銘から中世の摩多羅神
であることが判明した(この件については山本ひろ子「出雲の
摩多羅神紀行(前篇)1-遥かなる中世へ」『文学』2010年
七・八月号を参照されたい)。乾の新作は、その清水寺を山本と
いっしょに訪れて、そこに所蔵されている「黒い能面」に着目
した乾が岩手県平泉・毛越寺延年の「老女舞」を手本に
創作したものだった。2012年5月、本堂修復落慶法要の
さいに奉納されたのが初演という。
 つづいて、乾の講演「「縁起」が起こすのは「物語」か
「ドラマ」か」をはさんで、同じく乾による『明宿集』『法華五部九巻書』
ならびに各地民俗芸能と狂言「靭猿」の一部とのコラージュ劇
「カイナゾ申しに参りたり」が披露された。

 第二日目は、いよいよフォーラム《芸能と仮面のむこうがわへ》。
 まずは山本による提題「芸能と仮面のむこうがわへ」と、乾の
所蔵する仮面の保管を引き受けることになった和歌山県立博物館
の学芸員・大河内智之による報告「乾武俊氏所蔵の面について」があった。
 それから、「戦後部落解放運動史」(河出書房新社、2012年)で
乾の『黒い翁」にも言及している東京外国語大学准教授の友常勉
と成城寺子屋会員の宮嶋隆輔によるレポート「「能面以前」をかく
読めり」があった。そして最後にそれ以外の参加者も交えた
ディスカッションがあった。  
         
乾は第一日日の講演で此岸と彼岸のあいだにはそのいずれ
とも見分けのつかない「境界領域」があり、そこに生まれるのが
「仮面」であるとしていた。とともに、たとえば安来清水寺の
「黒い媼面」は「若い死者」「死んだ者やまだ生きている者」
「立ち去ってゆく二人づれの後姿」などの記憶を〈幾重にも
その造型のむこう側に畳み込んでいる〉が、その意義をつかみ
とるには なによりも舞台で演じられるドラマの構造全体
のなかで仮面が占めている位置を見定める必要があるので
あって、たんに物語・詞章だけからでは解けないと主張していた。
 これにたいして、山本のほうでは、あくまでも物語=詞章に
こだわろうとする。
宮嶋は「白い翁」の芸能的内実が見落とされているのでは
ないかと疑問を呈する。

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 18:05Comments(0)

2013年05月26日

説明なしに笑える写真集

下記サイトは 言葉ぬきに笑えると 書かれていますが
実際は 写真に写った看板などを見て 笑えるという
写真の方が 多いです。
自動翻訳ソフトを使えば 表示・看板の言葉は 日本語に
なりますが その日本語が わけの分からない日本語
なので それで 笑ったりできます。
http://www.bild.de/news/leserreporter/lustig/fotos-der-leser-reporter-10-21870022.bild.html

ついでながらフェイスブックのカキコミが台湾語や
ベトナム語の場合に 自動翻訳のシルシをクリック
してみますが、出てきた日本語は まず 分かりません。
苦笑します。
  


Posted by jtw at 13:07Comments(0)写真集

2013年05月22日

ワーグナー生誕200年

2013年に世界中で リヒャルト・ヴァーグナー生誕200年が
祝われる。下記サイトに 幾つもの記事が紹介されている。
バイロイトのビデオも。
http://www.dw.de/themen/wagner-200/s-31773

写真 lovefreePhoto  


Posted by jtw at 13:04Comments(0)

2013年05月11日

ドイツの百の名所

下記サイトに観光客の選んだ名所旧跡の写真10枚と 
100位までのランキン表あります。
top10のうち 日本人があまり行かないのは
ボーデン湖、シュヴァルトヴァルトの自然公園、
バーデン・ヴュルテンベルク州ルストの欧州遊園地
くらいかも知れない。
15000人以上の外国からの観光客が ドイツ旅行者
センターのサイトで投票した。
http://www.bild.de/reise/deutschland/sehenswuerdigkeiten/deutschland-beliebte-sehenswuerdigkeiten-neuschwanstein-30299258.bild.html

写真 lovefreePhoto  


Posted by jtw at 13:20Comments(0)写真集

2013年05月05日

ウィリー・ネルソン80歳に

カントリー音楽の大御所ウィリー・ネルソンは 今も現役。
2年前には ベルリンで公演した。(日本に来たのは 
30年ほど前)
ヒット曲に
Always on my mind
Twilight time
South of the border
など。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/leute/musikundfilm/Willie-Nelson-zum-80-article10589311.html

写真 by SACHI


  


Posted by jtw at 19:53Comments(0)

2013年05月03日

志ん朝さん十三回忌

古今亭志ん朝さんが63歳の若さで亡くなって、今年は十三回忌だ。
大阪が大好きだった師匠、師匠の粋な姿にほれていた大阪の噺家たち。
そんな関係から 大阪・千日前のトリイホールで 命日の10月1日に
追善の会が決まった。
同じ会場で 5月4日には志ん朝の思いを継ぐ「古今亭の会」が
弟子の志ん橋、志ん輔らによって開かれる。
染丸がいう:「粋でした。人間的魅力も素晴らしかった。若い頃
金も人気もあって、得意になった時期もあったけど、三木のり平さんの
劇団に接して、人との付き合いや心得を勉強された」
以上産経新聞2013年4月27日 夕刊から抜粋。
★志ん朝さんは 獨協高校でドイツ語を学んだ。
新コンサイス独和・和独辞典の編集者 早川東三先生と
志ん朝さんとの対談は インターネットで読めます。
このブログの2006年11月21日のカキコミに そのURLが
でています。
  


Posted by jtw at 16:13Comments(0)外国語学習

2013年04月30日

紙で針穴カメラを自作できる

ロンドンのデザイナー Kelly Angood は可愛い
二眼レフ型の針穴カメラ(35ミリフイルムを使う)を
紙で 自分でつくれるように ブログで その図面を
公開している。図面は無料でダウンロードできる。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/netzwelt/gadgets/neuerdings-com-a-895321.html
http://neuerdings.com/2013/04/15/videre-pinhole-dirkon-lochkameras/  


Posted by jtw at 08:14Comments(0)

2013年03月14日

ドイツの名字

鈴木直志、”さすが、職人の国 ドイツ”、
月刊「図書」2013年2月号 p.34から抜粋。
ドイツでは 12世紀から15世紀にかけて名字の使用が
普及したといわれる。それまでは 人口も少なく、散在
する小集落に暮らす時代にあっては 呼び名だけで
互いに十分に識別できた。
ドイツの名字は五種類に大別される。第一は父称
姓名でハルトマンやヴェルナーなど。
第二は 出身地姓で、居住者が添え名にしていた
出身地名が 後に名字になった。ボヘミアに由来
するベーム、バイエルンに由来するバイアーなど。
第三は 居住地姓で、居住する農場(ホーフ)名や
建物(都市の建物に付けられた動植物などの標章)名、
さらに近隣地域の地形が名字に転化する例である。
アルトホーフ、ヴォルフ、バッハなど。
第四は あだ名で、クラインやシュヴァルツなど。
第五に職業姓がある。
ドイツの名字の大きな特徴は 職業姓が際立って
多いことだ。
1996年の電話帳を元にした資料によると 最多の
ミュラー(粉屋)、二位がシュミット(鍛冶屋)、三位が
シュナイダー(仕立屋)、実に14位まで 職業姓が占めている。
ヴェーバー(織工)は六位、ヴァーグナー(車輪工)は七位。
(すずき ただし・ドイツ近世・近代史)
  


Posted by jtw at 12:39Comments(0)

2013年02月09日

クルト・シンガーの三種の神器

きのう車のラジオでNHKを聞いていたら ドイツ語講座の
上級編の時間になり、シンガーの三種のじんぎ に ついて
アイザワ先生の講義を聞けました。
シンガー先生はユダヤ人なので ナチスの支配するドイツに
帰ることが できなくて 日本で教え続けられたそうです。
シンガーの「一ドイツ人の日本文化史観」の翻訳1975年は
古本で買えます。
  


Posted by jtw at 08:29Comments(0)外国語学習

2013年02月06日

車椅子でメコン川沿いに一人旅

ドイツ人の写真ジャーナリストAndreas Proeveは 
ベトナムとチベットの旅を本にかいた。
「Adventeuer Mekong ベトナムからチベット高地へ
5700キロ」という本は2013年にMalik Verlagから
出版された。
彼は 家具職人だったが、1981年 23歳のときに 
バイク事故で 車椅子の生活になった。
「ベトナムやカンボジアのような国では 戦争で
負傷した人が今も多いので 人々は障害をもつ人に 
慣れていて、親切だ」。
彼は 去年の夏から「メコンの冒険」という講演旅行
にでている。この4月に家に帰る。家では 妻が
息子と娘を育てている。
(写真を見たところ 車椅子の前の方に 大きい車輪が
ついていて、三輪車のような車椅子です。追い剥ぎも
でそうだし、雪の中でテントを張ったりして えらいことです)
下記サイトから:
http://www.dw.de/im-rollstuhl-den-mekong-entlang/a-16548276

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 13:21Comments(0)

2013年01月07日

謹賀新年

去年も 月に2~3回しか 書きませんでしたが
多くの方にアクセスしていただいて 有り難いです。

昔の幹事さん方は 今 西宮・神戸・伊勢などに
引越しされ、和歌山に留まっている方も 職場は
大阪になって、お互い まず再会する機会も ないです。
(和歌山弁で「お互い」は「ごたがい」と言うていました)

覚醒剤・薬物依存症・性少数派について
ドイツのメディアにでた記事は 別のブログに
書いています。
写真はプロのSACHIさんに 無料で提供して
いただきまして 感謝しています。SACHIさんの
ブログ「フォトラプソディ」もイコラblogです。

写真 by SACHI  


Posted by jtw at 22:24Comments(0)

2013年01月02日

東アジア交流ハウス雨森芳洲庵

日本経済新聞 2012年12月31日 時流地流という囲み物記事。
見出しは「カルタで学ぶ郷土の偉人」
以下 抜粋です:
滋賀県長浜市雨森に この庵がある。
同地出身の江戸中期の儒学者芳洲を顕彰するため、
1984年に開設され 長浜市が運営している。
雨森芳洲は木下順庵門下で新井白石らと並ぶ俊英と
いわれ、朝鮮貿易で栄えた九州の対馬藩に22歳から仕えた。
釜山に3年滞在して朝鮮語を学び、朝鮮王朝が日本に
派遣した朝鮮通信使での応接役として2回随行。
粘り強く調整に努め、互いに欺かず争わず真実をもって
交わる「誠信外交」で朝鮮側からも高く評価された。 

平井茂彦 館長は学習会などで住民と芳洲を結びつけてきた。
富永小学校で開く「芳洲先生こどもミュージカル」では毎年
シナリオ作りに協力。卒業までに6回演じるので、芳洲の
生き方が子どむたちの血肉となる。

隠居後も芳洲は対馬藩で通訳の重要性を説き、朝鮮語学校設立に
尽くした。80歳を過ぎてから 古今集を1000回読み和歌を2万首
近く作るなど88歳で没するまで学び続けた。

2013年1月5日、館長が作った「芳洲先生カルタ」が地区の新春
カルタ会で初披露される。

雨森は用水路に水車が回り花が絶えない美しい里だ。
「芳洲先生出身地として海外から来た人にも誇れる里に」
と住民が街づくりに力を入れてきた。
  
タグ :雨森芳洲


Posted by jtw at 18:52Comments(0)

2012年12月30日

映画「ズールの鮨」永井潤子

月刊「未来」2013年1月号 p.10~11.から抜粋:
(原文は買って読んでください、105円)
ドイツ、テューリングン州 山々に囲まれて、人ロ三~四万の
ズールの町はある。旧東ドイツ時代、この町にその名も
ヴアッフェンシュミート(武器製造工)というレストランがあった。
このレストランのコックが1960年代の半ば以降、ここに
日本料理部門をつくろうと奮闘し、のちには東ドイツ唯一の
日本食レストランとして人気を集めるようになった。
カルステン・フィーベラー監督の映画「ズールの鮨」は、
こうした実話を基につくられた喜劇仕立ての映画である。
伝説的なコックの名前はロルフ・アンシュッツ。もともと両親が
経営していたレストランは、社会主義政権に没収された。
彼は「外国に自由に行かれないなら世界を自分のとこ
ろへ呼び寄せる」と独自の行動を開始する。あこがれの日本、
まだ見ぬ「日出ずる国」の料理と文化が最大の関心事となる。
 アンシュッツ氏は、「世界料理」というドイツ語の本を唯一の
手本に、日本料理らしきものを作り始める。西ドイツでも日本人の
多いデュッセルドルフ以外、日本食レストランなどなかった時代
のことである。最初は日木食に必要な材料もお醤油などの
調味料も手に入らなかった。近くの池で父親が釣った鯉が
お刺身になった。空いていた部屋を工夫して彼が夢想する
”日本風”に飾り立て、手に入る安っぽい洋服の生地で着物
らしきものを作り、従業員の一人を芸者に仕立てて、異国
情緒を盛り上げた。
ある日、地元の新聞が写真入りでこの日本食レストランについて
報道したのを読んだ一人の日本人がやってきた。
映画上のこの日本人は林博士、近くの大学の客員教授
として滞在しているという設定だ。この林博士から本当の
日本料理の作り方を教わり、代わりにドイツ料理を教えるなど
して二人のあいだに友情が芽生え、やがて日本から食材が届き、
ライプチヒ国際見本市に参加する日本人ピジネスマンや日本
政府代表団が訪れるようになる。
日本に招かれたアンシュッツ氏が東京を訪れると、現代の日本は
彼が想像していたのとはまったく違ってせわしない世界だった。
あまりの慌ただしさに疲労困堤して倒れる。
そしてふるさとズールの自分の「日本」に帰りたいと切に
願うところで映画は終わる。
 
林博士役の日本人、瀬戸元氏も注目された。ウィーン在住の
瀬戸氏は、歌手として活躍したのち欧米の映画に数多く出演している。

 実は生前のロルフ・アンシュッツ氏に二度会ったことがある。
最初は1970年代の終わり頃だったと思うが、アンシュッツ氏は
突然訪ねた私たちを日本食レストラン部門に案内し、「ここを
訪れるお客は日本人がするようにまずお風呂に入り、日本料理
についての説明を聞いたあと食事をすることになります。全員
お箸を使ってもらいます」などと説明してくれた。そのときは
個別にお風呂に入るのだと思ったが、映画を見てびっくり
仰天した。お客全員が男も女も一緒にお風呂に入っていたから。
実際にもそうだったようだ。
 二回目は、統一後の1990年代のはじめ、スキー場として
有名なオーバーホーフに本格的な日本食レストラン「桜」を
つくったと聞き、インタビューした。それからしばらくして
「桜」が倒産したと聞き、ドイツの歴史に翻弄されてきた
アンシュッツ氏の運命を悲しく思ったのを覚えている。
  


Posted by jtw at 18:20Comments(0)

2012年12月20日

ドイツの風景写真カレンダー2013年版

ドイツの旅行誌 Sehnsucht Deutchlandの写真コンテストの
応募作品のうち もっとも美しい12枚で カレンダーを作った。
下記サイトで 無料で そのカレンダーが見られる。
http://www.bild.de/reise/deutschland/kalender/deutschland-kalender-2013-fotografie-27699184.bild.html  


Posted by jtw at 14:54Comments(0)写真集

2012年12月02日

過疎の村に留まるinドイツ

ヴァレンホルツ村は ビーレフェルト市から
約50キロ離れている。
隣家は空き家になった。居酒屋は閉店する。お医者さま
は 年金生活に入った。
村人は不安だ。古里がなくなる。
村の人口は685人。過去10年に 人口の21.2%減った。
去年だけで21人が村を去り、13人が死んだ。
しかし村人は田園生活を守ろうと闘っている。住民運動を
おこし、隣人同士の支援を組織し、古里協会(会員240人)で
熱心に活動している。会長のPapeさん(51歳)は「ヴァレン
ホルツを死なしては ならん。諦めない」と言う。
◎居酒屋の女将Angela(63歳):
26年前に 店を開いた。一晩に カウンターに座りに来る客は 
120人にもなった。今では 時々、近くの全寮制学校の生徒が
2~3人迷い込んでくる。この年末に店を閉める。「僅かな稼ぎ
では 生きていけない。昔は 百人以上の会員のある合唱団を
もてなした。合唱団も 残っているのは 13人。一番若い団員
は65歳!これでは アカン」。
◎自動車学校:
村にスーパーも、高校(ギムナジウム)もディスコもない。
代わりに自動車学校は二つある。「ここでは車なしで、やって
いけない」。イザベル(17歳)はこの自動車学校の生徒で、
ギムナジウムへ車で通う。バスよりも 通学時間は ずっと短くなる。
◎高齢者:
四人に一人は 67歳以上だ。ヨハンナ(90歳)は 村に60年
住んでいる。彼女の姪は 都会であるビーレフェルトへ引っ越した。
「ここは誰もいなくなったからね。若い人は皆 去った。高齢者には 
素晴らしい所だった。信徒会館で 手芸の集会をしている。夏には
ヴェーザー川のほとりで 座って過ごせる」。
◎移動スーパー:
Klaus(48歳)は水曜ごとに10キロ離れた町から 移動スーパーを
運転して来る。高齢の村人の家の前に車を停める。高齢者が 
移動スーパーの駐車場まで 歩いて来るのでは ない。
商品は約2千。大半の客は 60歳以上だ。
年金生活のウルリヒ(77歳)は モルトビール・クッキー・
ライ麦パン・新聞を妻のために買う。「車は持ってないし、
スーパーは9キロ先だ。助けてくれている子どもに 頼らないで 
生きていけるのは 移動スーパーのお陰だ」。
◎若い家族:
ヨハンナ(23歳)とティロ(25歳)は 村の友達が将来への
不安を持たないようにしたい。このグラフィックデザイナー夫婦は 
市民フォーラムを設立した。月に一度、約50人が教区公会堂に
集まり 計画を話し合う。
村を そんなに早く死なしてはならん。そこで 彼らの三つの目標は:
1.良い村社会を また発展させたい。
2.私たちの強みを 広報する。今、冊子を書いている。
3.若い人と高齢者が一緒に住む多世代住宅を計画する。
◎渡し守:
写真の二人は 村の最も古い伝統の一つである 渡し舟を
守りたい。1661年から ヴァレンホルツとヴィルトハイムの間を 
木造渡船が 運行してきた。渡し銭は50セント。年間、乗船者は
2500人以上。向こう岸まで 2分もかからない。陸路だと 
20キロもある!
しかし 村は年間1万ユーロの運行経費を節約したいので 
渡し舟も 終わるかもしれない。そこで 古里協会会員で
あるWolfgang(51歳)は 高齢の船頭さんAlfredから 研修を
受けている。「私が やれば人件費を削れる。渡し舟は 
古里に なくてな ならないものだ」とWolfgangは言う。
下記サイトから抜粋:
http://www.bild.de/lifestyle/2012/bild-serie/varenholz-wir-bleiben-unserem-dorf-treu-27106522.bild.html



  


Posted by jtw at 09:05Comments(0)

2012年11月04日

ハンブルクの墓地はドイツで最も美しい

Hamburg-OhlsdorfのParkfriedhofは ドイツでもっとも
美しい墓地に選ばれた。
下記サイトの写真をクリックすると 7枚の写真が見られる:
http://www.faz.net/aktuell/gesellschaft/friedhofskultur-hamburg-hat-den-schoensten-friedhof-deutschlands-11946279.html
第二位は ミュンヘンのWaldfriedhof、第三位はマインツの
Haupt墓地。

ハンブルクの墓地は391ヘクタールあり、一つの村
ほどの広さである。
800以上の彫像があり、造園術も高く評価されている。
池や小川もあり、多くの鳥がいる。
大霊廟などの建築物も 多くの観光客を惹きつけている。

★和歌山市営墓地は 畳半分の広さを 45万円とか
48万円とかで 永代貸し出ししているそうです。墓石が 
ひしめき合っていまして、緑は乏しいです。
高野山の墓地は ハンブルクの墓地に匹敵しそうですが 
高野には 彫像は無いようです。  
タグ :写真


Posted by jtw at 20:23Comments(0)

2012年10月30日

大学書林「ドイツ語小辞典」

1967年第一版。手元にあるのは1968年頃に買った。
定価500円。当時の月給は2万円くらいだったから500円は高い。
独和辞典は その後 色々 出版されたので 古いのは 
その都度 捨て、当時の辞書で残っているのは これだけです。
この間、大学書林のホームページを見ていて この辞書がまだ
売られているということを知りました。HPには「改訂版」と書いて
ないから 50年近くもそのまま??
表紙はビニールでなく、厚紙でした。表紙は破れたので 財布の
革を使って 表紙を張り替えました。
昔は バラバラになりそうな辞書の背中に ガーゼを貼り付け、
別の表紙をつけるという製本修復術が伝承されていました。
今は次々に改訂版が出るから そんな唐傘の張替えのような
技術は 忘れられた。
編者 妹尾泰然 先生の巻頭言に 他の辞書についてコメントし、
「genannt(上述の)を求めるのに nennenの項を引かねば
ならぬということは 編纂者の独りよがりで、利用者の多数が
今からドイツ語を学ぶ初心者であることを忘れていると
いえよう」とあります。
ところが、この辞書でgenanntを引くと「nennenを見よ」という
指示があり、次にnennnenを引いて 訳語をみてもgenanntが
(上述の)だという意味だとは 分からない。
昔の辞書の巻頭言は楽しい。
★シロウトが見ても 所々に おかしな訳語もありますが、
小型なのと 活字が読みやすいのとで、出先で使ったり
しています。
小さい辞書としてデイリーコンサイス独和の方が はるかに
信頼性が高いですが、字が小さくて 高齢者にはシンドイ。
パートを雇い、大きい辞書をみながら 語義を見直す
作業をするのは 不景気の折柄 実行しにくいでしょうが、
最小限の改訂、語義の見直しだけを 大学書林さん、
していただけたら有難いです。
私は 変な語義は消して、自分で適切と思える語義を
書き加えて使っています。 
  


Posted by jtw at 12:07Comments(0)外国語学習