2013年05月29日

和歌浦での仮面フォーラム・上村忠男

月刊みすず2013年5月号 p.64~65 ヘテロピア通信40
”紀州・和歌浦での仮面フォーラム”から抜粋。
原文は 買って読んでください。315円。

乾武俊。1921年和歌山市に生まれ、中学校(旧制)の教師に。
詩人としても活動したが、1959年大阪府和泉市の中学に
赴任したのを契機に同和教育に関与するなかで、被差別
部落古老からの聞きとりをつうじて伝承文化に開眼。
なかでも各地に散在する中世以来の「民間仮面」に
魅了されて蒐集に努めるとともに、その研究に専念。
『黒い翁--民間仮面のフォークロア』(解放出版社、
1999年)や『能面以前その基層への往還』(私家版、
2012年)などを世に問うてきた。御年九十一歳。
 その乾が「生涯の幕引きに仮面シンポジウムを開きたい」
との希望を山本ひろ子に伝えてきたという。
そこで、山本が代表をつとめる成城寺小屋講座主催の
仮面フォーラム《芸能と仮面のむこうがわへ》が2013年3月
2~3日の両日、乾が定宿にしている紀州・和歌浦の
木村屋で開催された。
 第一目目は、五百羅廃寺と紀州東照宮を散策したのち、
乾の新作になる舞「黒い媼(おうな)」が披露された。
 2010年3月、島根県安来の清水寺に伝わる謎の坐像が
嘉暦(かりゃく)四年(1329年)の胎内銘から中世の摩多羅神
であることが判明した(この件については山本ひろ子「出雲の
摩多羅神紀行(前篇)1-遥かなる中世へ」『文学』2010年
七・八月号を参照されたい)。乾の新作は、その清水寺を山本と
いっしょに訪れて、そこに所蔵されている「黒い能面」に着目
した乾が岩手県平泉・毛越寺延年の「老女舞」を手本に
創作したものだった。2012年5月、本堂修復落慶法要の
さいに奉納されたのが初演という。
 つづいて、乾の講演「「縁起」が起こすのは「物語」か
「ドラマ」か」をはさんで、同じく乾による『明宿集』『法華五部九巻書』
ならびに各地民俗芸能と狂言「靭猿」の一部とのコラージュ劇
「カイナゾ申しに参りたり」が披露された。

 第二日目は、いよいよフォーラム《芸能と仮面のむこうがわへ》。
 まずは山本による提題「芸能と仮面のむこうがわへ」と、乾の
所蔵する仮面の保管を引き受けることになった和歌山県立博物館
の学芸員・大河内智之による報告「乾武俊氏所蔵の面について」があった。
 それから、「戦後部落解放運動史」(河出書房新社、2012年)で
乾の『黒い翁」にも言及している東京外国語大学准教授の友常勉
と成城寺子屋会員の宮嶋隆輔によるレポート「「能面以前」をかく
読めり」があった。そして最後にそれ以外の参加者も交えた
ディスカッションがあった。  
         
乾は第一日日の講演で此岸と彼岸のあいだにはそのいずれ
とも見分けのつかない「境界領域」があり、そこに生まれるのが
「仮面」であるとしていた。とともに、たとえば安来清水寺の
「黒い媼面」は「若い死者」「死んだ者やまだ生きている者」
「立ち去ってゆく二人づれの後姿」などの記憶を〈幾重にも
その造型のむこう側に畳み込んでいる〉が、その意義をつかみ
とるには なによりも舞台で演じられるドラマの構造全体
のなかで仮面が占めている位置を見定める必要があるので
あって、たんに物語・詞章だけからでは解けないと主張していた。
 これにたいして、山本のほうでは、あくまでも物語=詞章に
こだわろうとする。
宮嶋は「白い翁」の芸能的内実が見落とされているのでは
ないかと疑問を呈する。
和歌浦での仮面フォーラム・上村忠男
写真 by SACHI



Posted by jtw at 18:05│Comments(0)
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