2009年02月22日

石垣島から戻らなかった岩崎卓爾

日本経済新聞2009年2月22日
遠みち近みち
特別編集委員 足立則夫
「島から戻らなかった役人」

という記事から抜粋:

明治2年(1869年)、仙台に生まれた。第二高等中学校
(現在の東北大学教養学部)を中退して、札幌一等
測候所に入所。
111年前 中央気象台から石垣島測候所に赴任
したまま、中央への転勤を断り、死ぬまでの39年間
この島に住み続ける。
イワサキゼミなど、この人の名が付いた虫が十種も
いる。「八重山童謡集」、八重山諸島の地理・気象・
民俗・伝説などを載せた「ひるぎの一葉」などを残す。

44歳で妻と7人の子を仙台に返す。
63歳。中央気象台への転勤命令が出ると、辞表を
だし、嘱託として測候所に残る。
所長を辞めた彼のために 島民が寄付を集め
銅像を建ててくれた。
68歳。彼は島で息を引き取った。  


Posted by jtw at 20:29Comments(0)

2009年02月22日

ガザ地区のブログ「SOS子ども村」

このブログの管理人は Kamil el Shami
1952年にガザに生まれ、ハイデルベルク大学で地質学を学ぶ。
今ガザ市大学の教授。ガザの「SOS子ども村」のプロジェクト調整者。
SOS子ども村は 政治的に中立。このブログは
政治討論の場ではない。

その2009年2月20日のカキコミから抜粋:

戦争の始まった日に私は大学にいた。仕事中に近くで
爆発音が聞こえた。部屋の隅は がたがた揺れ、
建物が潰れると思った。外へ走り出た。静かになったとき 
攻撃が政府の建物を狙ったのだろうと思い、車の方へ
行こうとした。SOS村へ行って 無事がどうか 
見たかったから。ところが また攻撃が始まった。
電話も通じなくなった。1時間後に やっと攻撃が終わった。
家では 二人の息子と妻は無事だったが、
娘は学校から戻っていなかった。
家族は開放的で 社会活動をしていた。家族は
学問や言語やコンピュータに関心があった。
パレスティナ人とイスラエル人の抗争について 
家族で話し合ったことはなかった。家に防空壕はなかった。
無力感に襲われ、家族を守れないという罪悪感に
さいなまれた.
そのうちバスが家の前に止まり 娘が降りてきた。

下記サイトから:
http://www.stern.de/blog/index.php?op=ViewArticle&articleId=2111&blogId=75
このカキコミのコメントに「それは どこの戦争の場でも 
同じ」と言うのが でています。
  


Posted by jtw at 17:39Comments(0)