2009年11月03日

ボーデン湖のマイナウ島・観光客増加in南ドイツ

今年この花の島に来た人は去年より15%増え、
125万人になった。その理由は花の季節に天気が
良かったこと。
2008年の観光による売り上げは1%伸び、
1億9800万ユーロだった。2007年と同様に2008年も
13000枚以上の1年間有効切符が売れた。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/reise/Besucherplus-auf-Mainau-article571030.html

★和歌山市の友が島よりも小さそうに見える島に 
どんな花が咲くのか、よう そんなにも客を
集められるもんやと 感心して Mainauで写真を
検索したら 花、蝶、犬、山羊、孔雀などが
出ていました。綺麗です。
パンダを1頭 1億円で 借りるよりも 人件費を
かけて花を植えた方が、もうかる かもしれません。
私はもう 行けそうにないので、若い衆の皆さん 
どうぞ行ってみてくだされ。
マイナウの写真は下記サイト:
http://de.images.search.yahoo.com/search/images?p=Mainau&ni=21&ei=UTF-8&fr=yfp-t-501&xargs=0&pstart=1&b=281  


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2009年11月03日

バリアフリーのヘルマンハープを日本で普及

万人の心通わす弦の音
梶原千里
日本経済新聞 2009年10月29日から 抜粋。
本文は買って読んでください。

 弦を1本、はじいただけで心の雲が晴れ、透き通った
青い空か見えたような気がした。ドイツ・ニュルン
ベルクの介護用一品の展示会で、「ヘルマンハープ」
(ドイツ語名はVeeh Harfe)をつまびいた時のことだ。
2003年。
私は、日本で普及させてほしいと願い出たが、最初は
「子供のために作った楽器で、特に広めるつもりはない」
との返事。ヘルマンさんにとっては、ほとんど見たこと
もない日本人かのいきなりの申出だったのだ。
でも手紙などでやり取りするうちに、心が通い合った。
04年から関西を拠点に、ヘルマンハープを抱えて福祉施設
を回る日々が始まった。
 
ヘルマンさんはこの楽器を、ダウン症の息子のために
考案した。アコードチターという楽器をもとに、視力が
弱くても弦を近くで見られるよう楽器を立てて置ける
形にし、弦と弦の間隔を広くした。弦の下には黒丸や
白丸、線などが書かれた奏法譜を敷く。それに沿って
弦をはじけば音楽になる。五線譜の楽譜が読めなくても
大丈夫。チェンバロに似た音色は神経にも優しい。

ドイツのバイエルン州で大農場を経営するヘルマンさん
は第2次大戦中、疎開したきた音楽家に楽器を習い、
代わりに野菜やソーセージを分けたそうだ。以来、
音楽が人生で大切なものとなり、家族でのコンサートを
夢見てきた。息子にもメロディーを奏でられるものを
与えたかった。試行錯誤の末、このハープを1987年
に完成させ、今は息子らと共に「アルペジオ」という
アンサンブルを結成し各地で公演している。
私自身は夫の赴任で中欧に10年ほど暮らした。今は
西宮市で楽器の普及を続けている。
最初は障害者よりもシニアが関心を持ってくれた。
初めての方でも容易に演奏できるためだ。

ウィーンでは知的障害者施設でへルマンハープが
活用されている。私もそこで半年ほど研修を受けた。
数でいえば、ドイツでも日本でも今や愛好者は健常者に
多い。私の運営する「日本ヘルマンハープ協会」の教室
は全国で約130に増えた。それぞれの地域、教室で
クラシックから流行歌まで好きな音楽を楽しんでおり、
大小のヘルマンハープと別の楽器を組み合わせての
多様なアンサンブールも生まれている。
 
大音量ではなく、残響も長いヘルマンハープは比較的
ゆったりした曲を、皆で心を合わせて演奏するのに
向いている。
楽器製作に大きなものなら1台で4ヵ月もかかる。

ドイツでは東西冷戦期に、東西ドイツの国境に近い田舎町
で暮らしていた。ベルリンの壁崩壊後は、旧東独から
着のみ着のままやってきたドイツ入をしばらく家に泊めた。
表現の自由のない生活に表情を無くした彼らが、
徐々に心の壁を壊して明るくなるのを目の当りにした。
まるで親せきのような友人もできた。ヘルマンさんと
分かり合えたのも、ドイツ人との深い交流を経験して
いたからだと思う。
ヘルマンハープも、まさに人々の間の壁を取り払う
楽器である。
(かじわら・ちさと=日本ヘルマンハープ協会理事長)
  


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