2009年10月09日

「自立」幻想を捨て 他者と共に生きる・内田樹

「生きる力」とは、一人で生きていく力ではない。
支え、支えられる関係をもった共同体の中で生きて
いく力が求められる。

以上は下記記事の見出しです。
「第三文明」2009年11月号、p.14~17.

以下、その抜粋:
(記事は買って読んでください。とは言うものの、
あまり売れていない雑誌なので 買いにくいです。
買ってみたら、創価学会さんの雑誌でした。どこが
出した雑誌であれ、捨て犬・猫の記事と内田先生
の記事を読めて良かったです)

「他人に頼らず、自立してひとりで生きていける
ことが「「生きる力」の証し」という幻想が
はびこっていた。
しかし「ひとりで生きられる社会」は人類史的に
みても例外的な社会であり、「ひとりでは生きて
いけない」のが人間社会の自然な状態だといえる。
これから求められる「生きる力」とは 自立の力で
なく、共同体で生きる能力のことだと考えられる。
「あなたがなければ生きてゆけない」というメッセージ
は相互的なもので、自分のまわりに大切な「あなた」
を多く持っている人は、同じように多くの人から
大切な存在だと思われている。それゆえ、かけがえの
ない「あなた」の数が多い人ほど、周囲から大切に
される機会が多くなり、幸福に生きていける可能性
が高くなるといえる。
現代人は「誰にも迷惑をかけないし、かけられたく
ないから、自分が管理できる範囲内で共同体に
参加しよう」と考えがちだ。しかし そこには
大きな誤解がある。
真の共同体とは もっと抜き差しのならない関係で、
自分を投げ出して、迷惑をかけたり かけられ
たりしながら、つくり上げていくものだ。
少ない出費で多くの収益を得ようと考えるのも
間違いだ。共同体とは そうした片務的な関係で
なく、自らの才能や時間、お金を提供して共同体
を支えることを基本にするものだといえる。

共同体に帰属していることで もたらされる安心感は、
精神面や肉体面の健康にも大きく寄与する。
アメリカのロゼトというイタリア移民がつくった
町があり、この町では1950年代、心臓病による住民の
死亡率が周囲の町の半分ほどだった。疫学的な調査
が行われたところ、「住民の連帯感が強い」こと以外、
死亡率の低い理由は 見出せなかった。ところが 
時代が進み、ロゼトがふつうのアメリカの町と同化
していくにつれ、住民の連帯感も弱まり、心臓病の
死亡率も他の町と変わらなくなった。
共同体に帰属して周囲との連帯感を持ち、支援と
尊敬の中に生きることが健康を育むことを 示す
好例だといえる。

いくつもの共同体に同時に帰属していたほうが、
危険分散の面からも望ましい。

ここまで話してきたような共同体が空間的な
つながりを育むものだとすると、師弟関係は 
時間的なつながりを育む「精神的な共同体」だと
いえる。
私の場合、学問上では エマニュエル・レヴィナス
(哲学者)という師がいて、合気道では 多田宏
先生をいう師匠を持っている。
師弟関係はチェーンのようなもので、師から与え
られたもの、教えられたことを次の世代に継承して
いく役割を持っている。共同体の中で役割があると
いうことは、自らの存在価値を実感できることで
あり、生きる支えになる。
師匠という「心の灯台」を持つことの幸福と
豊かさは、師を持たない人には はかり知れ
ないものだ。


  


Posted by jtw at 20:10Comments(0)

2009年10月09日

バルサン殺虫剤はBalsamから命名?

http://www.tagesschau.de/wirtschaft/bankenaufsicht106.html
上記記事の見出しにBalsam バルザームとあったので
辞書をひいたら「ヘブライ語。バルサムの木から採った
乳色の芳香性の含油樹脂。香料・鎮痛剤として
用いられた」。
昔の独和言林という辞書をひくと、「においあぶら」
と出ています。Balsamapfel は「ニガウリ」と
でていますが、ニガウリは リンゴに似てないし、
いい匂いでもないから ホンマかいな。  


Posted by jtw at 08:49Comments(0)