2007年12月24日
サンタクロースも世話になる煙突の掃除人
その昔、はけのような煤払い付きの長い針金を持った
「煙突掃除」という職業があった。(今もある)
煤だらけになる昔の煙突の場合 誰かに掃除させないと
火事になりかねない。
狭い煙突にもぐこませるには 子どもが一番なのだった。
ジャン ヴァルジャンはサヴォワ生まれの少年に出会い
以後彼は子どもに尽くす男に変身した。この少年は
煙突掃除人だった。
毎年 冬が近づくと、サヴォワから フランス目指して
こどもたちが 大挙、流れてきていた。煙突掃除で稼ぐため
である。彼らは木靴を履き あるいは はだしで、日に
30キロも40キロも歩き続けて都市に辿りつく。そこでは
1日に14-15時間、働きづめに働く日々が待ち受けていた。
19世紀の小説には こども煙突掃除夫の姿が ときおり
描きだされれている。
バルザック「あら皮」 藤原書店版(小倉孝誠訳)に
収められた当時の版の挿絵を見ると 「幼い煙突掃除人」の
容貌、風体がどれほど異様なものだったかわかる。
フランスだけでなく イギリスの小説を開いても こどもの
試練のさまが活写されている。
ディッケンズの小説は孤児や捨て子が たくさん出てくる。
「オリバーツイスト」のオリバーは9歳で煙突掃除の
年期小僧にだされることになった。がオリバーは助かる。
煙突は曲がりくねっている場合、こどもの体が角に
引っかかって窒息死することが絶えなかった。そして
小柄な子ほど便利だというので まだ4-5歳の幼児も
雇われていたらしい。
ブレイクの詩「煙突掃除の少年」(松島正一訳)には
「黒いお棺」に閉じ込められた自分たちを 天使が自由に
してくれる夢が語られる。狭さも 煙も 高さも怖かっただろう。
しかしこどもにとって 延々と続く穴の中の暗さほど怖い
ものが あっただろうか。
以上
野崎歓 ”煙突の中のこども”春秋 2007年7月号から抜粋。
産経新聞2007年12月23日 坂本鉄男 ”イタリア便り”
という連載の「煙突の掃除人」からも引用。
★6月24日はJohannes d. Teaufer 聖人の日です。
この聖人の守護対象に 煙突掃除人も入っています。
その他に めまい 頭痛 癲癇にもご利益がある聖人です。
--白水社 「フロイデ独和辞典」の聖人暦から。
★★ 7-8年前にうちの会へ 大阪から教えに来てくださった
方は 亡くなったお父さんが 煙突掃除人だったそうです。
重労働で早くに亡くなったのでしょう。先生は ドイツにいる
お母さんへ仕送りするために 安いお礼なのに 和歌山まで
来てくれたのです。
「煙突掃除」という職業があった。(今もある)
煤だらけになる昔の煙突の場合 誰かに掃除させないと
火事になりかねない。
狭い煙突にもぐこませるには 子どもが一番なのだった。
ジャン ヴァルジャンはサヴォワ生まれの少年に出会い
以後彼は子どもに尽くす男に変身した。この少年は
煙突掃除人だった。
毎年 冬が近づくと、サヴォワから フランス目指して
こどもたちが 大挙、流れてきていた。煙突掃除で稼ぐため
である。彼らは木靴を履き あるいは はだしで、日に
30キロも40キロも歩き続けて都市に辿りつく。そこでは
1日に14-15時間、働きづめに働く日々が待ち受けていた。
19世紀の小説には こども煙突掃除夫の姿が ときおり
描きだされれている。
バルザック「あら皮」 藤原書店版(小倉孝誠訳)に
収められた当時の版の挿絵を見ると 「幼い煙突掃除人」の
容貌、風体がどれほど異様なものだったかわかる。
フランスだけでなく イギリスの小説を開いても こどもの
試練のさまが活写されている。
ディッケンズの小説は孤児や捨て子が たくさん出てくる。
「オリバーツイスト」のオリバーは9歳で煙突掃除の
年期小僧にだされることになった。がオリバーは助かる。
煙突は曲がりくねっている場合、こどもの体が角に
引っかかって窒息死することが絶えなかった。そして
小柄な子ほど便利だというので まだ4-5歳の幼児も
雇われていたらしい。
ブレイクの詩「煙突掃除の少年」(松島正一訳)には
「黒いお棺」に閉じ込められた自分たちを 天使が自由に
してくれる夢が語られる。狭さも 煙も 高さも怖かっただろう。
しかしこどもにとって 延々と続く穴の中の暗さほど怖い
ものが あっただろうか。
以上
野崎歓 ”煙突の中のこども”春秋 2007年7月号から抜粋。
産経新聞2007年12月23日 坂本鉄男 ”イタリア便り”
という連載の「煙突の掃除人」からも引用。
★6月24日はJohannes d. Teaufer 聖人の日です。
この聖人の守護対象に 煙突掃除人も入っています。
その他に めまい 頭痛 癲癇にもご利益がある聖人です。
--白水社 「フロイデ独和辞典」の聖人暦から。
★★ 7-8年前にうちの会へ 大阪から教えに来てくださった
方は 亡くなったお父さんが 煙突掃除人だったそうです。
重労働で早くに亡くなったのでしょう。先生は ドイツにいる
お母さんへ仕送りするために 安いお礼なのに 和歌山まで
来てくれたのです。
Posted by jtw at 10:13│Comments(0)
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