2011年06月22日

チェルノブイリで放射線と闘った人

福島の原発で今、働いている人がしている任務を 
Mikola Isajewはチェルノブイリでした。
Mikola(当時30歳)は1986年4月26日の朝、いつもの
ようにバスに乗り 原発に着いた。原子炉の屋根は 
無くなっていた。同僚が無茶に高い放射線量を測定
したと 言い張るのを聞いて、冗談だと思った。
何も心配することはないと言う話だったので、6時間の
勤務を 原発事故の中心から 数メーターのところで 
終えた。家への帰りに 数千人の兵士が 放射線防護服を
着て、道路に展開しているのを見た。彼は やっと
一日後に 事故が どれほどのものかを 知った。

その時、彼の娘は4歳で、息子は4ヶ月だった。彼と
同僚以外に この大惨事を 片付ける人は いないと 
確信していた。
事故の直後の数日間に 年間許容放射線量の50ミリ
シーベルトを被爆した。

1988年まで彼は原子炉を覆う石棺建設の責任者の
一人だった。この建設に1日に10万人以上の兵士が 
動員された。逃亡した兵士は投獄された。
事故処理にあたった人は 80万人以上になった。ソ連の
ような独裁制のもとで だけ こういう動員は可能だった。
福島では「自発的に」働く人が わずか数百人、投入
されている。

原発の爆発をどう消火するか 専門家も 当時は知らな
かったので 砂・化学物質・鉛を投げ入れることになった。
消火できたのは やっと10日後だった。
結局、欧州の40%が 汚染された。9万テラベクレル以上が 
大気中に放出された。今も南バイエルンでも その
放射線は測定できる。
1年後に彼は 肝炎になり、キエフの放射線センターに
治療に行かねばならなくなった。胆嚢が悪く、アレルギー・
糖尿病・喘息・貧血もある。55歳も今まで 癌には 
なっていないが、癌は 30~40年かかって 出てくる
ものだ。

彼は 英雄とされている。原発事故の処理にあたって、
命をはった多くの人の 一人だ。爆発のあと間もなく
亡くなった人も多い。
彼は 勲章を二つも授与された。
原発の放射線地獄の中で 働いた時に 不安は なかった。
あまり眠れなかったが 毎日 事故処理に向かった。
これは 社会主義教育を 受けたからだった。一般の
人々が 全てであり、個人は 問題ではないと 彼は言う。
彼を 英雄にしたのは 義務感である。今も彼は言う:
「目に見えない敵との 戦争だった。ただ 故国を
救わねば ならなかった」。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/aufraeumarbeiter-aus-tschernobyl-der-strahlenkrieger-1674273.html



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