2010年09月12日

ドイツの反原爆・平和市民運動/ 永井潤子

月刊「未来」連載 ドイツと私25
2010年9月号 p.8~9 から抜粋:         

今回のケルン訪問で 地元の市民運動の結果実現した
「ヒロシマ・ナガサキ・パーク」を見ることができた。
ケルン大学のキャンパスに隣接し、日本文化会館や
東アジア美術館にも近いケルン市の一等地にある。
小高い一角には背の低い石にブロンズの千羽鶴が
埋め込まれ、核兵器廃絶とドイツ語で書かれた記念碑が
が置かれている。
すべては1985年、ケルン市議会が「世界中から核兵器を
廃絶する都市連盟」(発起人、広島・長崎市長)に
加盟することを決議したことから始まったという。
2001年12月、市の中心部の緑地帯を「ヒロシマ・ナガサキ・
パーク」とすることが、
市議会で満場一致で決議された。資金難を克服し、
記念碑の除幕式が行なわれたのは2007年8月のことだ

 一方、ポツダムの「ヒロシマ広場」では7月25日の
日曜日、記念碑の除幕式と原爆の犠牲者を悼む灯龍
流しが行なわれた。

大統領の許可を得てアメリカ軍上層部が日本ヘ
の原爆投下の命令を出したのが、7月25日だったから
だという。
 記念碑はハノーファーの造形芸術大学でかつて
教えた彫刻家、藤原信さんの作品。 記念碑除幕式では、
「つくる会」の会長の挨拶、ポツダム市長や広島・
長崎両市の市長挨拶代読などに続いてベルリン在住の
外林秀人教授(高分子物理化学専攻。長年マックス・
ブランク研究所とベルリンエ科大学の教授を務めた)
が被爆の体験を話した。現在八十歳の外林教授が
ヒロシマで被爆したのは十五歳の時だった。
長年沈黙を守ってきた外林教授だが、最近は各地で
講演し、核兵器廃絶の運動に貢献している。

 この記念碑の除幕式に反対する意見をベルリンに
住むアメリカ人が新聞に投書したため、賛否両論の
激しい議論がマスメディアをにぎわした。日本は被爆を
強調し、戦争の加害国としての責任を取らない、
「ヒロシマ広場」での記念碑の設立はその
日本の姿勢を支援するものだという批判に対し、
「つくる会」のポツダム市や「つくる会」の関係者たちは、
広島・長崎での原爆の犠牲者を追悼する記念碑を
つくったのは、核兵器禁止の意志を表明するためで、
日本の戦争責任問題とは無関係である
と強く反論した。しかしながら、国際社会では
こうした批判が根強く存在することをあらためて
認識させられた。




Posted by jtw at 15:33│Comments(0)
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