2010年07月29日

一番大切な女性の思い出

南ドイツ新聞は 読者に「あなたの人生で一番大切な
女性は誰ですか」という問いに答えてもらった。
以下は Gabriele Neumaierさん(61歳)からの手紙:

マリアを 私は おばあさんと呼んでいた。彼女は
祖母エマの 腹違いの妹だった。マリアは小柄で 
ほっそりしていたが、筋肉質だった。彼女の父は 
小さい村で靴製造をしていたのに 彼女は 二人の姉の
はいた靴を履きつぶさなければならなかった。
マリアは14歳で 父の家をでた。20メーター離れた
ホテルの炊事助手になったのだ。そのホテルには 
哲学者ハイデガーや画家 Matthias Fallerも泊まった
有名なホテルだった。ずっと後には「シュヴァルツ
ヴァルトの少女」という映画の撮影チームも泊まった。
彼女は手伝い女だったから 賄いの食事がでる他には 
1年に一度50ペニヒが支払われるだけだった。

マリアは古い聖母マリアの歌に あるように 私を
守ってくれる人だった。
第一次大戦の終戦 直前に彼女は婚約者を亡くした。
Buchenbachの近くで二人は 植民地の商品を売る店を
するつもりだった。
彼の死亡通知の書かれた 軍事郵便葉書を 私は
今も持っている。
その死亡通知に マリアの悲しみと孤独とが残って
いる。いくつかの言葉の上には 涙が落ちている.
それでマリアは ずっと独身だった。20歳代で 
腹違いの姉エマに レストランに連れてこられた。
そこで マリアはエマ夫婦と その子たちと一緒に
暮らした。
1920年の末にエマの夫が亡くなり、レストランと家畜、
畑、森、牧草地の世話は マリアと私の祖母エマが
することになった。
エマは ナチが権力を取る2日前に亡くなった。
エマの臨終に マリアは 子ども達を父母に代わって 
今までと変わらない環境の中で 育てていくと 
約束してくれた。
祖母エマは 「ヒトラーは 十字架を曲げてしまい、
教会の鐘を取っていき、悪い時代をもたらす」と
言っていたと 私が成人してから マリアが教えて
くれた。

ナチは マリアを司令部に呼び出したこともあった。
マリアの居酒屋でナチの悪口を言ったという理由だった。
マリアは司令部に行くのに 10キロを牛舎に乗り、
そこから列車でフライブルクにでた。

第2時大戦の終わりに近い頃に 私の父になる人(脱走兵)
を マリアは1年以上 蜜蜂小屋に かくまった。
1947年にカトリックの村で 独身のまま 妊娠した 
私の母に マリアは味方してくれた。

1962年にマリアは70歳になった後、毎年 私に
300マルクを与えた。それは マリアの葬式の時に 
私が着る喪服を買うお金だった。
後になって 私が 大学から村へ戻ってくると、
いつも マリアは その絹の服を見せてくれた。

毎晩マリアは善い死が 来てくれるようにと祈って
いた。そして92歳 近くなって 亡くなり、私は 
マリアの買ってくれた黒い服を着て お墓に参った。
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/33394





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