2009年06月21日

「ヒロポン地域、アメリカの小さい町の死と生活」本の書評

著者はジャーナリストNick Reding. この30年の間に
アメリカの小さい町が どういう風に メタンフェタミン
(日本での通称ヒロポン)によって衰退したかを描く。
Redingは4年間 アイオワのOelweinという人口6000人の田舎町
での ヒロポン製造と薬物依存症を調査した。
かつて組合活動が盛んで 中小企業の栄えたこの町は
今、農業関連産業と低賃金、失業へと移行する過程で 
苦闘している。この背景が ヒロポンに引き込まれやすい
状態を生み出している。
ローランドさんは 食肉加工場の昼夜交代労働をこなす
ために メタンフェタミンを使い始めた。1980年代の初めに 
この町の医者は 疲れ果てた労働者に日常的にヒロポンを
処方していた。ローランドさんの工場の組合が解散し、
賃金が2/3になった時に 彼はヒロポンを常用するようになり、
ついには製造するようになった。
1980年代に統制されない資本主義が力をもつようになり、
それがヒロポンの蔓延につながる。
この時期に労働者の賃金は下がり、疾病・退職などの
手当てが消えた。
不法移住労働者を無茶な低賃金で使うようになった。
ヒロポンは 落胆し惨めな思いをする人を元気づけた。その
原材料エフェドリンと擬似エフェドリンを自由に入手できなく
しようというDEA(麻薬取締局)の活動は 製薬会社
ロビイストに妨害された。

ヒロポンは19世紀の終わりに日本人が開発した。
20世紀中ごろまでに 兵士の士気を高めるのに理想的な
薬だと、政府も業界も考えるようになった。
「精神病的」「反社会的」行動を引き起こすと言う調査は 
あったが、米軍も第2次大戦中に兵士にヒロポンを使った。
(具体的な悪影響・副作用は あまりに多いので ここに
書くのは省略)
人々の「気分をよくし、熱心に働くようにする」という効果は 
素晴らしかったので ヒロポンの人気は高くなった。
ヒロポンを広めたのはメディアだとRedingは言う。メディアは
ヒロポンの問題は終わった、あるいは 元々 存在しなかった
としたのだ。

小さい町のアメリカは 一般に思われているような 
道徳的で勤勉な人々の住む場所ではないことを この本は
示している。そして 小さい町の衰退を 大都市が
知らないままでいることが 危険であることも 示している。

”Methaland, the death and life of an American small town" by Nick Reding"
Bloomsberry 255pp. $25.
書評は David Liss
書評の見出しは 「アメリカの心臓部だと言われた地域の心痛」

The Daily Yomiuri 2009年6月17日の書評欄から抜粋。




Posted by jtw at 06:06│Comments(0)
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