2006年11月25日

アイヌ語の音声・古川古松軒/菅江真澄

当たり前ですが ドイツ語の音も 日本語の音と 違います。

古松軒は(1726-1807)は 蘭学を 学び後に 地理・歴史を 学んだ。幕府が 奥羽と蝦夷へ 派遣した 巡見使に 彼は 参加して アイヌの風習や その人となり に 感心している。

<アイヌ語の 音声は 日本語のそれと 異なっていて、日本人の発音で アイヌ語を 話しても まったく 通じなかった。アイヌたちが 集まって何か しゃべって いるのを 聞いても ただ やかましいだけ だと 笑って アイヌは どうの こうの 話していたら 彼らも こちらの 話し方が おかしくて たまらないと 笑い転げている。ところが その笑い方の 音声 そのものも 互いに 異なっていることが また おかしくて また 大笑いしてしまった。>

古松軒や 菅江真澄(1754-1829)は 日本の各地で 見られる 言葉遣いの 違いを 通して 地方 それぞれの 文化の 相違に 注意を 払ってきた。

真澄は また 中央の文化や 言語を 全国的に 押しつける べきでないと 考えていた。
真澄は 三河の国に 生まれ 晩年 秋田に 定住した。国学者であり 本草学(薬草の学問?)・医学を 学び 博物学者であり 歌人。
東北や蝦夷へも 風物・地理などを 調べることを 目的に 旅に出て 日本の 民俗学の曙を もたらした。

真澄の 経験した日本は 文化的多様性に 富んだところで あった。そして 地方の 異なった文化や社会を 尊敬と 愛情の念を 持って なるべく あるがままに 記録した。
真澄の時代から およそ200年、 たくさんの習慣や 習俗 あるいは 独自の行事などが 失われて しまった。
以上 ”江戸の旅日記-「徳川啓蒙期」の博物学者たち」” ヘルベルト プルチョウ著、集英社新書、2005年。から 孫引き。



Posted by jtw at 10:17│Comments(0)
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