2009年10月20日

チェルノブイルの人々と会い、写真をとるドイツ人

ドイツの写真家Ruediger Lubrichtは
「放射能の味を感じた」という。
1986年のチェルノブイル原子炉大惨事の結果を彼は
記録している。ゴーストタウン(幽霊村)、立ち入り
禁止区域での生活、忘れられた犠牲者について
彼はインタビューに答える。下記サイトに写真11枚。

6年前からチェルノブイルの仕事をしている。
ウクライナと白ロシアの放射能をあびた地域では
安全のために1週間以上滞在できない。それなのに 
そこでの調査には時間がかかる。地図も もはや 
ない疎開した村を見つけ、被害にあった人々に
会うのに 数千キロを車で走らなければならない。
森の中に数軒の家が残っていたりする。多くの
場所は 事故の後、完全に破壊された。

ウクライナのPrypjat市は封鎖地域にある。そこの
見捨てられた村や町は 最も印象に残っている。
事故の後3日以内に強制的に退去させられた。病院、
幼稚園、学校の中には当時の物が散乱している。

白ロシアへ彼は最近 行って そこの病院を訪ねた。
病院で生き残った被害者に会えた。白ロシアには
1986年に放射能に汚染されなかった「清潔な」
地域がある。しかし そこでも 事故に原因を
求められる病気がある。小さい村や町には 
健康な子は一人もいないと聞いた。
それは 封鎖地区で 再び野菜や穀物が栽培されて
いることに原因がある。汚染されなかった地域で
さえ、汚染されていない食料は ほとんど無い
ということだ。

白ロシアでは都会に強制移住させられた人のうち、
特に老人が村に戻っている。故郷で食料をつくり
、満足して生きているが、これは事故の本当の
規模について 必要な説明を受けていない 
からかも知れない。

原子炉から30キロ以内の封鎖地区に入って、体に
放射能を感じた。口の中に鉄のような味がした。
舌は麻痺したような感じだった。放射能に味が
あるとは 思ったこともなかった。チェルノブイル
の封鎖地区だけでなく、何キロも遠く離れた
白ロシアでも 放射能を感じた。

あと2~3年 この仕事を続けたい。若い消防士、
警察官、兵士など、原子炉の火を消し、人々を
安全な場所で連れ出さなければ いかなかった
人々のことを 今 調べている。彼らの大半は
亡くなった、しかし僅かな人は放射能による重い
障害をもって 生きている。彼らの話しを聞き、
写真をとりたい。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,655907,00.html



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