2013年01月02日

東アジア交流ハウス雨森芳洲庵

日本経済新聞 2012年12月31日 時流地流という囲み物記事。
見出しは「カルタで学ぶ郷土の偉人」
以下 抜粋です:
滋賀県長浜市雨森に この庵がある。
同地出身の江戸中期の儒学者芳洲を顕彰するため、
1984年に開設され 長浜市が運営している。
雨森芳洲は木下順庵門下で新井白石らと並ぶ俊英と
いわれ、朝鮮貿易で栄えた九州の対馬藩に22歳から仕えた。
釜山に3年滞在して朝鮮語を学び、朝鮮王朝が日本に
派遣した朝鮮通信使での応接役として2回随行。
粘り強く調整に努め、互いに欺かず争わず真実をもって
交わる「誠信外交」で朝鮮側からも高く評価された。 

平井茂彦 館長は学習会などで住民と芳洲を結びつけてきた。
富永小学校で開く「芳洲先生こどもミュージカル」では毎年
シナリオ作りに協力。卒業までに6回演じるので、芳洲の
生き方が子どむたちの血肉となる。

隠居後も芳洲は対馬藩で通訳の重要性を説き、朝鮮語学校設立に
尽くした。80歳を過ぎてから 古今集を1000回読み和歌を2万首
近く作るなど88歳で没するまで学び続けた。

2013年1月5日、館長が作った「芳洲先生カルタ」が地区の新春
カルタ会で初披露される。

雨森は用水路に水車が回り花が絶えない美しい里だ。
「芳洲先生出身地として海外から来た人にも誇れる里に」
と住民が街づくりに力を入れてきた。
東アジア交流ハウス雨森芳洲庵


タグ :雨森芳洲


Posted by jtw at 18:52│Comments(0)
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