2011年06月05日

チェルノブイリ惨事は終わらない

下記サイトに 写真・図・地図など数十あり。
下記サイトから抜粋:
http://www.welt.de/wissenschaft/article13172213/Die-Katastrophe-die-niemals-endet.html

25年前 1986年4月26日に原発が爆発した。その影響は
永久に環境に負担をかける。
die Weltの記者は ウクライナの首都キエフからバスで
チェルノブイリに着いた。原発を覆う石棺の前の駐車場で 
線量計は毎分4千単位を示した。キエフでは 10単位、
立入禁止地域の始まりでは500くらいであった。
1986年の春と夏に原発火災を消火し 防護の覆いを
建てるために30万人以上の兵士と民警が 投入された。
事故から今までには 80万人までの処理作業員が 
現場に投入されている。
独裁国家が 線量の測定を許さなかったため、チェルノ
ブイリ周辺の人々が どのくらいの放射線に曝された
かは 分からない。

この立入禁止区域1日ツアーで 約3マイクロシーベルト
の放射線を浴びる。この線量は ニューヨークから
フランクフルトまで飛行機に乗る場合に 浴びる
線量の約1/20である。

今も原発で3500人が働いている。彼らは2週間 働いて、
2週間 休む。立入禁止区域は 原発から半径30キロの
範囲である。禁止区域への出入りには 許可証が要る。

石棺などの構築物から 放射線に汚染された ホコリが
飛散する。
そのうえ 石棺が 老朽化して 崩壊すると、放射線を
もつホコリの雲は 半径50キロの範囲を汚染するだろう。
石棺を覆う 防護構築物は 計画されて いるが、この
建築を いつ始めたとしても、極めて危険な環境で 
工事が 行われることになる。約800の穴に 過去30年に 
放射線で汚染された 車両・建築資材・衣類などが 
入れられている。原発から 約1キロ離れた地点で、
線量計は もっとも大きい値を示した。そこは「赤い森」
と言われる所で 原発から漏れた放射線が 大量に
降りた所だ。木々は 枯れる前に 真っ赤になった。

Mykola Isaiev(56歳)は 当時を思い出して 語った:
「春になると 夕方に 家の前に座って、暖かい空気を
楽しんだ」。事故の日は 土曜日だった。白ロシアから 
行商の人達が 牛乳・果物・野菜を持ってきていた。
Isaievは 4月26日に 交代勤務に入る前に 同僚から 
放射線が高くなっていると 聞いたとき、冗談だと思った。
1991年まで 彼は原発で働いた。肝臓病と心臓病のために 
普通よりも早く 年金生活に入った。

石棺を覆う防護 建造物は 今までの計画の速さで 
進行したとすると 完成するまでに 百年かかるだろうと 
彼は言う。

原発事故処理にあたった人達は 英雄と讃えられた。勲章が
授与され、年金も医療も サナトリウムへの入寮も 
確かなものにされた。しかし ソ連の崩壊と共に 社会の
団結も消えたと 彼は思う。
「ウクライナは 我々のナンギに関心を示さない。政府は 
財政負担を やめたがっている」。★



※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。