2010年05月19日

ドイツ降伏直前の大惨事

ナチ強制収容所から出された人々を乗せた船が 
間違いの情報に基づいて 英空軍に爆撃され 7500人
以上が死んだ。何人かはドイツにより救助された。

ユダヤ系ドイツ人Hanni Krispin(86歳、女性)はテル
アビブのアパートでインタビューに答えた。彼女は 
東プロイセンに生まれ、1938年12月にリトアニアの
ユダヤ人居住区に入れられ、1944年7月14日にグダンスク
Danzigの近くの強制収容所に送られた。ドイツ降伏の
2週間前に監視人は 強制収容所を放棄した。
Hanniと重病の母親は バルト海沿岸のドイツの港で 
油槽船に乗せられた。ユダヤ人だけでなく、収容所に
いた色々な人を一緒だった。約10日間、水も食べ物も
なく航海した。そして 突然、水中に投げ出された。

船にドイツの将校が乗っているという間違いの機密
情報により 英空軍は 1945年5月3日に 8隻の船を
爆撃した。1万人以上がそれらの船に乗っていた。
Krispinと同じ船に22人の女性と 数百の勾留された人が
乗っていた。キール港から消防艇が来て、150人が
救助された。それ以上を乗せる能力は 消防艇に
なかった。
5月4日に船は Eckernfoerdeの北10キロにある
Booknisに着いた。
女性達は 怪我していたり 衰弱していたため 
入院が望まれた。Booknisの大地主は近くの大地主と
相談し、Oskar Moltke-Kirsten伯爵に頼み、車(馬車??)
を手配してもらった。道中に何人も死に、ついに
Eckernfoerdeに着き、治療を受けた。
1979年にHanniは イスラエルから 夫と共にバルト海
沿岸に出かけた。そしてNolte Kirsten伯爵を訪問した。
1980年、伯爵は他界した。Hanniにとって伯爵は
英雄だった。
「諸民族のうちの 心の正しい人」として エルサレム
の記念所に 伯爵が讃えられるように Hanniは もう
30年間も 力を尽くしているが まだ認められない。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/tagderbefreiung100.html



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