2009年09月11日

隠れん坊・生き残るためinナチの時代

第二次大戦中 ベルリンで約6000人のユダヤ人が
ナチから逃れるために隠れた。
今ベルリンのOtto Weidt博物館で その隠れ場所と
そこで生きた人々の話を展示している。勇気と
悲劇と裏切りの物語。

1944年10月1日ベルリンの「心のイエス教会」で神父
クロイツは後継者ロートケーゲルを迎えた。教会の
地下室にユダヤ人Erichを匿っていることを
後継者に伝えなければならなかった。
Erichの兄は42年6月に強制収用所で死んでいた。
42年8月に古い知人が48歳のErichを自分のアパートに
匿い、金と食料を与えていた。Erichは義足だった
ので 空襲警報が出た時に 防空壕に逃げる場合、
特に目立つので 夜は そこに いられなかった。
42年9月9日にクロイツ神父の教会の暖房用地下室
に隠れた。教会は暖房することを許されて
いなかったので、そこは安全だった。
後継の神父も この秘密を守った。彼の母は
ユダヤ人だった。Erichは生き延び、75歳で
1969年に亡くなった。

そのような隠れ人の中の有名人に 作家の
Inge Deutschkron ドイチクローン(この展示会の
きっかけを与えた)や 歴史家 Herbert Strauss 
ヘルベルト・シュトラウス(ベルリンの反ユダヤ主義運動研究
センターの設立理事長)がいる。

写真家Sibylle Baierと Daniels Friebelはその隠れ
場所の写真を撮った。

Alice Loewenthal(仕立て屋)は6歳と5歳の娘
を連れて隠れた。夫は43年2月27日にゲシュタポに
捕まった。娘二人はワイマールで空襲を受けた難民
の子として 他人の世話になっていた。戦後 
アリスは次のことを知った:娘たちは秘密がばれて 
アウシュビッツに送られ、そこで消息は途絶えた。
アリスは1987年に死ぬまで 娘との再会を念じていた。

アンネ・フランクのように 長い間 隠れているのでなく、
毎晩 別の場所に泊まり、やむを得ず 職を
探したりして 社会で行動していた人もいた
ことは、多くの後の人々にとって想像できない
ことだった。

作家ドイチクローンと彼女の母は ブラシ製造人 
Otto Weidtのところに隠れた。1998年に 彼の
作業場が再発見された。窓のない10平方メーターの
部屋だった。1943年10月に この部屋もゲシュタポに
見つかってしまった。

展示会には30の隠れ場所が選ばれた。

ロートケーゲル司祭は1944年にErichを匿った。彼の教会
の聖具室の地下室に もう一人のユダヤ人が
隠れていたことが その30年後に分かった。

しかし 隠れ場所(当時「潜水艦」と呼ばれて
いた)にいた約6000人もベルリン住人のうち 3/4は
見つかって殺された。1400人ほどが ホロコーストを
生き延びた。
下記サイトから:
http://einestages.spiegel.de/static/topicalbumbackground/4909/versteckspiel_um_leben_und_tod.html





Posted by jtw at 18:54│Comments(0)
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