2009年04月03日

家出人の共同宿舎inミュンヘン

宿なしになった青少年のための共同宿舎 訪問記:

写真付きで4ページから成る記事です:

1. JUPという宿舎は1995年から 住む家のない若者を受け入れている。青少年福祉局の支援を受け、青少年支援局に連絡してきた21歳以下の人を受け入れる。

JUPに4人の若者がいる。とりあえず3ヶ月滞在する。
2人の社会教育学修了者が 入所者の日常に配慮し、職業訓練の場を見つけるのを支援したり、役所へ行くのを助けたりしている。

2. Michi(18歳)
両親とは口論が絶えなかった。万引きしたり、無免許運転したりして 捕まったり、部屋を片付けなかったりした。母の金を盗んだのが 決定的だった。母に 盗んでいるのに気づかれた時、もう家に居られないと思い、クリスマスの前に JUPに来た。
ADHSという障害をもっているので かなり授業料の高い私立校にいっていた。
その学校は 気に入っていたが、10年生の時に落第し 親は授業料の負担が 重くなった。それで 転校した。化学の授業についていけなくなった。
前はADHS障害のためにリタリンを飲んでいたが それを止め、食餌療法に切り替えた。ジャンクフードは食べないようにして、砂糖は少なくした。今では 何時間も集中して本を読める。
ここで他の人と一緒に 生きることを学びたい。それは後のために大事だと思う。
連邦軍で兵役に就くまでの間 働けるように職を探している。
外人部隊に行ってみたい。怠け癖を直すには 誰かに尻を蹴ってもらわないといけない。

3. Lena(20歳)
10歳で煙草を吸いはじめ、13歳で マリフアナを吸い、14歳でヘロインを吸った。
最初の家出は14歳のとき。
麻薬の金は盗んでつくった。
自殺しようとしたことも 何度かある。
15歳の時に47歳の男と知り合った。2年一緒にいて 今もいい友達だ。彼は父親の代わりだ。父との間には いつも問題があったから。
母とは うまくいっている。母との接触は今も多い。
母のお陰で麻薬をやめられた。
もう2年間 麻薬をしていない。今は コーヒーと煙草が 私の麻薬だ。
実はリタリンを飲まないといけないのだが 飲んでいない。と言うのは 気分がひどく不安定で、時に 過動になり、攻撃的になるので。
時々 同じ宿舎の人が 片付けしないのは 気になるし、自分の部屋で煙草を吸えないのも つらい。煙草は台所に吸いに行く。時々 週末に カレシが泊まりに来る。前もって 連絡すれば カレシも泊まっていい。

4. トラボラ(19歳)
アフガニスタンから来た。もう2年ドイツにいる。
きょうだいの内5人はドイツにいる。一人の兄はアフガニスタンにいる。もう一人はインドの大学にいる。
父は長い間 ミュンヘンに住んでいる。
私は4ヶ月間 亡命申請者収容所にいた。
最初 クリーニングの会社で働いた。ドイツ語がうまく話せないので 続かなかった。それから 小売店員として見習いをした。その店で何か資格を取るようにと言われた。
学校へ行きたい。しかし父は働けと言う。それで口論になった。福祉局で この宿舎のことを知った。
警察官になりたい。それが無理なら 警備会社に就職したい。

5. イェスィ(18歳)
5歳の時に母親は再婚した、私は反対だったから 結婚式に行かなかった。7歳で初めて家出し おばあさんの家にいった。10歳の時に おばあさんの ところで1年過ごした。悪いことを色々して 母のところに戻った。14歳の時 継父に殴られ 本格的に家出した。1年間 施設にいた。それから 母は妊娠した。個室をくれると言うので 家に戻ったのに 二人のちいさい きょうだいと 一室で住むことになった。それで母と口論し4週間 母と会わなかったりした。
しかし 問題は母でなく、継父だった。継父はボスニアの回教徒で 厳しい人だ。それで 1月からこの共同宿舎にいる。
4人で一つの宿舎にいるのだから 片付けない人もいるし、他人の分まで食べてしまう人も いるから 口論はするけれど、ここは 気に入っている。しかし もうすぐ 引っ越す。パン焼きの職業訓練を受けていて 毎朝 3時に起きないといけない。そんな時間に バスは走っていないから 一人で 歩いていく。

下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/470473/1/1#texttitel 

★ 別のブログにカキコミしたのを貼り付けました。
管理人が同じです。



Posted by jtw at 19:37│Comments(0)
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