2008年07月05日

文楽の伊達大夫さん追悼記事・日経新聞2008年7月4日夕刊

5月25日に逝去された直後に 新聞に短い記事は載りましたが
これは 充分に取材された 2段の長い記事で 有難いです。
以下 抜粋:
気さくな人柄を映した素朴な芸風で親しまれた。得意と
したのは、屈折した人物を描いた曲。
先代寛治さんの指導を受けた。当代 寛治さん(先代の子息)
は苦楽を共にした友人の死を悼む。

五代伊達大夫襲名の曲は 「傾城反魂香」の土佐将監 
閑居の段。曲と芸風が合い、この舞台で三味線を勤めた 
当代寛治さんは 忘れられない舞台 と振り返る。

約20年前の九州公演で 幕が開いても 語りださないので
当代寛治さんが5分ほど三味線で合いの手を弾いて
つないだ。終演後、「すまん。間違えて 別の曲の床本
(ゆかほん)を持って 舞台に出てしまった」と謝った
という。
病床には 好きな競馬の新聞があった。
(編集委員 小橋弘之)

★ブログ管理人の蛇足:

先代 寛治師匠も 競馬にこった時期があったそうです。
去年の秋に お弟子さんが 若手大夫の 素浄瑠璃の会に
出演されたときに 伊達さんは 後ろの席で 聞いて
おられました。お弟子さんも 育って よかったです。
十数年まえに 高野山の下の橋本で 巡業があり、
伊達さんは 合邦を語りました。
粉河の叔父が 聞きに行ってくれて、「後味の ええ浄瑠璃
やった」と 電話をくれました。



Posted by jtw at 05:30│Comments(0)
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