2006年09月29日

フリッツ カルシュ博士at旧制松江高校

松江で日本人の教育に尽くした外国人と言えば アイルランド人 ラフカディオ ハーンが有名だ。だが 1925年から14年間 旧制松江高校で ドイツ語を 教えた 哲学者 フリッツ カルシュ博士も 後に 各界のリーダーになる人々の 青年期に 多大な 影響を 与えた。
教え子には 「長崎の鐘」で知られた医師の 永井隆、政治家 赤沢正道 高田富之、レーダー開発の功労者 酒井勝郎 がいる。
日経新聞2000年12月20日 文化欄、若松秀俊 東京医科歯科大 教授による 記事から 引用。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu
上記 若松教授の サイトに 膨大な量のカルシュ博士についての 情報が あります。




Posted by jtw at 14:31│Comments(6)
この記事へのコメント
MMさん 操作を間違えて コメントを消してし まいました。申し訳ない。
Posted by jnz at 2006年09月29日 20:56
”第二のハーン”と、言われた カルシュ博士ゆかりの建物が取り壊されるかもしれない、という記事でした。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=527202006
(山陰中央新報)
Posted by M.M. at 2006年09月29日 22:34
Danke!上記 新聞のアドレス co.jpまでを 検索エンジンにコピーして 検索したら 新聞社のページがでます。その後で ページ内 検索に カルシュといれて検索すると 記事が現れます。
Posted by jnz at 2006年09月30日 05:16
わざわざ検索しなくても、アドレス二行分を全部コピーして貼り付けたらそのまま記事欄に行けますけど...
Posted by M.M. at 2006年09月30日 09:07
「ドイツ語を楽しむ会」を拝見しました。若き日にドイツ語をそれこそ楽しく勉強しました。

カルシュに関する小説「湖畔の夕映え カルシュ博士と松江」の和歌山を舞台にした一節をお送りします。

カルシュは和歌山に赴任する可能性が会った人です。
皆様のご検討をお祈りしています。

テキストに変換したのでふりがなが大きくなってしまいました。

********************************
和歌山へ遠距離旅行した。この駅のバニラアイスクリームは特別おいしい。
かつて喜一が言っていた鯨の話を思い出していた。駅に着いたフリッツは早速、周りの何人かに
「鯨はどこで見られるのですか?」
聞く。
「たいじ太地のことだな」
「でも、そんなに見られるもんじゃないさ」
「沖で、時には見られるがね」
「時々やって来るが、やっぱりこちらから出かけないとな」

「お父さんはもしかしたら、ここの高等商業学校に赴任したかも知れなかったのだよ。メヒテルト」
「ここも、すてきね」

紀伊徳川家の栄華を誇る和歌山城を仰ぎ見ながらエンメラが感嘆の声をあげる。

この城の屋根には千鳥破風が松江城と同じく取り入れられている。

「でも、わたしは松江がいいわ」
メヒテルトは松江の静かなたたずまいを思った。
「ここは、松江とは違うが、出雲によく似た土地がらだよ」
フリッツも自分の人生観に根ざした評価をする。
出雲の風土記を学びながら、得られた知識が脳裏に浮かんだ。

「でも、本当は何も知らない」
と苦笑いしながら娘に語りかけた。

ここ紀伊の国では古代から信仰を集めた神社がある。神武天皇の御代に起源があると日本書紀が云っている。代々紀氏の家系が祭祀を務めている。
うっそう鬱蒼とした木立の中にひのくま日前神宮、くにかかす国懸神宮が並んで鎮座する。ち ぎ千木のある屋根は出雲大社と同
じだ。何となく、出雲の雰囲気だ。

    四

人力車で海岸をゆっくり走る。和歌山のはずれにくると波穏やかな、和歌の浦にでた。
ふろう不老橋をわたる。中国の西湖の橋を模したつくりという。
この地は、万葉の歌枕の地だ。
万葉歌人がここで和歌を詠んでいる。
現在は、万葉集にちなんだ万葉館があって昔の様子を語ってくれる。
和歌の神様のたまつしま玉津島神社が近くにある。
この地、片男波海岸からは、その昔、玉のように連なる島々が海中に浮かぶ美しい景色が見られたとのことである。古来、天皇も何度か行幸したことのある景勝地である。

聖武天皇に随行した山部赤人が長歌と二つの反歌を詠んでいる。その一つが

わかの浦に潮みちくれば潟をなみ
あし べ葦辺をさしてたず鶴なきわたる

である。
当時の風景が目に浮かぶようだ。

ここから、さいかざき雑賀崎への道すがら海岸線の美しさに、フリッツは見とれた。
途中、ほう らい蓬莱と呼ばれる岩にメヒテルトと一緒にのぼった。
「気をつけて、フリッツ」
「メヒテルト、もっとゆっくり」
「大丈夫よ。ムティ。ほう らい蓬莱には仙人が
 居るんだから」
「ここは、不老不死だからな」

この地から、ちょっと北寄りの徳川家の造営になるようすいえん養翠園に足を向けた。
見事なつくりだ。
緑の豊富な広い庭園のなかに歴代の藩主が愛した茶室がそのまま保存されている。
借景の山々が融け合う。庭園の極致だ。
海水を取り入れる珍しいつくりの汐入の池。
そのふち縁の風にそよぐ松の木と水面に生じるさざ波が美しく映える。

日本は、いや日本人は何とすぐれた美的感覚をもっているのだろう。
池の縁から突き出た黒松のかげ陰影の中で池の魚が飛び跳ねた。水晶の玉のしぶきが飛び散り日の光を弾き返した。

華やかさを極限まで付け加えようとするヨーロッパの美の構成と本質を異にする日本の美をフリッツは理解しているのだ。

華道も茶道も、書道も絵画も、舞踊も能もそして寺院の造りも何もかも、古来芸術と云われるものが、人工的な美の世界で、ひとつとしてむだがなく、自然の中で清楚な相互の配置の極致を実現しているのだ。

ひとつでも存在をはずすと調和の美のすべてが倒壊してしまう、むだのない美しさだ。抽象の美しさが、具象の美しさの中にかくも見事に実現されている。

鯛の一本釣りで知られる、石段と坂の漁村の雑賀崎に出た。青い波の中の黒く輝くうねりと白しぶきが眼に入る。独特の潮の香りの港は、波の様子が異なるが、島根の漁村とよく似た風情だ。

ここから骨の折れる路を登って見晴らしのよい場所にでた。
エンメラもメヒテルトも黙って、岬の突端から海峡をみる。江戸末期の黒船の監視に使われた『ばんどこ番所の鼻』から見た、自然が配した小島の様子がとても美しい。ここは、海を借景とした庭園で、潮騒と松風の音が絶えず聞こえる。

夕刻になった。近くの鷹ノ巣の高台から海を眺める。
小舟が通る。海に日が落ちるところだ。

夕日が紫青の混じる縞をなして静かに水面に映える。

この国はなんと美しい国なのか。

フリッツは、何年か前に訪れた隠岐西ノ島の夕映えを想い出した。
確か、島外れの国賀海岸であった。荒波に浸食された奇岩断崖からなるこの上もない美しい海岸線は、時の流れを忘れさせる程の眺めであった。
絶壁の上はのどかな草地の放牧地であった。
夕方、そこにメヒテルトとともに立った。
そこから縞模様の海に映える赤と金色の入り混じった夕焼けを見た。
ドレスデンで見も知らない人から授かったボタンの放つあの光を思った。

眼前の光景は、あの宍道湖の夕日とは異なる神秘的な夕映えであった。
感動に二人は胸を震わせた。

「なんという、高貴な美しさか」

この地は出雲の地方とよく似ている。そこに自分に与えられた運命をひしと感じた。

郊外にいわせせんづか岩橋千塚古墳群を見た。ここは大和地方や大陸との関わりのある土地柄で五~七世紀につくられたという。いまは紀伊風土記の丘と名付けられた史跡公園だ。
ふと、フリッツは松江近郊のいざなみのみこと伊邪那美命を祀るかもす神魂神社と八雲立つ風土記の丘の古墳群のたたずまいを思い出した。
Posted by 若松秀俊 at 2006年10月04日 19:00
若松先生、貴重なコメント ありがとうございます。
Posted by jnz at 2006年10月09日 09:56
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