2010年11月25日

和本リテラシーの回復を願って

中野三敏 著、月刊「図書」2010年10月号
32~34p.
から 抜粋:
本文は 雑誌を買って 読んでください。

和本リテラシーとは 平たく言えば 変体がなと
草書体漢字、いわゆる「くずし字」の読解能力を言う。
明治以前はまさにそれしかなかった文字表現であり、
我々の父親世代(明治生まれ)までの知識人は、
なお辛うじて持ち続けていたに違いない能力である。
では平成の現時点では如何か。語学・文学・歴史の
分野で江戸以前を専攻する研究者、及びその卵を
基盤として、おそらく三千人、その他多く見積っても
五千人には届くまい。総人口の0.00004%という
ことになる。

 一方、我国の知識人で古典を不必要と言い切れる
人はおそらくあるまい。

 では、明治以前に出来た和本の総点数はどれほど
あるものか。一つの手懸りであるが、有名な
『国書総目録』全ハ巻の収録点数は約五十万点と言う。
加えるに、『国書』未収録の和本はやはり五十万点は
あろう。合せて百万点を超すというのが妥当な数では
なかろうか。その内容は およそ人智のあらん
限りのものが書物化されていよう。

 さて、その中のどれほどが活字化されているの
だろうか。それは文芸作品から生活文化のあらゆる
領域に至るまでを見積っても、とても一万点を
越すとは思われない。
とすれば、活字化されたものは総数のわずか1%にも
満たぬことになる。

 近代を成熟させるための確かな素材としての
和本にようやく気づいた現在、我々の中の0.00004%
しか読む能力を持たず、通常の知識人は僅々一%の
量で 古典と接せざるを得ないという、何とも
皮肉な結果を迎えてしまっているのである。

そもそも古典を活字化することは、いわば翻訳を
読むに過ぎないし、あとの九十九万点の活字化には
おそらく膨大な時間を要するのは必至である。
ここは手っ取り早く和本リテラシーを回復させれば
事は至って簡単、しかも たかだか半世紀前までは
確かに存在していた能力であれば、回復させるのは、
適当なツールとその意志さえ持続できれば 案外
たやすいことなのではなかろうか。せめて
小学生の時に手短かな手ほどきさえしておけば、
大学生になった時に思い出すのは簡単であろう。

 現在の文化を成熟させるには、何はともあれ
過去を現在から連続的に振り返る術を持たねば
ならぬ。しかるに現在の日本の知識人の大半は、
その術をいとも簡単にふり捨てて、しかもその事の
重大さにほとんど気がついていないのではないか。

 小学生といえば、十八世紀の独立宣言を読めない
アメリカの小学生はおそらくいないはずである。
翻って我国の大人で、明治四年の福沢の
『学問のすゝめ』を活字本に 頼らずに読める人が、
0.00004四%という現状は、何としても是正される
べき事柄ではないだろうか。
 
 むろん、外国語は空間軸における他者と接する、
何よりのツールであることは十二分に承知して
いるのだが、一方で時間軸における我々の先達と
接する、極めて簡便なツールとしての和本リテラシー
の意義は、どれほど強調してもしすぎることは
ないと信ずるからでもある。              
      (なかのみつとし・近世文学)

★ブログ管理人の蛇足:
明治生まれで 大正の時代に(今の)高校にあたる
学校で勉強した 母とその姉たちは 和本や屏風に
書かれている字を読むことができた。
息子の私は 和本リテラシーを持たない。今さら
習っても遅い。まことに残念です。


  


Posted by jtw at 15:24Comments(0)

2010年11月25日

「変態打倒!」と叫び同性愛者を攻撃

ロシアで初めての「公認」同性愛者パレードが
行われた。それを反デモ隊が攻撃した。
サンクトペテルブルク(昔の名前はレニングラード)で
10人ほどの同性愛者が「本当の寛容を」「人権のために」
などと書いたプラカードを掲げてパレードした。
これを約30人の反デモ隊が罵り、卵を投げつけた。
警察は 同性愛者を守った。
パレードが認可されたことは 同性愛者にとって、
ロシアの民主主義にとって、一歩進んだことになると 
パレードの世話人Maria Jefremenkowa は述べた。
下記サイトから:
http://www.russland.ru/mainmore.php?tpl=Sankt+Petersburg&iditem=527  


Posted by jtw at 14:35Comments(0)